第050回「定軍山の戦い」

 ――陳式の動きが鈍い。


 夏侯淵から搦め手の部隊である陳式を斃すように指示された徐晃は、とにかく正攻法で攻めた。


 が、ある戦いで深入りがすぎて兵を退くにも困難な状況に徐晃は陥った。蜀軍の戦力は三分の一であるが、この砦の攻防だけ見れば味方の数は劣っていた。


「王平よ。殿軍を命ずる。我が本隊を逃がすまで時間を稼げ」


 徐晃はとある最下級の将校に命ずると、自らは隙を見てサッサと撤兵してしまった。


 これを許せないのが、王平である。

 王平はあざなを子均といい巴西郡宕渠県の出身で、宕渠は不曹水と宕渠水の合流地点にあり、数多くの蛮楯蛮たちが住居していた。


 蛮楯蛮は蛮族の中では比較的に漢王朝に協力的で、漢中に侵入した羌族を追い払ったこともある。彼らが蛮楯蛮と呼ばれたのは「板製の盾を持って戦う蛮人」という意味からきている。


 しかし、後漢以降にこの呼称は消えて、巴人または賨人と呼ばれることとなる。賨人と呼ばれたのは、巴郡に繁茂した棕櫚に由来すると思われる。


 とにかく、この地で生まれた王平は張魯が曹丕に降されると、朴胡、杜濩、袁約に従って洛陽に赴き、とりあえず校尉に任命された。


 このことから王平は蛮の首領の部下であったことがわかる。王平が外家(母親の実家)で養われ、のちに王姓に服したことから彼は蛮楯蛮であったと思われる。


 これを裏付けるように、蜀書では「王平は戎旅の間に成長したため、字が書けず、知っている文字も十字をすぎなかった」という記事がある。通常士大夫の家では、五歳くらいで教育を受けるので、これはありえない。


 王平のもとの姓が何氏であったのは、母が蛮楯蛮であるためで、王平は漢人とは違う教育環境に置かれ、漢人である実父に後継者がいないために呼び戻されたのが本当のところだろう。


 とにかく、主将である徐晃に見捨てられる程度に王平は差別的待遇を受けていた。王平は、自分たちを見捨てて逃げた徐晃に漢族の卑しさを見て、陳式に降伏を願い出た。


 それから王平の運命は変わりはじめたと言ってよい。王平は劉備に降伏すると、牙門将、碑将軍に任ぜられた。王平は無学で文盲であった。

 

 しかし将として書類を作成する時は、すべてを口述筆記させたがすべて筋がとっており正確であった。また、人に史記や漢書を読ませてこれを聞くと、その内容に論評を加えると見事に的を得ていた。


 王平は学こそないが、ものごとの本質を見極め直感的につかむ能力がすぐれていたのだ。


 また、法律、規則を遵守し朝から晩まで一日中きちんと座り武将としての印象は薄かった。王平はまた、冗談を口にせず、性質が偏狭で疑り深く、軽はずみな欠点もあったが実務能力は秀でていたので、その部分を劉備が評価し、取り立ててくれたことを感謝していた。


 王平の投降などがあったが、さすがに徐晃は名将で陳式を撃破し、かなりの被害を与え、陣営を幾つも破壊した。


 しかし、陳式は決定的な敗北に至らなかった。そのために俯瞰的に見ると、陳式に兵力一万を釘付けにされていた。


 これは、劉備の経験からきた巧妙な陽動作戦の一部であったが、陽平関が落ちるまで徐晃は気づけなかったというのが兵術の深遠であるといえよう。


 陳式の陽動で夏侯淵の兵力を減衰させた劉備であったが、それでも陽平関の守りは固く、またそれを守る兵力も多かった。


「主よ、ここはひとつ陣営を移動して夏侯淵を誘い出しましょう」


 諸葛亮は法正と相談して南に退いて、夏侯淵に誘いをかけた。曹丕が漢中に到着するまでに劉備を撃破したい考えを持つ夏侯淵は、この作戦にまんまと乗せられた形で軍を移動させた。


「さあ、夏侯淵と決戦だ」


 劉備は諸将を鼓舞すると、綿密な作戦を展開させ、定軍山に布陣して、夏侯淵退治に臨んだ。夏侯淵はまず劉備を迎撃するために、張郃に兵一万を与えて前進させた。


 劉備は本隊五万を十部隊、すなわち、法正、黄権、黄忠、趙雲、魏延、厳顔、高翔、孟達、劉封、句扶に分けて夜襲を行った。


 いかに名将張郃であっても、劉備全盛期の陣営に抗するべくもない。蜀の諸将は烈火の如き苛烈な攻撃で張郃を攻め立てた。


「ここで敗れれば我もあとがないわ」


 張郃は異常なまでの粘りで劉備軍の夜襲を耐え抜いたが、それでも劣勢は隠しきれなかった。


 さらに、黄権の提案による火攻めを劉備が採択して行うと、張郃の敗色はますますと濃厚になった。


 巧みな火計は瞬く間に張郃が守る走馬谷の陣営を焼き払った。ゴーゴーと紅蓮の炎が張郃の兵員と糧食を焼き尽くして、さながら軍は半死半生の状態に陥った。


 趙雲、魏延、高翔といった劉備の虎の子の騎兵が張郃の率いるなけなしの歩兵を次々に屠り、打ち殺した。


 なかでも、趙雲の働きは凄まじい。戦場の趙雲は水を得た魚のように、馬を身体の一部のように自在に操って槍を振るう。


 趙雲が張郃の前陣にぶつかると、瞬く間にそれらは地面に落とした器のように砕けて星のように散らばった。


「我こそは常山の趙子龍なり。魏の賊軍ども、我が槍をいさぎよく受けるがよい」


 一日で趙雲は張郃の属将七人を討ち取る大功を立て、その名を轟かせた。張郃は、あまりに趙雲が自軍の指揮官を討ち取るので、前線の構築が上手くいかず、慌てて戦闘経験の少ない最下級の部隊長を繰り上げて将校にする必要性に駆られた。


「なんということだ。これがあの劉備か? 我が知っている男はまるで違う」


 かつて袁紹のもとにおり、その後曹操に仕えた張郃は、劉備の過去をかなり詳しく知っていた。


 張郃の印象では、劉備はいつも敵から逃げ惑って、勝利らしい勝利を得たことがない男であった。


 もっとも、この時、劉備軍の総指揮を執っていたのは実質諸葛亮であったことを張郃は知らない。


「ならば奇襲だ。こちらも劉備に夜襲をかけてやる」


 意気込んだ張郃は、戦闘が終わるとすぐさま兵卒に休息を取らせて、夜を待った。


 だが、張郃の動きなど読み取れぬ諸葛亮ではない。


「張郃は反撃に出るだろうか」


 劉備の問いに諸葛亮は


「主の仰せられる通りに、張郃は黙ってやられたまま引っ込む性格ではありませぬ。今宵にも、夜襲をかけてくるでしょう」


 諸葛亮は劉備の許可を得て、諸将に作戦を伝達すると、張郃がやってくるのをいまかいまかと心待ちにした。


 そして、明け方近くに張郃は精鋭二千を選りすぐって劉備の陣営に接近するのを斥候が確認した。


 ――よし、劉備のやつ。昨日の勝利に酔い、昏々と眠っておるわ。


「いまこそ先日以来の借りを返す時ぞ。劉備の首を取れば褒美は思いのままだ。者ども勇んで、敵を打ち殺せ」


 張郃は怒りと興奮で両眼を血走らせながら騎兵を陣営に突撃させた。防備の柵を破壊し、魏の歩兵たちが喚声を上げながら突っ込んでゆく。


 しかし、予想に反して周囲の天幕は鎮まり返っている。


「やや、これはいったいどうしたことだ――?」


 張郃から笑みが消え、顔色は死人のように蒼ざめてゆく。同時に、あたり一面の天幕が一気に燃え盛って、勇躍して飛び込んでいった張郃軍二千は炎の海に呑み込まれた。


「しまった、これは諸葛亮の罠だ!」


 このころになると、曹軍に劉備のもとに諸葛亮という稀代の知恵者がついており、荊州以来劉備の快進撃にはこの謀主の作戦があったと知れ渡っていた。


 四方八方から火の手が上がり、張郃は右往左往するばかり。なんとか逃げ出そうと出口に近づくと、無数の火箭がほとばしって兵たちを次々に射殺した。


 さらには、天幕のなかに潜ませていた硫黄や油、または通路をふさぐように置かれていた柴草に火箭が突き刺さると、炎はさらに巨大化して張郃軍を焼いた。濛々と立つ黒煙のなかで使者が張郃に報告するには


「背後から黄権、孟達の兵が押し寄せて火矢を盛んに打ち込んでおります。さらには、東西から魏延と黄忠の軍が攻め寄せ、本営には劉封と厳顔の兵が押し寄せ、お味方はただいま苦戦の最中につき、援軍は出せぬとのこと」


「ぬうう、とにかくここから脱出だ。本営に戻って防備を固め、陽平関からの援軍を待つのだ!」


 張郃は色を失うと、自ら陣頭に立って攻め寄せる蜀の歩兵を槍で突き倒して、なんとか逃げ道を探った。


 世界は水色に染まり、夜が明けかかっている。張郃がなんとか手薄な蜀軍の包囲を破って飛び出すと、それほど離れていない丘の上に四輪車に乗った白皙の男が羽扇を手に悠然と張郃を眺めていた。


「そなたが魏で少しは知られた張郃か。そなたの稚拙な策略はとうに見破られている。天軍が舞い降りたのだ。ここでいさぎよく降参すれば、そなたも、配下も一命をとりとめよう」


「おまえは、誰だ!」


「諸葛亮孔明」


「な――に」


 張郃は騎乗でブルブルと身体を震わせると、槍をつかんだ腕を天高く差し上げて、一気に馬の腹を太腿で締め上げ、駒を進めた。


「馬鹿が。ここでおまえを討ってしまえば勝利はこちらのものぞ!」


 この突撃ですべての汚名を晴らそうと張郃は全身全霊を込めて突っ込んだ。が、諸葛亮は優雅に羽扇を膝の上に置くと薄い笑みを浮かべた。


「それを匹夫の勇と言うのだ」


 たちまちに、諸葛亮の四輪車の背後から数十人の兵が現れ迫り来る張郃に弩の連射を浴びせかけた。


「ぐわおっ」


 張郃の悲鳴が轟いた。至近距離の一斉射撃だ。張郃は手にした槍で、幾本かは払ったが、自身も馬も矢で射抜かれて、ついにはどうっと地に落ちた。


 あわや張郃の命もここまでかと思いきや、長子である若干二十歳の張雄が馬を飛ばして駆けつけてきた。


「父上、ここは私が防ぎますのでとにかくお逃げください」

「ぬ、ぬう。無念」


 父親譲りの豪勇を発揮した張雄は津波のように押し寄せる蜀軍を矛であしらうと、みごとな手綱さばきでなんとかその場から逃げ去った。諸葛亮も深追いをせず、淡々と勝利を劉備に報告した。


 ――これでいい。夏侯淵はすでに孤立した。


 諸葛亮は成都の龐統や楊洪に守備隊に残置しておいた二万の増援を頼み、さらには定軍山の有利な地形を劉封の攻撃によって夏侯淵から奪い、決戦に不可欠な準備をすべて整えた。


 一方、夏侯淵は張郃危うしと見ると、自軍の半数をさらに裂いて与え、これにより自ら弱体化を招いた。


「劉主、いまこそ夏侯淵を討つ時ですぞ」


 法正が献策すると劉備はこれに同意して、夏侯淵を討つための主将選びに頭を捻った。


「劉公よ、ここに人なしと侮るか。不肖、この老黄忠。齢を重ねても、我が刃はいまだ衰えを知り申さん。願わくば、我に一軍を与えたまえ。必ずや、敵の主将である夏侯淵を討ち取って、陽平関を手に入れる三軍のはなむけと致しとうござる」


「よろしい。ならば、参軍として法孝直を伴うように」


 劉備の命を受けた黄忠は、精兵五千を引き連れると、喜び勇んで飛び出して行った。


「漢升どの。まずは、敵地の情勢を探るために、あの山を取りましょう」


 法正の献策に従って、黄忠は得意の騎兵を伴い、夏侯淵の佐将であった杜襲の守る隣山の攻略に向かった。


 名もなき山ではあるが、この場所からならば夏侯淵の陣をつぶさに調べることができる。


「さあ、老黄忠が参ったぞ。我が死出の旅路につきそいたい者から前に出るがいい!」


 青年の膂力にまったく劣らない黄忠は自慢の剛力で大刀を振るうと、杜襲の陣から向かい来る歩兵を次から次へと斬り殺した。この黄忠の異常なまでの戦意と突撃力に、小山を死守せよと命じられていなかった杜襲はたちまちに陣を乱して逃げ落ちていった。


「見よ、孝直どの。この儂にかかればあのような小童は話にもならんわ」


 法正よりも頭ひとつ分大きい巨躯の老将は山の頂上に立つと、見晴らしのよい景色を眺めながら呵々大笑した。


「見てください。ここからならば、夏侯淵の陣がよく見えます。こちらから一挙手一投足を見張られているとわかれば、短気な夏侯淵は必ず動揺し、平時では考えられない行動に出るでしょう。その機を待つのです」


「ふむう。儂も気が長いほうではないが、こうまで上からジロジロ見られればカッと来るのは当然じゃのう」


「ころあいを見て、こちらから仕かけるのも面白いでしょう。いましばし、お待ちを」


 法正は山の各所に兵を派遣して、わざと夏侯淵から見えるよう随所に旗を立てさせたり、兵士を移動させたるなど、かの男を煽る作戦に出た。


 ――我を侮るかよ、黄忠めが。


 法正の作戦は夏侯淵に対してこのうえもなく効果を発揮した。夏侯淵は自陣に逃げ延びてきた佐将の杜襲から、軽挙妄動を慎むように窘められたが、内心では「おまえが易々と山を取られなければこんなことには……」という思いが前面に出てしまい、仲間内で不和になるという悪条件が重なってしまう。


「夏侯淵と杜襲の仲は上手くいっていないようですな」


 法正の言葉に、大刀を磨いていた黄忠はわずかに片眉を上げて応じた。


「意外に夏侯淵のやつは気が長いのう。こっちのほうが先に堪忍袋の緒が切れそうじゃ」

「そろそろ仕かけ時です。黄将軍、ご準備のほどを」


 黄忠は大刀を手にすっくと立つと矍鑠とした様子で胸の甲をドンと叩いた。


「この時を待っておったわ」


 山頂から夏侯淵の様子を調べた法正は敵陣営の軍規にゆるみが生じていることを見て取った。


 すぐさま、一軍を手配すると夏侯淵の陣から南方に十五里ほど離れた軍営の逆茂木に火を放った。素早く的確な攻撃に夏侯淵は軽挙にも自ら修復のためにわずか数百程度の軽兵を引き連れ修理に当たっていた。


 ――夏侯淵よ、なんという愚かな男だ。しかし、これで勝負は決まったわ。


 法正は斥候の情報を聞くと、すぐさま待機している黄忠にこれを伝えた。

 天祐とはまさにこのことを言うのだろう。


 黄忠は、待ちかねたぞと一言発すると、蜀の精鋭三千を率いて、凄まじい勢いでドッと山を駆け下った。


 その様子はまるで真っ黒な波濤が砂浜の小さな城を突き崩すような勢いであった。


 黄忠は乾坤一擲の大勝負に賭けた。


 鼓を打ち鳴らし、雷鳴のような怒号と共に、黄忠は陣頭に立って騎馬を巡らせて、向かい来る魏軍を片っ端から斬って捨てた。


 夏侯淵の軽兵は濁流のような黄忠の攻撃を受けるとたちまち瀕死状態に陥った。


 逃げようとする者は、狭い山道で討たれ統制の取れた戦闘は行えず、黄忠の独壇場でただ骸に化すだけだった。


 夏侯淵は防御に適した場所を取ることができず、ただ、うろたえながらも自ら兵卒の前に立ち矛を手にしたまましきりに指示を下していた。


「そこなるは敵将夏侯淵と見た。いざ、尋常に勝負せよ」


 黄忠は獅子奮迅の勢いで坂を駆け下り、烈火の如く夏侯淵に斬りかかった。

 それは、戦場に真っ白な彗星が流れたようであった。


 黄忠は全力で自慢の大刀を夏侯淵に向かって振り下ろした。

 刃は夏侯淵を兜ごと両断した。

 真っ赤な血が霧のようになってあたりに舞い散った。

 曹操旗揚げ以来の宿将、魏の重鎮はこの一撃で命を落とした。


「敵将夏侯淵は蜀の黄忠が討ち取ったり!」


 黄忠は大刀をかざすと堂々と勝ち名乗りを上げた。これを目の当たりにした魏軍の士気は崩壊、全軍総崩れになり、戦う意思を失った。

 時を置かず、四分五裂し、算を乱すとあちこちに落ち伸びていった。


 黄忠は、夏侯淵を討ち取った勢いに乗じて騎兵を展開させて、残存する魏軍の陣を破壊する。


「いまこそ勝利の時ぞ。敵兵を討って討って討ちまくれ」


 黄忠の弓隊は空を埋め尽くさんばかりの矢を放って、魏軍を翻弄した。歩兵は戟をそろえて逃げ惑う魏軍を散々に打ち殺して、その数を減衰させた。


 本営を守っていた夏侯淵の五男である夏侯栄は夏侯淵討たれるの報を聞くと、戦闘続行を指示したが、属将たちはかぶりを振って撤退を提案した。


 それでも夏侯栄は逃げることを拒否するので、周囲の部将たちは幼い彼を抱えて逃げようとした。


 しかし、本人は逃げることを承知せず

「主君や父が危ない目にあっているというのに、どうして助かることができようか」

 と、言って自ら剣を取ると劉備軍と戦い、乱刃のなかで落命した。


 夏侯淵はしばしば戦うごとに戦勝をおさめていたが、曹操からは


「指揮官たる者、臆病な時もなければならない。勇気だけを頼みにしていれば、必ずいつか手痛い目に遭う。指揮官は、当然ながら勇気を基本とするが、行動に移す時は知略を用いなければならない。勇気に任せることしか知らないのであれば、それこそひとりの男の相手にしかなれぬものだ」


 と戒めていた。


 また、この定軍山の戦いでは曹丕により益州刺史に任命されていた趙顒も黄忠の苛烈な攻撃によって乱戦のさなかに斬り殺されている。


 黄忠の活躍によって討ち取られた夏侯淵であったが、張郃はなんとか劉備軍の攻撃から逃れて、逃げ延びてきた曹軍の将士を収容して距離を取ることに成功していた。


 劉備は、黄忠が夏侯淵を討ったことを激賞したが、そのなかに張郃の首がなかったことは


「首魁の首を討ち取っていないではないか」


 と、ひとり嘆息を漏らした。

 それほどまでに、張郃は名将であり、劉備は恐れていたのだった。


 こうなれば、あとは主将が死んで防備を失った陽平関である。

 劉備は、劉封と陳式に手勢を与えてこれに攻撃を加えた。


 要衝である陽平関は諸葛亮の読み通り、ほとんどなんら抵抗なく落ちた。この場所を守っていた張魯の一党は、単独では劉備軍を防げないと知っており、わずかな手勢と共に南鄭に向かって逃げていった。


 この漢中争奪戦におけるエポックメイキングな戦闘を人々は定軍山の戦いとして後世に語り継いでいった。


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