第27話

遅くなってしまった。オレは車の助手席から食料品でパンパンになったレジ袋を両手に持ち、玄関に猛ダッシュをかける。

玄関に近づくと、笑い声が耳に飛び込んできた。

こっそりとリビング側の窓に回り込んで中を覗くと、リビングのソファで、レイラが膝を抱えて座り、目をキラキラと輝かせながら漫画を読んでいる。

玄関を勢いよく開けながら、「ただいまー、遅くなっちゃたー。ごめーんすぐ夕飯作るよ」

ソファでマンガを読んでいたアリーシャが、軽やかに立ち上がり、駆け寄ってきた。

彼女の顔には、満面の笑顔が咲いており、オレも訳もなく、うれしくなってしまった。

「ダーリン、お帰りだっちゃ」

ダーリン? だっちゃ? これはもしや・・逃げねば。

アリーシャのハグから逃げようとしたが遅かった。彼女のスピードには到底勝てず、ハグを受け止めるしかなかった。抱きつかれ、電撃の雨あられを食らわされた。

留守の間にラムちゃん見たんだね。でも浮気はしてないぞと苦情を思い浮かべつつ、オレは気絶した。

「・・・・リ、・・・ップリ」

なんだか、耳元で騒いでる奴がいる、うるさいなと思いつつ、視界が明るくなった。

「デップリ。おい、だいじょうぶか? 気が付いたか?」

「・・・だ、誰だ? オマエ」

オレは目を開けると、アリーシャの顔が目の前にあった。彼女はオレの頬をひっぱたいていた。心配そうな表情だが、口元には笑みが浮かんでいる。

「ハイハイ。また記憶喪失のフリか?」

「演技、バレバレだったか?」

オレは苦笑いを浮かべる。アリーシャはオレの冗談に乗ってくれる。彼女のそういうところが好きだ。

「バレバレだ。それじゃ、バカデミー賞はとれないな」

「アカデミー賞だ」

「ちょっとの差だ」

「全然違うだろ! 立たせてくれ」

アリーシャはオレの両手を引っ張り上げ、立たせてくれた。

オレはふらふらと立ち上がり、壁にもたれかかる。アリーシャは心配そうな顔でオレを見つめている。

「まったく、オレを何回気絶させれば気が済むんだ。アニメでも見たのか?」

「そうなんだ。デップリを喜ばせてやろうと思ったんだ・・・」

そんな事だろうとは思ったけど。

「アニメでやってたから、こういうことしても大丈夫な種族なのかと思ったんだけど、違ったのか?」

アリーシャは予想と違うなと言う感じの、「あれ~?」という表情をしていた。

その美女の中の可愛らしさに、オレの怒りは少しだけ収まった。

「アニメは作り話なんだから、そのまま信じるな!」

「秘孔もウソなのか?」

「飛行?」

「こういうやつだ、アタタタタタタタタァァァァッー!」 

アリーシャは突然、北斗百裂拳を繰り出した。その動きは見事なもので、まるで実写版のケンシロウのようだった。拳が空気を切り裂き、その衝撃波がオレまでビシビシと伝わってくる。

オレは思わず後ずさりした。さすがの迫力だ。異世界人恐るべし。アリーシャとはケンカするのは自殺行為だと思い知る。

「魔法使ってるのか?」

「そうだ。だがな、すんごいことに、ケンシロウは魔法を使っていない様だったぞ」

オレは笑顔を取り繕うしかなかった。

「マンガだからな。これも映画みたいに、空想とか妄想の物語なんだ」

「それじゃ、ジョンがモッコリしたら、100トンのハンマーで殴るのもダメなのか?」

「ダメに決まってるだろ。即死だ」

思わず、慌てて否定する。しかし、レイラの目は、いたずら好きな笑顔が輝いている。

確かに、漫画やアニメは現実ではない。だが、その非現実的な世界だからこそ、心を躍らせ、夢中にさせてくれる。それはある意味、魔法のようなものだよな。

しかし帰宅早々、楽しませてくれる奴だな。アリーシャは。


「レイラ、ただいま」と横を通り過ぎる時、レイラの頭をポンポンとたたく。外部から刺激を与えるリハビリの一環だ。

ついでに拒否される心配がないので、イタズラ心でやわらかいほっぺにチューもしておいた。

顔を上げると、じとっーと、オレとレイラのことをアリーシャが見つめている。

「レイラにはしっかりあいさつしたのに、私にはなしか?」

彼女の声は、少し拗ねた子供のように聞こえた。

「キスのことか? 外からの刺激を与える意味でしたんだよ」

「私たちの間では、キスは挨拶だと言っただろ。レイラにキスして、私には無しかと訊いている?」

そういうことか。彼女たちの世界の風習をすっかり忘れていた。

オレはアリーシャに近づき、そっと頬にキスを落とす。

「ほっぺじゃない。唇にだ」と、アリーシャはさらに詰め寄る。

「ハイハイ」唇が触れ合う寸前で一旦停止し、アリーシャに確認を取る。「ビリビリさすなよ」

確認の言葉に、「わかってるって」と、彼女は心外そうな表情を浮かべた。

「ただいま」チュッと軽く唇を吸った。柔らかい感触に、心が温まる。

「お帰り。遅いから心配したぞ」彼女の声には、紛れもなく心配の色が滲んでいた。

なんだ~、心配してくれていたのか、かわいい奴だ。

思わずもう一度キスしようとすると、アリーシャはオレの胸をそっと押しのけ、クールな表情でこう言った。「1回で十分だ」

そうか彼女にとっては、挨拶だけど愛情表現ではないんだ。色々難しい。

それでも、アリーシャが心配してくれていたことが、オレは嬉しかった。複雑な文化の違いを乗り越えていければと願うばかりだ。


ダイニングテーブルの上に、パンパンなレジ袋を置こうとしてギョッとした。

テーブルの上にはパソコンのほか、雑誌が乱雑に置かれ、コミックはうずたかく積み上げられていて、レジ袋など置けるスペースはない。

コミックなどはタイトルも巻数もめちゃくちゃだ。どういう順番で読んでいたのか、謎は深まるばかりだ。

1巻からではなく、アリーシャは自分の興味に従って、好きなところからつまみ読みしているようだ。

もしや? と思い本棚の前に移動する。

やっぱりだ。本棚に一巻からきれいに並べてあったコミックが巻順もタイトルも、グチャグチャだ。

元あったところに、モノを戻せない奴のようだな、アリーシャは。

お座りから躾けないとダメな生き物のようだ。

こりゃーもう、放っておくわけにはいかない。アリーシャに日常生活の秩序を教える時が来たのだ。

「アリーシャ、テーブルの上の本を片付けて。ちゃんと元あったところに戻すんだぞ。タイトル別、巻数順にな。それくらい、君の自慢の記憶力なら楽勝だろ?」

「まったく、レイラみたいに口うるさいな」と彼女はふて腐れる。

「レイラ~。アリーシャが君の悪口いってるぞー」と呼びかけると、

「聞こえてないだろ」と彼女は一蹴。

「わかんないぞ。反応できないだけで、聞こえてるかも」と、彼女をからかいつつ、

オレはテーブル上の陣取り合戦をあきらめ、シンク前の床にレジ袋を置いて、買って来たモノの選別と収納を始める。

果たして、アリーシャは秩序的な日常生活を送れるようになるのか? きちんと片付けられるようになるのか? 未来は混沌の霧に包まれている。

「小腹減ったか?」 オレはリンゴを両手で握り、二つに割る。

アリーシャが、なんだ? とこちらに顔を向けたところで、片方のリンゴをアリーシャに向かって放り投げる。

それをアリーシャは、片手で軽々とキャッチし、不思議そうに得体の知れないモノを観察している。

オレは、「リンゴって言うんだ、すごくおいしいぞ」と、一口、リンゴにかぶりついて見せた。その甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。

彼女も一口食べると。不思議そうな表情が一瞬で、リンゴの味に心地よい驚きを隠せない笑顔に変化する。

「うわぁ…美味しい…!」と、いい音をたてて、夢中でかぶりついていた。

オレはリンゴを口にくわえ、炊飯器をセットし、リンゴをかじりながらカレーの調理に取り掛かる。

リンゴを食べ終わったアリーシャが、ガサゴソとレジ袋を漁りはじめたのを見て、

「それ以上食べたら、夕飯食べられなくなるんじゃないか? それにそのリンゴ、カレー作るのに必要なんだ」

と言うと、アリーシャは残念そうに、渋々手を引っ込めた。

オレが黙々と調理を始めると、すぐ脇で真剣な眼差しのアリーシャが、オレの手元を見つめている。

「なにそんなに真剣に見てるんだ?」

「自分で作れるように記憶してるんだ」

ニンジンを切り終わったオレは、あるイタズラを思いついた。

「それじゃ、自分でやってみるか? これを細かくきざんでくれるか?」と、まな板の上に玉ねぎを置く。

シンク横の調理場所をアリーシャに譲り、お互いの身体の位置を入れ替える。

狭いので、アリーシャのシリとオレの太ももがこすれる。

アリーシャの包丁遣いは、結構上手だった。あっという間に玉ねぎが切り刻まれる。

しかし、その美しい光景は、次の瞬間、悲劇へと変わる。

アリーシャの目から、大粒の涙が溢れ始めた。異世界人も泣かす、玉ねぎの力は恐ろしい。

「これ毒があるんじゃないか? 眼がすごく痛いぞ。涙が止まらない」

「それじゃ、交代しよう。オレが刻むよ」オレの目と鼻の周りは、レトロな水中メガネで覆われていた。

オレの顔を見てキョトンとしていたが、理由を察したようで、「オマエ知っていて、わざと私にやらせたな?」

「うん、泣きながら玉ねぎ刻んでるアリーシャ、かわいくて笑えたぞ」

アリーシャが調理場所をオレに譲りながら、引き結んだ唇を尖らせ、怒りと楽しさが混じった笑顔で、オレの胸や二の腕に優しくパンチしてくる。「仕返しするからナ」

オレも、う~ぅ、おっかないという表情をしながら、「お手柔らかに」と笑った。

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