番外〈始まりから終わりへ、終わりから始まりへ〉

 気付けば、男はとある屋敷の中にいた。


 澄み渡った青空。

 窓から見える麦畑。


 憶えていないわけがない。

 ここは、紛れもなく自分の家だ。



「やっと、気付いたね。遅いよお父さん。

 あたし、待ちくたびれちゃった」

「────エヴァ」



 背後から、愛おしい娘の声が聞こえた。

 振り向けば、そこにはあの時と一寸変わらないエヴァリシアが佇んでいる。


 自分でも驚くほどの速さで駆け寄り、小さな身体を抱き締めた。



「……ちょっと痛いよ」

「……すまない、すまない。エヴァ」



 濁流のように溢れ出す涙をそのままに、男はずっと謝り続ける。



「もういいよ、許してあげる」

「……ありがとう、本当にありがとう」



 男はずっと、エヴァリシアの声を無視していた。

 復讐心に、役を演じることだけに取り憑かれ、周りを見ることも出来ず、ただ一人舞台の上に立ち続ける。


 エヴァリシアは、そんな父を四百年間ずっと見続けてきた。

 片時も呼ぶことを諦めず、ずっと叫び続け。

 そして、今。

 やっと、その努力が報われたのである。


 抱き締め続ける男の肩を全力で押し、エヴァリシアは少し距離を取った。

 今から始める話は、抱き締められたままでは出来ないから。



「あのね、お父さん。

 ────本当はあたし、死んでないの」

「……それは、どういうことだい?」



 男は、エヴァリシアの言葉が信じられなかった。

 何故ならば、彼女は自分の目の前でその身体を光と変え、世界に溶けていったのだ。

 いくら探しても、いくら声を掛けても、エヴァリシアから反応が返ってくることは一度も無かった。

 

 だから、エヴァリシアはこの世界から完全に消え去ってしまったとばかり思っていたのだ。


 しかし、実際はどうだろう。

 これが男の幻覚でないのであれば、エヴァリシアは確かに存在している。

 ここは現実ではないのだろうけれど、空想ゆめではないのも分かる。


 では、どうしてエヴァリシアはここに居るのだろう。

 存在できるのだろう。


 そんな疑問は、彼女の手によって簡単に解かれた。



「……消えた後、あたしは暫くふわふわ漂っていた。

 ただの源素として」



 光────源素として、肉体も魂も分解されたエヴァリシア。

 

 しかし、環境源素となることはない。

 薄い膜のようなもので隔たれており、紛れることはあっても混ざることはなかったからだ。


 原因は恐らく、エヴァリシアの意志が源素に宿っていたから。

 源素と精霊の決定的な違いは、意志の有無。

 分解され、散ったあとでも意識は確かに残っていた。


 やがて、それらはまた一つに集まりだし、融合し始める。

 そうして生成されたのが、特位精霊としてのエヴァリシアだった。


 

「……そう、だったのか」



 もっと早く、気付いていれば。

 もっと早く、聞こえていれば。

 復讐なんてする意味がない、と分かっていれば。



「駄目だよ、お父さん」



 頬が挟まれるように、ぱちりと叩かれた。



「お父さんの復讐に意味がないわけじゃない。

 事実、あたしは死んだも同然なわけだし。

 皆、あたしのこと忘れちゃったし。

 恨むまではいかないけれど、怒りはしてたんだよ?」



 思い出される、エヴァリシアの最期の言葉。

 腕の中で光となっていく少女の、本当の想い。



「……でもね、あたし。この国のことが好き。

 この国と、この国に生きる人のことが好き」



 ────ね、お父さん。あたしが居なくなっても、幸せに生きてね。



「……ああ、そうだ。君はそう言う子だよ」



 男は再びエヴァリシアを抱き締めた。

 

 誰かを恨むより、誰かを愛し。

 誰かを怒るより、誰かの幸せを願う。


 明るくて、健気で、優しい子なのだ。



「君は、君のままでいてくれ。

 ずっと、その想いを変えずに。

 その心を忘れないように」

「……うん」



 これは、男の理想ゆめ

 心から願っていた、描いていた未来。

 

 けれど、虚構うそではない。

 確かにそこにある真実ほんとうなのだ。


 男の身体が徐々に透けていく。

 時間が来てしまった。



「……わたしはいくよ。皆を待たせているからね」



 温もりが離れる。

 それは、父と娘の決別。

 それぞれが新しい未来へ進むための禊。


 愛おしい娘の、妻に似た銀髪に触れた。

 あの日と変わらないエヴァリシアの姿。

 成長を見守れないは残念だが、彼女はきっと美しく育ってくれるだろう。

 それこそ、妻のように。



「……みんなに、よろしくね」

「ああ」



 最期に、少女の手を取った。

 わたしの小さなお姫様。

 わたしの宝もの。



「────どうか元気で健康に、幸せに生きてくれ。

 君の行く末が、希望と幸福に満ちた世界であることを願っている」



 そう言って、掌に接吻キスをする。

 

 見上げた竜胆色の瞳からは、涙が零れ落ちていた。



「……泣くつもり、なかったのになあ」



 ぽろぽろと滴る雫。

 瞬きするほど落ちるそれを、男は拭う。

 差し出した指は、もう殆ど形を残していなかった。



「エヴァ。

 わたしは君の悲しむ顔より、笑顔が見たいな」

「……分かってる、分かってるよ」



 エヴァリシアは手で涙を払う。

 それでもまだ瞳は潤んでいるけれど、視界は滲んでいるけれど。

 最期は笑顔で送りたいから。


 肺いっぱいに空気を吸い込む。

 声が震えないように、精一杯叫べるように。



「────大好きだよ、おとうさん!」



 そして、さようなら。


 渾身の笑顔で、人生で一番良い笑顔でお別れする。



「わたしもだよ、エヴァ。ずっと君を愛している」



 その言葉を最期に、男の姿は掻き消えた。


 陽の光が射し込む部屋。

 エヴァリシアあたしの部屋。

 ひとりぼっちになった部屋。


 少女はぺたりと座り込む。

 床を涙で濡らし、嗚咽を響かせ。

 二度目の別れに、哀惜の海に沈んでいく。


 けれど、これで良かったのだ。

 二人が未来を踏み出すためにも。

 新しい自分に生まれ変わるためにも。

 必要なことだった。






 かくして演者は役を捨て、復讐劇は幕を閉じる。

 結末は大団円ハッピーエンド終演の挨拶カーテンコールはつつがなく。

 観客は退場の時間を迎え、劇場は空っぽへ。


 しかし、それは終わりじゃない。

 朝から夜になるように、夜から朝になるように。

 終わりの次は、また始まりが来る。


 この劇場せかいに終わりは来ない。

 何故ならここは、理想郷ユートピア

 理想ゆめを叶える、希望と幸福に満ちた世界。


 さあ祈れ、さあ願え。

 両手を組んで、胸の前に。

 目蓋を閉じて、暗闇の中で。


 祈りも願いも、きっと『神様』が聞き届けてくれるはずだから。

 光がきっと導いてくれるから。

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