いるか座と思い出のペンダント
喫茶店を出た後、俺はスピカとムギと一緒に海岸通りを歩いていた。まだ空は明るいが、海岸通りに並ぶリゾートホテルや飲食店の照明が綺羅びやかに輝いている。
だが、歩道を並んで歩く俺達の雰囲気はどことなくぎこちない。なんだろう、やっぱり乙女がいないと違和感があるのだ。
海岸通りを歩いていると、水面を跳ねる大きなイルカのモニュメントが見えてきた。
八年前のビッグバン事件後、月ノ宮海岸の大規模なリゾート開発に伴って建設された新月ノ宮水族館は、入口のモニュメントが示している通りイルカショーが名物であり、ネブスペ2の定番のデートスポットである。
例え気分転換を口実にしても水族館を楽しめる雰囲気ではない上に、もう閉園時間を迎えていた。するとスピカはモニュメントの前で立ち止まり、制服の中に隠れていた、首にかけたペンダントを取り出す。
その先には、小さなイルカが金色に輝いていた。
「乙女さんも、これを持っていたんです」
スピカの隣を歩いていたムギも、スピカと同じく制服の中から金色のイルカのペンダントを取り出した。
「八年前、この場所にあった海水浴場で……私達は出会ってたのかな?」
この金イルカのペンダントを持っているのはアストレア姉妹だけではなく、美空やレギー先輩を含めたネブスペ2の攻略可能なヒロイン全員と、一部のモブキャラも同じものを持っている。乙女もその一人だ。
そのペンダントに共通することは、八年前──ビッグバン事件の直前の夏、ここにあった海水浴場の土産屋で誰かに貰った、ということである。ヒロイン達はこの金イルカのペンダントを、一夏の思い出を永遠のものとするために大事にしているのだが、結局誰がそのペンダントを渡していたのかは明かされない。全ての伏線を回収するトゥルーエンドでもスルーされているのだ。
金イルカのペンダントをヒロイン達に配った可能性がある人物として有力なのは、ネブスペ2の主人公達三人だ。彼ら自身はペンダントを持っていないが、そのペンダントを誰かにあげたという記憶は持っている。しかし肝心の誰にあげたのかは、直後に起きたビッグバン事件の影響で誰も覚えていないのだ。
「良いよね、そのペンダント。何か……時を超えた絆みたいなものを感じられるから。スピカちゃん達と乙女の繋がりを示してくれている証だよ」
俺が少し気の利いたことを言うと、スピカとムギはペンダントを大事に握りしめて顔をほころばさせていた。
前世でネブスペ2をプレイしていた俺は、もしやペンダントをあげたのは烏夜朧なのではという推理をしていたが、烏夜朧に転生して俺は気づく。
なんとこの男、海沿いの街で育ちながら海で遊ぶという習慣が全く無かったのだ。泳ぎが苦手だったわけではなく、虐待のため傷だらけの体を見せないようにするため、という朧の生い立ちが影響しているわけだが。
「烏夜さんは、いるか座にまつわる神話をご存知ですか?」
再び俺達が歩き出すと、スピカが微笑みながら俺に聞いてきた。
「うん、勿論さ。古代ギリシアの伝説的な音楽家、アリオンが音楽会から船で帰る途中、彼が持つ財産に目がくらんだ船員が船から彼を突き落として命を奪おうとする。しかしアリオンが奏でる音楽に集まってきたイルカの群れに助けられて、無事故郷に戻ることが出来た。その功績が認められて、イルカは星座になったとさ」
いるか座は黄道十二星座に比べるとマイナーかもしれないが、古代ローマの天文学者プトレマイオスが作成したトレミーの48星座の一つにも選ばれている、少し暗めだが立派な星座だ。
……なぜ俺がこんなスラスラと解説出来るかって? 答えは簡単だ、ネブスペ2で何度も解説されていたからだ。
ネブスペ2は宇宙や天体をモチーフにした作品であることから、作中で何度も宇宙に関する用語が登場する。初心者にもわかりやすく、わざわざ用語集まで作ってくれている。
ていうか作中でそれを解説していたのは烏夜朧だった。そうか、作中の知識枠に俺は転生していたんだった。
「流石は烏夜さんですね」
「でも、そんな当たり前のようにスラスラと解説されるとキモい」
「どうしてぇっ!?」
別に知識自慢をしたつもりはなかったのだが、ムギは少々辛辣過ぎやしないが? でもこの冷たくあしらわれる感覚、なんだか気持ち良い……って、俺は何を言ってるんだ。
「このペンダントは、八年前……あの事故に遭った私達を助けてくれたんだと思います。それに、人と人との絆を繋ぐという言い伝えもあります。
だから今回も、きっと……」
そう言ってスピカは口ごもってしまう。
この金イルカのペンダントを持っているヒロイン達は、それを宝物のように大事にしている。八年前の事件の時と同じように、どれだけ困難なことがあっても絆が助けてくれると信じているからだ。
今回ばかりは……俺がもう少し早く転生した記憶を取り戻していれば、乙女の転校を防ぐことが出来たかもしれない。それこそもっと子どもの頃に気づいていれば前世の知識を生かして少しは無双できてただろう。
ていうか俺ってどのタイミングで転生してたんだろうな。烏夜朧として生まれてから? それと乙女との別れの瞬間に転生したの?
ともかく、ネブスペ2ではトゥルーエンドへ進まない限り、運命が乙女との再会を許してくれない。せめて通っている学校とかが分かれば都心まで全然行くんだが……。
「ねぇ、朧」
海岸から波のさざめきが聞こえてくる中、真ん中を歩いていたムギが海岸通りの交差点で足を止めた。
「その……乙女の件なんだけど、本当に朧は知らなかったの?」
ムギのその瞳は俺を疑っているのではなく、親友である乙女と、そして俺、烏夜朧を案じる瞳だった。スピカも同じく俺のことを心配そうな面持ちで見ていた。
正直な話、烏夜朧は全然知らなかった。寝耳に水というやつだ。前世の俺が転生したことに気づいてからも、烏夜朧としての記憶も頭に残っているが、そんな素振りを見せられたこともない。
「ごめん。本当に知らなかったんだ……」
「……そうなんだ。ごめん、こんなこと聞いて」
「ううん、良いんだよ」
きっと二人は、俺が周囲に気を遣って乙女が転校する件を隠していたのかもしれない、と考えているのだろう。スピカとムギにとって、乙女はまさに親友と呼べる貴重な存在だった。乙女がいなくなった現実を、そう簡単に受け入れられるはずがない。
ただ、前世の記憶を持つ俺はビッグバン事件の真相を知っている。しかし今、それを二人に話していいのだろうか?
支障はないはずだが、全てが明かされるのはトゥルーエンドを迎えた時だけだ。普通にプレイしても、ラスボスと呼ばれるヒロインを攻略した時に初めて推理が可能になるぐらいである。
二人の不安を取り除くために話してやりたいが……真相を伝えたら、それはそれで新たな混乱を生む可能性があった。
だから俺は、心苦しく思いながらもそれを秘密にするしかなかった。
「あの、烏夜さん。怒らないで聞いてほしいんですけど」
するとスピカが妙な前置きをして話し出す。俺なんかがスピカ達に怒れる資格なんてないんだけど。
「もしかしたら、乙女さんが転校したのは……私達のせいかもしれないんです」
……あれぇ? 思ってたのと全然違う方向から来たぞ。
「ど、どういう意味? どうして二人のせいになるんだい?」
前世でネブスペ2をプレイした記憶を思い返してもアストレア姉妹と乙女が喧嘩したみたいなイベントが起きたことはないし、そんな話が出たこともない。
親友同士だった彼女達の不和なんて信じられなかったが、スピカは少し目を伏せて「つい最近の話なんですけど」と前置きしてから言った。
「私、ちょっとした好奇心で乙女さんに聞いてしまったんです。大星さんのこと、お好きなんですかって」
……。
……オレ、ソノイベントシラナイ。
え? 何そのイベント? スピンオフか何か? まだアペンドで追加されてないのに、勝手に乙女ルート始めようとしてたの?
そんなイベント、作中で一度も描写されたことがない。俺が転生に気づく前の烏夜朧ですら知らないことだ。
いや、俺の預かり知らぬところで作中にないイベントが起きてるのメチャクチャ怖いんですけど!?
とはいえそれが何かヒントになるかもしれないため、俺は話の続きを聞くことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます