第2話

 今日は事務所へと向かう。俺が探しに探してやっと見つけた事務所だ。予算は少々オーバーしたが、それでも理想に近い建物を見つける事が出来て、俺は大変満足している。本当であれば毎日でもその事務所へと向かいたい所だが、お金を稼ぐために、ひいてはこの事務所を継続維持させるために、そうも言っていられない。35歳にしてやっと見つけたこの夢を手放すことがないように、日々仕事と学問に精進している。この事務所は、夢の第一歩。

 最寄りの地下鉄の駅から徒歩10分圏内にあるその事務所は、大通りから少し外れた通りにある。ビルの一階にあるその場所は、以前はカフェをやっていたようで、外装がおしゃれな明るいレンガで縁取られており、格子がついた大きな窓が一つ。格子には蔦が巻き付いており、大きな窓だけれど外が丸見えにならない仕様になっている。

 大きな窓から、室内の明りが少し漏れ出していた。俺は鍵を取り出すのは止めて、そのまま木製の扉を開ける。

 「おはよう」

 カウンターの中にいた人物が、こちらへと振り返る。

 「あ、おはようございます。ちょうど今、コーヒーが出来たところです。タイミング良かったですね」

 そう言ってニコリとほほ笑むのは、この会社の経理全般、俺の苦手な書類関係を一身に任せている山田創太。前の会社がブラック企業だったらしく、転職活動をしている最中に出会って声をかけた。とは言っても、まだ正社員で雇う程の余力が俺にはない。創太はアルバイトと掛け持ちで俺の手伝いをしてくれているという感じだ。

 俺はカウンター席に腰を下ろし、とりあえず持ち歩いているノートパソコンを取り出した。創太が淹れたばかりのコーヒーを傍らに置いてくれる。口に含むと、ほどよい苦さで頭が冴えていくような感覚を覚えた。

 「新しい仕事の依頼が入っていましたよ」

 創太も自分のコーヒーを手に持ってカウンター席へやってきた。近くに置いていた自分のノートパソコンを開くと、眼鏡をかける。元々目はあまり良くないらしいが、常に書類やパソコンを見ているから、目の疲労を少しでも軽減するために、必要な時だけ眼鏡をかけるようにしているらしい。コンタクトを勧めた時もあったが、「目に異物を入れるなんて無理です」と速攻断られた。

 「建築の方?」

 「いえ、模様替え屋の方です」

 「また、ゴミ掃除屋と間違ってきた依頼じゃないだろうな」

 そう、模様替え屋を始めてから、ゴミ掃除の店だと勘違いしてくる依頼が後を絶たない。

 「まぁ、こればっかりは仕方ないですけどね。ネットで検索するときに、ハウスクリーニング系のサイトと同列に表示されますから。でも、今回の依頼はちゃんと模様替えみたいですよ。最初に写真を送ってもらった時は勘違いしているのかと思いましたけど」

 創太が苦笑いしながら、俺に依頼内容と写真を見せる。既に依頼者と数回やり取りをしてくれているようで、訪問日の指定まで完了しているようだった。訪問日は四日後。依頼者に毎回お願いしている写真は、模様替え希望の部屋の写真を送ってもらうようにしている。その写真と、依頼者が希望する部屋のイメージを聞くことによって、人手と模様替えにかかる金額のおおまかな予測を立てて訪問日にすり合わせるという流れだ。依頼者が数枚送ってくれた写真を見る。どの写真も、床の至る所に紙袋が乱立していた。

 「これ、当日紙袋そのままなのかなぁ」

 真っ先に出た感想だった。模様替えにおいて、スペースがないと実際の作業にも時間がかかるし、器物破損の可能性も考慮して、お客様の私物に触る事も出来る限り避けたい。特に、うちの依頼主の八割は女性だ。でも、作業にはどうしても男性を使うので、気安くお客様の私物に触ってしまって、後でクレームにならないように、そこには細心の注意を払っている。

 「一応、お客様にはお伝えしているんですが・・・こればっかりは、行ってみないと分からないですね」

 「まぁ、そうだよな。しゃーない、訪問日に確認するか。・・・写真を見る限り、良いレイアウトの部屋みたいだけど、依頼主はどんな感じに部屋を変えたいって言っているの?」

 創太がパソコンを操作し、お客様の依頼メールを画面に表示した。

 

『業者様

 この度、部屋を綺麗にしたいと考え、ご相談に乗っていただきたいと思っております。

 私の希望は、この部屋を、違う部屋にしたいという事です。うまく言えませんが、私の居心地の良い部屋にしたいです。

 私一人では、どうしたらいいのか考えつかず、ぜひ、お力を貸していただきたいです。

 予算はあまり多くはないのですが、ご相談に乗っていただけますでしょうか?

 恥ずかしながら散らかっておりますが、写真を添付いたします。

 どうぞ、よろしくお願いいたします。  竹下 美里』


メールを読んで、違和感を覚えた。

 「『綺麗にしたい』と言っているけど、実際の依頼は『違う部屋にしたい』って事?ただ、収納を増やせば解決するような問題じゃなさそうだな」

 「そうなんですよね。僕も最初は、床に乱立している紙袋を片付けるスペースが欲しいとか、部屋が出来るだけ散らからないような家具の配置を希望しているのかと思ったんですが、そうじゃなさそうなんですよね」

 依頼主からの部屋のレイアウト情報などのメールと部屋の写真の状態からして、部屋自体はそんなに狭くないはずだ。

 片付けられない、だから綺麗にしたい。これだけならば、依頼主の予算内で収納棚を購入し、その収納棚が置けるように部屋の家具の配置を変えてやればいい。でも、メールの文面からすると、そうではなさそうだ。依頼主から来た写真を改めて見る。どの写真にも紙袋が映り込んではいるが、部屋にある家具は至ってシンプルだ。四人掛けのダイニングテーブル、二人掛けソファに、小さめのリビングテーブル、テレビ台とテレビ、スピーカー、ベッド。今部屋にある家具の配置を変える事はそんなに難しくなさそうではある。部屋の基調色は白。カーテンもソファも、白系でまとめられている。ベットカバーはブラウン、リビングテーブルの下にひかれている大きめのラグはグリーンだけれど、全体が白に対してグリーンのラグが、落ち着きを醸し出していて、センスがいい。そう、だからこそ・・・

 「なんか、違和感ない?」

 俺がぽそっとこぼした言葉に、創太もこくりと頷いた。

 「仁さんもそう思います?僕もなんだか、変な感じがして・・・。うまく言えないんですけど、この人、本当に片付けられない人なのかなぁと・・・」

 「分かる。俺も同じ事考えてた。なんか、わざと散らかしているような感じするよな」

 今回の依頼、なんだか一筋縄ではいかない気配がする。訪問日は4日後。これは、誰かの手を借りたい所だな。

 俺は、自分のパソコンでスタッフ一覧を開く。スタッフと言っても、常時人を雇えるほどの稼ぎがない今、何かあった時に日雇いで手伝ってくれる人を連ねているだけのものだが。みんな俺の友達で、癖の強いやつばかり。本業がありながらも、なんだかんだ言いながら手伝ってくれる、根はいいやつらだ。今回の依頼に向いてそうなのは・・・

 「創太、誠か樹里のどっちか訪問日に来れないか連絡してくれないか?」

 「畏まりました。連絡してみますね」

 創太は返事と同時にメール画面を開き、早速文字を打ち込んでいる。仕事が早い。こんな人材を使い捨てるように働かせていた前のブラック企業に怒りが沸き上がってきながらも、そのおかげで今、俺の手伝いをしてくれているんだよなと思うと複雑な気持ちになった。

 「創太、そんなに畏まらなくてもいいんだぞ。敬語じゃなくて、タメ語でもいいし」

 「そういう訳にはいきませんよ。仁さんは社長様なんですから」

 ニカッと幼さが残る笑顔は嫌味がない。出会った頃から、俺がもっとフランクに接していいよと言い続けているから、「仁さん」呼びは、創太の精一杯の歩み寄りなんだろう。

 「さぁて、俺も模様替え案を出してみるか」

 創太にばかり、仕事をさせるわけにはいかない。俺も早速、パソコンで依頼主の部屋をある程度図面に起こすことにした。

 依頼主の希望は、『違う部屋にしたい』という訳だが、予算は訪問日に相談という事だったから、依頼主の予算内に収まるように、ある程度の幅も必要。まずは部屋のイメージを変える為に何パターンか方向性を出して、その方向性の中でも充てられる予算内に収まるように、更に何パターンか出してみるか。

 どんなパターンがいいかな。カフェ風?アジアンテイスト?和風?今の部屋がシンプルっぽいから、そこの方向性を変えるには・・・


 「よーーーっす!仁いるーーー???!あ、創太!久しぶりだな!元気か!?」

 豪快にドアが開く音がしたのに、それを上回るでかい声にドアの開く音がかき消された。

毎度のことながら、もう少し静かに登場できないのか、このおっさんは。

 「なんの用だよ、親父」

 どかどかと室内に入ってきて、空いてるテーブル席に当然のように腰かけるこのおっさんは、残念ながら俺の親父である。

 「冷たいなーそんなに冷たいと、パパ拗ねちゃうよー」

 「いい年したおっさんが何言ってるんだよ!少しは静かに入ってこれないのか!みろ、創太がびっくりして固まっているだろ!」

 俺のその声に、呆気に取られていた創太がはっとする。

 「あ、こんにちは、明さん。今、コーヒー淹れますね」

 創太はそそくさと立ち上がり、カウンターの中に入っていく。

 「おう、ありがとな!」

 「創太、そんなに丁寧に接してやる必要ないぞ!」

 「冷たいなー俺の息子は。創太はあんなに優しいのに。お仕事を振っている親父に対してその態度。はー誰のおかげでこの事務所が継続出来ているのか」

 やれやれと、大げさなジェスチャーで嘆かわしさを表す親父の態度に、強く出れない自分が腹立つ。そう、俺はまだ、自分ではなかなか仕事が取れていない。同業者の親父に仕事を振ってもらって、なんとか継続出来ている。模様替え屋は、この不景気で駆け出しの新人にはなかなか仕事の取れない俺が、何か出来る事はないかと始めた副業に過ぎない。

 「で?なんの仕事?」

 「仕事を持ってきたってよく分かるな!」

 「親父がその恰好で来るときは、だいたい仕事を持ってくる時だろ。しかも急ぎの」

 親父は、スーツを着込み、上だけ工事現場で着られているようなジャンパーを着込んでいる。胸元には、今やっている仕事相手の会社名。大方、仕事中に少し抜け出してきたんだろう。創太が、親父の前にコーヒーを置いた。創太の頭をがしがしと撫でる。

 「相変わらず、ちっこいな!ちゃんと食べてるか?あ、ちっこいのは仁も一緒か!俺の血が入っているはずなのに、身長は似なかったもんな!」

 「うるせぇ!」

 がははと笑う親父とのこの会話は、もう何度目だろうか。でも何回言われても腹が立つ。この身長とこの顔は、俺のコンプレックスだ。どこに行っても、年齢よりも下に見られ、仕事の打ち合わせに行っても、初見ではなかなか信用を勝ち取る事が出来ない。

 親父はコーヒーを口に含むと、ふうと一息ついた。

 「今回のお仕事はどんなお仕事なんですか?」

 親父にがしがしと撫でられた髪を直しながら、創太が親父へ問いかけた。

 「おう、実はな、前回の仕事で懇意にしていた会社から連絡が合って、俺が前に設計した建物に大幅修正が入ったらしい」

 「え?それは、まだ着工していなかった建物なんですか?」

 「ああ、まぁでも、修正が入るとは思っていたがな。依頼主が建物の構造も何もわからん若造だったんだが、自分の家兼アトリエを建てるってことで、自分の希望を押し込めるだけ押し込めて、何一つ、頑として譲らなかったんだ。俺たちの話には聞く耳も持たん」

 渋い顔でコーヒーを啜る親父は、仕事の腕は一流だ。その親父の意見を一切聞かないとは・・・。建物を建てるという事には、夢が詰まっているとは思う。だから俺達は出来る限り、依頼主の希望を叶えたいとは思うが、そこで生活をするとなると、話は別だ。依頼主の希望を出来る限り叶え、なおかつ、生活しやすい家を建てる事が大切になってくる。

 「そこの依頼主の嫁さんが妊娠中でな。依頼主は嫁さんが体調悪くてうまく動けなかった所、どんどん勝手に話を進めていたらしく、体調が落ち着いた嫁さんが家の設計図見て大激怒。でももう、工事請け負う会社も機材とかの準備をしないと着工予定日に間に合わないってことで、慌てて電話が入ったって流れよ」

 やはり少し怒っているのか、親父の声はとげとげしていた。まぁ、親父の気持ちも分かる。最初から、こちらの意見を少しは聞いていれば、修正が入ったとしても、少しの修正で済んだだろうに。大幅修正という事は、よほど無茶苦茶なオーダーをしていたんだろう。

 「・・・僕は設計等ができないので、詳しい事は分からないのですが・・・。その依頼主の方、よほど嬉しかったんでしようね。家を建てる事が。だから少し、夢を詰め込みすぎたのかな」

 くすっと笑う創太に、毒気が抜かれる。同じ同業者として、親父の気持ちに寄り添い過ぎていた俺は、創太の言葉に少し反省した。そうだよな、家を建てるって、簡単じゃないもんな。普通の人であれば、一生に一度、あるかないかの大イベントに、興奮しないわけないよな。そう考えると、その依頼主の事も、可愛く思えた。親父も同じ気持ちなのか、創太の言葉に、眉尻を緩めた。

 「・・・そうだな・・・。まぁ、そういう訳で、大幅修正が入ったわけだが、俺は既に次の仕事に入っているから、時間が取れない。どうしようかと考えたときに、頼れる息子の事を思い出したわけよ」

 芝居がかった言い方をしても、誤魔化されない。この言い方は、だいぶ締め切りの日が厳しいはずだ。

 「俺にも予定があるんだよ」

 ぶっきらぼうに言い放ってみる。少しの反抗心を持ってしまうのは、俺が息子だからなのか、それとも俺の性格故か。

 「まぁまぁ、ギャラは出すからさ」

 親父がニカッと笑う。う・・・ギャラは欲しい。月初だというのに、今月の予定も、まだすかすかだ。

 「あの、お話中、すみません・・・」

 創太が、おずおずといった具合で、俺に話しかけてきた。

 「どうした?」

 「誠さんと樹里さんから返信が返ってきまして。誠さんはその日、既に仕事の予定が入っているから無理という事です」

 「そうかー。急だったし、仕方ないよな。樹里は?」

 「それが、そのー・・・一言だけ返信が来たんですが、『いくら出す?』との事です・・・」

 創太が苦笑いを浮かべる中、俺は頭を抱え、親父だけが豪快に笑っていた。

 「樹里ってあの神秘的な美人の姉ちゃんだろ?はっはっはっタイミングいいなー。これは社長、稼がないといけないですね!」

 樹里の本業は、占い師である。こういうタイミングでこういうセリフを吐く当たり、こっちの状況が見えているのではないかと思えてくる。スピリチュアルな世界を否定する気はさらさらないが、現実思考の俺は、思わず監視カメラでも仕掛けられているのではないかときょろきょろと辺りを見回した。

 「樹里さんは、相変わらずですね」

 おかしそうに笑う創太。そうだ、そもそもこいつはこういう奴だ。俺は再び、頭を抱えたが、頭を抱えていても、状況は変わらない。観念して、親父に向き合う。

 「で?納期はいつだよ?」

 「お、ついにやる気になったか」

 にやりと笑う親父の顔に、嫌な予感がする。

 「あ、待て。ちなみに、四日後は無理だぞ。既に仕事が入ってるし」

 あらかじめ保険をかけておく。

 「そこは大丈夫だ!先方との約束は二日後だからな。」

 「二日後!?」

 驚く俺を尻目に、親父は壁にかかっているアナログのデジタル時計を見て、「お!こんな時間か!」とわざとらしく声を出したかと思うと、創太が出したコーヒーをぐいっと飲み干した。

 「俺の部屋の棚に、資料はいつも通りファイリングしてあるから勝手に確認してくれ。詳細はメールで送るわ。今日はそこまで遅くならないと思うから、情報足りなければ家で聞いてくれ」

 一方的に話し続ける親父は、俺の「ちょっ(と)」「待(って)」という短い言葉すら、発する機会を与えてくれない。

 「じゃあ、よろしく~!」

 来た時と同じように騒々しく去っていく親父の背中に、「特急料金、上乗せしてもらうからなー!」という俺の言葉が届いたのか届いてないのかは定かではない。


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