Ⅲ章―第8話 海の向こうへ(2)

 船は、一昼夜ほどで対岸に到着した。初めて来るマルクト王国の本土だ。島では、港は新しく作られたもので近くにはほとんど家などはないが、こちら側は港に街が隣接して、開放的で賑やかな雰囲気が漂っている。

 「すごいな、聖都と同じくらい人がいる…」

船の甲板に立って港街を眺めていると、後ろから、例の小太りな男がつついた。

 「さっさと歩け。後ろがつかえている」

 「あっ、すいません」

 「…ったく。観光に来たわけでもないのに、呑気なものだ」

後ろでブツブツ言っている声が丸聞こえだ。

 ロビンは、船のタラップを勢いよく駆け下りて、振り返って船を見上げた。甲板には、主教キュリロスと従者らしき人物が見えた。老齢のキュリロスは少し疲れた様子で、足元もおぼつかない。

 (大丈夫かな…)

心配だが、近づいて話をすることは出来ないのだ。すぐさま追いついてきた小太りな男が、ぞんざいな態度で待っている車をあごでしゃくる。

 「そこの車だ」

島でと同じように、車体には教会の印がつけられている。新しそうに見える大きくて立派な車だ。それが何台も釣らなかっている。島と違い、本土には車が沢山あるらしい。

 しかし不思議なことに、その周囲には妙に子汚い格好の人々が集まって、何やら強い訛りのある言葉で手を突き出しながら騒いでいる。

 「ほれ、どけ! どかんか」

小太りの男は、手にしていた短い杖で叩く素振りをしながら、たむろしていた人々を乱暴に追い払い、車の後部座席にロビンを押し込んだ。

 二人が乗り込むと、車はすぐに走り出す。窓は黒く塗られて、中から外はほとんど見えない。

 「あの、さっきの人たちは…」

 「物乞い共だ。アデーレの難民どもだろう。気にする必要はない」

 「アデーレ…? 難民?」

 「そんなことも知らないのか」

小太りな男は、心底呆れたような顔でやれやれと首を振る。

 「これだから、島の無学な農民は困る。いいか、アデーレというのは鉱山くらいしかない北部の貧しい地方だ。そこの連中が、物乞いするために南下して来ているのだ。働くでもなくスリや強盗もやる、全く碌でもない」

 「……。」

その口調からは、蔑みと嫌悪感しか感じられなかった。


 聖都には、物乞いはいない。

 島の元々の住民たちには必ず親族や近所付き合いがあるし、島外から移住してくるのは大抵、裕福な人々だ。それに一応は、福祉も行き届いている。親を亡くした子供なら養護院に入れられるし、身寄りのない老人を保護する施設もある。ケイナのように働ける年齢で仕事を持っていなければ、職業訓練所だってあるのだ。

 (もしかして本土には、そういうのが無いんだろうか? こんなに街が大きくて、人はいっぱい居そうなのに…。)

ロビンは窓に張り付いて、黒塗りのガラスの向こうを透かし見た。とても栄えていて、幸せそうに見える国だ。島には無い大きな工場や、どこまでも続く広大な耕作地も見える。富は十分に溢れているように思える。それなのに、貧しい人たちがいるという。

 港で見た光景と何か必死に訴えていた声が、ずっと気になって、頭を離れなかった。




 車は半日かけて街から街へ走り続け、大きな建物の中庭まで来て停まった。

 「着いたぞ」

小太りな男がロビンに降りるよう指示する。

 外に出ると、前後左右を仮面の集団に取り囲まれた。ぎょっとするような光景だ。

 「ここは?」

 「法王庁だ。着いてこい」

男は、最低限のことしか話してくれそうにない。仕方なく、ロビンは自分でできる限りのことを知ろうと、足を止めずに辺りを見回した。

 とても立派な建物だ。彫刻があちこちに飾られて、白い大理石の柱の向こうに立派な門が見える。噴水に手入れされた庭園。足元には色付きのタイルが並べて模様が作ってある。建物の中に入ると、分厚い絨毯で足元がふかふかした。

 まるで、お伽噺に出てくるお城だ。聖都では、こんな豪華な建物は見たことがない。天井画に、壁の絵画。主教の住まいですら、こんなに華美に飾り立てられてはいなかった。かつての七つ門教会の聖堂の中でさえも。


 通された先の客間らしき部屋ですら、ロビンにとっては、豪華すぎると思えた。

 「審議は明日から開始される予定だ。時間前に連絡役が迎えに来る」

それだけ行って、小太りな男はさっさと出て行ってしまう。

 ロビンは部屋の中に立ったまま、ぽかんとしてあたりを見回していた。

 「…えーっと」

大きな暖炉に、寝台の側に飾られた年代物らしい絵画。房飾りの付いた二重のカーテンと、ふかふかのソファ。

 窓から外を見やると、街が一望できた。

 ここは三階で、町並みはほとんどニ階建てなのだ。お陰で、視界を遮るものは殆ど無い。

 遠くまで、夕日に照らされた伽藍が続いている。見知らぬ風景、馴染みのない風の匂い。街のつくりはどこか、島の聖都に似ている。

 「ここが昔の聖都、アカモート…。」

どこか遠くの方から、鐘楼の鐘の音が聞こえてくる。


 しばらく風の匂いを感じていたロビンは、ふと、気がついた。

 「ここ、『守護』聖霊の感じがする…?」

 『法王庁というだけあって、守りは固いらしい。複数人が控えているな』

頭の中で声がする。

 『様子見に街にでも繰り出そうかと思っていたが、下手に出歩くと感知されそうだ。残念だ』

 (てかそれ、僕の姿でってことですよね? 感知はともかく、絶対怪しまれますよ)

 『まあ、しばらくは大人しくしているとしよう。それにしてもこの街は、実に興味深いな。』

どこか面白がっているような口調だ。

 『ここが聖都とされた理由は、かつて島を出た”七使徒”たちの墓が創られた場所だからだそうだが――聖霊を喚び出すための”媒介”の造り方は、聖霊も悪魔も大差ないようだ。』

 (え?)

 『墓で創っている気配がある。躯はとうに朽ち果てていようとも、”墓”という器を与えることで魂がまだそこにあるかのように人間に錯覚させる』

何を言っているのかロビンにもすべて理解出来たわけではないが、どこか底しれぬ、深淵を覗き込むような思考の気配があった。

 『さて、何が起きるか。楽しみにしていてやろう』

それきり、頭の中に響く声は途切れた。

 だが、気配はまだ近くにある。島と遠く離れたこの場所でも、ヤルダバオートの一部は来ているということだ。それに、口調からして法王庁を守っている『守護』の聖霊の結界でも出入りできるらしい。

 (一人じゃない)

それが、唯一の安心材料だった。助けてくれることを期待するためではなく、孤独ではないという意味で。


 特にすることもない。窓辺に腰を下ろして、ロビンは、外の風景を眺めて過ごすことにした。

 明日からのことを心配して答えのない不安にかられるよりは、初めて見る本土の風景を楽しむほうがいい。




 ロビンが部屋でのんびりと観光を楽しんでいる頃、島から付き添いをしてきた男は、ぶつぶつ文句を言いながら廊下を歩いていた。

 「はあー…。ド田舎まで行ってガキ一人連行してくるだけとは、つまらん仕事だなぁ…」

 「そんなに、仕事がつまらないか?」

 「ひっ」

男は飛び上がらんばかりに驚いて、慌てて廊下の端に飛び退いた。

 声の主は、すらりとした背の高い女性だった。若過ぎもせず、中年と言うにはまだ早い。白い長衣を身にまとい、胸元に職位を示す紋章のようなものを付けている。

 「こ、これは、グレイ審議官。いやあその、仕事というよりも…あのガキ、いえ、連行してきた少年が、あまりにも大人しくてですね」

揉み手を始めんばかりにへりくだり、だらしない笑みを浮かべている。

 「ほう。船が到着するまで様子を見に行きもしなかったわりに、ずいぶんと良く知っているな」

 「え、いや…」

 「まあいい。彼が静かだったという話は、船室の入り口に居た見張りにも聞いた。他になにか、気づいたことは?」

 「なにか、と言われましても…。」

男は汗をぬぐいながら、こちらを見下ろしている冷たい眼差しを恐る恐る見やった。相手は有能で、同時に、容赦ないことで知られる敏腕な人物だ。無能だと思われたくはない。ならば、何を答えるべきなのか。

 「う、ええと。海を見てはしゃいでいましたね…。それとここに来るまで、車の窓に張り付いて風景を眺めていました。無学な田舎の子供ですよ、これから何が起きるのかなど理解してもいないでしょう」

 「そうか? 逆に、全て分かった上で何か企んでいるのかもしれんぞ」

 「はは。まさか、そんな。」

 「――下がれ」

 「あ、はいっ」

もはや用済みだと言わんばかりの口調に追い払われて、男は、不格好な足取りで、よたよたと廊下を駆け去っていく。


 ひとつため息をついたあと、白い長衣の女性は、船で連れ帰ってきた”客人”たちの居る建物のほうを振り返った。

 主教キュリロスには、昨日、船の中で直接面会していた。ひどく動揺した様子で、それでも、自分たちの見た奇跡のことを法皇様に正直にお伝えしなくてはならないと、意志を振り絞ったような顔をして言っていた。

 そもそも重要な拠点である聖都の主教には、優秀で信仰熱心で、法王庁に従順な聖職者しか選ばれない。そのキュリロスがあれほどまで異端信仰を援護するからには、よほどのことがあったのだろう。

 だが、その「よほどのこと」を引き起こした原因の一つと思われている少年のほうは、今ひとつ、正体が掴めないでいる。


 経歴上は、何の問題もない。

 ニ歳ほどの頃に教会に身柄を保護され、養護員で育った地元民。特に敬虔というわけではないが、教会の教えに批判的ではなく、過激な地元勢力との関わりも無く、何年にも渡って異端審問官の仕事を手伝い、聖廟の管理人を任されるようになっていた。

 問題があるとすれば、異端審問に必要な聖霊の加護が、”存在しないことになっている”聖霊から与えられていた、という点だ。

 それこそが大きな問題で、法王庁が無視できないと考えた部分なのだった。


 ゆっくりと渡り廊下を通り過ぎ、見張りのいる部屋の前に立つ。

 「少し、”客人”と話をしたい」

 「はっ。どうぞ、お通りください」

頷いて、彼女は扉を叩く。

 「失礼する。少しいいか」

返事はない。

 「……?」

何度か扉を叩いたあと、まさか、と急いで扉を開いて飛び込んだ彼女と見張りが見たものは、窓辺に置いた椅子の上で、気持ちよさそうに熟睡している少年の姿だった。

 「寝ている…?」

 「…ん」

人の気配に気づいて、少年が寝ぼけた目を開ける。

 「あ、すいません。風が気持ちよくて…夕ご飯の時間ですか…?」

 「……。」

後ろで、見張りが呆れたように肩をすくめている。

 この状況で、気持ちよく昼寝が出来るというのは、なかなか図太いと言うべきなのか。

 「君は、ロビン・フロウライトだな?」

 「はい」

 「私はベレニス・グレイ。異端審問所の審議官だ」

 「…はあ」

きょとん、とした顔だ。肩書を聞いても、全く分かっていない。ベレニスは、思わず苦笑しそうになった。

 (これは本当に、あの無能が言う通りの”無学な田舎の子供”か?)

警戒し過ぎだったのかもしれない。だとすれば、話す時間も無駄だ。

 「体調などを崩していないかと様子を見に来たのだが、その心配は無さそうだな。では、失礼する」

それだけ言って、立ち去ろうとした時だった。

 「異端審問官なのに、『秩序』の聖霊なんですね?」

 「――!」

思わず、足を止めて振り返ってしまった。

 暮れてゆく空を背景に、まだ寝ぼけた顔のままの少年の淡い色の瞳がこちらに向けられている。

 「島からここへ来る船に乗ってました?」

 「何故分かる」

 「なんとなくです。聖霊の気配は、だいたい分かるようになりました。審議官って、何をする人なんですか」

 (かまをかけているだけか? それとも…)

動揺はほんの一瞬のこと。ベレニスはすぐに冷静な表情を取り戻し、そっけなく、突き放すように言った。

 「それは明日になれば分かることだ。夕食まではまだ時間がある。起こして悪かった。ゆっくり休んでいるといい」

 「……。」

足早に部屋を出ながら、彼女は、妙な胸騒ぎを覚えていた。

 あの瞳は、全て分かって達観している者の目だ。二十年にも満たない短い時間しか生きていない者の目ではない。

 明日からの審議は、何かが起きる。そんな予感がしていた。




 少し後、ベレニスは、法王庁の端にある別棟を訪れていた。

 部屋には黒縁メガネををかけた灰色の癖っ毛の女性が一人、スケッチを前に難しい顔をして考え込んでいる。

 「リベカ。記憶の分析は、どうだった」

 「! あ…グレイ審議官。ちょうど今、終わったとこです」

女性は、慌てて椅子から立ち上がり、軽く一礼する。とっさに取られた行動は、両者の肩書の差を意味するものだ。

 堅苦しくなくて良いと示すように手を軽く振り、ベレニスは、少し前まで調査のために使われていた丸テーブルへと近づいた。

 そこには、何枚かのスケッチが並べられている。朧気な街の風景と、上空を覆分厚い雲と、そこに門のようには入った切れ目、切れ目の合間から差し込む七本の光の筋。

 そして――

 街の広場の真ん中で向き合う、二体の巨大な異形の姿。

 まるで写真のように、写実的な絵だった。だがそれは写真ではない。覗き込んだ記憶の中で見た光景を、絵として描き出す。――それが、この女性、『理解』の聖霊の契約者であり、スケッチの達人でもあるリベカか・クーヘンなのだった。

 「相変わらずよく描けているな。」

言いながら、ベレニスは一枚の絵を取り上げる。

 これらの絵は、初見ではない。既に一度、簡単なスケッチは見ていた。それは、彼女にとっても、他の者たちにとっても、大きな驚きをもたらすものだった。

 ――記憶の主は、ヨアキム・デイルケンという男だ。

 ベレニスの同僚であり、枢機卿の使者としてテューレ島の異変の状況を確かめるために派遣された。そして、”あの日”の出来事を目の当たりにした。


 本土との船の運行が再開されるや法王庁に戻ってきた彼は、正気を失ったような状態で意味不明なことを喚いていた。曰く、「伝承にある”七つ門”が現れた」「『悪魔』が実体化した」「その『悪魔』を巨大な鎌で刈り取る別の存在がいた」。

 報告は要領を得ず、止む無く拘束した上で、直接、記憶を覗くことになった。その結果、出てきたものが、いま手にしているスケッスの画像をもう少し荒くしたようなものだった。

 それがあまりに信じがたい内容だったため、再検査となったのだった。


 今回、聖霊の使い手としては前回の担当者より上級者であるリベカの再確認でも同じ結果になった、ということは、ヨアキムの見た光景は、事実、目にされたものだったということになる。

 「…空に七つ門の現れた”奇跡の日”の記憶は、たしかに存在していました。『悪魔』や、他の者に植え付けられた偽の記憶という可能性は無さそうです」

 「では――、少なくとも”奇跡”の認定はしなくてはならなさそうだな。」

 「はい…。」

 (問題は、その解釈のほうか。)

スケッチを机に戻しながら、ベレニスは、船の中で読んだ島の新聞の興奮した見出しのことを思い出していた。


 聖都に済む住民の多くも、これと同じ光景を目撃している。だとしたら、その解釈に、神話的な解釈が成されるのは避けられない。また情報が島から本土へ広まるにつれ、不都合な噂が生まれる可能性もある。

 噂を打ち消すためには、一刻も早く中央の解釈をまとめ、教会の公式見解として発表する必要がある。

 「法皇様への報告は、これからか?」

 「その予定です。こちらをお届けして、判断を仰ぎます。グレイ審議官が戻られているというきとは、テューレ島の主教殿と従者殿も、到着されたのですよね」

 「ああ。客間にお通ししてある。明日はそちらの聞き取りも頼むぞ」

 「わかりました」

 「それと……ヨアキムの様子は、どうだった」

聞きにくいことだが、尋ねておかなければならない。

 リベカは、一瞬固まったあと、無言に小さく首を振った。

 「…そうか。」

やはり、まだ正気には戻っていないのか。


 島から戻ってきて以来、ヨアキムはひどく興奮した様子で異端的なことを口走り、誰の話も聞かなくなってしまった。

 法皇の前で何度も、「名を消された」聖霊の名を口走るなど、常軌を逸した行動を繰り返し、ついには軟禁処分にされた。ベレニスはその場に居た合わせたわけではないが、話を聞く限り、かなり重症なようで、精神攻撃でも受けたのかと疑いたくなる状況だ。

 そんなわけで、本当なら彼が向かうはずだった主教と参考人の出迎えは、急遽、代わりにベレニスかが向かうことになったのだった。


 同じような興奮の症状は、昨日、船の中で会話したキュリロス主教にも見られた。ヨアキムよりは軽い症状には見えたが、異端的な考えに傾きつつあることは、隠しきれていなかった。

 (一体、何を見た? ――ただ異形を見たくらいで、信仰がゆらぐなどと在り得るのか?)

島で”何か”が起きたことまでは事実としても、ベレニスはまだ、半信半疑だった。本当にそれは、天の奇跡と呼ぶべきものなのか、と。

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