Ⅰ章―第4話 聖都と異端審問官(4)

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 翌朝は、まだ早いと思える時間に目が醒めた。原因は肩の方から忍び寄ってくる寒さだ。

 (うう…寒すぎる)

寝直すことも出来そうにない。ロビンは、毛布にくるまりながらもぞもぞと起き上がり、鎧戸の隙間からそっと外を見た。

 見下ろす中庭は昨夜から降り続く雪でほとんど真っ白だ。

 (うわ…。けっこう積もってる…。)

状況を認識すると同時に、足元から寒さが這い上がってくる。

 「ううっ、これ無理だ。食堂に行って早く火鉢に当たらないと」

食堂は朝食の支度で真っ先に火が炊かれているはずだし、この寒さなら、食堂にも火鉢が置かれているはずだ。いちばんに起き出すジーナとケイナが、二人で部屋を温める準備をしている頃合いだった。

 (でもまあ、これで冬至祭らしくはなったな。冬至祭といえば、真っ白な風景だから…)

着替えようとシャツを手に取った時、入り口の扉が叩かれた。

 「ロビン? もう起きてる?」

年長組の一人、マルコの声だ。上着を羽織りながら、ロビンは扉越しに答える。

 「いま着替えてるとこだけど。どうした?」

 「なんか下にお客が来てるんだ。ロビンを出せ、って。いつもの審問官だと思う」

 「え? 何で?」

 「わかんない。ジーナと大声で怒鳴り合ってるのがこっちまで聞こえてきてて、それで食堂に近い部屋の連中はみんな起き出してる。マークス先生はまだ、助祭さんたちと朝のお祈り中だよ」

 「先生もいないのか。なんか面倒くさいことになってそうだな…」

 「隠れてたほうがいいかも。先生が戻って来るまで」

 「わかった、ありがとう」

とはいえ、こんな雪の朝に押しかけてくるくらいだ。ただならぬ事態なのは間違いない。

 あの黒ひげの男、ヴィクターは、態度の辛辣さを別にすれば、決まり事にはきっちりしている。異端審問の手伝いをさせられるのは必ず、王国の未成年者労働の規定に従った時間。朝十時以降、夕方四時までの間。その範囲からは、たった五分ですら外れたことは無かった。

 (まさか、昨日の仕事が遅かったことを怒ってる? でも、間違うわけにいかないし、あのくらい時間をかけたって別にいいはずだ)

シャツを二重に着込み、上着の下にはセーターも羽織る。

 (…この寒い日に、外に出ろなんて言われないよな…?)

身支度を整えたあと、そろそろと廊下に出てみる。養護院の子供たちはもう、ほとんど起き出していた。寒さと、廊下にまで響き渡る大人たちの言い争いの声のせいだ。

 「だから、お待ちくださいって言ってるでしょ。そもそもこんな早い時間の訪問だなんて、常識が無さすぎます! 子供たちはまだ起き出してきてもないんですよ」

 「緊急事態だと言ってるだろう。とにかく、今は人手が必要なんだ。あのクソガキを叩き起こしてこい!」

 「それは出来ません。だいたい、なんですクソガキとは。うちの子たちの中に、そんな名前の子はいませんよ!」

 「うわあ~…」

聞いているだけで、げんなりしてくるような言い争いだ。

 「ロビン兄ちゃん、ロビン兄ちゃん」

脇から、年少の子供たちが袖を引く。みな心配そうな顔だ。

 「怒られてる?」

 「どこか連れて行かれるの?」

 「んー、大丈夫だよ。あの人、いっつも怒ってるし。たぶん、また仕事の話かな」

 「でも、すっごい怒鳴ってるよ。」

子供たちの表情を見て、ロビンは察した。

 ジーナがあの調子では、朝食の支度にも支障が出ているに違いない。それに子供たちが怯えて、準備のために食堂に入れない。このままでは、朝ごはんを食べそこねてしまう。

 「…やっぱり、ちょっと行ってくるよ」

このまま、不毛な怒鳴り合いを続けさせるわけにもいかない。マルコは忠告してくれたが、隠れてもいられないようだ。

 (それに、ここは教会の敷地内だ。あの人だって、乱暴な真似は出来ないはず)

意を決して、ロビンは、食堂へと続く階段を降りていった。


 「ああもう! 何度も言わせないで、マークス司祭がお戻りになるまで外でお待ちください!」

 「朝の祈りの最中なら、あと半刻は終わらんだろうが! こっちは一刻を争う――」

 「あのー…」

ロビンは、おそるおそる二人の間に言葉を挟んだ。

 はっとして、大人たちが入り口のほうを振り返る。

 「ロビン!」

 「おいお前…!」

 「すいません。小さい子たちが怖がってるんで、怒鳴るのやめてもらえますか? 話は聞きますんで。あとジーナさん、朝ごはんの準備お願いします」

 「でも…」

 「大丈夫。応接室のほう行くんで、鍵借りますね。マークス先生が戻られたら、そう伝えてください」

心配そうなジーナを厨房のほうに追いやるしぐさをしながら、ロビンは、ヴィクターに向かって頷いて見せた。

 「…ちっ」

黒ひげの男は、不満げに舌打ちしながらも少年の後ろについていく。食堂の入り口には、心配そうな顔で覗き込む子供たちが鈴なりなのだ。幼い子どもたちの見ている前で、大人として、無様な姿は見せられないのだった。




 応接室は、中庭を挟んだ斜め向かい、大通りの近い、聖堂とは隣接する場所にある。宿坊からは渡り廊下で繋がっているが、一度、外に出なければならない。

 外に出たとたん、雪の降る日に特有の底知れない沈黙が辺りを包み込んだ。

 「っさむぅ…くそっ」

後ろでヴィクターが小声で毒づいている。よく見れば、防寒着もろくに着込んでいない。ごく普通の聖職者の上着だけだ。

 強面なくせに、こういうところは正直なのだ。ロビンは、見えないところで思わず笑みを浮かべていた。

 「応接室は寒いんで、暖炉に火入れますね。」

 「いい、時間の無駄だ。とっとと話したいんだよ、昨日のことを。お前が見つけた、あの女子学生どものことだ」

 「はあ」

黒ひげの男は周囲に視線を配りながら、何かを警戒している。

 (何か関係者以外には知られたくないような話? にしては、あんな大声で怒鳴りちらしてたけど…)

保管場所から持ってきた鍵で応接室の扉を開くと、空っぽの部屋の中から、ほとんど外と同じくらい冷え切った空気が流れ出してくる。

 「うう…くそ、冷えるな」

 「やっぱり火を入れますよ。話し始めてくれていいです。聞いてますから」

言いながら、ロビンは暖炉の脇にある火起こしの籾殻と、火打ち石を取り上げた。

 客間は、外からお客が来た時にしか使われない。が、いつお客がくるか分からないため、燃料は常に十分に準備されている。

 火を起こしている間に、ヴィクターは、いつも通りの不機嫌そうな声で話を始めていた。

 「昨日のあの女子学生ども、聖ソフィア学院の生徒だった。異端審問所に引っ張るところまでは良かったんだが、すぐさま揉め事になってな。」

 「なんでですか?」

 「知らねえのか、聖ソフィアといやあ、本土から移住して来た金持ちと政治家の坊っちゃんに嬢ちゃんばっかが通う名門校だ。あいつらも、そういうお偉いさんとこの子女ってやつだったんだよ」

 「え? てか、そんなんで異端者見逃してたら審問官の意味無くないです?」

 「お前な!」

 「あ、教会敷地内での暴力沙汰はご法度ですよ。」

 「ちっ…。本当、小賢しくて気に食わねぇな、お前は」

ヴィクターは握りこぶしを下ろし、苛々した様子で寒い部屋の中を歩き回っている。いや、苛立っているというよりもこれは、ただ寒くてじっとしていられないだけかもしれない。

 暖炉の火はまだ小さく、ようやく籾殻の火が少しずつ小枝に燃え移り始めたくらいだ。薪に火が移るまでは、まだ少し時間がかかるだろう。

 「それで、名門の子女を引っ張れない話と僕に、何の関係が?」

 「あーそうだ。その話をしないとな。で…、すったもんだの挙げ句、その日は三人とも家に返したんだがな、その夜に問題が起きた」

 「問題?」

 「三人うち一人が自殺未遂。まあこれは偶然、家族が気づいて何とか命は取り留めたらしいんだが…」

 「異端審問で精神的に追い詰められた、とかですか」

 「違う! てかまあ、最初はそういう話になって俺らも矛先が向こうとしてたんだが、今朝になって残る二人の状況が分かった。一人は自室で意識不明。もう一人は失踪。つまり――」

 「……。」

ぱちっ、と薪の上に火が踊る。

 ロビンは、微かに眉を寄せながら、ゆっくりと事態の重大さを飲み込んでいった。

 「手遅れだった――って、ことですか…?」

 「そうらしい」

”手遅れ”とは、つまり、「意図せず異端に触れた」とか「禁忌とされている行為を行った疑いがある」という段階を超えて、「異端に傾倒した」「汚染された」状態を意味する。具体的に言えば、既に『悪魔』と接触したか、何らかの契約を交わし、変容した状態だ。


 滅多に起きないこと――だが、そうした状態は、”悪魔憑き”と呼ばれる。大抵は性格や行動が大きく変わり、中には非常に暴力的になり、破壊行為や殺人に及ぶ者もいる。また、何らかの能力を手に入れる代わりに身体機能の一部などを奪われ、不具となってしまう者もいる。

 そうした者たちの大半は、二度と社会復帰できない。

 処刑されるか、監獄に幽閉されるか、一生精神病棟に隔離されて過ごすか。

 それすらもまだ良い方で、願いを叶えてもらう代わりに魂を差し出し、死に至る場合すら少なくはない。

 ロビン自身は、そうした状態は話で聞いただけで実際に見たことはない。ロビンの能力は、そうなる前の「痕跡」を見つけることなのだ。誰の目にも明らかなほど状況が進んでしまっているなら、他の異端審問官でも見つけられる。


 だから――逆に、意外だった。

 昨日、あの少女たちを見つけた時には、まだ、微かな気配しか見えなかったのに。


 「いつもと何も変わらなかった…もやもやは、ほんの少し流れ出している程度でした」

 「本当か? 自分が告発した奴らが手遅れだったんだぞ。何かもっと言うこたぁねぇのか」

 「そんなこと言われても。分かるのなんて、黒いもやもやの感じだけですし。だったら尚更、昨日のうちに保護出来てればよかったんじゃ?」

 「痛い所突いてきやがる。全くもってその通りなんだがな」

憎まれ口を叩いてはいるものの、ヴィクターにいつもの勢いはない。寒いせいもあるが、この男自身、悲劇を未然に防げなかったことに負い目を感じているらしかった。

 「――で、だ。残り一人の行方を追わなくちゃならん。そいつも危険な状態にある。ヘタすりゃもう死んでるかもしれんが、一番マズいのは、三人ぶんの魂を食らって力を得た悪魔が野放しになるってぇことだ。分かるな」

 「まあ…なんとなく。てか、野放しってどういうことですか?」

 「……。」

一瞬、ヴィクターが気まずい顔になる。余計なことを口走ったと思ったらしい。

 だがすぐさま、ごまかすように勢いで話を続ける。

 「細かい説明はあとだ、あと! 警察が嗅ぎつけて来る前に、この件は教会でケリをつけてえんだよ。お前には、こいつの痕跡を追って貰う」

男は、ポケットから無造作に掴みだした布きれを、客間のテーブルの上に広げた。中からは、黒ずんだ銀の古めかしい指輪が二つ、転がり出てくる。

 ロビンは暖炉の側を離れ、テーブルの上のものを覗き込んだ。

 「えっと…これ、何ですか?」

 「三人の共通点、”媒介”だ。あの三人の女子学生は数週間前に骨董市で三つ揃いの指輪を買った。昨日も指に嵌めててな。お前もある程度は知ってんだろう。『悪魔』ってのは、こういう、何の変哲もない品に力を宿しておいて罠を張る。で、囁きに耳を貸す人間が現れるのを待つ。クソ、昨日の時点でこいつだけでも取り上げてりゃなあ」

 「……。」

なるほど、それで昨日、三人が話をしている時に、三人ともが一つの闇色のヴェールの中に包まれているように視えたのだ。

 「あの時、『悪魔』の気配が一つに固まって視えたんです。三人の誰なのか分からなくてずっと眺めてた。まさか、三人同時に憑かれるなんてことがあると思ってなかったから」

 「ふん、あれは時間稼ぎじゃなく本当に迷ってた、ってことか? なら疑って悪かったな。で、どうだ? こいつから、残り一つの指輪を追えるか?」

 「無茶言いますよね。そんなこと…」

ため息をつきながら、それでも軽く目を凝らした時、ロビンは、自分でも出来ると思わなかったことが出来ていることに気がついた。

 「…あれ? 何だろう、この帯」

 「なんだ。何か視えんのか」

 「はい、指輪からこう…どこかへ繋がるみたいな闇色の帯みたいな流れが…」

大きな手が、がしっ、と少年の肩を掴んだ。

 「うわっ」

 「それだ! どっちへ向かってる? 教えろ。追うぞ!」

 「わ、わ、待ってくださいって。いきなりそんな、僕まだ朝ごはんも――」

 「そうですよ、ヴィクター」

はっとして、男は少年から手を離した。

 いつの間に来ていたのだろう。入り口の前に、朝のお祈り用に司祭服で正装したマークスが、呆れ顔で立っていた。

 「お前、いつから聞いていた」

 「警察が嗅ぎつける前に、とか何とか言ってる辺りからですね。察するに、動転した女子学生の家族が既に警察に通報済みで、教会上層部の揉み消しが間に合っていない、というところでしょう?」

 「…ふん。そこまで分かってるんなら話は早ぇえ。お前もこっち側の人間だろ、何すりゃいいかは分かってるな」

 「ええ、分かっていますよ。異端審問官が世俗の権力に負けてしくじった、などと、世間には決して知られてはならない。そして犠牲者をこれ以上出さないためにも、『悪魔』に憑かれた者は速やかに確保し媒介を回収しなければならない。とはいえ――」

マークスは、断固とした口調で告げた。

 「今はまだ八時前ですよ? 未成年者労働の規定違反です。しかもこの子はまだ朝食も摂れていない。食事抜きの就労は、児童虐待禁止法令にも引っかかります。異端審問官といえど、法には従っていただかなければ」

 「お前なあ。人命がかかってるんだぞ? 今、うちがどういう状況か……」

 「あーえっと、とりあえず落ち着いてくださいって。」

こちらでも怒鳴り合いになりそうなところ、慌ててロビンが間に入る。

 「マークス先生、行きますよ僕。」

 「しかし、ロビン――」

 「人の命がかかってるんでしょ? だったら、そうするしかないと思うから」

少年の瞳の色にゆらぎはない。

 責任感でも、使命感でもない。

 そこにあるのはただ、そうするのが当たり前というごく自然な、あっさりとした感情だった。


 数秒、見つめ合ったあと、折れたのはマークスのほうだった。

 「…わかりました。」

小さく溜め息をついて、額に手をやる。

 「ジーナのほうは事情を説明しておきます。ですが、ヴィクター。必ずこの子を無事に返して下さいよ。でなければ、二度とうちの子供たちを異端審問官に協力はさせませんからね」

 「ああ。じゃ行くぞ、小僧」

 「小僧じゃなくてロビンです! 分かってますよね? もし、相手が既に――」

 「言われなくとも!」

言いかけたマークスの言葉を遮るように怒鳴ると、ヴィクターは、テーブルの上の二つの指輪を布ごと掴んで、ぐいとロビンの手の中に押し付けた。

 「持ってろ」

 客間のドアを開くと、外から冷気が押し寄せてくる。けれど、荒ぶる男はそれをものともせず、積もった白い雪の上に大股の足跡を付けながら、裏門のほうへ向かって一直線に進んでゆく。

 そこのままでは置いていかれる。慌てて、ロビンも後を追う。

 「あの、いつもの外出の時の仮面とかは…?」

 「必要ない。今回のは正式な依頼になってねぇ。こっちだ」

裏門を抜けると、直ぐ側に古めかしい車が一台、無造作にぽつんと停められていた。車など、この街では滅多に見かけない高級品だ。ロビンも、近くで見るのは始めてだった。

 驚いたことに、ヴィクターはその車の運転席に手をかけて、鍵を回している。

 「乗れ」

 「え、この車ですか?」

 「ああそうだ。俺の私物だがな。早くしろ、ドア閉めたらそこの出っ張りを押せば鍵がかかる」

 「えっと…うわあ!」

どう座ればいいのか迷っている間に、車は前に向かって滑り出していた。

 「いつもの…付き添いの人とかは?!」

 「んなもん用意してねぇよ、朝イチ報告受けて俺一人ですっ飛んできたんだ。お前は方向を言え。俺はそっちへ向かう。急げ!」

 「えぇ…。無茶苦茶だなあ、もう」

振り返ると、高い壁に囲まれた教会の敷地は、既にはるか後方へと遠ざかっている。

 (本当にいいのか、これ…?)

顔貌を隠す仮面もなく、ローブも、付き添いもなく。規則に反した朝早い時間から、正式な依頼でもないのに教会の外に出ている。

 罪悪感にも似た不思議な感情と、微かな高揚感と。

 (でも…)

握っていた手を開くと、布の中で重なり合う二つの指輪と、そこから流れ出る帯のような気配の流れが見えた。煙のように揺らぐ帯は、一つの方向を指している。

 今は、外出を楽しんでいる場合ではないのだ。行方不明になっている女生徒を一刻も早く見つけ出さなければ。

 「あっちです。右手斜めのほう」

 「分かった」

車は、白く雪の積もった石畳の上をガリガリと音を立てて派手に弾みながら突っ走ってゆく。まだ朝の人通りの少ない時間だからいいものの、昼間なら、こんな運転は絶対に許されない。

 「あの、すっごい揺れてますけど…大丈夫なんですか、これ」

 「壊れやしねぇよ、中古だがな。くっそ、こんな日に限って雪たぁな。スピード出せやしねえ」

 「これで出してないんですか…。」

大通りを横切り、降ったばかりの雪の上にわだちを残しながら、車はどんどん教会のある街の中心部を離れてゆく。やがて目の前には、石造りの大きなアーチ型の門が見えてきた。

 (あれは…”勝利の門”だ)

 聖都から外へ繋がる二つの大門のうち、東側に位置する壮麗な門。島にはびこる異端者たちとの戦いに対する勝利を祝って作られた門が名前の由来となっている。物心ついた頃から養護院にいるロビンにとっては、遠足の時など、ごく限られた時にしか潜ったことのない門だ。

 「おい。まだ先か」

門をしげしげと眺めていたロビンは、慌てて手元に視線を戻した。

 「あ――まだ、先です。そのまま、街の外」

 「ちっ…。ガキの足じゃ一晩でそう遠くまで行けねえと思ってたのに。どこにいやがるんだ」

仮面なしに素顔のままで毒づいているヴィクターの横顔は、不思議と、仮面をつけていた時よりも怖さを感じない。

 「あの」

 「何だよ」

 「あの三人、裕福な家の子たちだったんですよね? 『悪魔』って、確か…欲望を抱くと囁いてくる、とかじゃなかったでしたっけ。どうして取り憑かれることになったんですか」

 「んなもん、裕福だろうが、美人だろうか関係ねぇよ。人間の欲望にゃキリがねえんだ。教会の教えが欲望の抑制と制御なら、奴らはそれを目一杯に解放させる。あの年頃の若い娘なんざ欲望の塊だぞ。少なくとも、意識不明になってる一人の動機には目星がついてる。そいつは最近、一度はフラれた男子生徒とよりを戻して付き合い出したんだとさ」

 「…なるほど。」

ということは、意中の男子生徒を振り向かせることが、その女子生徒の”欲望”だったのか。

 その短い幸せと引き換えに命を落としたのなら、あまりにも高い対価だったと言わざるを得ない。

 (やっぱり、『悪魔』は危険なものなんだ)

今更のように、ロビンはそんなことを思った。

 記憶の中にある、篝火に浮かび上がるあの異形――あれが『悪魔』だったのだとしたら、――いくら美しく見えても、気を許してはいけないもの、だったのかもしれない。

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