第035回「成都の陥落」

 難攻不落と思われた雒城を広漢郡到着からわずかな日にちで落とした諸葛亮の威名は蜀全州にへと瞬く間に伝播した。


 ――しかし、これほど我が計略が決まるとは、自分でも恐ろしいほどだ。


 事実、諸葛亮はただ単に、城の包囲を解いて自分たちをエサにして劉循たちをおびき寄せたわけではない。


 その過程で、城内に無数の密偵を潜入させて事前工作を行っていたのだ。守将のひとりで張翼を降るように説得させ、さらにすでに自軍に組み込んでいた厳顔、呉懿らの伝手を最大限に活用して、益州兵の主だったものに調略を行い、いざ戦いになった時はそれぞれの部隊を率いて降伏するように努めていたのだった。


 金品や物資は惜しまず、さらには法正や張松、彭羕などの能力を駆使して、あたかも白アリが中身を食い尽くしたかのように、雒城が、伽藍洞になるよう微細な事前策をコツコツと行っていた。


 勝ちに勝ちの理由あり。


 戦闘終了後――。

 雒城市街が平静を取り戻しつつあると、諸葛亮は劉備に、まず降伏した各地方を宣撫するよう献策した。


「孔明の言うとおり、もはやそれほど焦る必要はない」

 劉備も占領下の土地を上手く治めるのがいかに難しいかは知っているので、これはすぐに受け入れられた。


 益州の各地域が服従するや否や諸葛亮は諸将に命じて兵六万を進撃させて成都を包囲させた。


 もはや、劉璋に打つ手は残っていない。益州に二代に渡って小さな王として君臨していたその一族も、いまや落日を迎えている。諸葛亮の知識を総動員して進めた攻略戦は予想以上の速さで、ほぼ益州を併呑しかけているのだ。


 ――あとは馬超だな。馬超を手に入れ、いかにして生かすかが問題だ。

 渭水で曹丕に敗れて敗走した馬超は諸蛮族を率いて隴上の郡県を攻撃し、これを占領した。その上で涼州刺史の韋康を殺害して、冀城を拠点として活動を開始した。


 しかし、この曹丕を見据えた馬超の活動も韋康の吏民であった楊阜、姜叙、梁寛、張衢らの共謀による反乱や夏侯淵の攻撃によって潰えた。


 涼州を追われた馬超は、漢中の張魯のもとに走った。だが、それも無駄な時間の空費に終わる。馬超は涼州にいた家族をすべて夏侯淵によって処刑され、復讎を願っていた。


 しかし張魯から借り受けた兵ではそれもなせずに、やがて両者の仲も破綻した。馬超は孤軍である。いまや氐族の居留地で息を潜めるのが精一杯のありさまであった。

 その馬超から劉備に向かって降伏の願いをしたためた書簡が届いていた。諸葛亮が覚えている限り、前世での馬超は劉備旗下に入った以後は曹操と戦った武勇ほどに活躍できず、劉備よりも早く病でこの世を去っている。


 それは、やはり結局のところ涼州を二度と奪還できず、復讐できなかった気鬱から来ていたと侍医からの情報を得ていた。


 ――短い期日で蜀をまとめ上げ、三軍を編成して北伐を成功させるのだ。

 馬超に生き甲斐を作ってやれば、かの者は早死になど決してしないはずである。それが諸葛亮の見立てだった。わずか四十五歳で死んだ馬超が生きていれば諸葛亮の北伐で大いに活躍していたはずだ。


 猛将の長命は得難いものである。諸葛亮はそれを惜しむ。現在、馬超の頼みの氐族も夏侯淵によって徹底的に撃破されている。いまや悲しいほどの小勢力に成り下がっていた馬超の持つ兵力は数百がせいぜいだろう。諸葛亮は劉備の許可を得ると、馬超の降伏を認める書簡を素早く出した。


「ありがたし」

 劉備は馬超が一族を率いて雒城に到着すると、自ら広間まで出向いて歓迎した。落ちぶれて弱っている時ほど、人の情けが身に染みることはない。


 劉備は、この西涼の青年武将をことのほか見込んで、手厚くもてなすと、数千の兵を分け与えて諸将に対して恥を覚えないように配慮した。この配慮を馬超はいかに感じただろうか。


 ――なんという情義の篤い男なのだ。

 もともと一本気で単純な性格の多い馬超は、その配下の将も含めて、みな劉備の厚遇に感激した。馬超は、一族の馬岱や龐徳を呼ぶと、劉備と会って話したことを声高に喋り、あたかもそれは美女に恋する少年のような一途さであった。


「令明よ。我は、劉公のためならいつでも死ねるぞ。必ずや、我らの手で劉公をお守りして、二京を落とす。そして、憎き曹賊を討ち滅ぼし、天下万民のために漢王朝を復興するのだ!」


 龐徳はこの主の変わりように、困ったように苦笑を浮かべて馬岱と顔を見合わせるだけであった。馬超はそれほどの日数も置かぬうちに、いつでも劉備のために死ねる男に変化していた。






「馬超が劉備に降っただと?」

 この報に成都は震撼した。劉璋は、諸将の顔を見回すと落ち着かない様子でキョロキョロと室内を無意味に見て、天井を見上げ嘆息した。馬超の鮮やかな戦いぶりや勇猛さは益州に知れ渡っている。その馬超が成都の攻囲軍にいるとなれば、ただでさえ低い劉璋軍の士気は地に落ちたと言ってよい。


 抗戦か降伏か。このふたつで成都の城は揺れに揺れた。この城に残った兵は三万を超えていたのだが、劉備が諸将を引き連れて包囲の輪を縮めると、日に日に城を抜け出して投降する者は続出した。劉璋はただ悲嘆にくれ、暗い面持ちでいまだ残っている直臣たちの評定を眺めるばかりである。


 ――どうすればいいのだろうか。

 劉璋は孤独な王であった。父である劉焉はそれなりに智慧があり度胸もあって、一代で巴蜀に自らの帝国を作り上げるに至ったが、温厚な人柄のみが取り柄だった劉璋にこの危機的状況を打開する策はなかった。


「徹底抗戦だ! 劉備など、我らが城に籠っていればそのうち補給が続かずに荊州へと撤退するに違いないわ」


「ならば、誰が蜀軍を指揮するというのだ。ほとんどの将軍は、もう劉備に降ってしまったのだぞ!」


「もう、よい。余は暫時休む」


 疲れ切った劉璋は奥の間の椅子に座ったまま疲れ切った身体を伸ばした。どのような手を使ったとしても、劉備を追い払うことは難しいと劉璋自身が実感している。

 ほどなくして、成都にひとりの使者が遣わされた。


 男の名は簡雍といい劉備と同郷の琢県出身の論客である。

 ――なにを言われるであろうか。


 物憂い表情で簡雍に謁見を許した劉璋であった。常に暗い陰を纏っていた孤独な王は簡雍の独特な話術に引き込まれると、一日一日が過ぎゆくごとに、知らず、心を開きつつあった。


 簡雍は劉備が遣わした降伏の使者であるはずが、劉璋と会っている間は一度もその言葉を口にしなかった。


 ただ、簡雍が見聞きした大陸各地の四方山話を風刺の利いた表現で面白おかしく劉璋に話すだけである。


「そなたは、話術の天才だな。ところで、劉玄徳は余にどのような降伏条件を求めてきたというのだ」


「そのようなことを玄徳は一度も申しておりませぬよ。ただ、私は劉益州と会ってみよと言われただけのことです」


 ――不思議なおかしみのある男だ。

 劉璋は簡雍と話しているうちに強い好意を抱き、やがては彼の主である侵略者の劉備に対する嫌悪感すら薄れてゆくありさまであった。


 そんなある日のことである。


「もうよいわ、憲和」

「は?」


 憲和は簡雍の字である。この日も劉璋は余人を交えず、日がな簡雍と酒を酌み交わしながら、雑談に耽っている途中であった。


「この城には三万の兵がいるが、だといって籠城をこれ以上続けても、ただ限りある資源と時間を無駄遣いするだけのこと。ならば、そなたの顔が立つように劉玄徳に降るほうがよほど功徳というものだ。無論、余につきそってくれるだろうな」


 簡雍はどこか超然とした表情でわずかに口元をゆるめただけであった。簡雍は劉璋と同じ輿に乗って城外に出て、劉備に降伏した。


 実に、漢の建安十五年(二一〇)三月のことである。


 劉璋は益州の印綬を携えて劉備の前に進み出ると、降伏を受諾されて荊州の公安に次子である劉闡と移ることになる。


 嫡嗣の劉循は奉車中郎将として成都に留まり、以後諸葛亮と共に曹魏政権と戦う力強い同志に転じてゆくこととなる。この功により簡雍は劉備によって昭徳将軍に任じられた。


 簡雍はのびのびとした態度で誰が相手でも論を張り、性格は傲慢かつ無頓着な部分が多かった。簡雍は劉備のいる席でも足を投げ出し座り、だらしない恰好で心のままに振舞ったが、そこには悪意はなく、また誰かに咎めらることもなかった。


 また、諸葛亮や蜀漢政権の重鎮の前でも、かつて劉備と旗揚げした当時の野卑そのものな態度や恰好を貫いたが、自分の気持ちを曲げることはなかった。劉璋も、この簡雍の型破りな態度に小気味よさを感じて心を許したのであろう。


 簡雍のもっとも有名なエピソードを記述する。

 当時、蜀が干ばつに見舞われて酒が禁止され醸造した者が罰せられることがあった。役人は、家宅捜索を行って醸造用の道具を見つけ、没収し、酒を造ったものと同じく罰しようとした。無論、簡雍の風刺精神がこれを黙って見過ごすこともない。簡雍は劉備と散策に出かけた際に、一組の男女が道を歩くのを見て


「あの者たちはみだらな行為をするつもりです。どうして捕えないのですか」

 と、劉備に言った。これには劉備も不思議がり


「憲和よ。なぜ、おぬしにそのようなことがわかるのだね」と言うと、簡雍は

「彼らはその道具を持っています。醸造するつもりの者と同じでしょう」

 と答えた。


 さすがの劉備もこの簡雍の言葉に大笑いをして、醸造しようとした者たちを許したのであった。これが二千年もの時を経て伝わる簡雍なりの機知なのであった。






 劉備、蜀を得る。これは諸葛亮の「天下三分の計」からすれば、荊州を獲得したことが第一段階のクリアとすれば、益州を奪取したことでようやく第二段階のある程度を攻略した、といえる。


 ――ようやくここまできたか。


 諸葛亮はわずかに気持ちをゆるめた。前世よりも五年も時を進めているのだ。だが、益州を取った時点で、「天下三分の計」を完遂するには、まだ難問が控えていた。


 漢中の存在である。

 ちょうど、劉備と諸葛亮が成都を落としてホクホク顔でいる時に、蜀の喉首と言える漢中盆地には、中央にいる曹丕が遅れじとばかりに手を伸ばしていたのだ。


 ――時は、みなを前倒しにするのか。

 蜀を取ったといってもそれは武力によって制圧にしたに過ぎない。仮にも、劉焉・劉璋の二代に渡り二十年近く支配されていた四川の民が、一朝一夕で侵略でしかない劉備に懐くはずもない。ここからはかつての蜀漢の丞相である諸葛亮の卓越した行政能力が抜群の威力を発揮することになる。


「まず、我が君の暴走を止めねばな」

 前世での劉備は成都入城の際に、高祖も顔負けの大盤振る舞いを施したのだ、まず、劉焉・劉璋の築いた莫大な財産を没収した。荊州の公安に移る劉璋には個人の財産を返却したが、残った財は莫大なものである。これらを含め成都の倉庫にある財物を残らず将士に持ってゆかせたのだ。


 劉備は成都攻略の際に将士に手厚い恩賞を約束しており、いまさらそれを破れば反乱、暴動の恐れさえあった。古代の中国である。戦場では規律正しく戦う兵士たちも、勝者の当然の権限として財物の略奪は極めて当然の権利として軍そのものに認められていた。


 このために劉備は、本来、益州のインフラ政権運営や、軍事強化、インフラ整備に使うはずの財産を気前よく吐き出してしまった。


 ――あの時は、本当に苦労した。

 諸葛亮も劉備の気前よさは知っていたつもりであったが、まさかすべての倉庫が空になるとは思っていなかった。


 間抜けなことに劉備軍は前代未聞の大盤振る舞いを行った結果、翌月以降、食う物にすら困るという危機的状況に陥ったのだ。当然の結果である。諸葛亮以下幕僚たちはこの危機に冷や汗をかき、なんとか穀物と絹織物だけは返還させた。これらは軍隊にとって必要不可欠であり、文字通り死活問題だったのだ。


 当時、益州は干ばつに見舞われ、食料事情はお世辞にもいいとは言えない状況だったのである。


「とにかく軍功褒賞の類は計画的に行わねばならぬ。曹丕と戦う前にこちらが滅びかねん」


 極めて公平に富を諸将に分配したのち、諸葛亮は劉璋の放漫政策によって衰退し切った益州に活を入れるために徹底的な法治主義政策を取った。いわゆる「蜀科」の制定である。


 この蜀科の編纂に時間はかからなかった。もともと諸葛亮の頭の中にあった、前世の法典をさらに改良して、劉備に裁可を得ればよいだけの話である。益州名士の代表である法正は、諸葛亮がなんらの資料もなくこの蜀科を諳んじた現場を目にして、激しい衝撃を受けていた。


 さらに諸葛亮は入蜀時にもっとも頑強に抵抗した黄権を始めとした蜀の人材を片っ端から登用して、対魏戦争に必要な人間を補強してゆく。


 人材が揃えば、あとは政治や社会システムを徹底的に合理化して、蜀の国家基盤を強化しなければならない。


 水門を整備して灌漑工事を行い、水害や干ばつに備えた・そして、碁盤の升目を埋めるように、空いた土地で屯田を行い、来るべき北伐に備えて食料の増産に精を出した。さらには「蜀錦」と呼ばれる中国随一の品質を誇る錦織の生産に力を入れ、魏や呉に売りつけ、大量の銭を入手して国力を強めた。


 ともあれ、劉備を支えてたった二年ほどで二州を獲得した諸葛亮の手腕は国内外に知れ渡った。倉廩を開いて蜀の窮民に施し、益州でその力を発揮できていなかった英雄や豪傑、そして賢人がそろって成都に出仕し、政治的・軍事的基盤は厚みを増し、もはや曹丕も孫権も劉備政権のことを無視できないようになったのは事実である。


「これが、蜀。私の国なのか」

 劉璋を荊州に送った劉備は、旗揚げ以来の宿将以外に多数の人材を左右に得た。半生を負け続け、中国大陸を逃げ回った劉備の胸に迫る思いはいかばかりだっただろうか。


 劉備に協力した者や、戦後降参してその陣営に加わったつわものたち――


 法正、孟達、張松、彭羕、張粛、董和、許靖、龐羲、黄権、呉懿、費観、費詩、呉蘭、雷銅、張裔、張翼、李恢、鄧芝、呉班、張嶷、馬忠、程畿、句扶、柳隠、王謀など、


 数え出したら枚挙にいとまがない彼らは、のちに劉備と諸葛亮を援けて建国に従事する英雄にほかならなかった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る