Ⅲ章―第4話 悪魔の塚(2)

 翌日、ヴィクターは予告通り、教会本部の所有する運転手付きの車で迎えにやって来た。運転手の他に、助手か付き添いらしき人まで同乗している。

 「なんか…豪華ですね」

 「仕方ねぇだろ、お前は今や重要人物だからな。…何だ、その顔は。自分が何やったか、覚えてないとは言わせねぇぞ。」

 「……。」

何もしてないはずだという言葉をぐっと飲み込んで、ロビンは、車の後部座席に乗り込んだ。やったことといえば、せいぜい『悪魔』の正体を突き止めて本体を倒したことくらいなのだが、詳しく聞いたら、ヴィクターの長いお説教が始まりそうな気がしていた、


 座席は三列もあり、ヴィクターの私物だった中古車よりずっと新しく、座り心地も快適だ。

 車が走り出してすぐ、ヴィクターは、前の座席から資料を投げてよこした。

 「調査報告書の速報だ、一応写しを持ってきた。暇なら読んどけ」

 「はあ…。」

ぺらりと捲ると、あの塚の写真とメモ書きが目に入った。


 「塚の中心部から一定の距離内では植生が死滅。瘴気の流れを確認。近づきすぎると精神に影響あり。極めて危険な状態」


後から調査に行った誰かは、ロビンのように中に入ろうと試してみたりはしなかったようだった。それよりも、周囲を広く探索している。


 「媒介に該当する物品は無し。十二年前の調査において全て回収されたか、破棄された模様。周辺住民からの聞き取り調査によると、屋敷が火災に遭って以降、住民も異変を感じて近づけない状態とのこと。塚は元々、島民の信仰していた女神の転生信仰に関わるもので、女神の生まれ変わりとされた、かつての一族の祖先”ソフィア”なる人物を埋葬した場所である由」


その情報も、以前ロビンが、リアンとともに現地で確認したままの内容だった。

 だが今回の資料には、そこからさらに続きがあった。


 「塚の側にある焼失した屋敷の当時の住民は、村の有力者であった一族の、三世代五家族。

  住民の構成:

  当主アルフィードとその母、妹、祖母

  父方の叔父(次男)とその妻、息子二名 うち一名は既婚

  父方の叔父(三男)とその妻

  祖父母の養子の妻、息子、娘


 現在も存命しているのは、当主の妹で最年少であったケイナ・ハリーアのみである。」


複雑な家族構成だったようだ。男性六名、女性八名。大所帯でもある。この人たちが全員、一夜にして亡くなってしまったのだ。

 ロビンは資料から目を上げて、前の席に座るヴィクターに声をかけた。

 「ヴィクターさん、前に、この北部の辺りのテロ鎮圧で殉職者が出ているって話していましたよね」

 「あぁ、そんな話もしたっけな。」

 「この屋敷でも、それはあったんでしょうか?」

 「軍が出動したちのは間違いねぇな。実際に、テロ未遂ではあったらしい。近所の住民に聞いて周ったところ、当時のことを覚えてる奴の証言もあった。その資料の後ろのほうに無ぇか?」

 「ええっと…あ、最後のページにありました」


資料には、「当主は財力と人のツテを使って銃火器を密かに輸入していたようだ」、「先代は教会と衝突して獄中死したため恨みを持っていた」「王国の支配に反感を持つ組織との接触の噂を聞いた」などという聞き取りの結果が、簡潔に記載されている。


 「ここの人たちは、どうして教会の人にこんなことを喋ったんでしょう。身内の不始末なんて、普通は隠しますよね?」

 「首謀者によっぽど人望が無かったか、関わり合いになりたくなかったかだろう。当時の領主の考えに賛同してたような連中は、とっくに地元を離れて今回の暴動に関わってるだろうからな。」

 「…なるほど。地元に残っているのは、穏健派の人たちってことですね」

それは、あり得る話だと思った。すぐ隣に住むレクストール氏族クランも、早々に暴力沙汰からは手を引いて、信仰を守ることのほうに注力していたからだ。

 (でも、ここにはケイナのことは何も書かれてない…。)

当主だった彼女の兄がどんな人物だったのかも、ケイナの家族がどういう人たちだったのかも。書かれている情報は、今のところ、顔の見えない、ただの名前と年齢の羅列でしかない。

 ロビンは、車の走ってゆく先を見やった。

 この道の先に、その答えの幾ばくかが在ることを願っていた。




 バスだと半日かかった道は、教会のぴかぴかの車なら、ほんの数時間の距離だった。途中で乗客を乗り降りさせる時間が必要無く、回り道もせずに真っ直ぐに走ってきたお陰でもある。

 (こんなに近かったんだ…)

もっと遠い気持ちで居たロビンは、少し意外な気持ちだった。

 湖と森の見える静かで美しい村の入口。

 教会の印である聖十字が描かれた自動車は、遠くからでも目立つ。ウシの放牧をしている人や、畑を耕していた人たちが、それとなくこちらを眺めている。家の戸口でヒソヒソと囁きあっている人もいる。だが、今はまだ、敵意は感じられない。

 「ド田舎だな。」

ヴィクターは、ばっさりと一言。

 「んで? 問題の屋敷ってのは、あれか」

道の先に、焼け焦げた屋敷の裏手が見えている。その側に、藪に覆われるようにして見えている土盛りが、”ソフィアの墓”である塚だ。

 一目見て、状況が良くないことは分かった。ロビンの眼には、その塚から、離れていても見えるくらいの黒い霧のようなものが揺らめきながら立ち上っているのが分かる。

 「前回来た時より、悪化してますね」

 「ふん。てことは、まだここに『悪魔』がいる、ってことだな」

 「おそらくは――。」

だが、その気配は、マリク・アプリースの転化したものとは少し違う。より正確に言うならば、何らかの怨念のようなものは同じなのだが、中心部分にあるものが違う。

 (別人…?)

引き寄せられるようにして、ロビンはその気配に向かって歩き出した。

 『悪魔』が、怨念を持つ人の魂を核として名付けられて生まれた”聖霊もどき”と言うべき存在であることは、既に知っている。

 ならば、この気配の中心にも「誰か」が居るはずなのだ。


 「おい、一人で突っ込むな」

ヴィクターに肩を掴まれて、ロビンは、きょとんとした顔で振り返った。

 「…何だ、その顔は。ったく、お前、どうやって『悪魔』と戦う気だ」

 「どうやって…って」

ふと、自分の手を見下ろした。その手の中に、まるで最初から在ったとでもいわんばかりに、するりと草刈り鎌が現れる。

 「……。」

 「……。」

二人は黙ったまま顔を見合わせた。

 「えーと、これで?」

 「おい。その冗談みたいな武器で戦う気なのか。いや、武器というか農具だろうが」

 「とっさに思いついたのがこれで…。てか、もう形が変えられないみたいなんです…。」

 「はぁ?」

 「と、とにかく。何とかなります。多分。」

曖昧な物言いなのは、自分でも、本当にこの”武器”で戦えるのか、自信が持ちきれないからだ。

 (でも、これが出てきた…ってことは、ヤルダバオートはまだ力を貸してくれてるんだ。それなら、通じはするはず)

草刈り鎌を手に、ロビンは、塚の入り口に目をやった。

 以前ここへ来たときは、入り口で猛烈な気配に負けてそれ以上は進めなかったのだ。

 今回も既に、敵意に満ちた気配が外まで漂ってきている。少しでも近づけば、奥から湧き出してくる気配に絡め取られる。

 「――ヴィクターさん、あれの気を引けますか? てか、見えて…ますかね」

 「ふん。ここまで気配が濃けりゃ、ほとんど実体化してんのと変わりゃしねぇからな」

ぽきりと指を鳴らし、聖職者らしからぬ顔で首から提げた聖十字を取り出すと、男は、後ろに付いてきていた付添人たちに声をかけた。

 「お前らは下がってろ、巻き込まれるぞ」

その時にはもう、塚の入り口には黒い靄が渦巻きながら押し寄せてきていた。

 ヴィクターは、素早く『聖霊』を喚び出すための口上を唱える。

 「来たれ、”アプラサクス”!」

頭上に、翼を持つ光の塊が出現する。塚の入り口から立ち上がろうとしていた靄は、その光に一瞬だけたじろいだが、直ぐに無数の腕のようなものを伸ばして光に向かって攻撃を開始した。

 「くそ! 向かって来んのかよ…」

ヴィクターの毒づく声を聞きながら、ロビンのほうは、塚の入り口に向かって駆け出していた。

 (あの中だ、多分)

靄が外に気を取られている今なら、塚の奥に入れる。この『悪魔』にも”本体”があるのなら、その中以外には有り得ない。


 濃い瘴気の気配は、慣れていない人間なら触れただけで気絶しそうなほどだ。それに耐えながら、ロビンは、手探りで狭い階段を降りてゆく。

 (ずいぶん、古い時代の遺跡だ…)

壁には無数の渦巻きが彫り込まれている。足元には石が敷き詰められ、十年の間に積もった埃や、迷い込んだ落ち葉で埋め尽くされている。

 入り口から差し込む光は、通路の途中で途切れた。その奥には、完全な闇。闇の奥で、何かが蠢く気配がある。

 (明かりを…あれ?)

ふと気づくと、手元が明るい。視線をやると、握りしめた草刈り鎌が淡く発光していた。それを掲げると、かろうじて行く先が見える。

 (へえ、便利だな…)

 『妙なことに感心してる場合か』

と、それまで黙っていた声が、我慢しきれずに口を開いた。頭の中に声が響く。

 『来るぞ』

 「来る? え…」

その瞬間、全く意識の外だった場所から攻撃が飛んで来て、ロビンは、壁に叩きつけられた。

 「…く、うっ」

喉に腕のようなものが食い込んで、体が浮きかけている。つま先立ちをしながら、彼は、腕の伸びて来た方向に向かって視線を動かした。

 入り口から真っ直ぐに進んできた通路は、すぐそこで石の扉になって終わっている。代わりに、左右に別れた道がある。腕が伸びてきているのは、その片方――草刈り鎌を翳して見た感じ、左右は両方とも最近になって掘られた新しい通路のようで、木材で天井を補強してあり、奥の方に別の空間があるようだった。

 腕の先からは、荒い息遣いのようなものが聞こえた。その息に混じって、なにか、声のような声がした。

 「…え、レ…」

 「えっ?」

 「カエレ…」

言葉を聞き分けた瞬間、意識の中に、相手の記憶が流れ込んできた。

 ――緑に包まれて静かに佇む屋敷。庭で笑い声を上げながら楽しげに木刀を打ち合わせあう少年たち。


 ありし日の、この屋敷の人々の姿。

 それを見つめている視点。この記憶の主。

 視点である人物の姿は、当然ながら見ることは出来ない。けれど思考が、記憶の中に含まれる言葉が、”彼”が誰なのかを教えてくれる。

 アルフィード・ハリーア。

 …レイナの、兄だった。

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