第5話
「ごめん、創太。今日、事務所に行くのが一時間くらい遅くなりそうなんだけど、荷物が届くと思うから、受け取ってくれないか?」
俺が電話を掛けると、創太は快く引き受けてくれた。創太が出勤日に、配達の日付を設定していて良かった。ナイス、俺。俺は電話を切ると、再度、目の前の商品と向かい合う。
ここ数日、時間があれば竹下さんの部屋に合う商品を探していた。一番時間がかかると思っていたラグは意外にも良いものがあっさり見つかり、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、予想外にも難航したのはパーテーションだった。俺が思い描くサイズ感、色、そして簀の子状のデザインの物が、ここまでないとは思わなかった。オーダーメイドという手もあったが、それでは予算をオーバーしてしまう。もう、竹下さんの家を模様替えする日まで一週間を切っている。さらに言うと、創太が出勤する本日までに決めなくては、書類を作成する為に、創太に再度出勤してもらわなくてはいけなくなる。創太なら「いいですよー」なんて快く承諾してくれるような気はするが、俺としては、出来るだけ、「仕事」として呼び出すような事はしたくない。こんな事言うと、「この間はコーヒーの為だけに呼び出したくせに」と言われそうだが、それとこれとは話が別だ。あれは友人としての甘えとして、俺の中ではカウントされている。
思考が脱線してしまった。まぁ、そういう訳で、俺は事務所への出勤前に、一縷の望みをかけて、少し足を延ばしてみる事にした。もちろん、既に世間的に有名なお店には既に足を運んでは見たものの、イメージ通りの物はなく、ネットで探しても見たものの、収穫はなかった。あれだけ「今回の模様替えにパーテーションは欠かせない」なんて啖呵を切っておいて、「パーテーションは見つかりませんでした」とは、さすがに言えない。一応、ネットで見た商品を一つ、仮押さえはしているが、サイズ感がイメージと若干合わない。俺はいつもより家を早く出て、事務所に行く時に降りる駅の一つ前の駅で降りる事にした。調べたところ、一つ前の駅から事務所まで歩く途中に、アーケードがあるらしい。もしかしたら・・・という想いを捨てきれず、俺はアーケードを歩いてみる事にした。
初めて訪れた場所だったが、活気のあるアーケードだった。アーケードに並ぶ、主なお店は食べ物屋で、そこかしこからいい匂いが漂ってくる。食べ物の誘惑に負けじと進むと、しばらくして家具屋というシンプルな木の看板を掲げたお店が目に入った。店頭には、かごや傘立てと言った商品が並んでいる。俺は引き寄せられるように中へ入った。中は意外と広く、様々な商品が所せましと並べられている。大型店では見ないようなサイズ感のものも多く、これは良い店を見つけたのではと嬉しくなる。壁にはラグが掛けられて並んでいて・・・ここで俺は、本日、事務所にラグが届く事を思い出した。時間を確認すると、今からすぐに事務所に行けば荷物の受け取りに間に合いそうだ。もう事務所に向かってしまおうかと葛藤しながら店のさらに奥に進むと、そこには、俺が探し続けていた商品が目に飛び込んでくる。流れるように創太に連絡をし、荷物の受け取りを頼んだ。
電話を切り、目の前の商品と向かい合う。そこには、種類の違うパーテーションが三つほど並んでいた。一つ目が、布タイプのパーテーション。二つ目が細い板が四連横に繋がっているパーテーション。そして三つ目が、俺の想像を超えた、デザイン性のあるパーテーションだ。俺のイメージするパーテーションは、ただ単純な長方形だったが、今俺の目の前にあるパーテーションは、上部が波状に曲線を描いている。ただ単純に上部が丸いというわけではなく、波状の曲線になっている事で、ここに何かをかけて飾る事も可能のようだ。そして簀の子状。デザイン性よし、素材も木材を加工して作られているようで、色も良し。周りを見回したがサイズが載っている物がないので、俺は自分のカバンからメジャーを取り出し、慎重にサイズを測る。今まで探してきて、サイズ感がしっくりこなかった要因は、パーテーションの横幅だ。俺のイメージするパーテーションは、部屋の横幅に対して三分の一程の大きさ。あまり大きすぎると部屋の雰囲気を圧迫してしまうし、小さすぎると部屋の雰囲気を変える事が難しくなる。横幅の大きさを測ってみると、三分の一よりも若干、小さいくらい。このぐらいのサイズであれば、許容範囲だ。次は上部分の波状の一番高いところを測る。高さも、竹下さんの部屋に置くにはぴったりだ。この波状の一番高い方を壁側につけておこう。波状になっている事で、部屋に入ってきてからの視界も、圧迫感が軽減されるだろう。
「どうですか?」
夢中になってサイズを測り、竹下さんの部屋を想像していると、突然、後ろから声を掛けられた。振り返ると、全体的に茶色で統一された小さなおじさんがいつの間にか立っている。
「これ、いいですね。この中途半端なサイズ感がなかなか見つからなくて困っていたんです」
小さなおじさんは穏やかな笑みを浮かべながら「それは良かった」と笑った。
「この衝立は、なかなか持ち主に出会えなくて、ずっとこの店にいる古株なんです。だけど、今も活躍している家具職人が作った物なんですよ。このデザインが良くてわしは気に入っているんですがね」
愛情のこもった目で、おじさんは商品を見つめる。俺はふと、この商品の値段を確認していない事に気づいた。パーテーションを見ると、手書きの値札がぶら下がっている事を発見する。値段は一万三千九百八十円。うーん、予定金額よりもオーバーしている。でも、これ以上の商品はもうないように思う。これは、予定金額をオーバーしていても手に入れるべきではないか。
「これ、購入したら、配送はどうなりますか?」
配送料金が追加されるのであれば、予定金額よりも大幅にオーバーしてしまうので購入は断念しよう。そう思い尋ねてみると、
「配達を希望かい?希望であれば手配はするがね・・・もし、自分で持って帰ってくれるのであれば、少し安くするよ」
「え!?いいんですか?」
予想外の提案に、俺は思わず前のめりになる。
「実は、最近腰痛が悪化していてな。この衝立を梱包するのは骨が折れそうだし、もし梱包なしで持って帰ってくれるのであれば・・・そうだな、三千円引きでどうだ?」
「乗った!」
俺は思わずガッツポーズをした。そんな俺を見て、茶色いおじさんは可笑しそうに笑っていた。
とはいえ、本日は持って帰れない。徒歩だし、何の準備もせずに持って帰って傷をつける事は避けたい。俺は先に料金を払う代わりに、店主に取り置きをお願いし、模様替え当日の開店前に取りに来ることを約束した。
「おはよー!」
良いパーテーションを見つけた事で、俺は思った以上にテンションが上がっていたようだ。事務所の扉がいつも以上に勢いよく開き、中にいた創太が一瞬、びくっと肩を震わせた。
「おはようございます、仁さん。思ったより早かったですね」
既に店内はコーヒーの香りが漂っている。俺はいつもの定位置へカバンを置いた
「おう、創太に電話を掛けた後、すぐに良い商品が見つかったからな。持って帰れなかったから、取り置きだけしてきた」
「そういえば、電話で言っていた荷物、さっき届きましたよ。そこに置いています」
創太が指をさした方向を眼で追うと、包装紙で包まれた細くて大きな筒状の物と、大きな四角い段ボール箱、小さな四角い段ボール箱、紙袋が一つ目に入った。
「お!ありがとう!」
俺は荷物に駆け寄る。まずは四角い箱に手をつけた。なんとなく、早く出してやらないと可哀そうな気がしたからだ。べりべりと封を引きちぎり、中を開けると、青々とした葉っぱがお目見えした。
「わぁ、立派な葉ですね」
創太がコーヒーカップを両手に持ってカウンターから出てくる。創太と俺の定位置にコーヒーカップを置くと、パキラの木に近寄ってきた。
「結構大きいんですね!」
「高さが欲しかったから、大きめの物を選んだんだ。この鉢の色も、合わせてもらった」
パキラの木は、俺の顎ぐらいの高さだ。おそらく、竹下さんの身長よりも少し小さめぐらいのサイズだろう。鉢の色は、濃い紺色にした。創太がパキラの木が包まれていた段ボールを片付けてくれている間、俺は続けてもう一つをべりべりと開封する。包装紙をはぎ終わると、ぐるぐる巻きにされて三か所を紐で縛られていた。さすがに自力では取れなかったので、はさみでぷつんと切っていく。紐の縛りが無くなった瞬間、崩れ落ちそうになったので、俺は慌てて抱きかかえた。
「創太、そこのテーブルをくっつけて欲しい!」
パキラの木に夢中だった創太は、俺の声に反応すると、すぐにテーブルをくっつけ、更にテーブルの上をふきんで軽くふいてくれた。こういう気の利くところが、創太が人に好かれる所以だと思う。創太が準備してくれたテーブルの上に、俺は手で支えていた商品を大きく広げる。
「綺麗な色のラグですね!空色ですか?」
そのラグは、広げた瞬間、一気にこの空間を爽やかにした。うん、思った通りだ。ただの青では重くしてしまうし、水色になると軽すぎてしまう。竹下さんの家を爽やかにするブルーを探して、見つけたのがこの色だ。創太の言う通り、空色に最も近いと思う。俺はラグの表面を撫でる。ちょうどいい、毛の長さ。素足で踏んでも、ほのかにふんわりしているだろう。
「あれ?でも、僕が見たデザイン案の中に空色のラグなんてありましたっけ?」
創太が不思議そうに首をかしげる。そうか、言ってなかったな。
「あのデザイン案は全て没になったんだ。俺が全然、依頼人の事分かってなくてさ。だからこの間の打ち合わせの日に新しくデザイン案を練り直して、そっちに決定した」
「そうだったんですね。どんな部屋に変わるんですか?」
創太の目はキラキラしている。「・・・見る?」少しじらしながら聞くと、「見たいです!」と即答されたので、思わず吹き出した。
創太が眼鏡をかけて、カタカタと書類を作成している。俺はその傍らで、模様替え当日の段取りを立てていた。模様替え当日は、幸いにも晴れ。天気が良いだけで、模様替えの難易度がぐぐっと下がる。雨の日は最悪だ。それで行くと、今回は天気にも恵まれ、商品も手に入り、俺は既に、部屋づくりにワクワクとしている。模様替え当日にパーテーションを受け取りに行かなくてはいけないけれど、車はどのくらいの大きさで全部入るだろうか。晴れだし、軽トラックでも良さそうだ。
「ご機嫌ですね」
創太にくすくすと笑いながらそう言われ、自分が鼻歌を歌っている事に気が付いた。
「いい商品が手に入ったからな。早く部屋作りしたくなるよな」
「確かに、素敵な物ばかりですね。パーテーションを僕は見てないけど、仁さんがそれだけ気に入ったのなら、きっと良い物でしょうし。よく予算内で購入出来ましたね」
「たまたま、良い店を見つけられて良かったよ。あの店は今後も使えそうだ」
俺は家具屋の小さな茶色いおじさんを思い出す。慈しむように商品に目を向けるあのおじさんの店を、今度はゆっくり時間をかけて見に行きたいと思った。
「模様替えの最終案も素敵でした。確かに、「違う部屋」になりそうですね。賃貸でも、配置や置くものを変えるだけで、こんなに変えられるものなんですね」
創太が、「僕も模様替えしたくなってきたなぁ」とつぶやく。
「今回は、樹里のおかげで良いものが出来上がりそうで安心したよ。よく、性格は顔に出るなんて言うけどさ、部屋も同じなんだよ。その人のその時々の内面が部屋に出る。忙しければ散らかるし、不安定な部屋には物が増える。今回の依頼人は、欠けた物を埋めたかったんだろうな。でも、違うもので埋めても埋めても満たされなくて、自分じゃ収拾がつかなくなっちゃったというのが、あの部屋が出来上がった経緯だと思う」
家というのは、その人の心の中に入るようなものだ。だからこそ、招かれる側は、入る時には礼儀を用いる。昔、親父に「お前には人の機微を察する能力が欠けている」と言われたことがある。今回の訪問日の事もそうだ。もっと、上手い言い回しがあったのではないか。まして、依頼人を怒らせるなんて、未熟者としか言いようがない。
「じゃあ、今回の模様替えで、依頼人の方も変われるかもしれないですね」
創太が俺にプリントし終わった紙を渡しながら、明るく言った。プリントされた紙には、今回の模様替えにかかる費用が書かれ、内訳も細かに書いてある。いつも通り、完璧だ。
「そうだな、まぁ、最善を尽くしてくるよ」
本当は「訪問日の失態を挽回する為にも」と続けようとしたが、あえて伏せて置いた。単純に、かっこつけたかった、俺の小さなプライドだ。
天気予報通り、本日は晴天なり。本日は、作業着に袖を通す。スーツで作業は出来ないからな。まだまだ従業員を雇う気力がないので、模様替え作業をする一人は、もちろん俺だ。今回の模様替えは部屋の規模的に、俺ともう一人でやる事にし、人員確保は親父に交渉した。この間の無茶ぶりな仕事に加え、打ち合わせまで付き合わせられたんだから、一人貸してくれという俺の願いはすんなり通った。ついでにその流れで軽トラックも確保した。今日来てくれるのは、親父と仕事をして長い、松永のおっさんだ。俺とも顔なじみで、穏やかな顔をした筋肉じじいである。
「よし」
洗面所の鏡の前で寝ぐせがついていないか確認していると、親父が「おーい、そろそろ変われー」と洗面所を覗いてきた。
「今変わるー」と洗面所から出ると入れ替わりで親父が入って来る。親父は鏡の前に立つと、丁寧に髪を整え始めた。
「今日は遅くなるのか?」
鏡越しに俺を見ながら、聞いてくる。
「いや、今日は作業自体そんなに遅くならない。いつもより少し早く帰ってこれると思う」
「そうか・・・実は昨日、ちょっといい肉をもらってな。その肉で今日はすき焼きが食べたい」
この流れは俺に作れって事だな。いい肉は俺も食べたいし、まぁいいか。
「了解。親父は今日、仕事何時に終わるの?」
「とりあえず、十八時までには切り上げる予定だ」
切り上げるってことは、家に仕事を持ち帰って来るつもりだな。・・・というか
「いつまで髪を整えてんだよ」
俺と話しながらも、ずっと髪いじりを止めない親父に思わずつっこむ。
「別にいいじゃないか。もしかしたら、今日、運命の出会いがあるかもしれない。仁も新しいお義母さんが出来たら嬉しいだろ」
「俺をいくつだと思ってるんだ!三十五歳だぞ!お義母さんって年齢じゃねえよ!」
「いくつになっても恋愛はいいものだぞ。いつどこで出会いがあるか分からないからな。身なりは常に整えておかないとな」
ふんふんと鼻歌を歌いながら髪を整える親父は、相変わらず、人生楽しそうだ。俺と一緒に住み始めた時も、「とりあえず、肉と酒がいるな」とがははと笑い、当時ふらふらとしていた俺をこの家に招き入れ、そのまま定住させられたし。今思うと感謝しているけれど、当時は「なんだこのおっさん」という感想しかなかった。
「ピンポーン」と家のチャイムが鳴る。時計を見ると、時刻は九時少し前。きっと松永のおっさんだろう。俺は荷物を持つと「行ってきます!」と家を出た。
「よう、仁坊!元気だったか?」
と、いつものように軽く挨拶してくる。俺も「松永のおっさんも元気そうだな」とお互い挨拶を済ませ、親父から借りていた軽トラックに乗り込んだ。まずはパーテーションを受け取りに行く。俺は運転席に座り、窓を全開にした。風は冷たくなってきているが、空は高い。気持ちの良い日だ。松永のおっさんも同じことを思っていたのか、助手席に座りシートベルトを締めると、助手席側の窓を全開にした。それを合図に、俺は車を出発させた。
家具屋に着くと、既にシャッターが一か所だけ開いている。俺は「おはようございまーす」と声をかけ、店内へと入っていく。松永のおじさんも後に続いた。
「おお、おはようさん」
小さいおじさんは、なぜか今日も茶色だった。でもよく見ると、前回の服とは少しデザインが違うように見える。茶色の服しか持っていないのだろうか?
「約束通りの時間だね。梱包は腰を痛めて出来なかったが、綺麗にしといたから」
俺がそんな疑問を抱いている事なんて露知らず、おじさんは商品の前まで行くと、ぽんぽんとパーテーションを叩いた。確かに、前回見たときよりも綺麗になっていた。埃が少しもついていない。後ろにいた松永のおっさんも
「おお!珍しいけどいいデザインだな。よく見つけたな」
と感心していた。俺は心の中で得意気になる。
「早くから店開けてくれてありがとう。じゃあこれ、持っていくな」
「はいはい、気を付けて持っていってやってくれよ」
ぶっきらぼうに言う小さいおじさんの言葉には、商品への愛情が見える。やっぱりこの店で買って良かった。松永のおっさんは、慣れた手つきで商品を少しずらし、ゆっくりと倒していく。俺がパーテーションの上部を持つと、松永のおっさんは下部を持ち上げた。年齢はもう六十歳近いというのに、その筋肉は伊達ではない。一緒に持ってはいるけれど、パーテーションはしっかり固定されている。
「じゃあ、また来るなー!」
パーテーションを運びながらそういうと、小さいおじさんは笑いながら小さく手を振ってくれた。両手がふさがっていて、手を振り返せなかったのが残念だ。
軽トラックの荷台には、すでにパーテーションをお出迎えする準備を整えて置いた。松永のおっさんと荷台に積み込みながら、輸送中に汚れないように、傷つかないように、しっかり包んでいく。松永のおっさんはさすがと言った手つきでてきぱきと動き、あっという間に梱包は終わってしまった。再び車に乗り込む。
「今から事務所に行くけど、事務所で今日の打ち合わせした後は訪問時間まで時間が余るから、昼飯でも食いに行こうと思ってるんだけど、何がいい?」
俺は車を走らせながら、松永のおっさんに聞いた。
「お、仁坊のおごりか?」
おどけながら松永のおっさんは言うが、もちろん、そのつもりだ。
「ヘルプに来てもらってるんだから当たり前だろ。食べたいもの考えといてよ。近くに店なかったら、配達してもらってもいいしさ」
「さすが、社長は違うなぁ」
「ちょっと、茶化さないでよ」
俺が苦笑いすると、松永のおっさんはしみじみと「仁坊も、あの頃に比べると立派になったよな」なんて言うものだから、俺は嬉しいやら恥ずかしいやらで尻がむずむずした。
事務所の駐車場に車を止める。パーテーションを事務所に入れるかどうかで悩んだが、「下手に動かして傷つけたら本末転倒だぞ」と松永のおっさんに言われ、それもそうか、と、荷台に積んだままにすることにした。その代わり、万が一にもいたずらなんてされないように、既に梱包してあるパーテーションの上からブルーシートをかぶせておく。
事務所に入るや否や、松永のおっさんは「洒落てんなぁ、おい!」とでかい声を出した。「松永のおっさん、うるさい」
俺は注意したものの、その反応がおかしくてつい笑ってしまう。
「適当に座ってよ。コーヒーぐらい入れるからさ」
俺がカウンターの中へコーヒーを入れる為に向かうと、松永のおっさんはきょろきょろと事務所内を見回しながら、カウンター席へ座った。
「一応、書類とか置いてある棚はあるけど、事務所っていうよりカフェって感じだな」
「まぁ、ここ元々カフェだったしな。でもこんな感じの事務所が良かったから願ったり叶ったりよ」
俺は電気ケトルでお湯を沸騰させながら、マグカップを探す。松永のおっさんは物珍しいのか、まだ事務所内をきょろきょろ見回している。
「俺はてっきり、ろくちゃんの跡を継ぐと思っていたんだけどな」
松永のおっさんが言う「ろくちゃん」は親父の事だ。六浦だからろくちゃん、もう五十歳を過ぎてる親父につけるにはいささか可愛すぎるあだ名のような気がするが、昔からの呼び名が定着してしまっているらしい。
「それ、みんなに言われすぎてもう耳にタコ状態だよ」
ざらざらとインスタントコーヒーをマグカップに入れ、電気ケトルからお湯をドボドボと注ぐ。俺は自分の分と松永のおっさんのマグカップを持ってカウンターを出ると、松永のおっさんが座るカウンター席から一つ開け席へ腰を下ろした。
「お、サンキュー」
松永のおっさんがコーヒーを口へ運ぶ。俺も自分の分を飲んでみたが、やはり創太が作るようにはいかないようだ。一言で言うと、まずい。
「お前、コーヒー作る才能ないな。泥水じゃねぇか」
松永のおっさんは飲みながら笑っている。創太と同じものを使っているはずなのに、なぜ俺が入れるコーヒーはこんなにまずくなるのだろうか。
「まぁ、ぎり飲めるからセーフだろ」
俺は気を取り直し、タブレットを取り出した。
「今日の模様替えなんだけど、場所はここ。約束の時間は十三時半だけど、駐車場に車を止めてから荷物を運ばないといけないから、十三時少し過ぎには現地に着いておきたいかな。それで今日の模様替えする、現状の部屋がこれ。この部屋の完成形がこれ」
俺はタブレットの画面をスライドさせて、部屋の見取り図を出す。松永のおっさんは、無言でタブレットを何度かスライドし、現状の部屋と完成形の部屋の見取り図を見比べた後、「なるほど」とつぶやいた。
「俺たちが持っていく物はどれとどれになる?」
俺は事務所の入れ口横に既に梱包し直して置いておいたパキラの木とラグ、組み立て前の本棚と紙袋を指さしながら
「あれがパキラの木で、あれがラグ。それから今日受け取ってきたパーテーション、依頼人の家で組み立てる本棚とクッションが入っている紙袋かな」
と伝えた。
「物は少ないが、割と大きさがあるな」そう言いながら、松永のおっさんは荷物へ近づくと、一つ一つ持ち上げて重さを確認する。ラグはともかく、パキラの木に関しては一般男性でも持てる人と持てない人に分かれるぐらいの重量があるはずなのに、松永のおっさんが持ち上げると重さを錯覚してしまいそうなぐらい軽々しく持ち上げる。
「これなら、俺が一人で持てそうだな。エレベーターはマンションについているんだろ?パーテーションは最初に二人で運んで、後は俺一人で往復するわ。その間に、今日の作業の確認を進めておいてくれていいぞ」
「マンションにエレベーターはついているけど、俺も往復して運ぶよ。そしたら二回の往復で済むし」
松永のおっさんに手伝ってもらっているのに、一人で荷物を持って往復なんてさせられない、そんな気遣いから出た言葉だったが、俺は松永のおっさんに一喝された。
「馬鹿か。作業に来て、業者が二人共依頼人の前から消えたら、感じ悪いだろうが。長時間の作業ならまだしも、これぐらいの作業だったら二時間ぐらいで終わるだろうし。お前は依頼人の前で常に対応する事!」
俺は素直に松永のおっさんの勢いに、おもわず「はい」と返事をする。そんな俺を見て、松永のおっさんはにやりと笑った。
「仁坊は、まだまだだな。ろくちゃんが言っていた意味が分かったわ。心配すんな。これぐらいだったら、腰も痛めずに持てる」
親父がなんて言っていたのか、見当はつく。きっと「あいつは人の機微に疎い」とかなんとか言っていたんだろう。悔しいが、その通りだ。松永のおっさんに言われるまで、数分、荷物を取りに行く間ぐらい不在でもいいだろと、軽くしか考えていなかった。こういうちょっとした気遣いが俺に足りない所なんだな。
「じゃあ、お願いするよ。室内で履くスリッパとか手袋は俺がまとめて持っていくから、荷物は完了だな」
「作業はどんな感じで進めていく?」
松永のおっさんは席について、先ほど泥水と言ったコーヒーを飲みながら、タブレットを再度確認している。
「とりあえず、寝室からかな。ベットの位置を変えるだけだから、すぐ終わるだろうし。時間がかかりそうなのは、ここだよね。テレビの位置替えとラグの取り換え」
松永のおっさんはうんうんと肯定した。
「そうだな。今敷いてあるラグの上にテレビ台が載っているから、まずはテレビを移動させる所からだな」
「テレビとテレビ台を動かして、ラグを取り換えて、テレビとテレビ台を設置し直した後は、テーブルを回転させる。一人は本棚の組み立て、一人はパキラの木とクッションの開封と設置。最後はパーテーションとクッションを設置したら終わりだね。あ、今敷いてあるラグをゴミ捨て場に持って行って欲しいって言われたから、古いラグは丸めて玄関の方に置いておきたい」
「了解。じゃあその流れで動くか。二人でやったらすぐに終わりそうだな」
「俺もそんなに時間はかからず終わるとは思っている」
依頼人の部屋が片付いていれば、という言葉は飲み込んでおいた。他人の部屋について、仕事以外で述べるのは行儀が良くない事は理解している。
「じゃあ、めしにすっか!何食おうかなー」
松永のおっさんはご機嫌で飯屋を検索しだした。
「ほどほどの値段の物で頼む」
一応、釘は刺しとかないとな。
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