二十節〈希望と幸福、そして未来を描いて〉

 深い深い水底から浮き上がるように、意識が戻ってくる。

 目を開けると、眩しい世界が広がった。


 そこには、先程のような花畑はどこにもない。

 どうやら長い夢を見ていたようだ。 

 いや、夢ではなく、いつものようにの記憶なのだろうが。


 見上げていたのは、見覚えのある天井。

 いつも見る景色だ。


 そして、蘇るあの記憶。


 ────生きている……?


 目が見える。

 音が聞こえる。

 匂いが分かる。

 身体の感覚がある。


 なのに、身体のどこも痛くない。

 病気を発症する前に戻ったように。


 

「……いったい、何がどうなっているんだ」



 そう呟いた自分の声は、小鳥のさえずりよりも掠れていた。

 取り敢えず動き出そうと身体に力を込める。



「……あ、れ? いや、ん……?」



 しかし、微塵も動かない。

 何年も放置されていた機械を動かしているように。


 少年は大きく息を吐いた。

 脳内には最悪の想定。

 『もしかして、結構な時間経過してたりする?』と。


 流石に年単位ではないだろう。

 そうであってくれ。

 なんて思いながら、どうにかして起き上がろうとする。



「出来る、出来るはずだ僕は……!」



 蚯蚓みみずのように、うねうね身を捩り。

 滓ほどの筋力を最大限活用し、何とか上半身だけでも起き上がることに成功した。


 この光景を誰かに見られていたら、恥ずかしい以外の何物でもない。

 

 しかし、そう思ったときは基本、願いに反する事象が起きるものだ。


 かたんかたん、と何かが落ちた音。

 それは、扉側から聞こえてきた。


 気のせいであってくれ。

 ゆっくり首を動かすと、そこには白髪の少女が一人。

 足元には、桶に入っていたであろう多織留タオルと水が散らばっていた。


 少年が今一番気まずい相手。

 命懸けで守った少女が、そこに居たのだ。


 同接するべきか、なんと言うべきか分からなくて。

 絞り出した答えは、至極当然のものだった。



「……ええっと……おはよう?」

「────あ、ああ……!」



 言葉にならない叫びと共に、少女は少年に飛び付く。

 弱り切った身体では少女を受け止めることが出来ず、勢いそのままに倒れ込んだ。

 丁度、少女に押し倒されるように。


 

「良かったあ……良かったよお……。

 もう、起きないんじゃないかって。

 会えないんじゃないかって。

 ずっと、ずっと心配してた……!」



 少年の胸の上で、少女は涙ながらに語る。

 この短期間────少年視点では────に二度も泣かせてしまうとは。

 とても心が痛んだ。



「……ねえ、私のこと分かる? 自分のこと、憶えてる?」



 泣き腫らした瞳を潤ませて、少女は問い掛る。

 ぽろぽろと零れ落ちる涙が、少年の頬に落ちた。

 

 少年は、溢れ出す涙を拭うように彼女に触れる。



「────君は、ユフィ。ユフィリア・レンティフルーレ。

 僕は、レイフォード・アーデルヴァイト。

 大丈夫、全部憶えているよ」



 途端、更に涙が溢れ出した。

 堪え切れないと顔を歪ませて、再び胸の中に沈む。

 少年の服をずぶ濡れにするくらい、少女────ユフィリアは泣き続けた。


 やがて、ユフィリアの涙は枯れ果てたかのように止まった。

 目元は真っ赤に腫れ上がっていて、痛々しい。

 もしや、レイフォードが眠り続けている間、ずっと泣いていたのだろうか。



「ごめんね、ユフィ。待たせちゃった」

「……一週間待った、遅い」

「本当にごめんなさい」



 一週間、つまり六日。

 それほどの期間、レイフォードは眠っていたらしい。



「……あ、そうだ。何で僕生きて────」

「私が直した。全部」

「へ?」



 どういうことだ、とユフィリアに話を訊く。

 彼女が語る内容は、信じ難いものだった。






 結界の中、ユフィリアはレイフォードを再構することに成功する。

 帰ってきた彼は、不可分なくユフィリアの知る『レイフォード』であった。


 しかし、これからどうすれば良いのだろう。

 この結界の解き方は知らず、外部からの救助も望めない。

 唯一知っているであろう男は、大の字のまま動かなかった。


 気絶しているのだろうか。

 ならば、叩き起こしてやる。


 レイフォードを床に寝かせ、ユフィリアは男の肩を叩く。



「起きてください! 結界、解いてもらっていいですか?!」

「……ああ、君か。そのうち解けるから、気にするな」



 朦朧とする意識。

 聞こえた声に応じて、男は返答する。


 術具に込められた源素が尽きれば、この結界は解ける。

 継続可能時間は、約十五分。

 残り三分といったところだろうか。


 

「……少年はどうなった?」

「一度消えました。けれど、私が創り直しました。

 ……私はよく分かりませんが、貴方のご息女のようにはならないはずです」

「……そうか、そうか……」



 あの少年は、運命を変えたようだ。

 エヴァリシアのように消える運命ではなく、生きながらえる運命へ。

 それは、この少女が居たからこそ成せたものなのだろう。



「……君が、エヴァと共に居てくれたらな。

 そうすれば、違う未来もあっただろうに」

「……いいえ。

 私はレイと居たからこそ、彼を救うことが出来ました。

 彼が居なければ、今の私は存在しません」



 惚気る少女に、男は高笑いをする。

 酷く掠れた声ではあるが、笑わずには居られなかったのだ。



「お似合いだな、君たちは。君たちの行く末が、希望と幸福に満ちた世界であることを願っているよ」

「……ありがとうございます」



 それを最期に、男の意識は闇に堕ちていく。

 ノストフィッツに掛けた、精神支配の術式が解けるのだろう。


 ノストフィッツは、家族と自らの命を代償に、彼はこの国に最上位の呪いを掛けようとしていた。

 なまじ優秀であるために、その計画は気付かれることはなく、最終段階まで進められていた。


 しかし、その計画には欠陥があったのだ。

 呪いの性質を間違えるという、あまりにも重大な欠陥が。

 

 彼が使用しようとした呪いは、捧げた生贄の質・数により効果が強化されるものであった。

 国自体に掛けるのならば、数千、数万人は必要になる。

 

 そこで、彼は勘違いをした。

 呪いの文献が『外』のものかつ、かなり古いものであったため、正確な翻訳が出来なかったことにより、『ある程度の数を確保すれば良い』と思い込んでしまったのだ。


 更に、いけなかったのは身代わりとなる形代を用意しなかったこと。

 この呪いは、生贄の死への恐怖等を術者に一度集め、その悪感情を変換して、本来の対象に移し替えるというものだった。

 

 つまり、呪いが発動しても形代に移し替えさなければ、そのまま術者に掛かるという結果になってしまう。

 そうして、彼が十数年を掛けて行った計画は、水の泡となってしまったのである。


 男が精神──肉体を乗っ取ったのは、その時であった。

 呪いを移せずに、自らの身体に溜め込んで死亡したノストフィッツ。

 その死体を利用したのだ。


 元々別に計画を立ててはいたが、些か時間が掛かりすぎる。

 彼の計画でも十分成功させられるのなら、こちらに乗り換えても良い。

 どうせ時が経てば、元の計画は自動で始まる。

 ここで一回賭けに出ても、何ら問題は無かった。


 生前ノストフィッツ家の血に仕込んでおいた術式を起動し、死体を動かす。

 特徴的な臭いは、予備としてあった精霊石で作成した即式の術具を使用することで誤魔化した。


 ノストフィッツは、新年会の日に計画を実行していた。

 しかも、行きの馬車の中で呪いを発動させるという、大胆な工程を挟んで。


 目指すべき未来の方向は似通っていたこともあり、大体は彼の計画通りに動いた。


 ユフィリアという少女と接触し、二種類の結界を発動させる。

 その後、少女に黒血を付着させた短剣を刺し、変性した魔物を解き放って人々を虐殺させる。


 呪いが上手く発動していれば、平民は兎も角、貴族連中はかなり弱体化しているはずであったため、魔物一匹でも十分壊滅させられる予定だった。

 その死体に更に黒血を入れ、魔物を増殖させる。

 そうすることで、国全体に人工的な魔物の大氾濫を起こすつもりだったのだ。


 源素を貯蔵する形式の術具は、精霊や源素の無い空間でも問題なく作動する。

 それを知っていたからこそ、ノストフィッツはあの術具を制作したのだろう。

 危険物持ち込み検査の時は、亜空間収納術式で隠していたので、イスカルノート公爵家の警備員に見つかることはなかった。


 武器も無く、精霊術も使えない中、生み出された魔物が討伐できるわけがない。

 だからこそ、この計画は成功する。


 喩え、国民全員を殺せなくとも、東部の貴族を殺せばこの国は崩壊する。

 軍事戦力は東部に偏っているのだから。


 特に、イスカルノート公爵とアーデルヴァイト伯爵。

 十六年前の討伐戦で功績を遺した二人は、必ずここで殺しておく必要があった。


 そうして起こした騒動。

 しかし、それはうまく行かなかった。


 想定外が重なってしまったのだ。

 ユフィリアという少女と、レイフォードという少年。

 とるに足らない幼い子どもたちに、足元を掬われてしまった。


 だが、満足と言えば満足ではあった。

 復讐は果たされずとも、納得の行く結果で終われたのだから。


 だから、眠りに就こう。

 自分は少々長く生き過ぎた。

 永遠を否定したというのに、永遠かと思えるほど生きてしまった。

 

 ああ、すまないエヴァ。

 こんな、不甲斐ない父で。

 格好悪い父で。

 本当にすまなかった。


 薄れゆく意識の中、見守っていた少女がぼそりと呟く。



「……もう少しよく音を聞いてみてください。

 そうすれば、会えるかもしれませんよ」



 ────お父さん! ねえ、お父さんってば!



 暗闇から、愛おしい娘の声が聞こえた気がした。






 完全に動かなくなった男を見下ろし、ユフィリアは再びレイフォードの元へ戻る。

 男の言葉を信じるならば、後数分もすればこの結界は解ける。


 外では、ディルムッドやシルヴェスタ、キャロラインなどが酷い顔をしているだろう。

 レイフォードがどうやってこの空間に入ってきたかは不明だが、その後に続こうと四苦八苦していることは想像に容易い。


 しかし、なんと説明したところだろう。

 レイフォードのことも、あの男のことも。

 ユフィリアは全貌を明らかにされたわけではない。

 情報のない状態で、どうにか自分にできることをしただけである。

 寧ろ、情報だけなら彼らの方が持っているのではないだろうか。

 

 そんなことを考えながら、手持ち無沙汰にレイフォードの頬を突く。

 ユフィリアの心を知らず、安らかに眠る彼。

 起きたらどうしてやろうか。


 先ずは、彼の言葉の返事からしなければいけない。

 そして、ユフィリアの気持ちを伝える。

 この際、来週まで待たずとも良いかもしれない。

 鉄は熱いうちに打てというし。


 小さく上下する胸。

 惚けるように開いた口。

 微かに聞こえる呼吸の音。

 彼の体温が、生きている熱が心地良い。


 顔に掛かった髪を優しく退ける。

 何をされても反応しない無防備さ。

 悪戯したくて堪らない。


 そんなユフィリアの脳裏に邪念が掛け巡る。

 

 ────接吻キスしちゃおうかな。勿論、口に。


 いや、いやいや。

 高速で首を振る。

 流石に寝込みを襲うのはいかがなものだろうか。


 しかし、彼自身も好きと言ってくれたし。

 つまり、両想いであるし。

 別に接吻キスぐらいしても良いのではないか。


 だって、レイフォードは絶対に恥ずかしがって自分から出来ないし。

 多分十年くらい待たされる気がするし。

 役得ぐらいあっても良いのではないだろうか。

 良い、良いはずだ。


 私、頑張ったもん。

 ちょっとくらいご褒美もらっても良い────



「ユフィ、大丈夫か!」



 その瞬間、結界が解ける。

 真っ暗な夜が明けて、飾電灯シャンデリアが二人を照らした。


 駆け寄ってくるディルムッド、シルヴェスタにキャロライン。

 そこまで心配していてくれたことは嬉しい。

 嬉しいのだが。



「お父様もう少し遅く来てよお……」

「ええ……?」



 ユフィリアの欲望ゆめは打ち砕かれた。


 おろおろするディルムッド。

 落ち込むユフィリア。

 先程までの殺伐とした雰囲気はどこへ行ったのか。


 皆困惑する中、ユフィリアの腕の中で眠るレイフォードを見続けていたシルヴェスタが口を開く。



「……あの、ユフィリア?

 俺の見間違いじゃなければだが……レイは、どうなっているんだ?

 いや、本当にこれ……うん……?」

「多分、問題は解決したと思います。

 全部創り直しましたので」



 シルヴェスタは、自分の“眼”が信じられなかった。

 どこからどう見ても、レイフォードは正常だったのだ。

 馬鹿みたいに多い源素量はそのままに、魂は罅割れもせずそこにある。

 二年前の彼と変わらない、新品同然の魂が。


 ユフィリアから返って来た答えも意味が分からない。

 『全部創り直した』ということは、いったいどういうことなのだ。

 追及しようとした矢先、横からディルムッドが口を出す。



「まさか、祝福か?!」

「はい。何となくですが使えまして……」

「……どういうことだ?」



 ユフィリアが祝福保持者であった。

 それ自体も初耳ではあるが、それ以上にどんな祝福を使えばこんなことが起こるのか。

 シルヴェスタには、それが分からなかった。


 しかし、まだそれは判明しない。

 何故なら、キャロラインの手により、ユフィリアの口が制されたからだ。



「レンティフルーレ卿、アーデルヴァイト卿。

 気になるのは分かるが、追及する前にこの場を収める方が先だ。

 質問はその後に幾らでもすれば良い」

「……承知いたしました、閣下」



 その言葉の裏には、『人目に付かないところで話せ』という意味が込められている。

 どうにも、ユフィリアの祝福は難がありそうだ。

 衆人環視の場で話すべきではないだろう。


 そうして、シルヴェスタは二人を休ませるために会場から退出し、キャロラインとディルムッドは場の収拾をすることになる。

 

 物言わぬ死体となったノストフィッツ。

 彼は、キャロラインの後輩であり、ルーディウスの友人であったのだ。

 


「……もっと、よく見ていてやれば良かったな。

 すまない、ヒューゴ」



 ルーディウスが亡くなってから、彼は少しおかしくなっていた。

 笑うことがなくなったり、時折ずっと一点を眺めていたり。


 けれど、それは一時的なものであり、今は良くなっていると思っていた。

 領主となり妻を娶って、子供が生まれ。

 領主としても、父としても、彼は生き続けていたのだから。


 今回の騒動は、過去にしがみつく亡霊が起こしただけではないのだろうと、何となく予想が付く。

 

 あの亡霊が起こしたのならば、こんなに単純に事が終わるわけがない。

 四百年間、あれは復讐心を燻らせ続けた。

 数分間ただ会話しただけでも、彼はこんなに大っぴらなことをする者ではないと分かった。

 彼ならば、じっくり内側から腐り落ちていくような計画を立てるはずだ。


 そうでないということは、つまり。

 これは恐らく、ずっと前からヒューゴ自身が計画していたものなのだ。

 

 とすれば、あの亡霊の本来の計画は、まだ別にあるのかもしれない。

 それは後々調査しなければいけないだろう。


 不自然に綺麗なヒューゴの遺体を、テーブルクロスで覆い隠す。

 遺体は、王都から騎士団の調査部隊が来て検死される。

 それまで腐敗が進まないように、精霊術を掛けた。



「閣下、来場者の退場が完了しました。

 調査部隊の到着は明日の朝になるそうです」

「……なるほど。

 では、事情聴取の後、特権階級を除き記憶処理を施せ」



 指示を受けたディルムッドは、他の三つの侯爵家と共に動き出す。

 イスカルノート領周辺の貴族から始め、徐々に帰宅させることになるはずだ。

 騒動の始まりを見ていた者たちは、少々詳しく聴取することになるだろう。


 大きな会場に、一人佇むキャロライン。

 汚れ一つない手袋に包まれた掌。

 汚れた手を、白で覆い隠している。

 それがどうしょうもなく憎たらしくて、ぎゅっと握り締めた。


 

「……なあ、ルディ。

 君が生きていたら、何か変わっていたのだろうか……?」



 あり得ない空想、ただの夢物語。

 それでも、願わずにはいられなかった。

 彼が、今も自分の隣で笑っていることを。






 事件は一週間で大体収束し、残りは王国議会の決定を待つだけらしい。

 そこまでの話を聞き、レイフォードは一つ疑問を呈した。



「どうしてユフィはその話を憶えているの?」



 アリステラ王国の実情を知っているものであれば、誰だって思うことだ。

 ユフィリアは特権階級ではない。

 レイフォードのように、桁外れの源素を保持しているわけでもない。

 

 だというのに、彼女は何故憶えているのだろうか。

 


「……それは、ね」



 言い淀んだユフィリアは、唐突に胸元の平紐リボンを解く。

 突然目の前で服を脱ぎ始めたことに動揺し、レイフォードは見ないように手で目を覆う。

 親しい友人だとしても、そこの一線を超えるのはいけない。

 


「……何やってるの、レイ?」

「……ユフィが急に服を脱ぎ始めたから、見ちゃ駄目だろうと……」

「脱いでないよ! そう言われたら、私が変態みたいじゃん!」



 彼女はレイフォードの発言に抗議し、強引に手を外す。

 


「ただこれを見てほしいだけだから!

 変な意味はないから!」



 ユフィリアは、掴んだ手首を自身の首元に寄せる。

 目を閉じたままだったレイフォードは、その言葉を信用しゆっくり開けた。



「……これは、聖印?」

「さっきの話の中で、私も祝福保持者だって言ったでしょ」



 レイフォードやテオドールにもあるような幾何学模様。

 彼女のものは、どこか月を思わせる形をしていた。


 

「『再構』、創り直す力……だったよね。

 もしかして、この力があるから記憶を操作されても思い出せるっていうこと?」



 彼女は頷く。

 『再構』は、既に対象が破壊・消失している場合、関連する物質を代償に再び創ることが出来る力だ。

 そのお陰でレイフォードは今も生きることが出来ている。


 

「今回のことも本来は操作を受けないといけないんだけど……この力があれば思い出せちゃうから、やるだけ無駄って言われちゃった」



 服装を正しながら、話すユフィリア。

 レイフォードとは別方向に議会は頭を悩ませただろう。

 


「でも、驚いたな。

 祝福は、数十万人に一人持っているくらいの確率なのに、周りに二人もいるなんて」

「二度あることは三度あるって言うし、もう一人くらい周りにいるかもね」

「流石にないよ」



 だよね、と互いに見合って笑い合う。

 笑いがある程度引くと、ユフィリアは急に顔を背けた。

 

 その行動を不思議に思っていると、彼女は頬をばちりと叩く。

 


「良し!

 ……今日、何の日か分かるよね?」



 ユフィリアの問いの意味を察して、頷いた。

 今日は遊戯の月二十四日。

 あの月下で契った、約束の日である。


 彼女は肩が上がるほど大きく深呼吸をする。

 これから話す内容の重要さ、その緊張感が伝わってくる。



「……二年前、君と出会ったとき。

 私は運命に出会った────ううん、違うな。

 『一目惚れ』しちゃったんだって思ったの」



 それは、他の誰でもないユフィリアわたしの心の内。

 君と出会って、君に恋して、君を愛する一人の少女の話。


 

「ずっと、ずっと好きだった。

 ずっと、ずっと愛していた」



 二年の間、忘れることの無かったこの想い。

 徐々に強くなっていった愛情。


 君が死ぬことがなくなって、生きることができるようになったとしても。

 もう、抑え続けることは出来ない。



「────私、レイが好き」



 だから、私とずっと一緒に居て。

 最期のときまで、ずっと。


 レイフォードの右手を握って、ユフィリアは伝える。

 一生変わらない、君への想いを。


 金剛石ダイヤモンド天青石セレスタイト

 蒼空をそのまま映したような瞳を見つめる。


 例えるならば、ユフィリアが黎明で、レイフォードは白日だ。

 ずっと夜の世界にいたユフィリアは、レイフォードという白日を見つけることで時間が進み、夜明けを迎えた。


 彼が居なければ、ユフィリアは夜から抜け出すことが出来ない。

 月も星もない夜の中、一人ぼっちで居続けていたはずだ。


 だから、レイフォードはユフィリアにとって、蒼穹に浮かぶ月であるのだ。

 太陽ほど輝いているわけではない。

 月のように淡く、静かに照らしている。

 空に溶けてしまうほど儚く、けれど確かにそこに存在している。


 夜が目指す先、夜明けに導く光。

 それこそが、レイフォードだ。


 どうか、私の想いを受け止めて。

 私の望みを叶えて。

 君と共に生きるという希望を、幸福を。

 永遠に享受させて。


 そんなユフィリアの願い。

 それは、確かに聞き届けられた。



「────僕も、好き」

 


 彼はユフィリアの手を取り、両手を絡み合わせた。


 今を生きるために、未来を生きるために。

 約束するのだ。

 絶対に破ることのない、約束を。



「……ずっと一緒に居る、一緒に生きる。君と最期まで」



 鐘の音が鳴る。

 二人を祝う、福音であるかのように。






 部屋の外では、何人もが扉に壁に張り付いていた。



「……聞いた?」

「ああ、勿論」



 静かに雄叫びを上げる者。

 天に拳を突き上げる者。

 涙を流す者。


 三者三様どころか、十者十様。

 皆がレイフォードとユフィリアの関係の進展を祝福していた。



「……ああ、これで二年の苦労が報われるものです」

「長かった、ここまで長かった……」

「あんなに両想いだったのに、結構掛かりましたね……」



 彼らは、レイフォードの部屋に向かったユフィリアを心配して付いてきた、アーデルヴァイト家の使用人たちだ。

 一人目が到着した段階で、ユフィリアが抱き着いていたのでそっと壁になり始め、二人目、三人目、そして十人目もそれに習ってまた壁となった。


 そして、先程ユフィリアの告白により、彼らの二年間が報われたのであった。



「俺、シルヴェスタ様とクラウディア様に報告してきます……!」

「顔凄いゆるゆるだから、直してから行きなさい」

「了解です!」



 若い男の使用人が、音を立てないように走り出していく。

 他の使用人も、二人にばれないうちに退散し始めた。

 ああ本当に良かった、と心を踊らせながら。


 そして、報告を受けたシルヴェスタとクラウディアは、大いに喜んだという。


 尚、ディルムッドは早すぎる娘の旅立ちに三日三晩目を泣き腫らした。

 妻であるカシムに慰めてもらっても、その心の傷は埋まらないようである。






 時は遡り、遊戯の月十八日。

 新年会の騒動の収束と同刻。

 とある山小屋の中で、二人の男が寛いでいた。



「……ああクソ。

 旦那ァ、やっぱあの子ども殺しましょうぜ。

 ぜってェ面倒なことになりますって」

「上からの命令なのだから、従うしかないだろう。

 私もあれが力を付ける前に、始末した方が良いとは思うのだが……あれを殺して得られる利益と不利益は、未だ不利益の方が大きいのでな。

 だから、上も踏み込めないのだよ」



 舌打ちをして、魔術によって繋げていた男の視界。

 その投影を消した。

 真っ黒となっていたそれは、あの男が完全に活動を停止したということを示している。



「こうやって何度も妨害されちゃ、オレらの仕事もまともに出来ゃせんぜ?」

「……仕方ないさ」



 二人が嫌う子ども。

 『レイフォード』という名の少年。

 この世から排すべき『悪魔憑き』。



「あと何年やり続けることになるんで?」

「さあな……十年は掛かるだろう」



 粗雑な男は頭を掻き毟る。

 それがどうしようもないことだと分かってはいるが、怒りを抑え続けることが出来なかった。



「かったりィ。一気にバァっと殺せないもんですかねェ」

「そう上手く行くなら、何年も手こずってないだろうよ」

「ハハ、違いねェ!」



 二人は、『外』のとある教会に所属する聖騎士であり、諜報機関の一員。

 ここに来た目的は、『悪魔憑きの集まる国』の情報を探すため。



「まァた迂闊なヤツを探さなきゃいけねェなんて、骨が折れますよォ」

「お前はそういうの得意だろう?」

「そりゃまァ、それが得意だからここに居ますんで」



 国家に疑心を持つ者の身体に術式を刻み、その視界と聴覚から得られる情報を収集する。

 そして本国に持ち帰り、計画の糧とする。



「ちゃっちゃと仕事しませんとねェ」

「早く帰りたいものだよ」



 彼らの仕事はただの諜報活動。

 調べて、探って、確かめるだけ。

 『悪魔憑きの集まる国』────アリステラ王国を滅ぼすための、情報を。


 陰謀はまだ、闇夜の中で渦巻き続けている。

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