第032回「綿竹関攻略」

 涪城を取った劉備の威勢はみるみるうちに広漢郡に浸透していく。

 時は、建安十四年(二〇九)の十一月である。


 いまや、本隊だけで六万近くなった劉備軍は、その勢い天を衝くばかりである。涪の戦いで敗れた劉璝と張任は雒県に退いた。


 劉備は益州に入ってからの連戦連勝にひと安心すると、将士をねぎらうために涪城で宴会を開いた。思えば、この場に関羽も張飛もおらず、もっとも頼みとする諸葛亮もいないが自軍はよくやっている。


 特に、諸葛亮が引き立てた部将たちは、劉備が想像していた以上に懸命に戦い、事実、勝利をもたらしてくれた。


 ――いまの私は勢いに乗っている。

 荊州では、天命があったのだろうか、とにかく曹操を斃すことができたが、その攻防は身の細る思いで、いつ、自軍が破られて滅ぶかわからないほど瀬戸際の戦いであったといえよう。


 だが、今回の益州における戦いは余裕がある。無論、僻地である蜀の兵には負けない自信があったが、ここまで一方的な戦いを劉備は若年のころからついぞしたことがないので、喜びよりも恐れが大きかった。


 軍の将帥でもある龐統も、ほとんど兵を指揮したことがないというのが嘘のような練達ぶりで安心して見ていられた。今日まで、兵は飢えず、武器は潤沢であることは龐統の実務能力の高さを表すものであった。


 一方、這う這うの体で雒県に逃げ帰った劉璝と張任の手勢は二万余にまで半減していた。これは、着々と地歩を固める六万近い劉備軍に比べれば抗しようがない。張任は成都の劉璋へと援軍を求めた。


 ほどなくして、雒県には自ら志願した劉璋の嫡嗣である劉循、その祖父にあたる呉懿、族弟の呉班、益州の勇将呉蘭、雷銅などが二万騎を伴って到着した。年齢や経験、さらには妹が劉焉の三男劉瑁に嫁いでいた関係から、軍の総帥は呉懿が選ばれた。


「とにかく、劉備の軍勢は思った以上に精強だ。ここは雒城の周辺に堅固な陣地を築いて迎え撃つことにしよう。敵軍は、遠方である荊州からきており、随時糧道を断つ兵を送れば、自ずと枯渇しよう。さらにいえば、劉備は北に曹丕、東に孫権ありと決して長らく国を空けられる状況ではない。みなも、よろしく儂の指示に従って戦えば勝利は自ずと転がり込んでくるはず。しかと心得てくれ」


 呉懿の作戦に益州の将は一同賛意すると、すぐさま工兵を送って付近の要害の強化に当たるのであった。






 兄である馬良と揃って出仕した時、ああ、これから輝かしい展望とどこまでも続く道が続いているはずだと馬謖は確信していた。


 ――だが、どうだ。いまの自分は。

 従事である自分は主君である劉玄徳のそばに仕えているが、実際行っているのは雑役ばかりだ。せっかくの遠征軍に加えられているというのに、重要な仕事はひとつも与えられていない。兄である馬良は荊州に残留して、公安の事務を司りかなり重要な仕事を任されているというのに、この差はどうだ。


 馬謖は、現在、綿竹に進むための軍の輜重隊の指揮を任されていた。といっても、与えられた兵は百名ほどで、その半ばは輸送のために徴募した広漢郡の住民である。馬謖は不満を顔にせず、与えられた仕事を行いながら、主君や諸将をアッと言わせるなにかをしたいと策を巡らせていたが、今日まで特に目立ったことはできていなかった。


「幼常どの、輜重輸卒を監督することも重要な役目ですぞ」

 そう分別臭いことを横で述べているのは、同僚の向寵だ。桂陽太守である向朗の甥にあたる男で、若干十四歳でありながら主君の従卒として馬謖と同じく仕えている。


「そんなことはわかってはいるが。寵よ。我らは仮にも先の劉軍を背負ってゆく人間だぞ。このように誰にでもできる仕事なぞよりも、一軍を任せていただければもっと役に立つと思うのだが」


 馬謖が不平を述べると、向寵はまだ薄い口髭を触りながら困ったような笑みを浮かべるだけであった。


 そんな馬謖にもある転機が訪れた。兵糧物資を運んでいる道の途中で、益州兵の斥候兵を見つけたのだ。


 場所は、川沿いの森で馬謖が観察したところ、数もかなり少なかった。この時、馬謖の胸の内に功名心がむらむらと湧き起こった。劉備を始めとした諸将は馬謖が軍議に出席しても、なんら意見を求めようとはしない。若年である馬謖もいくらなんでも自分から求められずに発言するほど厚顔無恥ではなかった。

 だが――。


 ――ここで手柄のいくらかでもあげれば、みな、自分を無視できまい。

「寵よ。あそこにいる蜀兵をいくらかなりとも生け捕って、情報のいくらかを得ればみなから若年とはいえ侮られるようなこもあるまいと思うが、どうだ?」


 それを聞いた向寵はいつもの穏やかな顔色を一変させて

「待て幼常どの。それは越権行為というものぞ。我らあくまで輜重隊で、兵糧物資を運ぶことが第一。それに蜀兵がすくなしと言えど、ここにいる者のほとんどは兵隊ではなく地方の軍属ぞ。戦う術はなく、危険が大きすぎる」


 これを聞いた馬謖は出鼻をくじかれた様子でいささか鼻白んだ。

「もうよい。儂は同輩のよしみで誘ってやったのだ。寵よ。戦が怖ければそこで待っていよ。儂がひとりで益州兵を残らずたたんでやるわ」


 そう言って馬謖は輸送の続きを向寵に任せると、自らは七十余名を率いて、川岸に潜んでいる蜀兵に躍りかかった。


 ――敵はたかだか二十かそこら。手もなくひねってやる。

 ところが、馬謖の驕慢をせせら笑うかのように、思わぬ後方から突如として伏兵が起こった。


「おまえたち、どこへゆくというのか?」

 向寵が言ったとおり、いきなりの挟撃に恐れを感じたのか馬謖の指揮する輜重兵はワッと声を上げると、あっという間に逃げ出した。


 こうなると、馬謖のもとに残った兵は十数人で、前後から打って出る四十を超える敵兵には抗しがたい。馬謖はなかなかに武芸達者であったが、ひとりが奮戦しても数の不利は変わらない。


 いよいよここまでかと思ったその時、白金の鎧をつけた一団が現れ、益州兵をたちまちに切り崩し出した。


「幼常無事か。陳叔至これにあり」

 現れたのは劉備の親衛隊長である陳到と最強部隊である白毦兵たちだ。陳到は疾風のような動きで騎兵を進退させると、たちまちに益州兵たちを蹴散らした。


 特に、隊長である陳到の手並みは格別であった。彼が、戟を小枝のように楽々と振るうと敵兵は真っ赤な血に染まって骸と化した。ともあれ、馬謖が軍令違反を犯したのは間違いない。後刻、馬謖は陳到に連れられると劉備の前に引き据えられ、蒼いを通り越してどす黒い顔で裁可を待っていた。


 ――やれやれ、ちと灸が効きすぎたかの。

 劉備は諸葛亮に頼まれて、馬謖の教育を直接頼まれていたが、今回の遠征は難しいところが多く、放置するところが多かった。劉備は現場の叩き上げである。


 若年から、傭兵稼業が長く、そのために実戦ではなにが重要かはわかっており、そのために敢えて泥臭い仕事を馬謖に行わせていたが、今回はそれが裏目に出ただけのことだった。


 劉備はとかく、諸将の失敗にはこだわらなかった。それが怠慢であるならば別であるが、馬謖は功名を樹てようとして、即断し、それが失敗しただけに過ぎない。


 ――孔明ならば、幼常を許さなかったであろうな。

 劉備からすれば諸葛亮は真面目であるが、こと人材に関しては四角四面な部分が大きいと常々思っていた。


 劉備が見るところ、馬謖は兵の指揮能力よりもほかに向いている仕事がいくらでもある。たとえば、煩雑な事務仕事や細かな政治を見るほうが、頭の回転が速い馬謖にはやりやすいだろう。


 要するに、適材適所なのだ。劉備が、そばにいる馬謖が数に強いことも知っており、こういった人間は前線で戦わせるよりも有能な能吏になることは想像に難くなかった。


「幼常よ。手ひどくやられたな」

「弁解のしようもありません」


「ところでそちは礼を言ったか」

「は。陳将軍には危ないところを助けていただき感謝の念しかありません」

「そうではない、向寵のことよ」


「え……」

「あやつは素早く敵兵のいることを、軍営に知らせて、そちの危機を救ったのだ。そして、幼常が自分を逃がすために盾になってくれたのだと言い張ってきかんのだ」

「あ、あ」


 馬謖は、その場に跪くとわなわなと両手の指を痙攣させながら、劉備の顔を見つめていた。ほどなくして、陳到が向寵を連れて陣幕に入ってきた、向寵は馬謖が無事なのを確認すると、どこかホッとした表情であたたかい目に慈愛を湛えていた。


「持つべき者は友だな」

 劉備の言葉。馬謖は劉備の中の愛を悟り、大きな瞳を開いたまま落涙した。そして、自らにあった驕慢さを恥じて、額を地面にこすりつけていた。


「幼常よ。そちは機転が利き、おのれの才を過信しがちであるが、それは違うぞ。戦は地道な積み重ねがすべてなのだ。それができてはじめて臨機応変の行動が求められる。私は、若年のころから間違いばかりを犯していた。だから、過ちの意味を知っている。そちの身柄は、これから叔至に預ける。これからも軍人として生きるのであれば、まず、叔至に学べ」


「寛大なお言葉。臣は、言葉も……」

「幼常どの」


 向寵はその場に片膝を突いてしゃがみ込み、跪いた馬謖の肩に手を置く。馬謖は向寵の手をガッシと握りしめると、はらはらと涙を落とした。馬謖は、顔を上げたまま瞳を輝かし言った。


「寵よ。卿さえよければ、ここで儂と義兄弟の契りを結んでくれんか。この馬謖、命ある限り、誠実なきみとよしみを結び、共に漢朝のために戦っていきたい」


「もちろん構いませんよ」

「ならば私たちが立会人になるか。のう、叔至よ」

「は」


 劉備と陳到は若武者たちの心の交歓を微笑ましい目で見つめていた。

 以降、馬謖は長らく下積みを行い、智謀と堅実な戦い方が身についた蜀有数の将に成長していく。それもこの失敗があったからであったと周囲に語っている。






 涪城の次は蜀の要衝である綿竹が立ち塞がっている。劉備軍はここを落とさずして、成都に進むことができない。軍需物資の補給を滞りなく済ませた劉備軍は一体となってさらに前進する。


 この劉備軍の破竹の快進撃に身を震わせた劉璋は費観に対して

「すみやかに綿竹に向かい劉備を撃退せよ」

 と命じた。


「全身全霊をもって諸将を督励いたします」

 費観はそう応じると、成都の精鋭一万余騎を伴って成都を進発した。費観は字を賓伯といい劉璋の娘を娶っている娘婿だ。つまりは、劉章から見れば一族であり、息子の劉循や姻族である呉懿に次ぐもっとも信頼できる将といえよう。


 綿竹には雒県に退いた将とは別に、劉備と戦って敗れた部将や兵たちが多数集まっていた。費観は残った諸将の顔ぶれを目にして、軽い絶望に陥った。


 ――勝てぬな、これでは。

 そもそもが、費観は岳父である劉璋を尊崇していない。いまは、婚姻により一族となったとはいえ二十歳になったばかりの費観からすれば、ここで劉備を撃退しても益州はいずれ張魯か曹丕のえじきになってしまうのは目に見えていた。益州の豪族や驕り高ぶった東州兵をロクに制御できない劉璋のもとで懸命に働いたとしても国を保つことはできぬ上にやり甲斐も見い出せない。


 ――降るか。

 そう決めた費観は諸将を集めると


「我は、明日一軍を率いて劉備軍を急襲する。諸卿らは、我の戦いをよく観、武運拙く敗れた時は、各々の才覚で行動してほしい」


 と、言った。

 費観は、この宣言ののちに、涪城に使者を送ると、劉備の内諾を得た。それから、翌日に成都から率いてきた一万余騎を伴ったまま、涪城の劉備に謁見を請うた。劉備は費観の降伏を手放しで喜ぶと、なんら警戒心なしに自ら迎えに出てきたことに驚愕した。


 ――なんたる度量の広さよ。

 費観が見るところ、劉備のうちには警戒心は皆無であった。さすがに、劉備を守る親衛隊の将の目からは強烈な光が消えてはいなかったが、それは職務上しかたのないことである。のちに周囲の人に聞くと、その将は豫洲時代から劉備仕える古参の陳到という男であった。


 これを耳にした綿竹の将兵は開いた口がふさがらなかった。なにせ、要害を守るはずの主将が自ら降伏してしまったのである。費観の率いてきた兵のすべてが劉備に降ったわけではないが、それでも半ば以上はそのまま陣営に加わり、以後、益州の諸城を攻める軍の一部となったことは劉璋以下の諸将に衝撃を与えた。


 一戦もせずに綿竹を落とした劉備軍はこのころ、すでに七万を超えていた。すさまじいほどの膨張具合である。こうなると、重要になってくるのが兵糧物資である。ここで龐統は類まれなる手腕で、武器兵糧を劉備軍から途絶えさせなかった。


 軍事で一番難しいのは、千変万化の用兵ではなく、日常に貧することなくさまざまな物品を絶え間なく補給し、それと悟らせないことである。


 龐統は、諸葛亮が見込んだだけあって、戦術面もさることながら、こういった物資補給に異能の才を発揮した。考えてみれば、遠く荊州から旅立って益州の深い場所で物資を途絶えさせず、住民からは酷い反感を買わずに、かつ恩徳を施しながら公正な値段で物を買い入れできる能力は特筆するべく力である。


 万余の遠征軍が破れて撤退する理由のほとんどが、兵糧の困窮にある。事実、諸葛亮の五度の北伐も漢中からの物資補給が難しい部分にあったといえる。


 さて、その劉備軍が次に狙うは雒県である。


 ここには広漢郡の郡治所があり、もっとも重要な地点で、ここを落とせば、その背後には什邡県と新都県が存在するだけで、成都は目と鼻の先といってよい。劉備はほくほく顔で本営を涪から綿竹に移動させた。


「さすがは我が軍師。残りは雒県のみとは、予想外の速さだな」

「すべては劉主の威徳によるものです」


 劉備と龐統は互いに顔を見合わせると白い歯を見せた。

 ころは、いまだ建安十五年(二〇九)の十二月である。九月に荊州を出て百日程度であるにもかかわらず、すでに劉備軍は成都にまで手がかかる位置にまできているのだ。これで、驕りを生まずにいられるほど、主君である劉備も、そして将帥の龐統も俗気が抜けているわけではなかった。


「雒城をすみやかに落としてみせます。遅くとも、春には成都に入城できましょう」

「頼んだぞ、士元」


 龐統以下、劉備軍の精鋭五万は綿竹を出ると雒県に向かって進軍した。雒県を守っているのは、総帥に呉懿、張任、劉璝、呉蘭、雷銅、呉班などである。雒城は劉璋の嫡嗣である劉循が一万の兵で守っており、前線には総勢四万の益州兵が勢ぞろいしていた。


 ――斥候の報告によれば、成都には三万。となれば、益州軍は州内の兵を搔き集めてきたか。


「敵が城や前線の砦に籠らないのは、一戦して勝利を得てから陣を固守したほうが士気にもよいと考え前に出たのでしょう。ならば、我らの全力をもってその驕りを撃ち砕いて見せましょう」


 ここまで益州軍と戦い、これはと思う将は黄権以外にはいなかった。その黄権は、劉章より信任を得られず、大兵を持っておらず、遠い場所にいる。益州の将は全員が全員凡器とは言わないが、劉備軍の精鋭に比べれば、まず勝負にならないだろう。


 この時、龐統は間違いなく気負っていた。綿竹で龐統の勝報を待っている劉備にも自分の華々しい活躍を見せたかったこともあるが、そのために出征前から噛んで含めるように言われた諸葛亮の言葉をないがしろにしつつあった。


 ――くれぐれも前線に出ず、御身を大切にしたまえ。

 反発心もある。


「なに、すぐに落としてみせるさ」

 誰に言うでもなく、龐統はつぶやく。手足が痺れ、身体の芯から凍りつきそうな厳冬期に、益州攻略において運命の時が近づこうとしていた。

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