Ⅲ章―第2話 奇跡と現実のはざま(2)

 管理人小屋に戻ってみると、思ったより酷いことになっていた。小屋自体は無事だが、周囲には混乱に巻き込まれた跡が生々しく残されたままだ。

 打ち壊されてしまった裏門はとりあえず板を立てて立入禁止にしてあり、板の隙間にチラシのようなものが多数、ねじ込まれている。何も植えていなかったとは言え、畑は踏み荒らされてめちゃくちゃだし、人を引きずったような跡やゴミのようなものも散乱している。

 「酷いなあ…。」

つぶやきながら、扉の閉ざされたままの霊廟を見上げる。

 (ここに戻ってくるのも、久しぶりだな)

ヤルダバオートの気配は、変わらずそこにある。そのことに、少しだけほっとした。

 「ありがとうございました、送迎はここまででいいです」

付き添いの人たちを帰したあと、ロビンは、持っていた鍵で聖廟の入り口を開いた。重たい音とともに扉が押し開かれ、光が中に差し込んで祭壇を照らす。

 「…ただいま」

呟いた声が、中に反響する。

 だが、辺りは、しんと静まり返ったままだ。

 「あの。聞きたいことが――」

 『新聞を読め』

 「えっ?」

どこからともなく、意外な言葉が響いてきた。

 『一週間分。小屋に入れてある』

それだけだ。

 (新聞…って…。)

わけがわからない。が、まずはそれをこなさないことには、続きの話をしてくれなさそうだ。


 仕方なく、ロビンは管理人小屋のほうに戻った。久しぶりの我が家だ。

 中に入ると、机の上に山盛りになっている、一週間分の新聞がすぐに目に入った。裏門は壊されていたから、隙間にねじ込まれた中から必要なものだけ引っ張り出して保管してくれたのだろう。折り目がついているところからして、ヤルダバオート自身は既に一読した後らしい。

 (新聞なんて。どうして――)

その理由は、一番古い新聞から順番に読み始めて、すぐに理解した。


 「悪魔の襲撃再び、狙われた七つ門教会と奇跡」


大きな見出しが、一面に踊っている。

 日付は、襲撃の起きた二日後だ。通常よりも薄く、記事も少ない。動ける者があまりいなかったからなのだろう。一面に大きく載っているのは、”あの日”起きたことを聖都に住む一般人から見たあらましだった。


 「教会を守る聖霊の奇跡再び」

 「異形の悪魔を退ける謎の存在、土着民の信仰した『存在を消された聖霊』か?」

 「教会本部、未だ公式見解を発表せず」

 「聖廟の地下に封じられた聖霊の噂について」―――


日を追うごとに、記事は詳細になってゆく。それは、人々が自分たちで神話を作り上げていく過程でもあった。

 名を呼んではならないとされているヤルダバオートやアプラサクスの名前自体は、実際には一度も新聞に書かれておらず、聖霊だとも明記されていない。しかし、「昔から島で信仰されてきた、居ないとされた存在」とまで書かれていれば、噂にせよ、人づてによ、名前は容易に漏れる。「居ない」ことにされてきたものが、実際には「居た」と周知されたも同然なのだ。

 しかも新聞には丁寧にも、誰かのスケッチしたヤルダバオートの姿まで載せられていた。

 (これが、島中の人たちに…。)

読んでいるうちにロビンにも、七つ門教会の前で見た光景の意味が分かってきた。

 教会はまだ公式見解を出しておらず、噂は独り歩きするままになっている。

 だが教会側も、今までの教義を繰り返すことはもはや、不可能だった。存在しないはずのものが存在して、伝承に語られるだけだった光景が実際に出現したのだ。それを、どう捉えるべきなのか。どうすれば矛盾なく既存の教義で説明出来るのか。誰も答えを持ち合わせていない。

 キュリロスの迷いも、マークスの困惑した表情も、当然のことだった。




 ようやく全ての新聞に目を通し、今日の日付の新聞までたどり着いたロビンは、最後の紙面を閉じて顔を上げた。

 「読んだよ、ヤルダバオート。いまの状況は分かった。」

 『そうか』

次の瞬間、すぐ隣の自分の似姿が現れる。

 「なら、ここからの話をしよう」

 (…何か、いつもと雰囲気が違う?)

冗談めかした雰囲気も、茶化すような笑みもない。表情をロビンに似せる気も無いようで、無表情な顔は、人間の形だけ真似た仮面を被っているかのようだった。

 ロビンは改めて、目の前にいる存在が本来は「人間ではなく」、人間の感情や心の動きを完全に理解しているわけではないのだと思いだしていた。人間のように見えていたのは、今までに憑いた人間から学習してきた知識の結果に過ぎないのだ。

 「お前がマリク・アプリースの怨念を切り離してアプラサクスが解放された直後、創造主――お前たちの言う”天の父”の遣いがやって来た。人間たちが騒いでいる『奇跡』とやらは、その時の出来事だ」

 「じゃあ、空に見えた光は本物の聖霊だったんですか?」

 「そうだ。ソフィアが生み出した者たち――人間の言葉で言えば”兄弟”か。かつて、この世界に信仰を根付かせた者たちだ。連中は、創造主からの伝言を持ってきた。どうも、創造主は特異点であるこの世界をしばらく観測していたようでな。この先、利になるかどうかを判断したいようだった。」

 「利になる…?」

 「創造主は、人間が自分を崇め祈りを捧げることを目的として多くの世界を生み出し続けている。それが”利”だ。――端的に言おう、この世界の人間は、不完全とはいえ創造主しか持たないはずの”創造の力”を持ち、その力で『悪魔』などという新たな存在をも生み出した。

 この先にある未来は、大きく二つの可能性がある。もしも、『悪魔』という存在すら踏み台にして、より強く創造主に祈りを捧げる道に進むなら、世界の存続は許される。もしも、創造主と同格になったように錯覚し、自ら生み出した存在に祈りを捧げ、創造主をないがしろにするような道に進むなら、世界は破棄される。」

ロビンは椅子に腰を下ろしたまま、じっと、鏡合わせのような自分の似姿を見つめていた。


 創造主たる”天の父”に祈りを捧げることを忘れると、罰によって世界は滅びてしまう。

 教会の教えでは、そうなっている。


 「実際に、世界が滅ぼされるようなことって、在り得るんですか?」

相手は、肯定するように薄く笑みを浮かべた。

 「よくあることだ。百年後か、もっと先か――人間たちの信仰がどこへ向かうのかが確定した時点で裁きの時が来るだろうな。我には、可能な限り前者に導けと言ってきた。まあ断ったところで、気に入らない方向に向かいそうになれば、この世界ごと滅ぼされるだけだからな。相変わらず自分勝手なものだとは思ったが、一応、やってみると答えておいた。」

 「…何か、ものすごく軽い言い方ですねそれ」

 「こういった場合に使うべき格調高い単語は学習していない。」

目の前の相手は、そう言って皮肉っぽく口元を歪めた。

 「だが、そのためにはを創り出さねばならん。『悪魔』などという存在は、この世界で創り出された、この世界にしか無いシロモノだ。それに対する教えは、天にはまだ存在しない。厄介なことにな」

 「放っておくと、勝手に出来上がってしまいそうですね」

ロビンは、ちらと傍らの新聞に視線をやった。教会の介入を待つまでもなく、信仰の形は、人々の間に実体化しつつある。

 「――元はと言えば、我らと”母”の責でもある。ソフィアは、この世界に思い入れが強すぎたのだ。人間が”創造”の力を持ってしまったのは、知恵を与えすぎたためだ。我ら片腕たる”子”らは、その過ちを正すことが出来なかった」

 「正そうとしてたんですか?」

 「いや。正直に言えば、途中から面白くなってそのままにしていた。」

 「……。」

 「まあ、それも二百年前までのことだ。」

やっぱり、いつもと雰囲気が少し違う。今日は、妙に押しが弱い。大人しいとでも言うべきか。

 「創造主にとってここは、無数にある世界の一つに過ぎん。特異点とはいえ、危険を犯してまで存続させるほどの価値はない。あくまでも実験台だ。これまで以上に効率的に祈りを生み出させる方法を見つけることが出来れば良し、出来なくとも破棄すれば良いだけだ。母も我らも、使い捨ての手駒に過ぎん」


 しばしの沈黙の後、相手は、ぽつりと言った。

 「我がこれほど祈りの対象になったことは、かつて一度もなかった」

それだけ言うと、ロビンの姿は溶けるようにして消えた。後には、気配の残りだけが漂っている。

 (落ち込んでる…いや、迷ってる?)

一瞬だけ感じた感情のようなものは、明らかに動揺していた。かつての同胞たちと再会したせいか。それとも、”天の父”、この世界の創造主から与えられた新たな役割のせいなのか。

 気のせいか、相手は心――いや、記憶を閉ざしているような気がした。嘘はついていないが何かを隠しているような、そんな気配。それも、自分たち人間の将来に関わる、重大な内容を。


 きっと、隠しているのは他の聖霊たちとのやりとりの内容だと、ロビンは思った。

 何しろ、この世界の将来と存続に関わるような話なのだ。一介の人間には理解しづらい話も、納得出来ないようなことも含まれているに違いない。騙されるかもしれない、などという概念は、彼には存在していなかった。敬虔な信徒ならうろたえたかもしれない、”天の父”に関する辛辣な評価も、特に何とも思っていなかった。

 普段から、過度の期待も、特別な恩寵も期待していない。

 ヤルダバオートがそう言うのなら、そういうものなのだろう――と。

 それがどれほど異質なことなのか、本人は意識していないのだった。




 「さて、と…。」

新聞を片付けて、ロビンは、椅子から立ち上がった。

 そろそろ昼になる。

 養護院へ顔を出して昼食を摂ったら、まずは管理人小屋の掃除と周囲の片付けだ。そういえば、さっき聖廟を開けに行った時、ずいぶん草が伸びているようだった。春も本番になり、雑草が芽を出し始めている。草むしりもしたほうがいいかもしれない。

 やることは、いくらでもある。

 (そういえば、管理人小屋の前にある畑、どうしようかな。せっかくだし、何か植えたほうがいいんだろうか)

管理人小屋を出て畑のほうに目をやったロビンは、その縁のあたりに色づいた草花の蕾が幾つか、ぽつぽつと見えていることに気づいた。

 珍しい形をしている。雑草のようだが、なぜか見覚えがある気がした。

 近づいてしばらく見つめていたあと、ふいに思い出した。

 「…もしかして、これがフロウライトの花?!」

そうだ。

 確か、遠い記憶の中でこの形の蕾を、葉を見たことがある。もうこの島からは絶滅した花だと思っていたのに、実は、まだ残っている場所があったのだ。

 二百年の間、閉ざされたままの高い壁に守られた庭の中。滅多に人も来ない箱庭の中で、この花は、誰の気にも留められることなく、ひっそりと生き延びていた。

 ふと、この花の名前を知るために一緒になって探してくれた、いつも賑やかな少女の顔が浮かんだ。

 (アリスに見せたら喜ぶかな?)


 空から降りてくる春の日差し。

 その足元には、静かに蕾をふくらませる、”女神の宝石”と呼ばれる花の姿があった。

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