Ⅰ章―第2話 聖都と異端審問官(2)

 鐘楼塔脇の小屋に逃げ込んだロビンは、息を弾ませなら後ろ手に扉を閉めて、やれやれとため息をついた。

 ここまで来れば自宅も同然だ。教会の敷地内は保護者であるマークス司祭の管理下にある。堅苦しい異端審問官に小突き回されたり、指示されたりすることはない。


 両手で仮面をむしりとると、その下からは、ほっそりとした少年の顔があらわれた。短く刈り込んだくすんだ金色の髪に、明るい緑の瞳。

 窓際に取り付けられた小さな鏡を覗き込み、仮面で崩れた前髪を後ろへ撫でつける。

 小屋は厩と隣接していて、教会の関係者外出する時に使う旅行用の外套や雨具、巡礼時の衣装などが保管されている。教会の職員や関係者が外へ出る時は、ここで身支度を整えるのだ。

 (いつも思うんだけど、これ、結構恥ずかしい格好だよな…。)

物入れに仮面とローブを仕舞いなら、彼は苦笑した。

 外に出られるのはいいのだが、この仮面とローブだけは、どうしても慣れない。


 ただ、こんなものを身に着けなければなならない理由は分かっている。

 異端審問官は、何かと恨みを買いやすい職業だから、顔や姿かたち、性別すらも隠して行動する決まりになっているのだ。そして、教会の禁じる旧来の信仰を意地でも手放さない島民に対する脅しの意味もある。

 人を威圧しながら出歩き、人を指さしては恨みを買う。正直、異端とか正しい信仰とかいうものはどうでもいいと思っているロビンにとっては、気の重い仕事だった。




 小屋を出たところで、ちょうど黒ひげの男が追いついてきた。

 「おい、勝手に走り出すな。こっちは、お前を保護者に引き渡すところまで仕事なんだぞ」

 「だって、あの恥ずかしい仮面、早く外したくて…。」

外を出歩いている間は非必要最低限しか話してはならない決まりになっているが、ここなら普段通りで構わない。そう思ったとたん、舌は勝手に思ったままを素早く打ち返す。

 「相変わらず生意気な口を。お前、自分の立場分かって――。」

思わず手を上げそうになった男だった、向こうからやって来る司祭服の男の姿に気づいて、その手をさっと下ろした。

 やって来たのは、眼の前にいる恐ろしげな風体の男とは対象的に、柔和そうな笑みを讃えた人物だった。この教会を取り仕切るマークス司祭、養護院で保護されている子供たちの父親代わりでもある。

 「ロビン、お帰りなさい。お疲れ様でした、もう行っていいですよ。夕食の支度を手伝ってきてください」

 「はい」

頷いて、少年は養護院の厨房のあるほうへ軽快に駆け出していく。 

 「ちっ」

後ろで、黒ひげの男が軽く舌打ちをするの聞こえた。

 「ヴィクター。またあの子に辛く当たったんじゃないでしょうね」

 「ふん、あいつはどうも信用ならん。態度のデカさもそうだが、大人を馬鹿にしたところある」

 「彼は真面目で良い子ですよ。あなたのほうこそ、もう少し人を信用するという心を…」

言い合う二人の声が背後に遠ざかってゆく。

 (確かマークス先生とあの人、神学校の同級生って話だったな)

だいぶ走ったところでちらりと振り返ってみると、二人はまだ、小屋の前で何か話し合っている様子だった。

 雰囲気も仕事も全く違うが、あれで仲は悪くないらしい。

 ただ、「悪魔」や「異端」に対する態度だけは正反対で、意見が合わない。


 マークスは、養護院にいる子供たち皆に優しく、子供が教義を理解するのは難しいのだから、どんな疑問でも抱いて良い、と言う。

 けれど、あのヴィクターという審問官は、職業柄なのか教義を疑うような言動には厳しい。たとえ相手が幼い子供だろうと、聖典に書かれていることをイチイチ疑うな、教えられたとおりに理解しろ、と強く主張する。


 そんなことを言われても、無理なものは無理だ。――と、ロビンは正直、そう思っている。

 そもそも、教義の第一の基本、「三位一体」とやらがさっぱりなのだ。


 この世界を想像したのは、”天の父”と呼ばれる存在だという。「父」が地上に救いをもたらすために生み出したのが「母」なる女神で、女神は「子」たる「聖霊」たちを生み出して世界に散らばらせたという。

 だが、「父」と「女神」は親子ではなく、「女神」と「聖霊」も母子ではなく不可分の分身のようなものだという。すなわち、「父」と「女神」と「聖霊」は同じものなのだ。

 これが三位一体の教義で、「崇めるべきは”天の父”である」と、教会ではお題目のように唱えられている。どうして「父」と「母」と「聖霊」同じものになるのだろう。全くわからない。本当に理解している人などいるのかも怪しい。

 もちろん、相手”天の父”なのか”女神”なのかはさておいて、祭壇に向かって祈れと言われれば祈れはするし、敬意を払えと言われれば反抗する理由はない。

 ただ、あのヴィクターのような「信心深い」立派な聖職者にとってロビンのような疑問の抱き方は、排除すべき異端者の考え方そのもののはずなのだった。




 ロビンの暮らす養護院は、教会の敷地の奥、裏門からほど近い場所にある。

 ここは教会の福祉事業の一貫として、事情あって預けられたり身寄りを亡くしたりした子供たち集められている施設だ。いま居る人数は数は二十人ほど。親が異端審問で有罪判決を食らった、など、「異端」絡みの特殊な事情を抱える子供ほとんどだ。そうした子供たちは教会の規定により、「異端からの保護」を名目に集められていた。

 けれど、この教会ではマークス司祭の意向で、子供たちを罪人扱いすることは全く無い。場所教会内にあるということ以外、教会組織経営する他の一般的な孤児院とは、何も区別されていない。いずれ巣立つ時のために一般的な教育を受けさせられるのは同じ。

 そして、どんなに遅くとも十六歳までには、何らかの形で社会に出てゆくことになっていた。


 厨房を覗くと、夕食の準備はもうほとんど済んでおり、食事係のジーナせっせとスープを更に注ぎ分けているところだった。

 それを側で、無表情な少女一言も喋らずに手伝っている。

 ジーナは、もう五十年もここで子どもたちの面倒を見ている大ベテランの女性。少女のほうはケイナと言い、ロビンここへ来た数年後に「保護」された昔なじみだ。

 彼女は幼少期に起きた事件のせいで喋ること出来ず、十六歳を越えても養護院に留まり続け、今はジーナの手伝いとして、料理や掃除を担当している。

 勝手口から覗いているロビンに気づいたジーナは、目尻にしわを寄せて笑みを作った。

 「戻ってたんだね! ちょうどいいところに来たよ、そこのパンかごを食堂へ運んどくれ」

 「分かりました」

スープのいい香り漂い、正直なロビンの腹軽く音を立てる。彼は急いでパン山盛りのかごを両手で抱えると、隣の大食堂へ配りに向かった。

 食事の準備は、ここにいる子どもたち全員で手伝っている。

 大食堂のほうでは、何人かせっせと食卓を拭き、別の何人か人数分の食器を並べている。もちろん、全員ロビンと顔見知りだ。

 「あー、ロビン兄ちゃんだ」

 「ロビン兄ちゃん、おかえり! しんもんのお仕事、どうだった?」

子どもたち話しかけてくる。

 「んー、いつもどおりかな。」

 「お祭りの準備どうだった? お外のこと、教えて!」

 「いいよ、あとでな。」

幼い子どもたちの、きゃっきゃっという笑い声食堂に響く。どの子どもたちも十歳以下で、ロビンよりずっと幼い。


 この養護院では、養子縁組も積極的に行っている。たとえ、親異端審問に引っかかって親権を奪われた家の子供たちでも、素行に問題なく、思想的にも異端の汚染見られないなら、速やかに新しい家庭に縁組される。ほとんどの子どもたちは、十歳までにはそうして引き取られていく。

 引き取り手無かった場合でも、十六歳になれば、教会経営する農場や工場に就職するか、聖職者を目指すなら神学校に行くかを選ぶことになる。

 ロビンも、来年の春には期限を迎えることになる。どの道を選ぶのか、そろそろ決めなければならない。

 (臨時雇いで異端審問の仕事を手伝うことになるのなら、聖都の近くで就職したいな。それなら、たまにここへも顔を出せるし)

食卓の準備をしなら、彼は、もう何度目かになる将来の計画をあれこれと考えていた。

 (正直、この街以外の場所のことはよく知らないし。街の郊外の農場とか…。机に座って仕事をするのは向いてない。本を読むのは好きじゃないし)

考えている間に配膳終わり、準備は整っていた。


 マークス司祭戻ってきたのは、ちょうど丁度その時だった。

 「支度は整っていますね。では皆さん、着席してお祈りしましょう。」

言われたとおり、子供たちは二つ並べられた大きな長い食卓のそれぞれ席に腰を下ろす。厨房から出てきたジーナは、厨房に近いほうの食卓のいちばん橋の席。マークス司祭はもうひとつの食卓の奥の席で、最年長のロビンとケイナは子どもたちの面倒見られるよう、それぞれ、ジーナとマークスの反対側の端に着席する。

 マークス神父両手を組み合わせ、食前の祈りを捧げる間、子供たちもみな、神妙な顔で同じように両手を合わせている。

 「天よ、この大地の恵みを日々の糧としてお与えくださいましたことに感謝いたします。彼らの生命の犠牲に感謝を。」

 「感謝を」

 「では、いただきましょうか。」

両手を下ろし、司祭そう言って微笑むの、食事開始の合図だ。

 「いただきまーす!」

食べざかりの子どもたちは、待ってましたとばかり目の前の食事に飛びかかった。

 あとはもう、いつも通りの大騒ぎだ。パンをせっせとむしり取って口に運ぶ者、スープに浸そうとしてべたべたになる者。嫌いな野菜とそっと隣の席の子の器に移そうとしているのバレて大騒ぎになったかと思えば、食事中にとつぜんおしっこに行きたいと騒ぎ出す子もいる。

 「……。」

ケイナは何も言わず立ち上り、厠に行きたいと喚く幼い子供を抱き上げる。

 「大丈夫、パンは残しておくから。ちゃんと出すものは出してきなさい」

喋らないケイナの代わりにジーナ優しく言って、二人を食堂の外へ送り出す。

 子供たち二十人も一緒に暮らしていれば、こんなことは日常茶飯事だ。マークス司祭は、そんな大喧騒の食卓を、いつもにこにこと優しい笑顔で満足そうに眺めている。

 「ねー、ロビン兄ちゃん」

脇に座っていた、比較的年長の子供袖を引く。

 「街のお話し。きょう、お外出てたんでしょ」

 「聞かせてー」

 「そうだなあ…寒かったけど、まだ雪は全然降ってなかった。飾り付けもまだ始まったばっかりだったし、巡礼者も少なかったかな。賑やかになるのは、来週からだと思う」

 「来週? 来週もまたお出かけするの?」

 「いいなー」

 「遊びじゃないんだぞ、仕事だ。ずっと監視ついてるし」

 「でも、お外見たいな…。パパとママといた頃のおうち、広場の近くにあるの」

 「……。」

向かいの少女しゅんとするのを見て、ロビンの心が微かに傷んだ。

 その子供は、一年ほど前に養護院にやってきた。両親は街で古物商を経営していて、客から質入れ品として受け取った品、禁じられている悪魔崇拝に関連するものだったのだという。そして異端審問官に見つかり、両親は今、罪人としてどこかの矯正施設で改悛のおつとめをしているはずだ。

 彼自身、その異端審問官の一人として誰かを告発する手伝いをしている。それは、「人々を誤った道から救う」という異端審問の高い理想とは裏腹に、実際は、この少女と同じように、誰かを高い壁に囲まれた場所に送り込むという仕事でもあった。


 「――ねえ」

沈黙落ちていたのは、一瞬のことだった。

 ロビンの隣から、別の子明るい声をかける。

 「来週もおしごとに行くなら、広場の木の今年の飾りつけ、教えてほしいな」

広場のど真ん中に立つ街のシンボル的な大樹は、冬至祭には布を巻いたり紙花をつけたり、毎年違った意匠を凝らした飾り付けされるのだ。

 「いいけど…、いつ依頼来るかは分からないよ」

 「お外にいくときあったらでいいから」

 「分かったよ」

答えなら、ロビンには、来週もまた声かかるという確信あった。

 異端審問官の中でも、悪魔や異端の痕跡を「視る」こと出来る者はほとんどいないという。ロビンの持つ能力は貴重で、人の増える祭り期間は毎年、数日おきに仕事の依頼がやって来る。


 「異端」異端と受け止められていないこの島では、人と物集まれば、ありとあらゆる方向から痕跡が流れ込む。

 それも、取るに足りないものほとんどだ。

 今までに見つけたことある異端といえば、古物市に並んでいた古ぼけた茶器の模様が悪魔崇拝者のものと見なされている意匠になっていたこと。

 祖母の形見だというブローチ、悪魔の気配を漂わせている異教の品だったこと。

 街中で音程の外れた歌を歌っていた酔っぱらいの歌が、今では禁じられている、島の古い賛美歌だったこと。

 さらに教会を批判する冊子を無差別に配り歩く者が出たり、女神像にペンキをかけようとした不届き者が捕らえられたり、ともかく色々なのだ。

 聞く所によれば、元の島民は、王国この島で強引な布教をして強制的に改宗させたことを、今も恨んでいるのだという。

 ロビンも、自分の容姿からして昔からの島民の血は引いているだろうと思っているが、ごく幼い頃から教会で育ったせいでそのあたりの感覚はわからない。ただ、祖先伝来のお祭りや伝統文化を取り上げられたり、信じていたことを否定されたりしたら、嫌な気分になるだろうというのは、何となく理解できる。


 たとえ王国の征服から二百年経っていたとしても、その思いが消えるには、短すぎるのだろう、ということも。

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