第037回「曹丕の漢中討伐」

 張魯という男がいる。字を公祺といい沛国豊県の出身である。豫州出身であるこの一族の来歴はどのようなものだったのだろうか。


 張魯の祖父である張陵は、蜀に身を寄せて鵠鳴山で道術を学び、道術の書物を著わして人々を迷わせた。


 そして張魯の父である張衡は張陵の術を受け継ぎ、人々にこの教えを広め、彼のもとで学ぶ人々は礼として米五斗を差し出したため、世間では張衛とその一党を「米賊」と呼ぶようになる。


 張衡が没すると張魯が五斗米道を受け継いだ。

 益州牧であった劉焉は彼を支援して漢中太守である蘇固を盛んに攻撃させた。だが、劉焉が死にその子劉璋に代替わりすると、漢中と蜀との蜜月は終わりを告げる。五斗米道が益州政権に服従しないという理由で関係は悪化し、最終的に張魯は家族を皆殺しにされて、回復不可能な状態となった。


 そして張魯はそのまま漢中を占拠して、五斗米道による楽園を作ろうと世界から隔絶してゆく。


 張魯は妖術によって住民を導き、自らを「師君」と号し、信者を「鬼卒」と呼び、本格的に道術を授けられ信心が深い者を「祭酒」と呼んだ。祭酒はそれぞれ一段の信者を


 支配して、その数が多い者を「治頭大祭酒」と呼んだ。

 五斗米道の教えは基本的に人を騙すことは許さず誠実さを旨として、病気にかかると犯した罪を告白させた。これらは特にほかの宗教とあまり変わりがなく、むしろ至極真っ当な教えであるといえよう。


 祭酒は義舎を作り、義捐の米肉を保管して旅人に振舞ったが、必要以上に喰らう者を罰したというから、これも真っ当な教えだ。


 こうして漢中は五斗米道の教えに基づき、長吏を置かずに祭酒によって治められ、信者はますます増えることとなる。


 この教団は三十余年漢中と巴郡を治めて、朝廷や曹操もうかつに手が出せないほどの一大勢力に膨張しつつあった。


 後漢末、朝廷は張魯を征伐する力に欠けていたので、彼を鎮民中郎将に任じ、漢寧太守の官につけ、貢物だけを献上する義務を課して放っておいた。張魯は五斗米道を教え、広めることに没頭し、軍事は弟である張衛に任せていた。


 ある日、住民のひとりが地中から玉印を手に入れ張魯に献上した。部下たちは張魯に漢寧王の尊号を名乗ることを望んでおり、このことがひとつの契機となる。張魯の功曹である巴西の閻圃が張魯を諫めて


「漢川の住民は十万戸を超え、財力は豊か、土地は肥沃、四方は堅固な地勢によって守られております。ゆえに。上手くいって天子をお助けできれば、斉の桓公や晋の文公のようになれましょう。それがだめでも光武帝に帰服した竇融(新末後漢初の群雄のひとり)となって富貴の身分を失うことはないでしょう。


 いま、独断で処置しうる権限を与えられ、刑罰を断行する充分な勢力を持っているのに、別に王になるまでもございません。


 どうか、いましばらく王と名乗られることなく、まっさきに災厄を受ける羽目になることのないようになさってください」といい、


 張魯はこの意見に従った。閻圃はなまじ自儘に王を名乗って、朝廷や群雄に目をつけられる愚を知っていた賢臣であるといえた。


 この張魯を漢の建安十五年(二一〇)四月に魏公を名乗って間もない曹丕が自らの野望を達するため、討伐を行うため軍を派遣した。


 曹丕自らが軍を率い、大将は一族の夏侯淵に猛将で知られる許褚を筆頭に、幾人もの将が名を連ねて洛陽から進発した。


 先鋒の夏侯淵は佐将に許褚を伴って渭水を西進した。まもなく軍は陳倉に至り、散関を経て漢中郡の要害である陽平関を奪う計画を立て、実行に移る。夏侯淵はほどなくして、河地に到着した。氐族の居住地であるこの地で少数民族と衝突した。


「蛮賊どもが。王軍に逆らうと、どうなるか思い知らせてやる」

 夏侯淵の兵は剽悍である。武備、練度、いずれも磨き抜かれた精鋭の猛攻に、氐族は抗することもできずに撃破された。


「よくやった、妙才」

 曹丕は夏侯淵の軍功を讃えると幸先のよさに相好を崩した。一方、それを迎え撃つ張魯は生きた心地がしない。


 ――曹丕が来るのか。

 張魯は、十万を超える兵を率いた曹丕を当然ながら酷く恐れた。たちまち怯えて降伏論を口に出すのも当然の結果である。張魯は、たびたび劉璋の将である龐羲に攻められていたが、その都度侵略者を撃退していたのは、弟である将軍の張衛である。彼だけは、兄を含めてほかの者とは外敵を迎え撃つ意気込みが違う。


 ――曹丕、なにする者ぞ。

 この時、漢中には五万を超える兵力があった。

 ほとんどが、五斗米道に帰依する信者で構成されており、張衛はこの兵を指揮して幾度も龐羲を打ち破った実績があった。


「敵は曹操ではなく、そのせがれの曹丕である。曹丕が特に戦上手であるとは聞いたことがない。彼は、関西で馬超に敗れ、潼関ではあと少しで首を討たれるところであった。漢中には五万の精兵と天然の要害がある。師君よ。我が、彼らを指揮して山々に砦を築き、打ち破って進ぜよう。師君は南鄭で我の戦いを見守っていてください」


 曹丕に降伏するのを嫌がり、張衛に従う将兵は多かった。張衛は、南鄭の守備に一万余騎を残すと、ほぼ全軍にあたる四万の兵を率いて陽平関の守りを固めた。


 夏侯淵は、先年、涼州の首魁である韓遂を野戦において徹底的に打ち破り、その軍功は魏において他の将と隔絶している。夏侯淵の持ち味は異常なまでの素早い進撃速度と、野戦における騎兵の強さにある。


 しかし、夏侯淵は陽平関周辺が想像以上に固い守りであると見抜くと、甲のなかに冷や汗をかきながら歯噛みした。


「これでは一撃で落とす、というのは難しそうだ」

 張衛は夏侯淵が陽平関から離れた場所に陣を張るのを見て取ると、兵卒に漢中で作らせた精度の高い戟や大量の弓矢を持たせて士気を鼓舞した。


「見よ。夏侯淵の兵馬は長らく移動を続け、疲れ切っている。いま、この時に乗じて攻撃をすれば大勝間違いなしだ。我に続け。道の教えを守るのだ」


 信仰に基づいた兵たちは張衛の堂々とした訴えに、ある者は感激し、ある者は感涙して命を棄てて戦うことを決意した。日が中天に達した春の午後に、張衛軍は土煙を上げながら怒涛の勢いで襲いかかった。


 ――来おったな。

 さすがに歴戦の勇将である夏侯淵は疲れていても警戒は怠らなかった。両軍は広々とした平地で激突した。


 張衛は奮戦した。だが、夏侯淵の兵は想像以上に手強かった。騎兵同士がぶつかり合うが、時間の経過と共に張衛軍の劣勢が徐々に明らかになっていった、張衛の旗印は兵馬の命が消えゆくほどに、精気を失っていった。


 次第に、騎馬から張衛軍の騎士たちが落とされる率が高まってゆく。旗色悪し。夏侯淵は張衛の想像以上に強かったのだ。


「このままでは陣を破られかねぬわ」

 張衛は、なんとか活路を見い出そうと温存していた軽騎兵を出撃させるが、これらは許褚の指揮する強固な歩兵によってあっさりと進撃を食い止められた。しばらく張衛は戦いを見守っていたが、このままでは陣形を留めさせられぬと思い、ついには捨て身の反撃に出た。


「者ども、我はこの戦いで死ぬぞ。続け!」

 張衛自身が矛を取って騎兵を繰り出した。

 やや、勢いが優っていた夏侯淵の兵馬は、この突撃で次第に押され始めた。


 張衛自身が陣頭に立ち、夏侯淵の中央に突っ込んでゆく。夏侯淵は弓隊を指揮して、矢を浴びせかけて来たが、張衛はまるで気に留めずに異常なまでの執拗さで歩兵を進撃させた。損耗率を考慮しない防備を棄てた攻撃に夏侯淵の歩兵はたじろいだ。矢を受けて、次々に倒れる仲間を踏み越えて、迫る五斗米道の軍に恐怖を感じ始めたのだ。


 恐れは、たちまちに伝播する。あきらかに夏侯淵の軍が勝っていたにもかかわらず、兵たちが徐々に後退してゆくのだ。粘り勝ちだった。消耗度がはるかに高い張衛軍が夏侯淵の兵を押しやっている。


 それは、不思議な光景とも言えた。あたりには、漢中の兵卒の死体が転がっている。戦場は勝っている曹丕軍が逃げ出すという奇妙な状況を作り出した。


「なんだこいつらは、狂っている」

 万余の被害が出ているというのに、張衛の軍は進撃の足取りをゆるめようとはしない。強制ではなく、信者たちが自発的に死のうとしている様子に夏侯淵は背に薄気味悪いものが走った。張魯の支配地における住民は官吏の制限を受けなかった。つまりは、信仰による統治と自由である。それらは自由さはあるが、究極的には文化度及び積み上げてきた軍事的練度に欠けていた。


 いま、張衛の軍に身を投じた者たちは、自らの命をもってそれらを贖おうとしている。代償は大きいが、信仰の力は衰えていなかった。


「撤退だ」

 夏侯淵は損害を無視するように突撃する張衛の攻撃に、兵士の動揺が大きすぎると判断した。無念であったが一時、軍を退いた。当然ながら張衛の追撃が来ると考えていたが、すでに万余の死傷者を出していたために夏侯淵はそれ以上後背に傷を受けず撤退することに成功した。


 ――勝ったのか。

 張衛は夏侯淵の陣が目前から消え去ったことに、喜びよりも不可思議さを感じていた。


 中央の軍は強い。

 掛け値なしだ。


 張衛は、劉璋が派遣した龐羲の率いる数万の軍を数千の歩兵で退けたことがあったが、今日ほどまでに圧力を感じたことはなかった。張衛は死屍累々とした戦場から、陽平山にある砦に戻ると、見張りを厚くすることを命じた。それから、わずかに近臣を数名招き、ささやかに酒を配った。立ったまま、ぐびりと酒を煽った。この時代の酒は清酒のように澄んではおらず、濁酒のように濁っており、相当な量を呑まぬ限り泥酔するということはない。椅子に深く腰かけて、深く、長く息を吐き出すと、甲のままであるが次第に高揚していた気分が落ち着いてきた。


 ――なんとも危うい橋を渡り切ったわ。

 張衛にとって緒戦は重要だった。この戦いで敗れるとあとがない。兵卒たちの士気は地に落ち、陽平関を死守できる可能性は限りなく減るであろう。


「だが、ここで気を抜いては成らぬ。諸将よ、明日からは山頂に籠って持久戦に入る。それ以外に、兵力もはるか上で剽悍な曹丕の軍勢を追い返す方法はないだろう」


 宣言通り、張衛は翌日から持久戦に入った。山岳に巡らせた陣営を将軍の楊洪や楊任に守らせて、攻めて来る曹丕軍を甲羅に籠った亀のようにジッとやり過ごす。攻めあぐねて撤退する夏侯淵の背を狙うようにして、時には果敢に攻撃を行った。徐々に曹丕軍は細かな負債を全体に積み重ねていった。


「撤退、するべきなのか」

 漢中討伐軍が陽平関を攻撃し始めてから、五十余日を経過した際、ついに曹丕の口から気弱な言葉が出た。ころは、すでに五月の半ばに達しようとしているが、いまだ、張衛の守る陽平関はこゆるぎもしなかった。



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