Ⅲ章―第9話 ”秩序”への挑戦者(1)

 「これより開廷する。」

裁判官の声が、異端審問所に響き渡る。

 その日、ロビンは、「証人への喚問」という良くわからない説明とともに、この場所へと連れ出されていた。

 迎えに来たのが異端審問官だった時点で用件はなんとなく分かってはいたもの、実際に異端審問所に引き出されるとは思ってなかった。しかも、こんなに沢山の人に見られることになろうとは。


 この法王庁の異端審問所は法王庁の敷地の端にあり、外の広場と繋がる場所に作られた、裁判所と観劇場を組み合わせたような構造をしている場所だった。

 すり鉢状に凹んだ空間の真ん中で、ロビンは、部屋を出る前に与えられた修道士のような白い服を着て、一段高い場所に立っている。背後の、高い柵で仕切られた手前のほうには教会の関係者、奥の方には、一般向けの傍聴席が設けられ、人が沢山入っている。傍聴席の向こうは広場に繋がる扉で、そこから出入り出来るようになっているらしい。

 目の前の壇上には、異端審問官とは違う仮面をつけた人物が並ぶ。裁判長らしき人が真ん中。その左右にも同じような仮面の人々。そして、すぐ目の前には、対面するようにして、見慣れた異端審問官の格好をした人々が五人ほど並んでいた。

 「本日はテューレ島で起きた二度の『悪魔』の出現と、その際に発生した異端信仰の関与を疑われる事件についての審議を行う」

事件のあらましを淡々と述べていく声が、法廷内に響いている。

 どうやら、これが本土の異端審問のやり方らしかった。島の法廷のほうも見たことはないのだが、異端審問がこんな風に見世物のように公開にされたという話しは聞いたことがない。島と違って異端者が少ないか、異端とされる人々は辺境の住民に限られるのかもしれない。

 「参考人、ロビン・フロウライト。宣誓を」

おごそかな声が、少年に手元のプレートに刻まれた文字を読むように促した。この部屋に入る前に、あらかじめ聞いていた手順の一つだ。この場所に立つ者は最初に、目の前の、よりかかるのに丁度良さそうな卓に埋め込まれた金属板の文字を読み上げることになっている。

 「はい。ええと、――私は”天の父”を崇め敬う者として、天の前に虚偽の報告を行わないことを誓います」

 「よろしい。では、審問官より質問を」

ざわめきと、何か話し合っているような声が後ろから聞こえてくる。敵意は感じない。むしろ、何か面白いことは起きないかと、期待しているような感情が伝わってくる。

 (ああ、なるほど。これって、やっぱり見世物なんだ)

ようやく、ロビンにも雰囲気が読み取れてきた。

 マリク・アプリースの記憶の中で、彼は、異端審問官から多数の質問を浴びせられ、たどたどしい喋りや島の訛を笑われ、言いよどむたびにヤジを受けていた。そして、巧く答えられないままに論破されたと見做され、火刑台に送られた。

 (あの記憶よりは、だいぶマシかな。にしても…同じようなやり方を、今も続けてるなんて。それに…)

壇上から、ちらと天井を見上げる。

 荘厳な天井画だ。天の国を描いているのは七つ門教会と同じだが、ここでは金箔を惜しげもなく使い、金色の雲と聖霊の後光を描き出している。あんなに豪華にする必要が、どこにあるのだろう?

 「では最初の質問になる。ロビン・フロウライト。君は、存在しない二座の聖霊が存在すると信じているか。」

 「え?」

よそ見をしていたせいで、反応が遅れた。

 「あーっと…すいません。『力』の聖霊と、『救済』の聖霊のことを聞いてますか?」

目の前の、仮面の異端審問官が小さく咳払いする。

 「教義上、そのような存在は認められていない。」

 「でも、存在しますよ。僕が管理人をしている聖廟の地下には『力』の聖霊がいますし、聖都が『悪魔』に襲われた時は出てきて戦ってくれましたし。皆が見てるのに、居ないとは言えないでしょう」

さも、当たり前だと言わんばかりの口調だった。どこかから、くすくすと小さな笑い声が漏れる。あまりにも率直な質問をしすぎたと気づいたのか、異端審問官は苛立ったような口調で質問の方向を変えた。

 「が存在するとしても、それは『聖霊』では無いのだ。それらは”天の父”に従わなかったとされる。『悪魔』と同じものだ」

 「違います。」

 「では、”天の父”に従わなかったものを『聖霊』だというのか」

 「”従わなかった”のは、役目を終えた後もこの世界を去らなかったからなんです。他の七座の聖霊は皆帰りました。あ、この間、聖都の空に光が差した時は戻ってきてたみたいですけど」

 「…質問にだけ答えるように。至高の創造主である”天の父”に従わなかったのだぞ。なぜそれが、『聖霊』と言える」

 「それは――」

数秒の間があった。

 少年は首を傾げて考えていたあと、表情を変えずに、誰も意図しなかった言葉を口にした。

 「親の言うことを全部素直に聞く子供って、あんまり居なく無いですか?」

 「――何だと?」

 「『力』の聖霊って、腕力の力のことじゃないんですよ。意志の力って意味なんです。独立した強い意志を持つ者が誰かに支配されて従うだけってことは有り得ないと思います。それが”父”に従わずに自分の意志で動くことがあり得るのは、当たり前じゃないですか」

 「……。」

一瞬、法廷に沈黙が落ちていた。


 それまで目の前にいるのは、ただの無学な田舎者の少年に過ぎなかった。異端審問官を含む、壇上にいる人々が、そうではないと気づいたのは、今まさにこの瞬間のことだった。

 うろたえて二の句を継げないでいる異端審問官に別の一人が近づいて、耳元に何か囁いて下がらせる。

 ロビンの前に対峙する者が入れ替わった。


 「ではそなたは、それらが『聖霊』であることを証明出来るのか」

 「証明? …うーん、どうやればいいかわかりません。あなたは『裁き』の聖霊と契約しているようですが、それをどうやって聖霊だと証明するんですか」

 「『聖霊』には奇跡がある。…私に質問するのではない、そなたが答えるのだ。証明出来ないのか」

 「はい。てか、”天の父”にも女神様にも会ったことないですけど、存在するのは確かですよね? それは、存在すると信じるからですよね。聖霊を聖霊であると認識するのは、人間じゃないんですか。教会の今の教義には七座しか書かれていないから残りの二座は居ないことにされているだけで、島ではずっと昔から残り二座も信じられていましたよ。」

 「それは異端だ。異端信仰を自ら認めるというのだな」

 「異端が決められたのは、たった二百年前のはずです。確か…ここで開かれた、『アカモート公会議』。決めたのは、”天の父”でも女神様でもなく、会議に参加した昔の人たちです」

 「だが、異端は異端だ。人の決めたものだろうとも」

 「はい。人が決めたものでも、秩序がないと暮らしがめちゃくちゃになるのは分かってます。でも秩序って、時代によって変わっていくものですよね。教義も法律とかも。二百年前に”いなかったこと”にされるまでは、二座の聖霊は誰にも疑われずに聖霊でした。」


 人に囲まれていても、異端審問官たちの厳しい眼差しを受けていても、少年は調子を変えなかった。淡々と、さも当たり前のように語っていく。質問を受けて答えを考えているのではなく、最初から知っている当たり前のことを答えているだけだといわんばかりの自然体で。


 また、別の一人が入れ替わる。

 「質問を変えよう。お前は『力』と『救済』の聖霊が存在すると信じていると言った。相違ないか」

 「はい」

 「その聖霊は何故存在する? 七座の聖霊の筆頭は『秩序』の聖霊だ。女神はこの世界の人間に知恵をもたらし、秩序を作らせた。そして第二の聖霊が『信仰』、人は祈ることを覚えた。…お前の言う聖霊は、この序列のどこに入る?」

 「一番最初ですよ。『力』の聖霊の別名は、『第一の聖霊』だから。」

 「なぜ『力』が『秩序』よりも前に来るというのだ」

 「何をするにも、やり遂げないとっていう意志がないとだめだからです。部屋の掃除だって、やるぞーって思わないと進まないじゃないですか。だから『第一』ですよ。前提なんです」

 「……。」

 「『救済』の聖霊のことは、まだよく知らないんですけど、未来に希望を持つとか、たぶんそういう意味なんだと思います。動物は未来っていう概念が無いですし。この世界が明日よりずっと先まで続くことの概念と、苦しいことや大変なことはなんとかなるっていう願いみたいなものです。生きていくことの前提だと思います。意思と、希望という願い。そのあとに秩序が決められて、祈りが生まれます」


 選んでいる言葉は若者の雑談に使われるような砕けたものばかりなのに、重々しい教会の教義の言葉よりも納得してしまいそうになる響きがある。

 傍聴席は、いつしか興奮したようなざわめきの渦に包まれていた。ただの娯楽を求めに来た人々にとっては単純に、どこの馬の骨とも知れない子供が厳しい異端審問官たちをやり込めていくのが痛快なのだ。

 何人かが、メモを手にそっと法廷を抜け出していく。誰かに何かを伝えに行くようだった。


 「静かに。お静かに。私語は慎むように」

裁判官役の仮面の男が苛立ったように木槌で机を叩いている。

 これで、五人のうち三人までもが言い返す言葉を失って、あっさりやり込められてしまったのだ。異常事態だった。


 だが、残る二人のうちの一人は、なおも論破を試みた。

 「『救済』の聖霊は存在しない。それはもはや聖霊ではないはずだ」

前の一人を押しのけるようにして、肩をいからせて前に進み出る。

 「かつて聖霊だったものは、『悪魔』に堕ちたのだ。テューレの島に巣食う、人を堕落させる悪しきものだ」

 「それは勘違いでした。皆、勘違いしたまま同じ名前で呼んでしまっていただけで」

 「何だと?」

 「『悪魔』の本体は――島にずっと現れ続けていたあれは、元はマリク・アプリースという人だったんです。『悪魔』が最初に現れたのは、島が王国に支配された時ではなくて、聖都で起きた聖地奪還運動、”アプリースの乱”のあと、異端審問にかけられて有罪とされた人です。『悪魔』はその時に生まれたんです。

 『救済』の聖霊は彼に憑いていたそうですが、ここで異端審問にかけられ、そのあと、火炙りになって死にました。…怒りを抱いて死んだ彼の魂が、聖霊の一部を取り込んで別の存在になってしまったんです。そのせいで、人の願いを間違った方法で叶える存在が生まれました。でも、『救済』の聖霊の本体は、別にいます。」

 「はっ。子供だましの作り話だ」

 「嘘は言いません。最初に宣誓したとおりに」

ロビンは、壇上から場内をぐるりと見回した。

 「聖都にいた人たちは皆、”あの日”起きたことを見ています。『悪魔』の本体、アプリースの魂は、聖都で起きた事件の日に、『力』の聖霊によって『救済』の聖霊から切り離されて輪廻の輪に戻りました。だから島にはもう、『悪魔』は出てきません。これなら証明出来ますよ」

 「何故、そう言い切れる?」

 「僕の目の前で起きたことだからです」

 「……。」

 「『悪魔』は存在してはならないものです。『力』の聖霊は、その敵となる。聖都に二度、出現した『悪魔』を打ち破ったのは何者だったか、多くの人が見ています。その事実を変えることは出来ません」


 壇上で裁判長らしき人物が傍らに控える人物に何かを囁き、ほどなくして、先程木槌を振り上げていた男が再び、激しく机を叩いた。

 「本日は、これで閉廷とする!」

傍聴席から不満の声が上がったが、部屋の左右に控えていた係の人々がなだれ込んできて、有無を言わさず民衆を外に追い立てていく。

 ロビンも、ここへ来たときと同じように左右から腕を取られ、まるで容疑者のように法廷の外へと引き立てられた。

 その日の審議の予定が、大幅に変えられたことは明らかだった。




 何の説明もないまま部屋に戻され、その後は、誰もやって来ない。

 「なんだか皆、困ってたみたいでしたね」

 『そんなものだ。二百年、信じてきた”正しさ”が揺らいだのだからな』

外から見れば独り言を言っているようにしか見えないが、実際には、頭の中で応答する声が響いている。

 「…そういえば、本土に伝道に来た”使徒”って七人だけなんですよね。ヤルダバオートとアプラサクスには、そういう人はいなかったんですか」

 『我とアプラサクスの役割は、伝道には必要のないものだったからだ。我らが”女神の片腕”であり、”先触れ”たる理由がそこにある。今日、お前が答弁したとおり、”意志の力”と”救済の概念”は全ての前提となる。それ自体に教義はない。教義を載せるための下地に過ぎない。信仰を根付かせるために”先触れ”として世界に入り、そこに自分たちの概念を広める。下地作りが済んだ所で残りの七座が入ってくるという段取りだ』

 「なるほど…。」

 『どの世界の人間も、最初は獣と変わらん。ただ知恵を与えただけでは、聖霊が憑けるほどの器を持つまでに魂を成長させることは出来ない。我らは先陣きって新しい世界に入り込み、その世界の生き物に擬態して実体を作り、他の連中が降臨する下地をこしらえる。それが終われば、あとは他の連中の仕事だ』

 「…それ、最初から島を出る使徒の人たちにも教えといたほうが良かったですね。そうしたら今、こんな面倒なことになってない気がします」

 『何事も、完璧にはいかないものだ。』

小さな笑い声。そして、僅かな沈黙。

 『それにしても…。』

再び頭の中に響いた声は、相手の感じている微かな不快感を伴っていた。

 『この街は居心地が悪いな』

 「え?」

 『お前も気づくはずだ。』

ふと、頭の中に法廷の華美な装飾と、娯楽を求めに来たような興奮した民衆の様子が浮かぶ。ヤルダバオートが、ロビンの見た記憶を再生しているのだ。


 自分では意識はしていなかったが、その場面をもう一度見直してみると、確かに妙だ。

 傍聴席の前の方に座っている人々はやけに身なりがよく、後ろの方にすし詰めになって伸び上がりながら見ている人々はあまり格好が綺麗ではない。明らかな貧富の差、それも、かなり大きなものが感じられる。そういえば、船を降りたすぐの場所にも、物乞いの人々がいたのだ。

 もちろん島でも、貧富の差はそれなりにあった。というより、聖都と郊外とでは、かなり雰囲気や発展度合いが違っていた。

 だが、明らかにみすぼらしい、生活に困っていそうな格好をした人などは見たことがなかった。島の西の山岳地帯ですらそうだった。生活に困っているような人たちは誰もいなかった。

 (どうして、こんなことに…?)

昨日と同じように窓を開けて、街のほうを見やる。

 街並みは島の聖都以上に栄えているように見えるのに、ここに住む人たちは街の見た目ほど豊かではない、ということなのか。だとしたら、なぜ法王庁の中はこんなに豪華なのか。

 教会の教えは節制を説く。その教えに従えば、いちばん質素に鳴るのは教会関係の場所のはずなのに、一体どうして、そんなことが起こってしまうのだろう?




 聴衆とロビンが連れ出された後、法廷の中はなおも混乱に包まれていた。

 言い負かされた異端審問官は頭を抱えて、互いに何やら言い合っている。質問を片っ端から打ち返された挙げ句、何も言い返せなくなるなど前代未聞だった。そもそも彼らの役割は、教義に沿わない異端的な考えの矛盾を論破して、相手を黙らせることなのだから。

 大抵の質疑応答は、既に過去の記録の中に出尽くしている。異端審問官たちはそれらを知り尽くし、どんな回答が来ても即座に些細な矛盾や弱点を突いて反駁して来た。そうして、数多くの異端者たちが論破されてきたのだ。

 聖典が整備されて以来、過去五百年の間、異端審問の法廷は、ずっとそうして機能してきた。教会の教義は鉄壁であるべきだった。

 たが、今日の少年の受け答えは過去の誰とも違う、瞬時に突き崩す方法の見つからない回答だった。


 裁判長の脇に座っていた、錦糸の刺繍入りの立派な上着とローブを着た人物が、すっと立ち上がる。

 「グレイ審議官?」

 「こちらはもう、閉廷したのだろう。キュリロス主教の聞き取り調査の様子を見に行ってくる」

そう言って乱暴に仮面を引き剥がし、ぽいと側の付き人に投げてよこす。ローブの上に掛けていた上着を引き剥がし、片腕に提げる。


 今や、彼女にも確信が持てた。

 あの少年は、ただの無知な少年ではない。

 言うべき言葉を心得た、畏れを知らない、既存の秩序への挑戦者なのだと。

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