第4話
「仁、お待たせ。じゃあ、本題に入りましょう」
樹里がカードを片付け始めたので、俺はバッグからメモと、タブレットを取り出した。
「竹下さん、お待たせいたしました。それでは、本題のお部屋の模様替えについて考えていきましょう・・・だいぶ、お時間を頂いてしまっておりますが、本日のご予定は大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です!」
さっきよりも、意欲的に見える。樹里のおかげで、部屋の改造を前向きに捉えてくれているのだろう。
「良かったです。それでは早速、どんな部屋にしていきたいか一緒に考えていきたいのですが・・・まず、今までの話を考えると、ほぼ全ての家具の配置を変更するのが良いのではないかと思います」
「全て、ですか?」
「はい、出来る限りにはなりますが、竹下さんのお部屋はシンプルにまとめられているので、変えようと思えば変えられると思います。『違う部屋にしたい』という意味が、私にも今なら分かります。なので、生活していく中で、視点が変わる方がいいと思うんです」
「視点」
繰り返しつぶやく竹下さんだったが、いまいち、伝わってはいないようだ。俺はメモの隣に置いていたタブレットを起動させ、あらかじめ作っておいた竹下さんの部屋の見取り図を画面上に開く。これは、あらかじめ竹下さんに聞いていた部屋の広さや間取りを元に作った見取り図に、写真で分かる範囲の家具を設置したものだ。竹下さんが送ってくれた写真が見やすかった事と、家具の数がそんなに多くない事から、多少の誤差はあるが、割と忠実に再現出来ている。
「これが、あらかじめ頂いていた情報から作ったこの部屋の見取り図になります。割と、今の竹下さんのお部屋を再現できているのではないかと思います」
「これ、あの写真とお伝えした情報から作ったんですか?すごいですね!」
仕事を褒められると、純粋に嬉しい。「ありがとうございます」と、俺は照れ笑いを浮かべた。
「例えば、後ろに置いてあるソファですが、今、このソファに座ると、竹下さんの視線は、前を向くので、こちら側になりますよね?」
俺はそう話しながら、ソファに座った場合の視線の状態を、図面の中に矢印で書き入れる。竹下さんは、俺の図を見ながら、ふんふんと小さく頷いた。
「この視線の向きを変えてあげるのがいいんじゃないかと思います。見える環境を変えてあげるだけで、だいぶ気持ちが変わると思いますので」
元彼と同じものを見ていたという想い出を思い出さないように、という言葉は、地雷になりそうだったので飲み込んだ。竹下さんが、俺の意図を組んでくれたかは分からないが、「なるほど」と言ってもらえたので、一旦、説得には成功したと思っていいだろう。
「捨てたい家具とか、逆に捨てたくない家具はありますか?」
うーん、竹下さんは、とても悩まし気に部屋の中を見回した。
「ソファでしょうか・・・。前、一人暮らししていた部屋は、あまり広くなかったし、ソファを置くのが憧れだったんです。なので、ソファだけは、ちょっといいのを買ったんです」
「なるほど、分かりました」
俺はメモ帳に、ソファはそのままとメモした。
「嫌いな色や好きな色はありますか?」
「嫌いな色は特にないんですが・・・でも、部屋に置く色でいうと、ピンク系はあまり
置かないですね。女の子っぽい部屋は可愛いと思うんですが、どちらかと言うとシンプルな部屋が好きで」
俺はメモに、ピンクの横に×印をつけ、その下にシンプルと書いた。『違う部屋にしたい』という言葉に引きずられすぎて、俺が作ってきたデザイン案は、アジアテイスト、アメリカンテイスト、和風、ロココ調、モダンスタイルと、どれも部屋の特色が出過ぎていた。俺の未熟さが出てしまったなと、心の中で反省した。
「ご予算なんですが、どのくらいを目途にされていますか?」
これは、とても大切な所だ。今までの話を聞くに、そんなにお金を掛けたくないだろう事は予想される。家具や送料を除いて、この1LDKならば、相場は十万~二十万円ぐらいだが、うちに入る依頼は、あまり高額な金額を提示する人は少ない。これは、俺が「模様替え屋」という、みんなになじみが深い言葉を使った意図が、ちゃんと伝わっていると思う。インテリアデザインといった横文字を使うと、多くの人が身構えてしまうのではないかと思い、俺はこの副業を始める時に「模様替え屋」という言葉を選んだ。もっと気楽に、家の中を楽しんで欲しいという俺の気持ちを込めている。
「えっと、相場を自分でも調べてみたんですが、そんなにあるわけではなくて・・・、諸々含めて、十万円ぐらいです」
なるほど。「諸々含めて」という事は、家具や送料も含めてという事か。だとすると、今の家具はほぼ全部残した状態で、部屋に違う色を入れていかなければならない。
「分かりました。部屋を採寸しつつ、見て回っても大丈夫でしょうか?」
「あ、はい!大丈夫です」
俺は、タブレットを左手に持ちバッグからメジャーを取り出すと、椅子から立ち上がった。
まずは、あらかじめ作ってきた竹下さんの家の見取り図を完成させることにする。大まかには合っているが、細かい箇所に関しては、正確な形やサイズを書き込む。天井までの高さ、テーブルの奥行、ベットの大きさ、テレビのコンセント位置等。必要な個所のサイズを書き込み終わった後、俺は改めて、竹下さんの部屋を見回した。
白い壁、床の木材はシベリアンバーチ。基本の部屋色は、全体的に白。二か所ある窓のカーテンは薄いベージュで、部屋の基調色によく合っている。テーブルや、テレビ台、本棚は木材素材。この家具の木材は全てナチュラルな木の色だ。カーペットのソファとカップ台の下に敷かれているラグはグリーン。ベットカバーはブラウン。このベットは、1LDKの中の一部屋の中に、壁にピタリとくっつけて置いてあり、ベットの傍には小さなサイドテーブルが置かれている。この部屋の壁が一面、収納スペースになっているようだ。
リビングは十二畳ほどの大きさ。玄関から入ってきて、トイレや浴室のあるちょっとした廊下を通り抜けると、右手側にカウンターキッチン。俺たちが座っていた四人がけテーブル、ソファー、カップ台、テレビの順番に並んでいる。
この部屋を違う部屋へ。俺は、イメージする。以前、片づけられていたこの部屋で、生活をしていた竹下さんを。朝起きて、カーテンを開ける。日の光を浴びながら、大きく伸びをする。隣に寝ていた元彼氏を起こさないように起きて、キッチンに行き、水を飲む。元彼氏が起きてくるまでに身支度を済まし、ご飯を作る。元彼氏が起きてきたら、彼がテレビの電源を入れる。元彼氏と一緒に家を出て、仕事へ向かう。彼氏より先に帰ってきた竹下さんは、スピーカーで音楽を掛けながら洗濯物を片付けたり、部屋の掃除をする。彼氏が帰って来る頃にはご飯の準備が終わっていて、音楽を止めて、テレビがつく。その後、洗い物をしたり、お風呂に入ったりして、一日が終わる。
じゃあ今は?この荷物に溢れた部屋へ、疲れて帰って来る。部屋をどうにかしたい。でも、片付ける気力がわかない。綺麗に片付けられた部屋と向き合う自信がない。想い出に溢れた部屋で、息苦しい部屋で、心が沈んでいく。
ふと、埃をかぶってしまっているスピーカーに目が行く。
「竹下さん、このスピーカーって使えるんですか?」
「使えると思います。最近は流していないけれど・・・」
「ちょっと流してみてもいいですか?」
俺の提案に驚きながらも「いいですよ」と電源を入れてくれた。スマートフォンと連動しているようで、竹下さんは手元のスマートフォンを操作すると、スピーカーから音楽が流れてくる。それは、心地よい洋楽だった。俺は音楽にそんなに興味がないから、曲名も歌い手も知らないが、穏やかなイントロと、優しい男性の声は、聴いていて空気が一気に軽やかになる。
「軽やか」か、そうだな、軽やかな部屋はどうだろう。ナチュラルでいて、軽やかな部屋であれば、予算をそんなにかけずに出来るかもしれない。
「良い曲ですね、洋楽が好きなんですか?」
「そうですね、音楽は割と洋楽ばかり流してますね」
俺は、イメージする。この部屋で、軽やかな音楽とともに生活する竹下さんを。これから、自分の為に生活する為の、心地よい空間を。
俺は再度テーブルに座り、タブレットを操作する。今ある竹下さんの部屋の見取り図をコピーし、新たな図面として書き込み始めた。まず、家具の位置は全替え。テレビの電源位置を加味すると、ひっくり返すような家具の位置替えはできないから、大まかな位置はそのままに、視線を変えられるように位置の配置を変える。今座っているテーブルは九〇度回転させて、縦置きを横置きにする。奥のソファとの間に少し仕切りが欲しい。ここには木製の、パーテーションを置こう。完全に見えないよりも、部屋の空気が循環するように、空気や音楽が通っているイメージが出来る、簀の子状のパーテーションがいいだろう。ソファとカップ台、テレビとスピーカーの位置も、合わせて九〇度変える。テレビを窓側から壁側に変えて、ソファとカップ台をその前に持ってくる。下に敷いているラグの色も変えたいが、最後に色をつけるとして、今はそのままにする。ベットも、壁側につけられている今の位置から思い切って部屋の中心に持ってくる。足元から日の光が差し込むように、縦に置こう。そうなると、今のブラウンのベットカバーの色も変えたい。今のブラウンでは落ち着きすぎるから、もっと軽やかな色がいいだろう。俺は、おおまかな家具配置を書き込んだ後、色を付ける。実は、軽やかと聞いて、浮かんでいたテーマがある。テーマは「北欧風」。この白を基調とした部屋に入れる差し色は、「空色」だ。ソファの下に敷いているラグを明るめの毛が短い空色のラグにして、ソファの上に、少し濃い目のブルーと薄いブルーのクッションを置く。ベッドカバーは白に変えて、枕の横に空色のクッションを差し込み、ベットにブルーの足置きカバーを置く。この辺に緑が欲しいな・・・ここにパキラの木を置くと、一層爽やかだ。パキラの木を置くならば、パーテーションにも緑を少し下げたい。これなら、買い替えるものはベットカバーと足置きカバーとラグのみ。パキラの木やパーテーションの所に置く緑に関しては、依頼人次第。
夢中で書き込みしていた俺は、「依頼人」の事を思い出して、はっと顔をあげる。顔を上げると、前に座っていた竹下さんと、横に座っていた樹里も、食い入るように俺のタブレットを見つめていた。
「あの、ごめん、じゃなくて、すみません。自分の世界に入ってしまっていました。こんな部屋はどうかなと思いまして・・・」
俺がそう言うと、二人同時に俺の方をぱっと振り向くものだから、思わず、たじろぐ。また俺は何か地雷を踏んだのか?
「これ、これいいです!」
竹下さんが、瞳をらんらんとさせながら鼻息荒く俺を見つめる。
「私もいいと思う。竹下様の雰囲気に合ってると思う」
樹里まで同意したからか、竹下さんは更に乗り気だ。瞳をキラキラさせてタブレットを見ている。そんな竹下さんがふと我に返ったように「これって、料金はいくらぐらいになりますか・・・?」と不安そうな顔で聞いてきた。
「これは手数料も入れて、九万円弱の設定です。もちろん、買い替えが必要なものにいくらかけるかによりますけど」
「良かった」
ほっとしたように、俺のタブレットを見つめる竹下さんに、俺も心底ほっとした。
「テーマは北欧風です。じゃあ、この見取り図を元に、細かい所を詰めていきましょうか」
「はい!」
俄然やる気になってくれた竹下さんに、俺も気持ちを切り替えた。
「部屋のイメージを変える為に、買い替えたいものがベットカバーとラグなんですが、素材にこだわりはありますか?」
「ベットカバーは、柔らかいものが好きです。麻素材とかはあまり好きじゃないですね」
「なるほど。白であればいいかなぁと思うんですが、いかがでしょうか?」
「そうですね・・・白にするのは大丈夫なんですが、ベットカバーは私が選んで買ってきてもいいですか?」
「もちろん。助かります」
俺はタブレットにベットカバーの準備は不要と書き込む。肌ざわりへのこだわりは人それぞれなので、そういう提案はこちらとしても大歓迎だ。
「ねぇ、これは何用?」
黙って俺達のやり取りを聞いていた樹里がタブレットを指さしながら聞いてくる。
「これは、一応、ホテルとかならある足置きカバーなんだけど・・・ここに少しだけ青が欲しくて、一応、書き込んでみた」
部屋全体が白いから、ベットカバーにも少し色を入れた方が部屋が締まると思って書き込んだものだ。でも、日本の一般家庭では主流ではない事は知っている。
「ベットの足元にこの色がくると、あちらの部屋がぐっと雰囲気が整うと思うんです」
そう言いながら、俺がタブレット上で、ベットの足置きカバーがないパターンを見せる。
「確かに、ベットの足元に色があるかないかで雰囲気が全然変わりますね」
頭をこくこくと上下に動かしながら、竹下さんが頷く。
「じゃあ、この色が入ればいいという事よね?例えば・・・そう、少し肌寒い日に肩からかけるような小さな毛布とかを置いておくとか」
樹里の提案にも「なるほど」と竹下さんは頷いている。
「そうですね、それでも大丈夫です。こういうデザインの布団カバーがあれば、一番手っ取り早いとは思います」
「分かりました。ここの色も、私、自分で探します」
竹下さんは、手元のスマートフォンにメモを入力している。メモをしている姿が楽しそうだ。
「後、ラグですが、出来ればあまりふわふわと毛が長いものじゃない方がいいと思うんです。この部屋を軽やかな感じにするには、毛が長いと雰囲気が少し崩れてしまうような気がするので。ラグにこだわりはありますか?」
軽やかな部屋に毛が長いラグは、足がとられるようなイメージがある。毛が短いタイプの方が、軽やかさは増すだろう。竹下さんは、今敷いてあるラグを見ながら頭をひねった。
「正直、ラグにこだわりがなくて。あのグリーンのラグも、色と大きさだけで選んだようなものだし」
「では、予算内で、こちらで準備をしましょうか?今敷いてあるラグは、模様替えの際に撤去はしますが、片付けるにしろ、捨てるにしろ、竹下さんにやってもらう必要はありますが」
うーんと、竹下さんは天井を向きながら唸った後、
「うん、それでお願いします!」
と、決断してくれた。少しは俺達を信用してくれたという事だろう。これは気合を入れて選ばねば。
「でも、あのラグはもう捨てようと思うので、マンション下の粗大ごみ置き場まで持って行ってもらう事は可能ですか?」
「そのぐらいだったら、サービスでお付けしますよ」
女性一人で一階まで持っていくのは大変だ。竹下さんは「良かった」とほほ笑んでいた。
「後、ここのパーテーションですが、木製素材で、簀の子のように板を敷き詰めず、間が空いているものがいいと思うんです。間が空いている事で、部屋全体を見る事も可能となるので、パーテーションの横のテーブル席に座っても、部屋全体が見渡せるので、息苦しくならないですし」
竹下さんはタブレットを見て真剣に話を聞いてくれているが、このパーテーションのイメージがあまりうまくいかないようで、眉間に皺を寄せていた。
「ここのパーテーションは、在った方がいいという事ですよね?」
「このお部屋を違う部屋にするのであれば、俺的には欠かせないかなと思います。でも、竹下さん次第ではあります」
竹下さんの眉間の皺はまだ入ったままだ。そんなに気に入らなかっただろうか。でも俺の中で、今回の模様替えのメインになる箇所だと確信している。このパーテーションがあるかないかで、竹下さんの視点はがらりと変わる。テーブルに座っていても、ソファに座っていても、ベットから部屋を見回した時も、全ての視点を変える事が出来るアイテムになるだろう。でもこればかりは、部屋の主に決定権がある。
「私はこのパーテーションいいと思いますよ」
思いもよらぬところからの援護に思わず樹里を見る。樹里は竹下さんを見ている・・・ように見えるが、その視線は、竹下さんの後ろを見ていた。竹下さんは、樹里に続きを促すように、タブレットから目線を樹里に移した。
「私だったらですが、このパーテーションの横、テーブルを動かした後の座席だと、この椅子の後ろに来るところに、小さな本棚を置くことで、ちょっとした勉強スペースを作ります。おそらく、すぐにではありませんが、竹下様も、このスペースがある事で、動きやすくなると思います」
「藤村さんがそう言うなら、やってみます」
樹里に対するこの信頼感はなんだろう。少し悲しくなってしまった事は内緒だ。
その後、部屋づくりの話し合いは順調に進んだ。
タブレットには、樹里が言っていた小さな本棚のスペースが追加され、パキラの木も置くことが決定した。ソファに置くクッションも決定したが、ベットに置くクッションと、パーテーションにぶら下げる緑に関しては、今回の模様替えには採用せず、竹下さんが模様替え後、必要があれば自分で買いそろえるという事で話が落ち着いた。収納に関しても、新たに収納スペースを作るのではなく、一旦、今の収納スペースに物を片付けてみてから考えるらしく「今までの物を断捨離する良い機会になりそうだし」と、竹下さんからは前向きな言葉が飛び出した。
「では、このような感じを目指していきたいと思いますが、何か質問はありますか?」
「いえ、特にないです!」
竹下さんの目は、楽しみだと言わんばかりに爛々と光っている。
「後は日程ですが、こちらとしても、色々と物を揃えるのに少し時間が欲しいと思います。竹下さんもベットカバー等、買うものもあると思いますし、いつにしましょうか?」
「そうですね・・・来月までには完成させたいです。仕事が土日休みなので、来週の土曜日とかどうですか?」
俺はスケジュール帳を取り出す。諸々手配したとしても、なんとか間に合うだろう。
「分かりました。では、こちらもそれまでに準備いたします。当日は立ち合いとして、その場にいていただく必要がありますのでご了承下さい。買いそろえる家具などによって金額が変わりますので、後日清算にはなりますが、申し込んでいただいた後はキャンセルが不可となります。今回、こちらで準備させていただく家具などの事前確認は必要ですか?」
「・・・いえ、もうお任せしてみようと思います!」
俺は心の中で小さくガッツポーズをした。これはもう、信頼してもらえたと思ってもいいだろう。
「ありがとうございます。金額は分かり次第、ご連絡させていただきます。最後に、この書類にサインをお願いします」
竹下さんは、俺が差し出したペンで署名箇所に名前を書く。俺は竹下さんが名前を書き終わった書類を受け取り、写しを渡した。
「では、本日はこれで終了となります。何か、ご不明点はありますか?」
いつものテンプレートなセリフが、口からするすると出てくる。竹下さんは少しもじもじと考え込んだ後、意を決したように口を開いた。
「あの・・・!藤村さんの名刺はありますか?今度はお客として、伺ってもいいでしょうか?」
思いもよらぬ言葉に、俺はつい「え?そっち!?」と声が出てしまいそうになったが、ぐっとこらえた。樹里は少しも表情を崩さず、自分のカバンから名刺ケースを取り出す。にっこりとほほ笑みを浮かべながら、
「もちろんです。この名刺にあるQRコードを読み込んでいただければ、メッセージのやり取りが出来るようになりますので、そちらから、ご予約下さい」
竹下さんは「ありがとうございます!」と名刺を受け取った。これは、本当に信頼されたのは樹里なのでは?俺はなんとも複雑な気持ちになりながら竹下さんの家を後にした。
「終わったー!!」
外は日が傾き始めている。俺は竹下さんのマンションが見えなくなった後、大きく伸びをした。
「お疲れ様」
樹里が外向きの顔を引っ込めて、いつもの涼し気な表情で言った。
「まじで助かった!依頼人が怒り始めた時には終わったと思ったし」
心の底からの礼だった。依頼人の家に行って怒らせて終わりなんて、俺の評判がた落ちだ。俺が礼を述べると、
「占い代は、給料に上乗せしてね」
と、妖艶な笑みを浮かべながら樹里が言う。そうだよな、樹里がただ働きするはずがない。だけど、今回ばかりは、樹里のおかげで話がまとまったのも事実。
「・・・了解」
絞り出した俺の声に、樹里は満足そうに頷いた。
「ところで、樹里には何が見えていたんだ?」
依頼人の家からの帰り道、俺は気になっていた事を樹里に聞く。
「なんの話?」
突然の質問に、樹里は顔をしかめながら聞き返した。
「依頼人の占い、カードでやってたけど、樹里は本来『見える人』じゃん。パーテーションの話をしていた時は、本来のやり方で『見て』話してただろ」
俺が続けると、「良く見てるね」と樹里が言った。
「確かに、『見て』占う方が私の本来のやり方だけど、初対面の人間が突然自分を見て、『あなたはこんな人だから、こうなります』なんて言っても、怪しいだけでしょ」
確かに。まして、当の本人は占われる気が全くないとしたら、それはただの霊感商法の類に分類されて終わりそうな気がする。
「カードは可視化できるから、理解されやすいのよ。もちろん、カードの結果も本物だけれど。私が見たのは、沢山ある未来の中で、今の状況から立ち直った後の竹下様。占い結果は守秘義務があるから言えない。でも、しいて言うなら・・・仁は良い部屋を作ればいいってことよ」
意地悪そうな顔で樹里が笑う。樹里はこういうやつだ。全て分かっているような顔をしながら、その状況を楽しんでいる。
「空気は読めないが、部屋作りは俺に任せろ!」
ノッてやったのに、樹里は「少しは空気も読めるようになりなさいよ」と、俺にしっかりくぎを刺した。
やっぱり、初対面の人と向かい合うと疲れる。黙々と家の構図だけを考えていたいと思いながらも、親父に「お前に足りないのは人づきあいだ」と言われたことを想い出す。今日も樹里に助けられながら、なんとか無事に終わった事を考えると、人の心の機微について、もっと学ばなければなと反省する。反省するのは三分だけ。悩むのは苦手だ。
「よし!」
俺は気合を入れなおし、カウンターに行きコーヒーを入れる。樹里とは駅で別れた。俺もそのまま家に帰ろうかと思ったが、家だと集中出来なさそうだったので、事務所に足を運んだ。既に時刻は十七時を回っている。事務所には当然のごとく誰もいない。コーヒーを持って、いつもの定位置へ座る。一口飲んでみると、泥の味がした。やはり創太が作ってくれるコーヒーの方がうまい。
誰もいない事務所を見回しながら、俺は想像する。この事務所に、正規のスタッフがいて、みんなで家や部屋づくりをする空間を。こんな事は本人には言えないが、親父の昔の事務所のような空間が理想だ。創太さえ良ければ、創太にもその空間にいて欲しいと思う。その為には、とりあえず仕事をしなければ。俺は自分のノートパソコンとタブレットを取り出し、仕事に取り掛かった。
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