第036回「荀彧の追放」

 法典の制定、国力の増強、人材の獲得など忙しい日々を送っていた諸葛亮が、療養に努める龐統を訪ねたのは、思った以上に月日を喰っていた。


「士元よ、その後の具合はどうなのだ」

「孔明か。久方ぶりだな。はは、いろいろと忙しいか。儂のことなど忘れてしまったかと思ったわ」


「馬鹿を申すな」

 ――顔色は悪くない。


 病床の龐統は牀の上で両足を投げ出していた。が、諸葛亮は龐統の右膝から下がないことに気づくと愕然とせざるを得なかった。


「士元、その脚は――」

「ああ、これか。矢傷で膿んでしまってな。医者が切らねば死ぬと申すので、こう綺麗さっぱり、すっぱりとやってもらったわ」


 快活に笑う龐統であったが、諸葛亮は暗澹たる面持ちで羽扇のなかに顔を埋めるのが精一杯だった。龐統は諸葛亮の天下統一における戦略上、絶対に必要な男であった。


 来るべき北伐時には、龐統が劉備を支えて北伐軍を指揮し、自分は蜀にて武器兵糧を絶え間なく送り龐統を支える。もっとも重要な兵糧補給に自分が全力を注ぐ。それは前世の北伐でもっとも苦労したのが物資の枯渇であることを知っていた諸葛亮の強い思いであった。


「なあ、そんな顔をするな孔明。残念だが、こうなっては陣頭指揮に立って劉公をお支えすることは難しいだろう。儂は、なんて阿呆なのだろうな。前線に出るなというおまえの忠告をもっと胸に染みらせておけば、このようなことはさけられたかもしれぬ、が、それでも後悔はしておらぬのよ」


「士元?」

「儂はあの戦場においてできる限りのことをやった。こうして、矢を受けたのは天命だ。右腕もロクにあがらぬのでは、みなに迷惑をかけてしまうだろうしなあ。おい、そのような顔をいたすな、孔明」


「私は悲しいのだ、士元よ。そなたほどに兵術に非凡なものを持った男はおらぬというのに、それをこのような姿に――」


「もう言うな。孔明よ。我に内のことを任せよ。そなたは、劉公を補佐して戦陣に立ち、絶対に曹丕を滅ぼし、漢朝をよみがえらせてくれ。なあに、軍は指揮できぬでも、政治のことはすべて任せてくれ。そなたが率いる軍を我が絶対に飢えさせぬ。だから、のう。約束してくれ。孔明よ、お主が必ず中原に居座る逆賊を討って、この天地に飢えと戦の起こらぬ世を作ってくれ」


「士元よ。約束する。私が必ず主を旧都にお連れして漢王朝を賊の手から取り戻してみせよう」






 益州を劉備が奪取した報は瞬く間に大陸各地を駆け巡った。荊州から劉備が出陣して半年と経過していない。この壮挙は無論、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの曹丕や寿春を狙い捲土重来を待つ孫権の耳に入ることになる。


 実父曹操の仇である劉備の出世をもっとも面白く思わない人物が曹丕であるが、鄴にいる彼の機嫌は周囲が思うほど悪くはなかった。


 ――我もついに魏公になったのだ。

 関中を騒がしていた馬超をはじめとする西方諸侯連合を斃し、涼州をほぼ制圧した曹丕は端から劉備を脅威に思っていなかった点もあった。


 特に、曹丕の将である夏侯淵の軍功が際立っている。

 夏侯淵は馬超を追う一方で河首平漢王国を滅ぼしていた。このほとんど、聞いたことがないような小国の王は宋建といい、独自の年号を持ち、丞相以下百官を置いていたが、夏侯淵の攻撃の前にひと月と国を保持できずに消滅した。


 後漢末期の仇花のような存在であるが、このような山奥に住むひっそりとしたおとぎ話の小国は人知れず消えた。


 また、夏侯淵は涼州に割拠する大小豪族から戦力を引き抜いて、魏の兵力を充足させている。これらは、将来的に曹丕が行う漢中討伐軍に振り分けられる重要な資源でもあった。ただ、曹丕の魏公就任もあっさり決まったわけではない。これには、幾人もの曹操以来曹家を支えていたブレーンとも言うべき名士が反対しており、そのなかでもっとも力を持っていたのが荀彧であった。


 荀彧は字を文若といい潁川郡潁陰県出身である。荀彧は若き日に南陽の何顒に「王者補佐の才能あり」と評され、董卓の乱を受けて冀州に向かった。冀州で袁紹に招聘されたが、彼が大事を成せない男であると判断すると、すぐさま曹操に仕え幾多の戦いで重要な献策を行い、曹操を勝利に導いた。


 曹操は荀彧を「我が子房(前漢の三傑である張良の字)なり」と激賞して常に傍らに侍らせた。この荀彧が曹丕の魏公就任をもっとも強く諫め、やがて疎んじられるようになる。曹丕の魏公就任を強く勧めたのは董昭らであった。董昭は、事前に荀彧に対して曹丕の権威を高めるために、これらの計画を事前に相談した。


 無論のこと反対されるなどとは露も思わなかったが、荀彧はこのことを聞くと


「太祖が義兵を起こしたのは、朝廷を救い国家を安定させるためである。それは、まごころの忠義から行ったもので、いつわりのない謙虚さを守り通してきたのはすべて真実である。君子は人を愛する場合、徳義によるもので、ましてその後継者である丞相(曹丕)が自らそのようなことを受けるのはよろしくないことである」

と主張した。


 ――なんとつまらぬことを主張する男よ。

 曹丕は、曹操と違い、創業時からギリギリの状況で荀彧ら古参の将と互いに命を分け合い共に戦ってきたわけではない。


 さらには、曹操亡きあと、西方諸侯連合を討ち、涼州を平定して、さらに揚州の孫権を撃退した手腕から、驕りが見えるようになったのだ。


 荀彧は子房(張良)になぞらえられただけあって、献策を行う際には曹操を高祖と見立てている。さらに言えば、献帝を義帝としている。つまり、これは曹操のために献帝を擁立しているだけであって、このことから荀彧を漢の中臣として完全に位置づけるのは不可能なのだ。だが、ここに至って荀彧は曹丕の魏公就任に反対しており、そこに考えのぶれと苦しみが見て取れた。  


 荀彧のなかでは漢王朝再興は名士価値の根源である儒教国家の復活が常にあったが、そもそも劉氏の王朝がそれにふさわしいかどうか、という疑念が常にうず巻いていた。


 これは、漢朝復興をスローガンにして脇目も振らず邁進した諸葛亮と比べると現実に適応しようと苦しんだ荀彧の姿がありありと浮かび上がってくることがわかる。


 が、曹丕からすれば、それはいままで父である曹操に対しては一心に仕えてきた家臣の急過ぎる反逆としか思えなかったのだ。


 ――儂を二代目と見て侮るかよ。


 歴史に刻まれた天才曹操と、死後も比べられ、そしてこれからも色眼鏡で見られる曹丕からすれば、荀彧のはっきりしない態度は自分に対する侮蔑と取れた。


 ここで荀彧が、誰を差し置いても曹丕を肯定すれば、間違いなく曹丕からの強い信頼を勝ち取ることはでき、またいままでの実績から魏王朝における臣下第一等の功績を讃えられ、輝かしい道を歩んだまま人生を終わることができたはずであった。


 しかし、曹丕の好悪の情は強烈であった。寵臣には、過剰なまでに愛を注ぐが、一旦嫌悪してしまえばそれを取り去ることはほぼ不可能なほどである。


 荊州の戦いで激減した兵力も、ここ一年近くでかなり回復している。これが中原を制していた曹一族の底力であり、諸葛亮の経験と知識と先読みをもってしても簡単に覆すことができない、本質的な国力の差であった。


 魏公曹丕の意志はあまりにも強すぎた。荀彧は、日に日に諸将から向けられる憐れみとも恐れともつかない視線や態度で自らの運命が決したことを知った。


 ――もはやこれまでか。

 荀彧はやはり聡明であった。曹丕から直接的な咎を受ける前に、自ら隠退を申し出たのだ。


「わたしは誠心誠意、先代と魏公にお仕えしましたが、寄る年波には勝てず、年老いてこれ以上はお役に立てそうにもありません。残ったのは、この骸骨のみで、これを持ち帰り祖先の墓に埋めることができれば、あとは思い残すこともありません」


 古代中国の官吏に定年退職という制度はないが、実際には老臣が退職を希望する際には骸骨を乞うという表現がとられ、認められることが多かった。


 庶民による労役や兵役の定年はおおむね六十歳程度が目安で当時は、この歳が高齢者扱いをされていた。平均寿命が極端に短い古代と現代の定年退職の年齢が同じのは、やや驚きである。もっとも、建安十五年(二一〇)の荀彧は四十七歳とかなり若いが前例がないわけではなかった。


「お、おう、そうか、文若よ。そなたからはもっと教えを乞いたかったのであるが、是非にと言うならば許そう」


 曹丕は自ら手を下さずにホッとしたのか、むしろ荀彧を気遣うような態度で隠退することを許可した。


 荀彧は、鄴を出ると誰にも行き先を告げに立ち去ったという。おそらくは生まれ故郷である潁川に戻ったと言われるが、そのあとのことに関して曹丕は興味を示さなかった。荀彧の五人の子も、父を慕って下野した。


 こうして、荀彧の消えたあとに、曹丕の知恵袋としてにわかに台頭したのが、司馬懿仲達であった。一説には、司馬懿は古株の存在を嫌って荀彧を追い落としたと言われているが、それらは定かではない。


 若い曹丕のもとには、徐々に世代交代の波が迫っており、また、権威に従わない臣下はいかに曹操以来の生え抜きの臣であっても追放されるという、魏政権基盤の強固さを追認した格好となった。





「父上、魏公のやり方はいくらなんでもひど過ぎます」

 追放の旅の途中、長子である荀惲は荀彧に怒りを隠そうともせずに言った。


 ちなみに、荀彧の子は上から順に荀惲じゅんうん荀俁じゅんぐ荀詵じゅんしん荀顗じゅんぎ荀粲じゅんさんと五人おり、残らず野に下っていた。彼らはあのまま、曹丕のもとにいたとしても害されることさえあれ、その身をまっとうすることはできかねると判断したからだ。


「あのような男ではなく、曹公さえ存命であれば、父がこのようにないがしろにされることなどありえなかったはずなのに」


 荀惲は荀彧そっくりの整った容貌を怒りで強く歪ませながら手綱を握る五指に力を籠めていた。


長倩ちょうせん、それは思い違いというものだ」

「父上?」


 長倩は荀惲の字である。荀惲は先にゆく父荀彧の横顔を覗き見た。荀彧の顔は鄴を出てそれほど経っていないというのに、ここわずかの間に数年を重ねたような疲れが垣間見えた。


「たとえ曹公がご存命であられても、いずれ私は魏という国からは追放されていただろうな」


「なぜ、なぜですか」

「それぞれの志が違うからな」

「こころざし、ですか」


「そうだ。私は曹公のように割り切ることができなかった。漢王朝の命運はすでに尽きているのが事実ならば、この身が漢朝によってつくられたのも事実。曹公は漢朝の徳が尽きたことをなによりも知っていた。だから、代わりのものを必要とされたのだ。私も頭ではわかっていたが、子桓どのが実行されると聞いて、一も二もなく賛成できるかと思えば、実際、そうではなかった。だから、疎んじられたのよ」


 曹丕と荀彧の目指す国家像は明白に異なっていた。荀彧には彼の根幹であり血肉となっている儒教国家である漢王朝の再生がまず頭のなかにあり、曹丕は曹操から受け継いだ強い君主権力を旨とする新しい国家像を求めていた。両者がぶつかり合うのは必然であった。


「しかし、しかし、父上は長らく曹一族のために尽くしてきたのも事実ではありませんか。こんな、こんなふうに追い出されるほど罪深いことをしたというのですか」

「それは思い違いだぞ長倩。子桓どのは、曹公に比べればずっとお優しい」


「え?」

「曹公ならば私を生かしておかなかっただろうな。それほどまでに、我らは危険視されていたのだ」


「父上……これからこの国はどうなるのでしょうか」

「さあな、曹公があと十年存命であらせられれば天下は曹家のものと定まっただろう。事実、いま、天下のほとんどは曹魏のものだ。ただ、ひとつふたつ懸案は残っているが」


「それは、劉備と孫権のことでしょうか?」

「そうだ。特に、劉備は危険だ」


「劉備が? 確かに、曹公を討ったあの男は計り知れないなにかを持っているような気も知れませんが、それほどとは。劉備が保持しえているのは荊州と益州だけ。どちらも中原から離れた僻地ですよ」


「侮るな。私は曹公にかの者が許都にいる際、幾度も殺せと進言したが、結局お取り上げにならなかった。あの男は、関羽や張飛という万人に匹敵する股肱を持ち、いま、また諸葛亮という底の知れない幕僚を手にした。子桓が詰めの一手を間違えれば、もしや、途方もないことが起こるやもしれぬな。その時は――」


「父上?」

 荀惲は父の顔を盗み見て凍りついた。そこには、かつてないほど覇気に満ちた戦国の世を生き抜いてきた、ひとりの漢がいた。


「まあ、よい。我らは故郷に戻り、書を読み、酒で喉を潤して天下の形勢をじっくりと観ようではないか。まだまだ、この先どうなるかは誰もわからんよ」

 荀彧は、彼に似つかわしくない声量で大地に笑声を響き渡らせた。


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