第029回「益州への道」

 曹操の後継者たる曹丕が三軍を率いて、馬超や韓遂を主とする西方諸侯連合軍を撃破し、三輔からその勢力を駆逐し、さらには威勢を駆って涼州を平定したことは益州に住む法正の自尊心を激しく刺激した。


 法正は異能の人である。自分を活かすことができる度量は劉璋にない。かといって、人材があふれ曹操以来の重臣が山といる曹丕がいまさら法正を重用するとは思えない。


 かといって五斗米道に邁進する張魯は宗教心が濃すぎて仕える気はしなかった。となると、あとは呉の孫権であるが法正が見るにかの者は若いくせに動きが魯鈍すぎる。


 ――となると消去法で劉備以外に我の力を活用できる男はいないのではないか。


 使者として荊州に到着した法正はどのような対応をされるか、と思っていた。


 しかし、担当の役人は礼儀正しく法正を迎え入れると、宿舎に案内し、なにくれとなく不自由はないかと細やかな心遣いを見せてくれたことに、軽い衝撃を覚えた。


 宿舎の調度品は華美ではないが、蜀の使者である法正を満足させるものであった。そして饗応の料理や役人の態度は丁寧かつ厳かだった。


 益州と荊州は戦書をやり取りして、開戦一歩手前の状態である。法正は荊州の人々が自分をまるで家族の一員のように受け入れるとは思っていなかったので、敬意のある饗応に彼の自尊心は満たされていった。






「益州からの使者がやってきたと聞いておりますが」

「おお、孔明か。善きところにきた。劉璋が法正という者を使者に寄こしたのだ。念のため、言われた通り礼を失することなく迎え入れてあるが」


 ――孝直が使者か。これはまた懐かしい。

 諸葛亮は劉備の傍らに立つと、前世での同輩で共に国事に尽くした男の顔を思い浮かべ、我知らず頬をゆるませていた。


 法正は極めて明晰な判断力を持ち、並はずれた計略と類まれなる兵略を兼ね備えた、魏でいうところの程昱や郭嘉に比肩する軍事参謀である。法正は四十五歳という若さで病没するが、諸葛亮の戦略に必要な人材のひとりであった。


「どうした孔明。そちがそのような顔をするのは珍しいな」


「いえ、我が主よ。法正は益州でも有数の名士で異能の持ち主です。その才は、龐統や劉巴に劣りません。是非ともこちらに引き入れたい傑物なのですが」


 まもなくして法正は劉備と謁見した。その場にいる諸葛亮は羽扇を片手にやわらかな表情を湛えている。法正はわずかに劉備のそばにいる諸葛亮に視線を動かしたが、表情を変えずに進み出た。


「益州に干戈の響きが伝わってまいりました。あなたさまは、このことをどう思われますでしょうか」


「法孝直どの。私には若年よりひとつの思いを胸に幾多の戦場を駆け巡ってきた。その思いは、齢五十に届かんとするいまとなっても変わりはない」


「それはどのようなことで?」

「天下国家の静謐である」


 隣にいた諸葛亮は劉備の身体がいきなりひと回りもふた回りも大きくなったように感じて、思わず羽扇を取り落としそうになった。


 異様なまでの気が劉備の全身から放射されて、堂内に満ちている。すべてのことがらに鋭敏な法正も劉備の気が膨れ上がったのを感じたのか、瞳を見開いて固まっていた。


「こたびの戦は劉益州にとっては災いに感じるであろうが、大局的に見れば致し方のないことであると吞みくだしていただかねばならない。我は、先年、中原の覇者といってよい曹操を有能なる家臣たちと天の力に支えられて幸運にも斃すことができた。これは、天が我に漢王室を復興させて大義を世に示せと命じているのだ。益州の劉氏は同族ながらもその権威は朝廷に背いている。前主も董卓の動乱時に皇室の一族として力があったにもかかわらず、暴虐に苦しめられた帝に対して救いの手を差し伸べようとはしなかった。我が幸運にも荊州を得たのは、天意なのだ。天が蜀の地に天下平安の礎を作り、正義の軍を養えと命じている。我は不才ながら、三軍を鍛え上げて来るべき日に秦川に打って出て賊を討伐し、旧都に還り帝をお助けするという志がある。心ある者なら、常に聞こえているはずだ。民草は、日々、戦と飢饉に怯え、いつ果てるとも知れぬこの苦しみの連鎖から解き放ってくれる者を探している。我のなすことが非道と言わば好きに言わせておけ。我には志がある。帝を平和の象徴として絶対不可侵のものとする。政治は、その時々で覇者になった者が行えばよい。いま、曹丕は都の貴きお方から帝位を簒奪して天地を我が物にしようとしている。これぞ大逆非道と言わず、なんと言うべきか。それを防ぐためには、我が誰よりも先に立って戦い続けるしかない。たとえ、後世、我がなしたことがどのように言われようとも、後悔することはないのだ」


 ――なんということだ。

 諸葛亮は前世においても劉備がこれほどまでに自分の意志を露にしたところを目にしたことはなかった。劉備の語気には微塵の濁りも陰りもなかった。言葉のひとつひとつが聞く者に自然と染み入り、胸に熱いものを沸き立たせる。


 法正は劉備の言葉に打たれると、その場に拝跪していた。その肩が小さく震えている。この姿を見て、諸葛亮は法正が劉備の器の大きさと自らに課せらた使命に気づいたことを、言葉を交わさずとも理解できた。


 法正は、このあと劉備に自ら益州に対する思いの丈を吐き出すと、自ら臣従を願い出て、いついかなる命令にも服すと誓った。


 ――そもそもが、劉章などと劉豫洲を比べることが愚かだった。このお方こそ、すべてを救うべく天が遣わされた奇跡そのものなのだ。


 法正は益州に戻ると劉璋に和議が不可能だったことを述べて退室すると、すぐさま同志である張松、孟達、彭羕を集めて声高におのれの感想を述べた。


「劉備は天下の英傑だ。彼に会えたことが我がこの世に生を受けた意義そのものかもしれぬ」


 張松は法正がここまで真っすぐ人を褒めたことを聞いたことがない。孟達や彭羕も法正のあまりの入れ込みように、最初は疑念を呈していた。


 しかし、彼らも話を聞くうちに益州勢がどのように抵抗してもかなわぬという結論に達した。そして法正を通じて劉備に臣従するということを伝えて、後日、荊州勢が進行した際には力添えをするという方向で話をまとめていった。






 漢の建安十四年(二〇九)九月上旬。

 劉備は公安にて諸葛亮を呼んで益州攻略軍の編成に取りかかった。


 前世での諸葛亮は古参の者を荊州に残留させて、新参の者を中心に攻略軍のかなめにしたが、実際のところ思った以上に益州の兵は強かった。そのために成都を陥落させるまでに二年もの歳月を費やしている。


 生あるうちに聖漢の一統を成し遂げるためには、そのような無駄な時間はない。


 幸いにも孫権は合肥を攻略するために多大な犠牲を払い、いま現在も曹丕の大軍と睨み合っているので、すぐさま荊州が攻撃されるという憂いはない。そのために、諸葛亮は益州に派遣する兵を、荊州軍十二万のうちの六万と半ばを割くことを提案した。


「隆中でも申し上げた通り、軍をふたつにわけるのです」


 諸葛亮の念押しに劉備は無言でうなずく。荊州を得た劉備が益州を平定して、勢力を二分し力を蓄える。荊州には劉備がもっとも信頼する上将に任せ北進させ中原を奪い、益州もまた劉備自身が三軍を率いて秦川に打って出て長安を臨む。これが、大陸のほとんどを制した曹軍を討つ基本戦略なのだ。


「こたびの遠征必ず成功させるぞ」

 劉備は諸葛亮と夜を徹して作成した随行員名簿を開いた。


 まず、劉備が本隊の四万を率いる。


 軍団の将帥は龐統。さらに、黄忠、魏延などが続き、劉封、馮習、張南、陳式、輔匡、馬謖、卓膺、陳震などが随行する。さらに、古参として簡雍、麋竺、劉琰、孫乾、陳到なども同行する。


 別動隊を指揮するのは諸葛亮である。

 兵力は二万。


 張飛、趙雲の二将が強力な先鋒として搦め手から成都を狙う。部将として、麋芳、張著、范彊、張達、士仁らが脇を固める。前世の益州における戦いでは、龐統の戦死により予定以上の歳月が費やされた。そのため、援軍として諸葛亮、張飛、趙雲が急遽荊州を出発したが、いま考えれば遅きに失した。


 ――戦力の逐次投入は愚策である。

 諸葛亮は二方面からの同時攻撃で一気に成都を攻略する腹積もりであった。進撃ルートは決まっている。長江を遡って移動し、まず江州を占拠する。


 しかるのちに、劉備率いる本隊は北上して諸県を占領しつつ、葭萌を根拠地として人心掌握に努め、周囲の要害である白水関を奪取。速やかに、涪城、綿竹、雒県の要害を落としながら成都に向かう。劉璋の主力は必ず劉備本隊に向かうであろう。その間に、諸葛亮の別動隊は犍為郡を攻略しながら、成都を挟み撃ちにするという戦略である。


 ――問題はどれだけ早く益州を攻略できるか、だ。

 前世において、劉備は孫権と強い同盟関係にあったので、主力部隊のいない荊州の戦力が少ない状態であっても二年の歳月を費やして攻略に専念できたが、今回はそうもいかない。呉の魯粛は劉備と争うことは好まないだろうが、ほかの将は違うだろう。


 特に好戦派の呂蒙は危ない。本能的に荊州を求める呉の勢力は必ず手薄になった東の諸郡に攻めかかる。そのために、荊州南部を統括する徐庶を置いてきたが、能力は未知数である。全体的な兵力は六万と多いので、合肥で曹丕と戦闘中の孫権は二面作戦は行わないと思われるが、そこはある意味賭けの部分が大きかった。


 三日後、荊州の留守を関羽に任せた劉備と諸葛亮は大軍を率いて長江を遡り、益州を目指した。諸葛亮は錬磨した兵士に守られながら、水を切って進む楼船の上で荊州のことを思った。


 ――結局のところ、荊州を任せられる将は関羽しかおらぬ。


 前世で、天下統一のために絶対必要であった荊州を奪われ隆中対が破綻したのは、ひとえに関羽の傲慢な性格が浮き彫りになったこともあった。劉備がいれば、それほど目立たなかった関羽の悪い部分が留守中にすべて出てしまったのだ。


 龐徳を斬り、于禁を生け捕りにした関羽の戦闘はみごとなものであったが、その陰には連携しなければいけない部将たちとの関係の破綻や、呉の攻撃を甘く見た手薄さがあった。


 諸葛亮は、荊州南部を統括する徐庶に対してくどいほどに東からの危険性を説き、防備を厚くさせたが関羽の性格まで矯正することは不可能であった。そのために、関羽と相性が悪かった麋芳や士仁などの将を諸葛亮自身の別動隊に入れてあるが、ほとんど対症療法のようなものである。


 諸葛亮は益州を平定したあとは、張飛や趙雲と共に荊州に戻り関羽を上将として北伐を行うつもりであった。


 当然ながら益州の軍は劉備自身が率いて、龐統を将帥として涼州に出て東進してもらう。このことが成功してから必ず覇業は到達できると確信していた。


 ――あれこれ悩み過ぎても仕方がない。

 なんとか速戦して益州を数カ月以内に落とさなければ、すべては無に帰す可能性が高い。


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