Ⅱ章―第24話 聖都動乱(3)
星ひとつない空の下、聖都が赤い火に包まれているのが見えた。まだ遠い。何が起きているのかまでは見えないが、良くない状況なのは分かる。
「ロビン! どうなってる」
「七つ門教会の前で、『悪魔』とヤルダバオートが組み合っているみたいです。ほぼ互角…いえ、時間が経つごとに『悪魔』のほうが有利になりつつあるみたいで」
ヴィクターは運転席で舌打ちする。
「うちの異端審問官どもは、手伝いに出てねぇのかよ」
「攻撃が効かないようです。主教様が人を集めてお祈りしていて…七つ門教会は、マークス先生が守ってます。街に流れ込んでくる人の数が増えていて、人を殺さないように戦うのは限界だと思います。返事がないので、たぶん、かなりギリギリのはず。早く丘に行かないと」
「わーってるが、くそ。車のエンジンがそろそろ限界だぞ」
計器の針に忙しく視線をやっりながらも、男は、後部座席のロビンの様子を伺う。
「んで? 丘にたどり着いたあと、どうするんだ。本体を打ち壊すっつーのは、墓荒らしでもすんのか?」
「え?」
「え、じゃねぇだろ。」
「それは――」
どうすればいい?
思った瞬間、頭の中に声が響いた。
『力を貸してやる。お前なら使えるはずだ』
ふわり、と手の中に光が現れた。
「わ!」
『相手は人間の亡霊だ。形を創造しろ。亡霊を倒すにふさわしい道具をな』
「そ、創造? 亡霊――」
両手の中に浮かぶ光を見つめたまま、ロビンは、あれこれと考えた。
人間の亡霊。剣も、銃も握ったことがなくて使い勝手が分からない。自分に思い浮かべることが出来る武器。
「おい、ロビン。」
「――えと、あとで考えます! まずは、目的地へ」
「ちっ。相変わらず、お前は…。」
ぶつぶつ言いながら、ヴィクターはアクセルを踏み込んだ。
「わあっ」
「時間が無いんだろう? 最後の最後で車がぶっ壊れないよう、お祈りでもしとけ」
聖都の脇を通り過ぎて、車はさらに北へと走る。
街へ入る門の一つ、「勝利の門」が破壊されて炎上しているのが見えた。そこに人が集まって、もみ合いが続いているようだ。『裁き』の聖霊の光が見えるところからして、応戦しているのは、教会の異端審問官の誰からしい。
「ふん。うちの連中の中にも、少しは骨のある奴がいるな」
「……。」
だが、そこまでだ。暴徒が街に入るのを遅らせることしか出来ず、街の北にある丘へ攻め上るには至っていない。
普段滅多に見かけない島の治安維持部隊――警官とは違い、本土から送り込まれている軍の一部隊の姿も見られるが、彼らの武装は限られている。せいぜい、催涙弾を打ち込むくらいしか出来ない。
今この時、聖都の外にいて、完全に標的から外れているのは、ロビンたち二人だけだった。そして形勢を逆転させるため唯一の手段は、ロビンの手の中にあった。
車は、エンジンから白い煙を吹き上げながら丘の麓でぎこちなく停止した。
ここへ来るのは三度目だ。車から飛び降りた二人は、丘の上に渦巻く黒い靄を見上げて思わず顔をしかめた。辺りは異様に静かで、生き物の気配が全く感じられない。誰も居ない。――いや。
一人だけ、居た。
「来るな!」
若者が一人、靄の前に立って喚きながらこちらに銃を向けている。以前、マクセンやイリーナと一緒に聖堂の地下に入ってきた、あの男。確か、ウィシュトと呼ばれていた
「この状況で立っていられるのは、感心するがなぁ」
ヴィクターは、苦笑しながら銃を取り出すと、ロビンのほうにあごをしゃくった。
「行け。あれの相手は俺がする」
「はい!」
ロビンは、丘を斜めに突っ切って靄の中心と思われる場所に向かって走り出した。ここには以前も来ている。中心はおそらく、壊れた石の柱のある大きな木の下だ。
「あっ、こら…」
銃口の向きを変えようとした若者の手に、ヴィクターの放った銃弾がかすめた。
「うっ」
「遅ぇ!」
取り落とした銃を拾い上げようと屈むウィシュトの目の前に、膝蹴りが迫る。
とっさに後ろに飛び退ってかわした。俊敏さは、若者のほうが上だ。しかし、ヴィクターは格闘慣れして、容赦が無い。
「おらっ」
拳が頬をかすめる。
「あんた、本当に聖職者か?!」
「うるせえ。今更、暴力はダメだとか泣き言いってんじゃねぇぞ!」
足払いで転がされ、顔面に殴打。鼻血が吹き出すのも構わず、ウィシュトは必死にその腕を掴んだ。
「この…!」
「親父さんも、イリーナも! 皆、命を懸けた! 俺だけ生き残れるか! こんなところで、…負けてられるかあっ!」
揉み合いながら転がり、上下は何度も入れ替わる。けれど、最後に上になったのは、体格に勝るヴィクターのほうだ。馬乗りのまま、ヴィクターは更に何発か、若者の顔に拳を叩き込む。
「命を無駄にすんじゃねぇ! お前が死んだ所で、何が変わる? 何が出来る? えっ? ガキが、目の前の狭い範囲のもんだけ見て分かった気になってんじゃねぇぞ。ちったぁ無い頭で考えろ!」
「お前こそ、何が分かる…!」
「分かってんのは、あのクソみたいな『悪魔』がロクなもんじゃねぇってことくらいだよ!」
ようやく、抵抗する力が弱まった。若者は気を失ったようだ。
「くそ。手こずらせやがって…」
さしものヴィクターも、息が上がっている。
体を離し、立ち上がろうとしたその時だ。
気絶していたはずのウィシュトの体が、大きくびくんと跳ね上がった。
「なっ――」
次の瞬間、男は、信じられないほどの力で投げ飛ばされていた。丘の斜面を転がり、ようやく止まったところで振り返ると、白目を剥いた若者がゆらゆらと左右に揺れながらこちらに向かってくるところだった。
明らかに、意識はない。
まるで何かに操られているかのようだ。
「――そうか。操られてるってことか。ははあ…意志の強い奴は抵抗していられるが、意識が弱まるか気絶するかすりゃあ乗っ取られる、と。詰んでんな」
切れた口元の血を拭い、上着を脱ぐ。
「なら、時間稼ぎに徹するしかねぇか」
ちらと丘の上のほうを見やると、ロビンが石柱の前で棒立ちになっているのが見えた。
「ロビン! 何してる、早くしろ!」
返事がない。
「おい、ロビン!」
目の前に、均衡を欠いたウィシュトの体が迫ってくる。
「くそ、速ぇえ…」
避けきれず、ヴィクターは再び弾き飛ばされて地面に叩きつけられる。操られている若者の体には、あちこちに青筋が浮かび上がり、肉体の限界を越えて動いているのが分かった。
(こんな状態で動いてたら、そのうち死ぬぞ…『悪魔』め、島の人間を片っ端から殺す気か?!)
このままでは、相手も、自分もただでは済まない。いや、それどころか操られた島の人間全員の命が危ない。
自分たちが助かるかどうか、全ての鍵は、靄と対峙する少年にかかっていた。
教会本部前の広場では、『悪魔』とヤルダバオートが一進一退の攻防を繰り返していた。
圧されているのはヤルダバオートのほうだ。背にした七つ門教会の入り口まで後退し、攻撃の手は弱まっている。
時を追うごとに、操られる人間が増えている。周囲にいる人間を踏み潰すわけにもいかず気を遣っているのもあるが、攻撃が通じないのだ。というよりも、受けたダメージが次々と再生している。
七つ門教会の前では、マークスとエマが固唾を呑んで、その様子を見守っていた。
今のところ教会は『守護』の聖霊の力で守られているものの、本格的に戦場にされては無傷とはいかないだろう。背後には、子供たちのいる養護院がある。
ここは、絶対に退けない。
だが、聖霊を顕現させておくには精神力を要する。マークスは既に疲労困憊で、意識を保っているのも限界に近かった。エマのほうも、それに気づいているから、傍らに控えたまま、いつでもマークスを担いで逃げられるように構えている。
ふと隣を見たマークスは、彼女が両手を組み合わせて頭を垂れているのに気づいた。
「…何を、しているのです?」
「お祈りです」
彼女は、さも当たり前だというように返答した。
「祭壇は後ろですよ」
「お祈りしてるのは、あれにです」
そう言って見上げたのは、目の前で、こちらに背を向けている異形だ。
「! …あれは、しかし。」
「あれが負けたら、誰も『悪魔』を止められない。」
「……。」
「司祭様は、”天の父”に祈ればいい。三位一体。あれと天は、同じものってことになっているから」
「そもそも、あれを聖霊だと教会では認めていないのですが…まあ、そうですね。今更です」
諦めたように呟いて、彼も片手を胸に当てる。
今更、ではあった。
本当はもう、とっくに分かっていたのだ。最初に姿を現したその時から、一目見て理解した。養護院の子供たちが口を揃えて褒め称えたその異形は、悪魔の風貌とは全く異なっていた。
天に従うことを止めた二座の聖霊のうちの一つ。
長らく聖廟の地下に封じられていると信じられてきた存在。
教会の正式な教義としては存在さえ認められず、名を呼ぶことも禁じられた存在は今や、確かな説得力を持って目の前に顕現している。
異形の悪魔が、腕を振り上げながら『力』の聖霊に襲いかかる。腕の本数が違うのだ。受ける側は、一本の腕で複数の攻撃を受けなければならない。
受けきれず、腕を絡め取られそうになり、馬の形をした下半身で果敢に蹴りを入れるが、それもあまり効いていない。押し込まれるようにして、蹄が地面を滑った。足元が地面にめり込んでいく。
「ああ…」
教会本部の前で見守っているサリエラが息を飲み、口元に手をやった。
振り返ると、礼拝所の中で司教とともに祈る人々の背中が見えた。人数は数十人ほどか。『悪魔』を取り巻き熱狂する人々の数の、十分の一にも満たない。祈りが足りない? それとも、『悪魔』が想定以上に力をつけすぎているのか。
「どうか。天の父よ、あの者に力を…」
サリエラも、ついに祈らずにはいられなくなった。
「我々が排除しようとしてきた”女神の右腕”に、力を…」
力を振り絞って踏ん張り、相手を押し返したヤルダバオートの振り上げた腕に、その時、何か細長い光が現れた。
「えっ?」
先の曲がった、不思議な形をした武器のようなもの。剣でも槍でもない。否、それは、よく見ると武器ですら無かった。
(鎌…?)
なぜそんなものを、と疑問に思う間もなく、ヤルダバオートは、ロビンと同じ瞬間に、腕を振り下ろしていた。
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