第028回「劉備の入蜀」

「我が主よ。私はできうる限りの力で三軍を鍛え上げました。いまこそ、益州に打って出てかの地を確保し、覇業の礎を築く時がきたのです」

「む」


 劉備は諸葛亮の言葉を聞くと、高台から臨む精兵たちに視線を落としながら、わずかに表情を曇らせた。


 ――まだ、同族である劉璋を討つことをためらっておられるのか。


 諸葛亮が隆中で劉備に説いた天下三分の計はあくまで手段であり、最終目標ではないのだ。曹操亡きあとの曹丕の勢力も圧倒的で、荊州一州の劉備が単独で当たるのまず不可能なのは変わらない。ゆえに、呉の孫権と友好状態を保ち、益州を取って基盤を確保したのちに、荊州と益州から兵を出してそれぞれ洛陽と長安を取り、曹丕政権を滅ぼす。


 その後、あるいは過程で劉備の力が増大した時点で降伏しないのであるならば、孫権を討って揚州を併呑して、聖漢の大一統を行う。これが漢王朝復興の基本戦略であるが、これは当時において極めて常識的なものであった。


 漢は、一度外戚の王莽により滅ぼされており、その際は光武帝劉秀が南陽から立ち、漢室復興を唱えて河北に依り拠点を形成して、洛陽と長安を奪い返して蜀の公孫述を滅ぼして天下統一を果たした。


 諸葛亮が劉備に説いた草廬対はいわばこれの逆ルートであり、ほかに考えることはないほど基本的な戦略である。


「主よ。お聞きください。劉璋は暗愚であり、益州の兵は強力でありますが、統制を欠いており、いまの我らならば必ず年月をかけずにかの天府を攻略することができます。同族である劉璋を討つことにためらいは残りましょうが、言うなればそれは大事の前の小事。劉璋は、漢の一族でありながら帝の苦しみをよそに惰眠を貪ってきました。いわば、たまりにたまった悪業の代償を支払う時期が来たと思わねばならないのです。それで大義名分は立ちましょうぞ。ここ男らしく、正々堂々と戦書を送り、宣戦布告してから戦えばよろしいのです。さらにいえば、漢室復興が成し遂げられた暁に、劉璋一族に報いればよいのです。なにとぞご決断を」


「――孔明の言うとおりかもしれぬ。男らしく、か」


 この日、劉備は決断した。益州には、諸葛亮が起草した戦書を送り、降伏を促してそれが呑めぬのならば実力をもって併呑する。歴史がまた動き始めたのだ。






 益州は天府と呼ばれる四方を山に囲まれた盆地である。

 都から遠く離れたこの地は、異民族や罪人が流される場所であり一種の不毛地帯と思われていたが、中央政権の影響力が及びにくい場所であり、天然の要害が蜀の地を守り、独立勢力が力を養うに適した土地柄ではあった。


 そして、後漢時代になると黄巾の乱をはじめとした政治の腐敗や中原における飢饉など民衆が中原を離れて益州を目指す理由にはこと欠かなかった。これにより、益州の人口は黄河流域より逃げ出した人々で一気に膨れ上がる。


 この益州の価値に気づいたのは後漢の帝室に連なるひとりの男であった。

 男の名は劉焉、字を君郎という。江夏郡竟陵県の出身で、前漢の魯の恭王の後裔である。若くして、中郎に任じられ、その後賢良方正に推挙される。


 さらには、洛陽令、冀州刺史、南陽太守、宗正、太常を歴任した皇族のエリートと言っていい。


 劉焉は霊帝の時代に政治が乱れると、王室が多難であるとすぐさま見限り地方に移り身をかわそうと考え


「刺史や太守は賄賂で官職につき、民を虐げ結果朝廷への離反を招いております。これを防ぐには、清廉の評判高い重臣を地方の長官にして国内の鎮定を行うことが必要かと思われます」


 と、意見を具申した。最初に劉焉は交趾の牧となることを望んでいたが、長く叶えられず侍中の董扶から「益州には天子の気がある」と聞くと、希望を益州に変えた。


 とりあえず中央から離れられてなんか幸運そうな予言があれば信じてしまうのが弱い人間のサガなので、この経緯は劉焉に好感が持てるエピソードでもある。


 劉焉がついていたのは、その折りに益州刺史である郤倹の課する租税のでたらめさが問題となり流言飛語が飛び交っていたことだった。


 でたらめ郤倹のおかげで劉焉は希望通り地方に出ることが達せられた。劉焉は監軍使者と益州牧を兼務して、陽城候に報じられ霊帝より呼び出され


「前益州刺史劉儁及び郤倹はいずれも貪婪かつ放埓にて賄賂を受け取りでたらめを極め、民衆は拠りどころなく怨嗟の声が野に満ちている。劉焉は益州に到着するや賊を捕えて法を執行し万民に示せ。ただし、このことを人に漏らすな。腫瘍が潰れれば、国にとって災難をもたらすこととなる」

 との勅命を受けることとなった。


 意気揚々と益州に向かうが道路が寸断されており、荊州の東境に留まることとなる。


 ちょうどのこのころ、益州の馬相や趙祇らは綿竹の県令李升を殺害し、官民を糾合して一万余に膨れ上がり、進行して雒県を討ち破り益州刺史の郤倹を殺害し、一か月で蜀、広漢、犍為の三郡を破壊した。


 馬相は自ら天子と称して軍勢が万余に達した。しかし、益州従事の賈龍が私兵数百人の手勢に官民を配下に収めて千余の手勢で猛撃し数日で馬相を敗走させた。


 乱の平定後、劉焉は反逆者たちを許して東州兵を編成して自らの軍事力基盤を確立する。


 この東州兵は降伏した黄巾賊で曹操が編成した青州兵と同じく益州政権の地盤を支える軍事力となっていく。


 劉焉は馬相の乱の平定に功のある賈龍によって迎えられ、綿竹に役所を移し政治を行った。やがて、劉焉は漢中の五斗米道で実力のあった巫術を使う美女の張魯の母とできてしまった。これにより、劉焉は張魯を寵愛して督義司馬として漢中に派遣し長安への通路を破壊して漢の使者を殺害して独立するようになる。


 劉焉は自らかような不義を行っておきながら朝廷には


「米賊(五斗米道の信者)が道路を遮断したため、もはや都と連絡できなくなりました」と上書し、都には税を送らないようになり、独立政権としての形を整える。


 さらに州内の豪族である王咸、李権ら十余人を殺害し自らの権力を誇示した。


 そして劉焉はこのことで危険を感じて背いた犍為太守の任岐や賈龍を撃破して殺害している。


 劉焉は実力をもって益州に入り、苦難の内に平定を行ったが、興平元年(一九四)に悪性の腫瘍が背中にできて没してしまう。


 この劉焉の後継者となったのが、温厚で知られる劉璋である。彼の名はある意味劉備の天下争覇のための養分となった国主として有名である。


 劉璋が劉焉の位を継いでから漢中の張魯との仲は険悪になってゆく。張魯は漢中で実力を増すと共に驕り、劉璋の統制が効かなくなったことに原因があった。劉璋はこのことが発端となり張魯の母と弟を殺害して、両者の仲はほぼ修復不能になる。


 劉璋は龐羲を漢中に派遣して張魯を討たせようとしたが、たびたび敗北した。これは別に不思議はない。この時の漢中には逃亡者が多数雪崩れ込み、人口だけなら益州の成都よりも上回る数に膨れ上がっていたからであった。


 また、張魯の兵は五斗米道の信者が中心で、信仰のためならば命をものもともせず、精強であった。


 四方を山で囲まれた益州には平穏を求めて南陽・三輔の民衆が流れ込み、それらの人々は東州兵として組み込まれたが、劉璋は温和なだけで性格は優柔不断で決断力がなく、東州人が益州土着の民衆を侵害してもまるで取り締まらなかった。また政令もいいかげんなので益州の民衆は劉璋に心服しないどころか嫌っていた。


 劉璋はこの問題を趙韙に任せたが、彼は民衆の怨嗟を利用して謀反を企み荊州に賄賂を贈り和睦して益州内の豪族と手を結び反乱の兵をあげた。趙韙は瞬く間に蜀郡、広漢、犍為を落としたが、劉璋は成都に戻り城を固守し、また東州兵の奮戦もあって江州における戦いで趙韙を撃破することに成功する。


 ちなみに、趙韙は配下の龐楽や李異に造反され惨殺されている。このように劉璋は明晰な判断力を欠いており、年月が経つにつれて求心力は低下していった。


 そこで劉備による戦線布告である。堂々とした戦書には、益州を自儘に奪い朝廷から文字通り反逆した劉焉・劉璋の罪科が諸葛亮の筆跡によって書かれており、これを受け取った劉璋は怒りよりも恐怖で全身を震わせた。


 ――劉備が蜀にやって来る。


「なんということだ。あの劉備がこの蜀に攻め込んで来るとは」


 成都の政務を計る議事堂は、この突如とした苦難に驚愕した。天然の要害に守られて、戦闘経験は張魯との戦いくらいしかない益州の兵では、劉備の剽悍な軍団にはとうていかなわないと誰もが思い込んでいた。劉璋は前述したように優柔不断で決断力に欠ける男だ。劉焉から益州を引き継いで以来、初めて起きた緊急事態である。


「なんとか、州郡の幾つかを差し出して和議を請うことはできぬであろうか」


 気弱に群臣へと視線を移す劉璋に向かってひとりの壮士が大声を上げた。


「劉主よ。お気を確かに持ってくださいませ。ここで下手に出れば、益州は劉備の手に落ちることは必然ですぞ」


 劉璋が驚いて声の主に視線を向ける。そこには、益州で有数の硬骨漢である黄権、字は公衡という者が額に汗して立っていた。


「下に出るなと言うが。あの劉備は中原を制した戦上手の曹操を一戦で屠った光武帝の再来と呼ばれる男であるぞ。まともに戦ってどうにかなるはずもないだろう」


「ご案じめさるるな、主よ。劉備如きは我らにお任せあればたちどころに荊州へと送り返してご覧に入れます」


 太守劉璋の嘆きを聞きつけた劉璝、張任、冷苞、鄧賢の四将などは、すでに武装した姿で進み出ると憤怒に顔を朱に染め鼻息荒く宣言した。


「我ら四将に成都の精鋭五万騎を与えたまえ。劉備の軍勢が蜀の境を侵す前に、足腰が立たぬほどに打ち破ってみせましょうぞ」


 劉璝が丸太のように太い腕でおのれが胸を叩いて言うと劉璋は前のめりになってうなずいた。


「おお、劉璝よ。頼もしや。そなたに精鋭五万を授けようぞ。直ちに軍を編成して劉備を迎撃するのだ」


 この主君である劉璋の対応策を聞いて、成都のある屋敷に集まった者たちがいる。


 彼らは、張松、法正、孟達、彭羕の四名である。彼らは益州の人間にしては天下の時勢に目端が行き届き、結論として劉璋を主とした益州勢では向かい来る劉備軍には勝てないと見越し、今後の策を話し合っていた。


「やはり劉益州ではどうにもならないであろうな。曹操を討った劉玄徳は一世の英傑。彼の器は、いまの中原にいる曹丕などよりもはるかに上だろう」


 劉璋の別駕従事である張松は曹操を討った劉備に心酔しているのか、持ち上げる形で三人に言った。


「曹丕よりは上かもしれんが、なにぶん我らは誰も劉豫洲に会ったことがないからな」


 杯を手にしたまま幾分冷めた目で彭羕が言った。

 彭羕ほうようは字を永年といい広感漢郡出身の男である。身長は八尺(約192センチ)あまり、容貌魁偉で知られた。


 性格は驕慢、人をぞんざいに扱うことが多かった。ただ、同郷の秦蜜だけは彼を尊敬しており、彭羕を太守の許靖に推薦した。


 彭羕は州に仕えたが、書佐にすぎず、件の性格で人々に嫌われたせいで劉璋に讒言されて髡鉗こんけん(髪を剃り首枷を行う)の刑に処されたあと、労役囚にされた。


 ここで彭羕が受けた刑罰は髡鉗城旦こんけんじょうたんといい漢王朝の刑罰である。


 髡鉗のこんとは、頭髪を剃去すること。

 けんとは首枷で城旦は城壁の修築と警備に早朝夜間を通して就労することである。


 なお、ここでいう髡はどの程度散髪するかというと今日の我々がイメージする囚人の坊主頭ではない。中国古代の人々は基本的に長髪である。


 そして伸ばした髪を裂地や冠で包むのが一般的だ。

 ようするに力士がちょんまげを落としてざんばら髪にするようなものであった。


 当時の人間は庶民から貴族まで髪を結うのが常識で、ざんばら髪はそれだけで士人を辱める刑罰だった。


 彭羕は単純に自分を重く用いず讒言を真に受けて士大夫として尊厳を奪う髡鉗刑にまで処した劉璋に個人的恨み(自業自得の部分も大きい)があった。


 基本的に皮肉屋で懐疑的であるが、中原を制した英傑である曹操を討ったということで劉備という人間自体には尊敬の念を抱いてはいたのだ。


「とにかくここで話していてもはじまらん。本格的な戦が始まる前に、劉玄徳に会ってみるのが一番早いのではないか?」


 彭羕の本心を知る孟達が言った。劉備の目の覚めるような武功に心酔していた孟達も、仕えるならば劉璋よりは劉備のほうが自分にふさわしいと思っていたのだ。


「確かにここで議論していても始まらないな。ただ、劉豫洲はすでに益州へ戦書を送って宣戦布告している。荊州に赴くは危険が少なからずあるはずだ」


 張松の言葉に法正が立ち上がった。

「私がゆこう」


 法正は字を孝直といい、扶風郡郿県の出身である。建安の初年に天下は飢饉となったため、同郡で友の孟達と共に蜀にゆき劉璋のもとへと身を寄せた。初めは新都の令になり、のちに軍議校尉になった。法正の祖父である法真は清廉潔白な士で名声があったが、同村の人間に誹謗されたため、劉璋は法正を重く用いなかった。法正はあふれんばかりの智謀の持ち主で、常に自分の力を試したかったが、その場を得なかった。かつての法正は劉備の存在自体は知っていたが、劉表のもとに身を寄せた流浪の客将であるという程度の認識しかなかった。


 だが、たった一年で荊州全土を掌握し、いまや十万を超える兵を持つ大身になった過程をつぶさに調べるにつれて、常に「我が身が劉将軍のもとにあったら」という妄念につきまとわれ、強い興味を抱いていたのは確かだった。


「わかった。孝直どのがそのように言うならば私から劉益州に進言してみよう」


 張松は劉璋を説いて、一度和議の可能性があるかどうかを探るべく、法正を使者として荊州に派遣するよう勧めた。


 劉璋は張松の言葉を聞き入れると、法正を召して命じた。


「うむ、法正よ。汝は我の代わりに荊州に赴き、劉豫洲の存念を探ってみよ」


 張松の言葉をあっさり聞き入れたのは、本音では劉璋も武勇で名高い劉備と真っ向からやり合うことを回避できたらば、という臆病さが常にあったからだ。


「は。和議の道、探ります。また、戦が止められずとも、敵軍の内情を探り、その情報を必ず持ち帰りますゆえ、ご安心を」


 ――さあ、劉備という男はどの程度か。儂自身で値踏みしてくれるわ。


 法正は劉璋に頭を深く下げつつ拱手しながら、まだ見ぬ東の英傑に対して思いを巡らせるのだった。




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