一人が欠けた昼



 ネブスペ2では、プレイヤーが選んだ選択肢によってヒロインの好感度が変動する。これはグッドエンドを迎えるために必要な数値で、ゲーム画面でコンフィグを開くと現時点での各ヒロインの好感度を星の輝き具合で確認できる。これが共通ルートの最終日で一番高いヒロインの個別ルートに突入し、それからの選択肢次第でグッドエンドを迎えられる。


 もう一つ、ヒロイン達には暗黒度というパラメータが存在する。これはバッドエンドを迎えるために必要な数値で、好感度と同じくコンフィグでブラックホールの大きさを見て確認できる。これもまた選択肢によって変動し、この暗黒度が一定の数値を超えてしまうとグッドエンドの条件を満たしていてもバッドエンドを迎えてしまうのだ。


 これは前世、ネブスペ2を攻略していた俺と仲間達が発売初日から三日三晩寝ずに解明したルート分岐の仕組みだ。この好感度と暗黒度の細かい数値は前世の俺のパソコンの中に入っているはずだが、正確な数値までは思い出せない。まぁある程度恋愛ADVに慣れている紳士達にとっては、わざわざ数値なんて計算しなくても個別ルートに入ることは造作もないはずだ。


 問題なのは、その選択肢の殆どに俺、烏夜朧が関係しないことである。だって俺は主人公じゃないもん。親友とはいえずっと主人公の大星とべったりしてるわけじゃないんだもん。

 だが主人公の周りで起きるイベントなら把握している。大星編だと今日からヒロインの個別ルートに入っているため、俺は学校で大星の行動を見てそれを推理しようとしていた。



 「さ~って、今日の美空ちゃんのお弁当はな~にっかな~」


 蓋が開けられた美空特製の弁当の華やかさを見た俺は感嘆の声を上げた。二段弁当の上には程よい焼き加減の卵焼きにハンバーグに白身フライにミニトマトにほうれん草の胡麻和えにetc……下のご飯はシンプルな白米ではなく、間に鰹節が満遍なく敷かれたのり弁と来たか。いや、いくらなんでも手が込み過ぎだろこれ。


 「いや朧、お前の弁当じゃないからな」


 そう、勿論これは俺の弁当ではない。美空が幼馴染の大星のために毎朝早起きして丹精込めて作った愛妻弁当である。

 いや大星。人生の先輩として言ってやるが、こうやって毎日ご飯を支度してくれる存在がいてくれることにマジで感謝しとけよ。


 「美空さんのお弁当、本当に美味しそうですよね……」

 「スピカちゃんのだってすごく美味しそうじゃん? 私には敵わないけどね!」

 「張り合うな」

 「私は、お母様のを手伝ってるだけですので……」

 

 一方で同じく手作り弁当を持参しているスピカも料理の腕前は美空に引けを取らない。確かスピカルートでは美空と料理対決をするイベントもあったような。姉妹であるスピカとムギは同じメニューの弁当である。


 「……んで、レギー先輩はなんでそんな不機嫌そうなんですか?」


 大星の正面に座るレギー先輩は、購買で買ってきた唐揚げ弁当を食べながら恨めしそうに大星を睨んでいた。ヒロインがしちゃいけない顔してまっせレギー先輩。


 「こっちは安っぽい弁当食ってるってのに、目の前で見せつけるようにイチャイチャしやがってよぉ……」


 どうやら今日のレギー先輩は虫の居所が悪いようだ。レギー先輩は諸事情あって苦学生であり、購買で売られている味気ない弁当を毎日食べている。


 「今に始まったことじゃないと思うんですが」

 「もしかして、先輩も私が作ったお弁当食べたいですか? 明日持ってきますよ!」

 「いや、いいよ……お前も毎日大変だろうが」

 「それとも、レギー先輩は大星さんにお弁当を作ってあげたいんですか?」


 スピカがフフッと少しいたずらっぽく笑ってレギー先輩にそう言うと、急に先輩は顔を真っ赤にして口を開いた。


 「ば、バカ言え! なんでオレが大星のために……」

 「フフ、先輩ったらお顔がりんごさんみたいに真っ赤ですよ」

 「スピカ……お前も中々言うようになったじゃねぇか……」


 と、俺達はレギー先輩の可愛らしい一面を見ながら笑っていた。


 「朧っちは今日も誰かの貰い物ー?」

 「いや、今日は自分で作ってきたよ」


 美空特製弁当には到底及ばないが、今日は自分で弁当を作ってきた。とはいえ殆ど冷凍食品だけども。


 「……は?」

 「え、朧っちが自分で?」


 しかし俺が、いや烏夜朧が自分で弁当を作ってきたことが余程意外だったのか、美空だけでなく大星やスピカ、ムギ、レギー先輩まで愕然とした様子だ。


 「そうだけど、どうかした?」

 「明日は季節外れの大雪か……」

 「大星さん。お体は大丈夫ですか? 何か具合が悪いなら早めにお医者さんに診てもらった方が良いですよ?」

 「朧……お前もオレと同じ弁当食べようぜ」


 なぜ皆がこれ程驚くのか……答えは簡単だ。

 朧は学校に二段弁当を持っていくが、中身は下段の白米だけで上段は空っぽ。昼休みになると各学年の教室を回って、前に口説いたことのある女の子から弁当の具材を分けてもらうのだ。毎日。

 

 烏夜朧としての記憶、そして携帯に残る連絡先やトーク履歴等を見て、作中で数百人もの女の子をナンパしてきたと豪語していた朧の凄さを実感した。確かに今まで口説いてきたであろう女の子の連絡先が大量に残っているが、その大半はもう連絡を取ってないから本当に長続きしてないんだな。


 いくら朧に転生したとはいえ、大して関係も深くない女の子達に弁当のおかずをたかりに行くのはどうかと思うし、そもそもそんなことをしている時間があったら大星の周囲で起きているイベントを逐一監視していたい。

 そのため、そんな自慢できる程のものでもないが自分で弁当を作った。朧って料理が上手っていう設定があるから助かった。



 このように、昼休みは中庭に美空が持参したレジャーシートを広げて俺、大星、美空、スピカ、ムギ、レギー先輩で集まって一緒に昼食を食べるのが習慣になっていた。美空やスピカ、ムギが正座しているのとは対照的にレギー先輩はシートの上で俺達みたいにあぐらをかいている。スカートでよくあぐらかけるな。


 「ところで、ムギ……何か気分悪いのか? 箸、全然進んでないけど」


 大星がそう言うと、全員の目がスピカの隣に座るムギの方に向いた。ムギも大人しめの性格とはいえ、ここまで静かなのは珍しい。

 ムギはまだ弁当に全然口をつけておらず、うつむいたまま口を開いた。


 「……やっぱり、乙女がいないのは寂しいよ」


 ムギのその一言によって、俺達は現実を直視せざるを得なくなった。


 そう、この集まりにはもう一人……朽野乙女という、欠けてはいけない人間がいた。ムギは特に乙女と仲が良く、彼女によく懐いていた。


 乙女が転校し、そしてこの学校の世界史教師だった秀畝さんが正式に退任したという話は、朝のHRで担任の口から告げられた。噂程度で流れていた情報が公となり教室はざわついたが……担任が言わずとも、その原因は既に広まっていた。

 八年前の事件の犯人が秀畝さんかもしれないという噂は他の生徒にとっても信じられなかったらしいが、噂好きの連中によってあらぬ憶測まで飛び交っていた。それを見かけた時は俺も無性に腹が立って度々ガンを飛ばしに行ったが、その度大星や美空に止められていた。


 「確かに、今日の朧っちは全然面白くなかったもんね」

 「それは言わないでおくれよ、美空ちゃん……」


 そして、ムードメーカーだった乙女を失ったクラスがどんよりしていたというのも事実。俺はその重苦しい雰囲気を打ち消そうと頑張ってふざけていたが、まさかの歴史的ダダ滑り。そういや作中でも朧個人のギャグセンスは壊滅的だったが、残念ながら前世の俺のセンスも壊滅的だ。もう救いようがない。


 「いえ……烏夜さんは頑張ってくれてたんですよ。私達があまり暗くならないよう……朧さんだってお辛いでしょうに」

 「スピカちゃん……! そこまで僕のことを想ってくれているなんて、まさか僕のこと……」

 「あ、そういうのは結構ですので」

 「そんなー!?」


 うん。ここまでずっと原作通りの展開、原作通りのセリフ。俺もセリフを一つ一つ覚えているわけではないが、自然と口に出てしまうため運命を超えた何か大いなる力が働いているに違いない。


 「乙女のお母さん、最近病状が悪かったみたいだけど大丈夫かな」


 ようやく弁当のミートボールを一つ口にしたムギが、心配そうな面持ちで言う。

 乙女の母親、穂葉さんは八年前の事件をきっかけに体を悪くしていて、長く入院生活を送っていた。最近は病状が悪化していると乙女から聞いていたが、まさか秀畝さんの件がきっかけじゃないよな……。

 

 乙女という存在がいかに大切だったかを思い知らされ空気が重くなる中、レギー先輩はこっそりムギの背後へと移動し……突然ムギの頭をワシャワシャと撫で回し始めた。


 「わ、わぁっ!?」

 「ほら、ムギは乙女にこうされるの好きだっただろ?」

 「べ、別に好きじゃないもん! か、髪がボサボサになっちゃう~」


 しかし困った様子のムギに構わずレギー先輩は彼女の頭をメチャクチャに撫で回していた。それまで暗い表情だったムギも、満更でもなさそうな笑顔を見せていた。


 「じゃあ、隙ありっ!」


 今度はムギの隣からスピカが彼女の頬をプニッと小突いた。一度ではなく二度、三度とプニプニとその感触を楽しんでいるようだ。


 「ちょ、ちょっとスピカ!?」

 「ずる~い、私も!」


 そして美空も加勢してスピカとは反対側からムギの頬をプニプニと突き始めた。

 ……なんだか凄く微笑ましい光景だ。この光景、いやこの関係を宝物にしたい。


 「なぁ、大星。百合ってのも良いと思わない?」

 「……お前、そういうのもイケる口か」

 「僕はどんな性癖もカバーしているつもりだよ! ハーッハッハッハ!」


 ちなみに今のムギがレギー先輩とスピカと美空にメチャクチャにいじられているシーンはネブスペ2でもイベントCGがあり、ムギのCGではトップクラスに俺が好きな場面である。



 午前中にダダ滑りばかりしていた俺は午後の授業で張り切る元気も失い、放課後の教室もどこか寂しい雰囲気だった。

 ちなみに俺は授業の合間を縫ってこの学校の情報通達に乙女の行方を聞いてみたが、やはり都心の方へ引っ越したという漠然とした情報しか聞き出せなかった。


 そして、帚木大星編では今日から各ヒロインの個別ルートに入る。それを俺視点で見分ける方法は簡単だ。今日、個別ルートに突入したヒロインと大星が一緒に放課後デートに行くのだ。


 「よっ、お二人さん。今日もラブラブデートに行くのかい?」

 「デートじゃねぇって言ってるだろうが」


 俺は教室から一緒に出ていく大星と美空を茶化すように言った。


 「ねぇ、朧っちってクレーンゲーム得意?」

 「あれってお金さえかければいくらでも穫れるものじゃないの?」

 「……ダメだなこれは。また俺の財布が空になる」


 今日は、どのヒロインの個別ルートに突入しても放課後に駅前のゲーセンに行くという流れは変わらない。大星の相手が変わるだけだ。


 「あぁ……僕には見える! 見えるよ! 美空ちゃんが欲しがるぬいぐるみを大星が全財産をつぎ込んでもゲットできない未来が!」

 「やめろ偽占い師。お前人狼だろ」

 「例えこれが人狼ゲームだったとしても、流石にそれは無理筋なんじゃないかな、大星」

 「私、真占い師だよ。朧っちは……人狼だね。さようなら朧っち」

 「美空ちゃーん!?」


 ちなみにこの後のイベントで大星は全財産をつぎ込んで美空が欲しがっていたぬいぐるみをちゃんとゲットする。それがいわゆる主人公補正ってやつなのかな。



 ふむ、やはり大星は美空ルートに入ったか。流石は大星編のメインヒロイン的立ち位置なだけのことはある。幼馴染は負けフラグとかいう不名誉な言葉もあるが、見事大星を落としたか……いや大星が美空を落としたのか? まぁどっちでも良いか。


 美空ルートか……やはり最初の主人公のメインヒロインとだけあって攻略は簡単だ。美空にもバッドエンドは用意されているが、個別ルートに突入してから選択肢を間違えなければ問題ない。選ぶの簡単だし。


 「烏夜さん」


 ネブスペ2はアフターとか続編は発売されなかったから、どのヒロインのルートが正史として扱われるのかわからないが、まぁ順当にメインヒロインとのルートなのだろう。


 「烏夜さんっ」


 万が一美空のバッドエンドに入ったら、七夕に俺死んじゃうよな。特に悪いことしてないのに何故か真っ先に美空に殺されちゃうんだよね、朧君。やっぱり日頃から美空の中でヘイトが溜まってたんじゃないのかな。


 「……烏夜さんっ!」


 ドンッと背中を叩かれて、俺はようやく誰かに呼ばれていたことに気づいた。後ろを振り返ると、そこには鞄を持ったスピカとムギが並んで立っていた。


 「……烏夜さん。何だか難しそうなお顔をされてましたが、何か悩み事が?」

 「いや、全然。それよりアストレア姉妹が揃ってどうしたんだい?」

 「ねぇ、朧。この後時間ある?」

 「ううん。この後は特に予定ってものはないけど」

 「じゃあ、一緒に帰りませんか?」


 ……。

 ……え?

 この二人と?

 俺、この二人と一緒に帰れるの?

 こんなお人形さんみたいな二人と? 俺は主人公じゃないんだけどヒロインと下校イベントしちゃっていいの?


 「二人となら全然OKだよ! どこか行きたい所はない?」

 「じゃあ、海岸通りに行こ。ゆっくり散歩したい気分」

 「少し喫茶店に寄りましょうか」

 「良いね良いね。なら善は急げだよ!」


 俺のテンションは爆上がりだ。昨日はレギー先輩と一緒に帰ることが出来たけど、今度はアストレア姉妹ときたか!

 神様、乙女を失って傷心気味の俺に御慈悲をありがとうございます……いや待てよ。俺、何かの拍子で道を歩いてるだけで車に轢かれたりしないよな。


 幸せ過ぎて不安も感じ始めていた俺だったが、スピカとムギと一緒に海岸通りへと向かった。

 道中で車や自転車に怯えていた俺は、二人にはさぞおかしく見えていただろう……。


 

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