四節〈白き焔は黒を灼く〉

 唸り声を上げ、魔物はゆらりと立ち上がる。

 先程までレイフォードを甚振っていたそれは、イヴに赤子の手をひねるように毛散らされた。

 首を斬られ、手足も半分しか残っていない。

 それでもまだ、死んでいなかった。



「……腕、鈍ってるねえ。一撃で殺せないとは」



 イヴは右腕だけで剣を中段に構える。

 魔物は片方の手足を撓らせる。


 両者見合い続け数秒、仕掛けたのは魔物だった。

 黒の身体を透明化させ、周囲に紛れ込む。 



「おっと、便利な能力だね」



 イヴは一瞬面食らったような表情をするが、取り乱すこともなく虚空に剣を振るった。


 イヴにはレイフォードと同じような“眼”もなく、魔物を探知できるような能力があるわけではない。

 そこにいると分かったのは、長年戦い続けたからこそあるただの戦場の勘だった。


 最後の凶刃を斬り落とされ、達磨になった魔物は地に伏せる。

 胴体しかないというのにまだ動いているのは、優秀な肉体によるものだろう。


 だが、そんな身体でさえもできることはもうない。

 イヴは剣を心の臓に突き立てた。

 起き上がれないように足で踏み付け、躙る。


 数秒後、遺っていたのは魔石だけだった。

 付着した黒い血を払って腰に帯剣すると、イヴはレイフォードに歩み寄る。



「……酷い怪我だ。

 シルヴェスタのところのレイフォードくんだね。

 よく頑張った。

 今から町の方に行くから、そこで治療してもらおう」



 視線を合わせ優しく頭を撫でると、外套が血で汚れることもお構い無しに片腕でレイフォードを抱き抱えた。

 立ち上がり、そして何でもないように一歩踏み出す。


 次の瞬間、二人は町の外壁の上にいた。



「……まさか、転移……?」

「ご明察。噂通りだね」



 転移と呼ばれる不可思議な現象。

 精霊領域から町までは数百メートルほど距離がある。


 どこにも源素を操作した痕跡も視えず、驚異的な速度で走ったわけでもない。

 ならば、後はイヴ自身の特異な能力。

 つまり祝福の力によるものだと考えるしかなかった。



「貴方は────」

「知識に貪欲なのは良いことだけど、ちょっと静かにしようか。

 傷に響くよ」



 レイフォードが疑問を呈しようとすると、彼女は制した。

 こんな非常時に訊くものでもないか、と素直にイヴに従う。


 その様子に頷くと、イヴはもう一度転移する。

 そして、ある人物に確実に聞こえるように叫んだ。



「シルヴェスタ! 今の状況はどうなっている?!」



 外壁上で大勢に指揮をする男が一人。

 レイフォードの父であり周辺の領主を務めるシルヴェスタ・エルトナム・アーデルヴァイトだ。

 

 シルヴェスタはイヴたちの方へ顔を向け、抱えられたレイフォードを認識した瞬間、血相を変えて詰め寄った。



「……どこにいたんだ」

「領域の中、一人で」

「……そうか」



 やっと絞り出したその言葉には様々な感情が込められていた。

 安堵、心配、怒り。

 正と負が入り混じったまま、シルヴェスタはレイフォードを受け取る。



「手が空いている者、負傷者だ!

 診療所まで運んでくれ!」

「承知いたしました!」



 駆け付けた町の衛兵である男は、指示に従ってレイフォードを運ぶ。

 揺れは最小限に、しかし迅速に運べるのは非常時の訓練をしっかり受けている証拠だった。

 

 人一人いない静かな町の大通りの景色が流れていく。

 窓も扉も締め切られ、どこも光は灯っていない。

 皆消えてしまったかのように人の気配が感じられなかった。


 張り詰めていた意識が、徐々に朦朧になっていく。

 麻痺していた痛覚が唸り、裂傷や咬傷が思考を支配していく。

 夜の寒さが、一層堪える。


 だが、痛みも寒さも感じているということはレイフォードの生きていることの証明だった。

 よく五体満足で帰って来れたものだ。

 欠片も動かない身体で、そう自画自賛した。

 

 もう眠ってしまいたい。

 しかし、そうはいかない。


 レイフォードには、確かめなければいけないことがあった。

 それは、先に逃がした少年がどこにいるのかということだ。


 あの少年の速度でも、何もなければ町に辿り着ける分の時間は稼いだはずだ。

 だから、この町のどこかにいるはずなのだ。


 だが、クロッサスの町は広い。

 今のレイフォードの身体では探しに行くことはできない。


 早く、早く見つけないと。

 焦る気持ちとは別に、身体は動かず力が入らない。

 思い通りにできない自分が、心底嫌だった。


 僅かに残った意識で辿り着いた診療所。

 清潔に保たれているそこは、普段とは様相が異なっていた。


 忙しなく駆け回る職員、そこかしこから聞こえる呻き声。

 床に敷かれた簡易的な寝床には、三十人はくだらない多くの怪我人が寝転んでいた。

 壁に寄り掛かって座っている者もいる。

 大半は、町の騎士団の者たちだろう。

 寝転んでいるのは重傷、座っているのは軽傷のように思える。


 その中に、一際小さい人影があった。

 レイフォードと同じく、五歳ほどの。


 翼のような腕に、腰から生えたもう一対の翼。

 伸ばされた夜空の髪に、今は閉じられているであろう銀の瞳。

 暗闇で見た、少年の特徴と一致していた。


 ああ、良かった。

 彼も間に合ったようだ。


 レイフォードはほっと胸を撫で下ろした。

 所々に巻かれている包帯らしき物は、少年が治療を受けたということを示している。

 今は眠っているようだが、確かに生きていた。

 彼は、助けられたのだ。


 安心しきったレイフォードは、抵抗せずに眠りに落ちる。

 次に目覚めたときには、全て終わっているのだろうと高を括って。


 そう簡単に終わるものならば、どうして魔物との戦闘に慣れている騎士団から、これほどまでに怪我人が出ているのだろう。

 どうして町は、こんなにも静かなのだろう。


 普段ならば、精霊領域に魔物が出たからと言って、街が静かになることはない。

 真夜中でも、居酒屋などの空いている店はある。

 人の気配はあるのだ。


 それがない、感じられないということはつまり、今町には人がいないということになる。

 正確には家屋にいないだけなのだが。


 明らかな異常事態。

 狂気と瘴気に塗れた、人と人あるいは怪物と人の攻戦は、幕が切って落とされたばかりだった。






 レイフォードが衛兵の一人に抱えられ、診療所に運ばれていった直後。

 イヴは、シルヴェスタを問い質した。



「どうしてあの子はあんな場所にいたんだ?

 まだ小さくて幼い、戦えるはずのない子が」

「……俺も分からない。

 気付いた時にはもう姿を消していた」



 いつものシルヴェスタとは違う弱々しい態度に内心驚きながらも、イヴは溜息を吐いた。



「ワタシが間に合わなかったらあの子、死んでたよ」

「……ああ、重々承知している。

 ありがとう、レイを助けてくれて」

「……調子狂うなあ、もう」



 それもそのはず。

 シルヴェスタは、レイフォードの失踪から気が気ではなかったのだから。






 数時間前、伝令兵が他の村から預かった言葉は耳を疑うものだった。


 『魔物の群勢が攻めて来る』


 予兆も何もなしに魔物が大量発生することは今までなかった。

 今日の昼に騎士団が見回りに行った時も特に変わりはなかったという報告を受けている。


 だから、胸騒ぎがした。

 本来ならばありえないはずなのだ、そんなことは。


 自分の目で確かめずにはいられなかった。

 契約精霊を通した精霊術。

 その中でも、遠距離の探知術式を発動させる。


 自身を起点として放つ源素の波。

 それに何かが触れた。

 一つではなく数百、数千。

 人ではない、動物でもない。

 確かにそれは、魔物だった。



 ────今直ぐ騎士団は、東大門付近に集合しろと伝えてくれ!



 外壁と結界があるとはいえ、何もしないままであれば魔物は容易に侵入する。

 外壁も結界も、侵入を遅らせるためにあるものであって、完全に防ぐものではないのだ。



 ────クラウディアたちを頼んだ。

 町の方へ向かってくれ。



 使用人に指示を出し、家族を町に向かわせようとする。

 町外れにある屋敷では、警備が不安だったからだ。



 ────シルヴェスタ様!

 レイフォード様が、レイフォード様が居られません!



 そして、衝撃の事実が発覚した。

『レイフォードの姿が見えない』と。

 歩くことさえ難しい身体で、いったいどこに消えたのか。

 予想が付かなかった。



 ────……手が空いている者で捜索してくれ!

 避難が最優先だ!

 


 使用人たちは皆懸命に探したが、レイフォード見つからなかった。


 最悪の可能性が頭を過る。

 息が吸えないほど心臓が脈打つ。


 だが、皆を不安にさせては行けないと必死に耐えた。



 ────……分かった。

 もしかしたら、先に町に向かっているかもしれない。

 そちらも、よろしく頼む。



 使用人たちは頷き、町へと向かっていった。


 そうして、戦場に立ったシルヴェスタは、正気を削られていた。

 領主になり七年経ち、初めて起こった大規模な魔物の発生。

 それなのに大切な息子がいない。

 どれほど探しても見つからない。

 

 だが、自分で探そうにも騎士団の指揮をしなければ、領主としての役目を果たせない。

 そうして、数時間苦肉の思いで戦いを続けていたのだ。


 そして、イヴに連れられてきたレイフォード。

 全身血塗れで、特に肩の出血が酷い。

 まだ五歳の子どもが負っていい傷ではなかった。


 しかし、最悪の事態一歩手前ではあったが、レイフォードは生きて帰ってきた。

 喜ばしいことだった。


 どうして精霊領域にいたのか、どうしてあんな怪我を負っているのか。

 まだ分からないことばかりだが、ただレイフォードが生きているだけで嬉しかったのだ。



 




 イヴは、やけに素直なシルヴェスタに頬を緩ませ、そして引き締めた。

 戦いはまだ終わっていない。イヴは自身とシルヴェスタの情報を擦り合わせる。



「今の戦況は?」

「芳しくないな。

 厄介にも、飛行型の魔物しか居ない。

 外壁上から迎撃しているが、数が多過ぎる。

 出てくるものも全て新種・・・・だ。

 今はまだ対応が間に合っているが、増援が来るならば戦線は崩壊する。

 ……いるのだろう、歩行型?」

「勿論いっぱい」


 

 二人は外壁上を見渡す。

 騎士団の半数以上が精霊術で魔物を撃ち落としているが、数が減っているようには見えない。

 森の奥から溢れるように飛んでくる。

 怪我をする者も決して少ないわけではなく、着実に戦力は削られていた。


 新種の魔物は、今までの戦術が効かない。

 一体討伐する時間は既存の種よりも多くなってしまうし、不確定要素の入り交じる戦闘は不測の事態を引き起こす。

 また、魔物の血は生物に対する害がある。

 その除去にも人の割かなければいけないのだから、戦闘に回せる人材は限られていた。



「そうそう、歩行型は厄介な奴がいたよ。

 かなり人型に近い、透明化能力持ち」



 先程殺害した魔物の情報を共有する。

 あれは慣れた者でなければ蹂躙されるだけだ。

 等級にするならば二級はくだらない。

 あれが量産されているならば、今回の戦場の犠牲者は計り知れなかった。


 

「そうか……やはり、先手を打つしかない」

「……ちなみに、何をするつもり?」



 シルヴェスタは歩き出す。

 魔物の群勢、それを真正面から迎えられる場所に向けて。



「決まっているだろう?」



 ────俺が全て灼き払う。


 イヴの口から乾いた笑いが漏れた。

 あの討伐戦で、大量の魔物を消し飛ばした奴がそう言っているのだ。

 本気でやるつもりだ、この男は。


 シルヴェスタは伝令兵を呼び、作戦を伝える。

 伝令兵は目を見開き念を入れて確認したが、シルヴェスタは自身の思考を変えることはなかった。


 作戦の概要は以下の通りだ。




 一、騎士団員は継続して飛行型を撃ち落とし続ける。

 殺しきれなかったものは下で待機している他団員が仕留める。


 二、前線の団員は撤退し、後方の黒血の除去・浄化作業。


 三、歩行型が姿を現したならば、シルヴェスタが全て灼き払う。




 一、二は問題ない。

 おかしいのは三だ。

 正気の沙汰ではない。

 一人で群勢を薙ぎ払うなんて、普通は到底できやしないのだ。


 だが、シルヴェスタはそれを可能にする。

 圧倒的な源素量、精霊術師階級一級を持つ実力。

 そして、十四年前の討伐戦で発動させた大規模術式。

 根拠は十分だった。



「……本当にやるの?」

「当然だ、これが一番早いからな」



 地を鳴らし、町へ向かう数千の魔物。

 黒に染まった体表により、黒い波が押し寄せてくるようにも見える。


 シルヴェスタは、肩に乗った小竜の顎を撫でる。

 十四年振りの大規模術式だ。

 精霊の負担も洒落にならない。


 多くの信頼と僅かな心配。

 小竜はそれを感じ取った。


 伊達に二十年も相棒をやっていない。

 大丈夫だ、そう答えるように小さく鳴く。


 大きく深呼吸し、長杖の先を領域に向けた。


 言葉は力を持つ。

 意味を、感情を込めるほどその力は増幅する。

 思い出せ、自身の役目を。

 果たすべき使命を。


 シルヴェスタの相棒、契約精霊である竜は飛び立ち、その姿を巨大化させる。

 大きな翼で空を駆け、眼下の森を見渡した。


 そして一層大きく翼を揺らした。

 まるで、『お前はできるのか』と問い掛けているように。



「───ああ、できるとも」


 

 愛する人を守るため、愛する世界を守るために戦い続けることは遠くの昔に誓っていたのだから。


 相棒と視線を交わし、杖をより一層強く握る。

 そして、群勢の先頭が領域から飛び出した瞬間、シルヴェスタは詠唱を開始した。



「“精霊よリライズイア願うはリノア幾千のナルサウザロンド

 太陽のロッテ如きシミロ光とレイフラン

 輝くフィアそれはゼナム敵をイニミナ貫きペネトラン灼きバレン地へテッド伏せさせるポーネエット

 暗きデネべ夜をセレナ切り裂きセカートクリーマ我らをイアティス照らすリーゼ灯火となるルクシア。”」



 言葉に載せられた源素。

 竜はそれを利用し、空中に何千もの陣を描く。

 淡く発光する陣は、魔物に向けられていた。



「“黒きアートラム怪物モンダス瘴気ユバ纏いしウェザウォントメンデュケイト

 世界をウォント滅ぼすパドレッド終末装置のフィニスデイヴィス末端アンデルング

 我にイア仇なすウルシスもの共レスティス。”」



 地を書ける魔物たち。

 自身に向けられているであろう矛先を無視して、それら一直線に町へ走る。


 魔物は人類を脅威として見ることはない。

 彼らにとって、人類とは食料だ。

 源素という栄養を蓄え、生み出し、勝手に繁殖してくれる便利なもの。

 人捻りで命を奪えてしまう弱者。


 歯が疼く、爪が疼く。

 奴らの肉を裂き、心臓を喰らい、腹を満たす。

 それ以上に幸せなことはない。


 だが、往々にして強者とは弱者に足を掬われるものだ。

 侮り、驕り、罠に嵌められて。

 そこでようやく理解する。

 『人類』がこの世で一番強い、と。


 単体ならば取るも足らない弱者。

 しかし、群れた途端に強くなる。

 そして、飛び抜けた強さを誇る『英雄』と呼ばれる化け物が狩り尽くす。


 一筋の希望さえあれば、奴らは諦めない。

 藻掻き、苦しみ、いつか魔物の心臓を抉る。

 『人』とは、そんな存在なのだ。


 

「“心にコア意志をウィル手にマナス使命をミシオ

 悠久のアリス守護者ヴァイト東のイカルス番人スペクラー境界の護り手アーデルヴァイト

 そのクアッド名にノームおいてインス我はイア敵をイニミナ討つインペタム

 貫けペネトランエット穿てジェムエット

 灼けバレンエット燃やせヴァンエット

 奴らのゼナムティス頭をキャプト泥でラタム汚せポルエラエット。”」



 魔物たちの最大の不幸は、その事実を知らなかったことだろう。

 なんたって、彼らは死ぬ瞬間までそれを理解することができないのだから。



最後にフィニス勝利するのはビクトリア我らイアティス人類ヒューマティスのみであるソラム! ”」



 ────“幾千のナルサウザ光り輝くレイフィア熾剣フランロンド”。


 ある魔物が空を見上げた。

 日が沈み、月も星もないはずなのにやけに明るかったからだ。


 魔物の八つの瞳のうち、二つが空を見る。

 どうして明るいのか、その原因を探そうと。


 目に映ったのは、白く燃える太陽の剣が天から降り注ぐ光景だった。

 炎の雨、もしくは剣の雨だろうか。


 それらは止められることなく魔物を貫き、灼き、地に伏せさせる。

 声を出すことも、逃げ出すことも許さない。

 許されているのはただ死ぬことだけだ

 そうとでも言うように、業火の炎は灼き尽くしていく。


 これが厄災討伐戦、最前線にて恐れられたシルヴェスタ・エルトナム・アーデルヴァイト。

 そして、その代名詞たる『白焔びゃくえん』の所以だった。



「いつ見ても壮観だなあ、キミのあれは!」

「全節詠唱でしか発動できず、そう連発できないのが難点だがな」

「こんなの連発されたら色々終わるよ。

 良かった、キミの敵じゃなくて」



 本当に笑うしかない。

 ここまで熱気が伝わってくる地獄を見て、イヴは口角が引き攣り上がっていた。


 燃え盛る魔物は数秒しないうちに全て灰燼と化し、冷えた身体に暖かさが染みる。

 夜風が滲みた身体を温める、良い暖房だ。


 だが、そうそうゆっくりしていられない。

 シルヴェスタが灼き払ったのは地上の魔物だけで、飛行型は手付かずだった。


 騎士団員が撃ち落とし続けているから、町への侵入はない。

 落ちた魔物があの炎に巻き込まれているのは、些か可哀想に思える。

 そのまま死んでくれると楽で嬉しいが。


 そんなことを思いながら、イヴは横のシルヴェスタに話し掛けた、



「ワタシが護衛してるから安心して殺戮してくれよ!」

「……安心と殺戮が並ぶとは些か可笑しいな。

 まあ、元よりそのつもりだ。背中は任せたぞ」

「はいはい」



 速度、回避行動、環境。

 全てを加味してシルヴェスタは高速攻撃術式を放つ。


 詠唱は最小限に最速に、頭部らしき位置を狙って。

 隼より速く飛ぶ魔物を撃ち落とす。


 目に見えて数は少なくなっていた。

 倒し終わるのが先か、周辺の領へ出した救援要請から援軍が来るのが先か。 


 どちらにしても、魔物が外から町に侵入することはできない。

 炎の地獄を越えることも、弾幕を越えることもできないからだ。


 越えられたとしても、町には結界がある。

 一瞬でも止められたならば、撃ち落とせる。


 だから、クロッサスの町が魔物に脅かされることはない。

 ────ないはずなのだ。


 シルヴェスタの頭の片隅には疑問が残り続けていた。

 どうして魔物の大量発生が起こったのか。

 どうして何も予兆がなかったのか。

 

 何か大きな見落としをしているようで気持ちが悪い。

 ただの予兆のない大量発生だった、と終わらせられない。


 そして、一つ。ありえるわけのない答えが頭を過ぎった。



「イヴ」

「どうしたの?」

「────人為的に魔物を生み出すことは、可能だと思うか?」



 イヴは目を見開く。

 そんなこと今まで一度たりとも聞いたことがない。

 魔物は人類の敵対者であり、世界を終末へ導くもの。

 それを生み出すなど、利点がないからだ。


 いや、違う。

 利点がないのではない。

 イヴたちにとって、アリステラ王国の住民にとって利点がなかったというだけだ。



「……できるかもしれない。

 というか、それしか考えられなくなった。

 確認した限り、魔物が大量発生する環境も揃っていない。

 そもそも、魔物が発生できる条件を満たしていなかった。

 外から来た可能性はあるけれど、それにしたって数が多過ぎる。

 ……そして、新種」


 

 魔物を人為的に生み出すことができる。

 それならば全ての辻褄が合う。

 予兆がなかったことも、全て新種だったことにも説明が付くのだ。


 何かの実験か、それとも他の目的があるのか。

 今の情報では判断が付かない。

 だが、そんな些細な情報でも想像できる事態。

 考えうる限り最悪の事態。



「ここは俺が守る、イヴは広場を!」

「了解!」



 助走し、外壁から飛び降りる。

 その瞬間に自身の祝福の力を発動させた。


 移り変わる世界、足裏が感じる硬い感触。

 イヴが駆け付けた先にあったのは、恐怖に包まれる民衆と凍り付いたように動けずにいる騎士団員。

 そして────人が魔物へと変質していく光景だった。



「……どうなってんの、これ……!」



 それは元々、恰幅の良い男だった。

 じゃらじゃらと貴金属を身に着け、いかにも胡散臭い雰囲気を醸し出していた。

 

 少女を人質に取り怒鳴り続けていたその男は、背後から何者かに襲われた。

 黒の外套ローブを身に着けたそれは、男の首筋に短剣を突き立てる。

 それもただの短剣ではなく、真っ黒な液体に浸されたものだ。

 

 金切り声を上げ、男は発狂する。

 怒りと苦痛に苛まれているのだろう。

 だが、その慟哭も直ぐに止んだ。


 健康的な肌は光を映さない黒へ変色し、胴体からはいくつもの手のような器官が服を突き破って多足歩行となる。

 みるみる肥大化した身体の表皮は腫瘍が膨れ上がり、そこから得体のしれない液体が溢れていた。



「……あ……ああ、助け……」



 最後に残っていた顔が腫瘍で埋め尽くされる。

 助けを求めた声は遮られた。


 男は完全に魔物へと成り変わる。

 そこに人であった痕跡は一つもない。

 それは、完全にただの魔物であったのだ。


 大きな身体を石畳へ打ち付ける。

 その度に液体が撒き散らされた。

 どう見ても毒、またはそれに準じるものだ。



「住民の皆さんはワタシの後ろへ、騎士団員は護衛を!」



 魔物が行動を起こす前に前に飛び出し、剣を抜く。

 イヴは耳にしたことがあった。

 魔物の血液である《黒血こっけつ》を取り込んだ生物はやがて魔物になる、と。


 そうならないためにも、戦場では傷口や粘膜に血が入らないよう細心の注意を払い、もし入ってしまったならば直ぐに処理を施す。

 それが普通だった。


 だから、本当に魔物になってしまう光景を見たことがない。

 もしかしたら、本当は迷信なのかもしれないと思っていたこともある。

 こんな醜悪な姿になるとは思ってもいなかったのだ。


 しかし、取り込んで直ぐに魔物になるわけではないのだろう。

 経験からも、それは正しいことが分かっている。


 ならば、あの男は何故即座に魔物になったのだろうか。

 理由は恐らく、町中にいるであろう意図的に魔物を生み出した者。

 

 どうして魔物を生み出すのではなく、人を魔物に変えたのか。

 分からないことがまた増えてしまった。

 

 だが、今は考えている時間などない。

 一刻も早くこの魔物を殺し、その侵入者を捕らえなければいけない。


 イヴは剣を構え、走り出す。

 銀閃が黒を、闇を切り裂く。


 まだ、終わらない。

 光のない夜空の下、狂気の坩堝は存在し続けている。

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