Ⅲ章―第6話 ”正しさ”のかたち

 聖都へ戻るとヴィクターは、すぐさまケイナとの面会申請を出してくれた。異端審問官の権限を使っての指針製だから、本人の意志は関係ない。申請はすんなり通り、次の日の午後には、面会室でケイナと対面していた。

 「……。」

両脇を係に挟まれて連れてこられた少女は、相変わらず押し黙ったまま、何を考えているのかわからない表情だった。長かった髪は肩先までで短く切り揃えられ、少年院の収容服を来ている。

 仕切りの檻ごしに、ケイナとロビンは椅子に腰を下ろして向かい合っていた。ロビンの後ろには、ヴィクターが部屋の隅に腕組みをして立っている。あまり威圧しないよう前もって頼んではあるが、それでも、背中のほうから伝わってくる気配は強烈だ。ヴィクターからすれば、マークスを撃った相手なのだから当然ではあったが。

 その気配を気にしながらも、ロビンは、できる限り以前のままに振る舞おうとしていた。

 「ケイナ。久しぶり」

養護院でいつも話しかけていたように、声をかけるが、微かな反応すらない。無視されているのではなく、目の前で起きていることに関心がない、といった雰囲気だ。

 以前は彼女にとってこれが当たり前だと思いこんでいたけれど、客観的に見ることの出来るようになった今となっては、有り得なかった。いくら幼い頃に目の前で惨劇を目の当たりにしたのだとしても、心を閉ざしているにしても、客観的に見れば、あまりにも周囲に無関心すぎる。

 (なんで、こうなる前におかしいって気づかなかったんだろう)

ずっと側にいたせいで、異常だという感覚が麻痺してしまっていたのか。


 とはいえ、今更後悔しても遅いのだ。

 ロビンは、ぼんやりとどこか遠くを眺めているような表情の少女が反応してくれることを願いながら声をかけた。

 「ケイナの実家…むかし家族と暮らしてたお屋敷に行ってきたんだ。庭に、古い塚があるよね」

全く、反応はない。

 「塚の地下に、お兄さんがいたよ」

ぴく、と微かな反応があった。少しだけホッとする。

 「地下の部屋に、骨があったんだ。そこで亡くなったんだね。壁に石で絵を描いたのは、ケイナ?」

 「…あそこに、入ったの」

 「うん」

 「ふうん…」

一瞬だけロビンに向けられた視線が、再びどこか遠くへ向けられる。

 関心を失ったのかと思ったが、そうではなかった。僅かに不機嫌そうに歪められた口元に、感情らしきものが現れている。まだ、話を聞く気はあるのだ。ロビンは、急いで言葉を継いだ。

 「閉じ込められてたんだね」

 「違う」

 「違う?」

 「一人になれる場所だった。皆、忙しかったから、近くにいると嫌がられたの。それで、あそこで、お祈りの練習をしていた。悪い子のケイナは、みんなの邪魔になりませんように、って」

 「それは…」

それは、閉じ込められていたことを「虐待」とは認識していなかった、ということなのか。

 いや。

 もしかしたら彼女は、辛いと思う気持ちさえ判断出来ずに、愚直に、「地下にいろ」と言われた言葉を守っていただけかもしれない。それが良いことで、自分のためを思って言われたことだと思いこんで。

 「…お祈りの言葉を、覚えるように言われたんだよね?」

 「そう。でも覚えられなかった。それでずっと、繰り返し唱えてた。」

 「お兄さんが地下に聖十字を持ち込んで隠していたことは知ってた?」

 「いつも目の前にあったよ。奥の祭壇」

 「その前でお祈りの練習を?」

 「…そう。なんで知ってるの。イリーナに聞いた?」

 「いや…。別の人だけど…。」

答えながら、ロビンにも次第に状況が見え始めた。

 ケイナはずっと、地下に閉じ込められていた。そして叔父の持ち込んだ”媒介”も、地下の何処かに保管されていた。

 お祈りの口上を覚えるよう指示されていた彼女は、それを記憶することは出来なかったが、”媒介”である聖十字の前で、繰り返し、毎日のようにずっと、練習で唱え続けていたのだ。


 彼女は幼い頃、”一日中、着せ替え人形に同じ服を着せたり脱がせたりを繰り返していた”と、アルフィードの記憶の中にあった。

 そして養護院に居た頃は、ひたすら芋の皮を剥いたり、皿洗いを続けたり、黙々と反復作業をすることに長けていた。

 ジーナは働き者だと称賛していたけれど、実際には、そう単純な話では無かったのかもしれない。――そういう性質。家族から知恵遅れを疑われた社会不適合な性質。あるいは、特定の仕事に従事する上での最適な才能。


 とにかく彼女は、来る日も来る日も、愚直なまでに”媒介”に向かって祈り続けた。

 それは、聖者の苦行にも等しい、強く真っ直ぐな祈りとなって、『悪魔』によって聞き届けられたのだ。

 

 家族みんながいなくなれば、邪魔だと思う者さえいなければ、彼女はもう、邪魔者にはならない。喚び出された『悪魔』が叶えたのは、ケイナの願いのほうだったのだ。


 「……。」

起きたことの意味を理解して、ロビンは絶句していた。『悪魔』が願いを歪んだ形で叶えることが多いのは分かっているつもりだったが、まさか、こんな結果に結びつくとは思っていなかった。

 「…ケイナ、お兄さんに首を絞められたかけたことは、覚えている?」

 「知らない」

 「撃たれたお兄さんが、腕を血まみれにしながら地下に入ってきた時のことは?」

 「覚えてない…。おにいちゃんが外に出してくれて、火事が起きてて、吃驚してたら怖い人達に捕まえられた。その人たちに、みんなお家と一緒に燃えたんだって言われたよ」

 「どうやって、外に出してくれた?」

 「真っ黒な腕で、塚の入り口を壊した」


 「おい、おい、ロビン」

我慢しきれなくなったヴィクターが、後ろから肩を叩く。

 「ちょっと来い」

腕を引っ張られ、部屋の隅に寄せられる。ヴィクターは、顔を寄せてひそひそと囁いた。

 「つまり、何か? あいつは、家族全員を『悪魔』の贄にしちまったってことなのか? 自覚も、何の罪悪感も無く?」

 「そこまではっきり言わなくても…」

ロビンは、振り返って檻の向こうにいる少女を見やった。

 「多分、本当に悪意はなかったんだと思う。純粋で、真っ直ぐな思いを抱く人で、そして家族を愛していた。自分がどんな酷い扱いを受けていたのかさえ、理解できていなかった…。ただ『悪魔』に触れてしまったことが不幸だっただけで」

 「だが…」

 「いつか理解出来るとしても、全てを教えるのは早すぎると思います。今は僕が話します」

ヴィクターのもとを離れ、席に戻ったロビンは、真っ直ぐにケイナを見つめて、ゆっくりと話し始めた。

 「ケイナ。聞いてほしいんだ。――異端審問官や教会が、お兄さんたちを追い詰めていたのは事実だよ。だけど、それに対抗しようとして、銃を隠したり、『悪魔』に頼ろうとしていたのも事実だ。お兄さんは『悪魔』に乗っ取られて、敵だけじゃなく家族もみんな殺してしまった。それでも、ケイナだけは助けてくれたんだ。」

 「……。」

 「だからもう、『悪魔』には関わろうとしないで。そのせいで、皆死んでしまったんだから。誰かに言われたことに従わなくてもいい。自分で考えて決めるんだ。自分の意志で」

 「…また、閉じ込められているのに?」

 「ケイナ…」

 「閉じ込められる場所が、別になっただけ。ここでも何もしていない。仕事が出来ないと、迷惑だって思われる…」

 「なら、職業訓練所だな」

ヴィクターが後ろから口を出す。

 「出所後の就職支援の一貫で、職業訓練所が作られてる。あとで手配しといてやるよ。まずは、人と接するのに慣れるところからだ。そうすりゃ人の役に立てるぞ」

 「…役に立てる?」

 「ああ。役に立つ。誰にも迷惑かけずに、生きていけるようになる。」

 「……。」

はじめて、少女の眼に喜びらしい感情が宿るのが見えた。

 (そうか。ケイナは…)

彼女がなぜ、イリーナたちに協力していたのか、ロビンにも少し理解出来た気がした。

 ”人の役に立ちたかったから”。

 言われたことを愚直に行うしか出来ない彼女にとって、頼み事をされること、仕事を依頼されることが、自分の存在を肯定する唯一の方法だったのかもしれない。




 面会の時間は、こうして終わった。

 聞くべきことは全て聞き出せた。外に出ると、既に夕暮れ時だ。

 ロビンは、深い溜め息をついて赤く染まる西の空を見上げた。微かな虚しさが残っている。

 「おつかれさん。『悪魔』を喚び出したのが、まさか生き残りのほうだったとはなぁ」

ヴィクターはいつの間にか、タバコに火を着けて口に咥えている。

 「それにしても、あの娘、あんな扱いを受けていながら家族のことは悪く言わなかったな。不思議なもんだ」

 「……。」

確かに今のケイナは、何に対しても無表情で反応が薄い。けれど、アルフィードの記憶の中で見たケイナは、普通の子供と同じように、泣き喚いて癇癪を起こしていた。

 (もしかして、閉じ込められている間に感情が消えてしまったんじゃないのか…?)

振り返って、少年院の建物を見上げる。

 けれど、それももう、十年以上前に終わってしまった話だ。

 家族の誰かが異論を申し立てるとか、近所の人が異常に気づくとか、ほんの少しの気遣いや親切で変わっていたかもしれない彼女の運命は、とうに固定され、起きてしまった悲劇も、失われた命も、取り戻すことは出来ないのだった。




 七つ門教会の前でヴィクターと別れ、管理人小屋に戻ったロビンは、部屋に入るなり、上着も脱がずに寝台に身を投げ出した。

 「…はあ」

天井を見上げて、ひとつため息をつく。

 ケイナの身に起きたことも、ケイナの兄の記憶も、知ってしまった真実の全てが重く感じられた。

 これまでに触れた記憶の全てがそうだった。マリク・アプリースの身に起きたことも、アプラサクスの見てきた出来事も。

 「言葉で説明するよりは、自分で体験したほうが理解出来ただろう。『悪魔』は、人間が創り出したもので、創れるものだ」

部屋の片隅から、声が響いてくる。

 「『悪魔』の気配は、まだ存在する。この島の外にだ。既に”媒介”は広められ、『悪魔』という概念も伝わった。これからも更に生みだされることになる」

 「……。」

数呼吸ほど置いて、ロビンは、寝台の上に起き上がって声のほうに顔を向けた。

 「どう思った」

 「どう、とは」 

 「――いや。聞くまでもないか。お前の考えていることは分かる」

窓際に立つ半透明な自分の似姿は、こちらを見つめて、自分の声で、思考をなぞるように口にする。

 「”『悪魔』は、存在してはならない。”」

ロビンは、頷いた。

 「人の祈りから生まれるものだとしても、祈り自体は純粋なものだとしても…願いを叶えるかわりに大切なものを奪い、意図せず罪を背負わせるようなものは、悪しきものだ。」

自分の言葉に続けるように言って、ロビンは、両手で頭を抱えた。

 「新しい”正しさ”を決めろっていうんですね。」

 「そこまで理解したか」

 「あなたの考えてることなら、少しは分かりますよ。聖霊の役割は、人間が規定する。今、世間では、『力』の聖霊は『悪魔』を倒すものだという神話が作られようとしている。教会がそれを追認すれば、あなたはそういう存在になる。――違いますか」

 「訂正が必要だ。教会が、ではない。決める」

交差する視線。見つめ合う、全く同じ顔。一方は人間ではなく、一方は非力なただの人間の少年だ。

 だが今、そのニ者は、同じ世界で対等に向き合っていた。

 「教会の教義は”秩序”として規定された、人によって創られた”正しさ”の一つの形だ。お前はそれを書き換える必要がある」

 「でも…、僕は聖職者じゃないし、別に教会に属しているわけでもない…。どうすればいいのか分からないですよ」

 「なに。お前が動かなくとも、向こうから迎えがやって来る」

相手は無表情なまま、ちらと窓の外に視線をやる。

 「明日の午後には船が到着するそうだ。」

 「え? それって…」

聞き返そうとする前に、目の前にいた似型は、溶けるようにして消えてしまう。

 入れ替わるように、扉を叩く音がした。

 「ロビン。戻っていますか?」

マークスの声だ。

 「あ、はい。います」

 (ヤルダバオート、何を言おうとしてたんだろう。船、って…。)

首を傾げながら扉を開ける。

 「ケイナと面会してきたそうなので、様子を聞きに。心配で…」

 「ああ。その件ですか。中に入ってください、立ち話もあれなんで」

それきり、気になっていたことはいったん頭の片隅に追いやられてしまった。


 午後遅くなって、小雨が降り出した。

 開き始めたフロウライトの花びらの上に、丸い水滴が並んでいる。涼しげな香りは、春の雨とともに聖廟の区画を静かに満たしていた。

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