第026回「渭水の戦い」

 西方諸侯連合がついに動いた。

 韓遂の熟練した指揮のもと、その名を馳せた部将たちが一気に曹丕へと襲いかかる。


 四方八方から、途切れぬ濁流のような騎兵の攻撃にさしもの曹丕軍もついに崩壊一歩手前まで追い詰められた。


 潼関の要塞は鍾繇が守っているので、さすがにそう簡単には落ちぬが、手足に咬みつかれた状態で引き鐘を討てばたちどころに四肢を食い千切られて軍は死ぬ。


 ――これがまことの戦場なのか。

 軍務に就いて長い曹丕であるが、これほどまでの大軍を指揮して戦ったことは一度もない。張郃、徐晃、張既の三将は死に物狂いで戦っているが、旗色の悪さは明白であった。


 予備の歩兵はすでに出しているが、韓遂の投入した関中軍閥の兵は疲れておらず曹丕軍が全体でみると時間と共に死者数が増大している。


 特に、馬超の突撃は強烈なうえに執拗だった。自ら長矛を振るって曹軍の部将をすでに幾人も突き殺している。曹丕を守る盾は、矢が無数に刺さり、さながら針鼠の様相を呈している。


「丞相、なにをしておられるのですか。ここにいてはいけません」


 駆けつけた許褚が割れ鐘のような大音声で怒鳴った。曹丕はすでに馬から降りて胡床に腰を下ろしていたが、立ち上がらない。いや、腰が抜けて立てないのだ。だが、その曹丕の姿勢を勘違いした許褚はフッと笑みを浮かべると、特注の巨大な戟をつかんで傍らに立った。


「いいでしょう。あなたがそのおつもりならば、私も逃げませぬ。我が軍が馬超を追い返すさまを見届けようではありませんか」


 ――違う。

 許褚の澄み切った目を見た曹丕はその言葉を否定できなかった。凍りついたように座ったまま微動だにしない曹丕を目にした兵たちは、いい意味で勘違いしたのか、勇気百倍、それぞれが魂魄から精気を振り絞って叫びながら、突入を繰り返す馬超軍に殺到してゆく。


 だが、その善戦も虚しく、曹丕のまわりから旗本がみるみるうちに西涼騎兵に吸収されてゆくと、ついには白馬に乗った白金の甲を着た若い将軍が突っ込んで来た。


「我こそは西涼の馬超なり! いざ、勝負!」

「なにをっ!」


 許褚はひと塊になって駆け込んで来た敵騎兵を手にした戟で瞬く間に三人ほど叩き落した。それから素早く無人になった駒に駆け上がると、怒声をほとばしらせながら馬超に立ち向かってゆく。剛力の許褚が戟を馬超に向かって振り下ろした。凄まじい風切り音を残して刃が馬超の頭上に吸い込まれる。


 が、馬超は駒を巧みに操って戟をかわすと手にした長矛を繰り出した。許褚も身体をのけ反らせてこれをかわす。


 両雄は互いに睨み合って頬に笑みを浮かべると、ようやく敵を得たりと、刃を打ち鳴らせてどちらが首を斬るか競い出した。


 許褚の特大の戟と馬超の長矛がぶつかり合うこと数十合。


 戦場には雷鳴のように轟く金属音が鳴り響き、殺し合う互いの将兵も槍を持つ手を止めてふたりの一騎打ちを眺め出した。許褚が異様な唸り音を立てて戟を振るえば馬超は長矛で受けとめ、すかさず刺し殺そうと突きを見舞う。


 が、許褚は柄の中央部で矛の切っ先をかち上げていなす。同時に、吠え声を上げながら戟を叩きつけた。馬上で自在に矛を振るう馬超は甲から汗を垂れ流しながら言った。


「そなたが曹操自慢の虎候であるか。これはそう簡単に決着はつけられぬな」


 馬超は馬首を翻すと自軍に戻ってゆく。


「逃げるか」


 許褚は怒鳴るが、その時馬超はすでに西涼騎兵の塊に溶けて見えなくなっていた。あと一歩で曹丕を斃せる位置まで来ていた馬超が退いたのは理由がある。西方諸侯軍の脇に回っていた夏侯淵が突撃を開始したからであった。


 兵を観るに敏な馬超は後方の主力部隊が乱れたことを旗の動きで察知していた。さらに言えば、当初より予定していた後詰の数が少なく、このままでは曹丕を押し切れないと察したのだろう。それだけ夏侯淵が指揮した騎兵における貫通力の凄まじさを表していた。


 そもそもが、この時、馬超は敵の総大将である曹丕の首にそれほど価値を認めていなかったのだ。これが、曹操であるならば、自分の命と引き換えに首を狙っても充分おつりがくるものであったが、曹丕では違うのだ。馬超からすれば憎くはあっても、曹操に感じた恐ろしさは曹丕に感じないというのが本音であろう。それくらいに曹操の存在感というものは巨大であった。


 この潼関における戦いでは、夜が来る前に戦いは自然と終結した。


 退いたのは、馬超や韓遂の連合軍であったが、彼らの戦傷者が千余騎程度であったのにもかかわらず、曹丕軍の手負いは四千余騎を超えていた。圧倒的に互いの軍事力の差が出たのだ。特に、騎兵を指揮しての馬超の強さは曹丕軍に恐怖を刻み込んだ。以後、曹丕は潼関の砦に立て籠もると、いかに馬超が挑発しても出撃をせず、貝のようにその口を閉じてしまった。


 立てこもってしまえば騎兵が主である西方諸侯連合は手が出せない。馬超は韓遂と語らうと、陣を引き下げて渭水の南岸に移動した。曹丕は幕僚たちと語り合うと、軍を二つに分けることにした。


 まず、曹丕軍本体を河水西岸に渡らせ西方諸侯連合の北に移動させる。これにより、北に位置した曹丕軍と潼関の鍾繇軍が北と東から西方諸侯連合軍を挟み撃ちにする形を取ることができるようになるのだ。


 曹丕は徐晃と張郃の二将を進発させて河水を渡るために蒲阪津へと移動した。二将はすみやかに蒲阪津を渡ると、対岸にあった西方諸侯連合の見張り台を攻撃して占拠。防御のための営塁と塹壕を作りはじめた。それを素早く察知したのは馬超である。


「ここで徐晃と張郃のふたりを討ってしまえば、対岸の蒲阪津に陣取る曹丕は渡河が不可能になる。砦を構築して堅守すれば曹丕の大軍は進むことも退くこともできずに、間もなく兵糧を食い尽くす。そのあとは追手を出して駆逐するのも、生け捕るのも自由自在だ」


 この馬超の考えに対して、韓遂はひたすら曹丕の全軍が渡河を行う途中で急襲し、敵をすべて河水に追い落として撃滅するという策を述べた。


 これは特に韓遂が大きく間違っているわけではない。孫子の行軍編でも「客、水を絶ちて来たらば、之を水の内に迎うること勿く、半ば済らしめて之を撃つは利なり」とあるように、敵の半数が河を渡ったところで攻撃するのが当時の戦いのセオリーであった。


 むしろ馬超の曹丕軍の渡河を阻んで対岸に追い返す戦い方は「敵が渡ってきても、迎え撃つな」という孫子の説く教えからは外れている。


 だが実際のところ、馬超の攻撃は効果的だった。

 渡河を敢行した曹丕軍は、まだ全軍が渡り切らないうちに、馬超の率いる一万余の騎兵による猛攻撃に晒された。戦力が充実しない曹丕軍は数千に満たず、徐晃と張郃が力戦してもここぞとばかりに河水へと押しつけてくる馬超軍の攻撃にほぼ打たれっぱなしの体を見せた。


 曹操と違って抜群の胆力がない曹丕はすぐさま逃げようとした。しかし、曹丕はここでも命を拾う。


 逃げそこなったのだ。そして戦況により、その意味が逆転する。曹丕が骨の髄から怯えて凍りついたさまが、全軍の兵士に「踏み止まっている」という好印象を図らずも与えたのである。


 またもや曹丕を守る許褚の奮戦もあり、次第に渡河を完了させて戦力を充実させてゆく敵軍の運に喰われた馬超は撤退を余儀なくされた。


 ここで、馬超が不幸であったのは、韓遂が作戦に異を唱えたので西方諸侯連合の助力が得られなかった点にある。


 韓遂はなまじ智慧が回り、兵法に通じているだけあって馬超の行動に憤懣を覚えていたのだ。


 建安十四年(二〇九)五月の韓遂は六十九歳であり馬超は未だ三十四歳とその年齢は三十五も違うのだ。


 韓遂は手を組んでいても所詮は馬騰の小せがれという侮りが馬超に対して大きく出た戦いであった。


 曹丕はからくもこの戦いで馬超を退け、営塁を築くことに成功した。曹丕は参謀たちの知恵を借りて、塁から塁を繋ぐ甬道を掘り進めて繋ぎ、徐々に南進して西方諸侯連合軍を圧迫し始めた。


 ――正面切って西涼軍と戦うのは勝ち目が薄すぎる。


 曹丕が軍中で思い悩んでいると、馬超が使者を寄こした。内容は河水より西の地を割譲せよというものであった。敵の侮りをもっとも恐れている曹丕はその場で使者を斬ろうと激怒して立ち上がった。敵から侮られるのは味方からの権威の失墜を招くと固く心信じている曹丕の強い疑念があるからだ。


 が、近侍していた謀臣の賈詡が密かに微笑むのを見て思いとどまった。使者を、砦の一室に隔離すると曹丕は賈詡を呼んで訊ねた。


「なにか言いたいことがあるようだな。申せ」

「では、愚策ながら――」


 賈詡は字を文和といい武威郡姑臧県の出身である。若き日にはほとんどの人間に無視されていたが、ただひとり漢陽の閻中だけは「賈詡には張良や陳平のような奇略がある」と言われていた。賈詡は幸いにも孝廉に選ばれ郎になったが病のために職を辞し、西方に戻る途中で氐族の叛民に襲われ同行者十数人はすべて捕らえられた。しかし、賈詡は叛民に対して、


「私は段公の外孫である。おまえたちは私を殺したあと、ほかの者たちとは別に埋葬するのだ。私の一族の者は必ず充分に礼をして引き取るだろう」と言った。


 当時の太尉段熲はかつて長期にわたり国境指揮官を務めて、権威が西方一帯に鳴り響いていた。賈詡は段熲とはなんらかかわりのない人間であるが、その名を借りて脅すことによって氐族を脅し難を逃れた。無論、ほかの同行者が全員氐族に殺されたのはいうまでもない。


 このように賈詡は若年のころから機知を働かせることとその胆力は衆に優れていた。また、賈詡は南陽の張繍に仕えていた時に、たびたび献策を行って当時絶頂であった曹操を撃退した経験のある知勇兼備の好漢でもあった。


 賈詡は曹丕に対して、馬超だけが常に前面に出て韓遂が後方で力を温存し、積極的に打って出ないことに両者には溝があるということを指摘した。


「西方の胡たちは、力のある馬超や韓遂にあくまで形として同盟を組んで従っているだけであり、それは強烈な忠義からきているものではありません。今回における敵からの使者は、馬超や韓遂の弱さからくるもので、ここを衝けば西方諸侯たちを崩すのはそれほど難しくはないでしょう」


「文和よ。おぬしと仲徳にすべて任す。善きにはからえ」


 曹丕は西方諸侯連合の切り崩しを賈詡と程昱に任せた。実際、この戦いは睨み合っている時間のほうが長く、はるか遠方の西方から手弁当でやってきた西方諸侯たちは兵糧調達が上手くいかず、徐々に疲弊していった。


 一方、曹丕は鄴や許昌にいる司馬懿や韓浩によって絶えず物資補給は行われ、時間が経つにつれてその差はあきらかになっていった。


 さらに、賈詡と程昱の調略は韓遂をはじめとする西方諸侯連合に及んでゆき、両軍の対峙が長引けば長引くほど馬超の率いる軍以外の諸将からは厭戦気分が蔓延していった。


 事実、韓遂は智謀に長けるだけあって、見切りも早かった。


 ――馬超だけでは曹丕には勝てぬ。

 当初、韓遂は代替わりしたばかりの曹丕であるならば容易に斃して洛陽を奪取し、天下争覇に名乗りを上げるくらいの勢いはあったが、実際のところ曹軍のまとまりを目にしてその盤石さを思い知り、どこで戦を手仕舞いにするかを考えるようになっていた。


 一族を、もろとも誅滅された馬超と違い、韓遂自身は曹丕政権に対して、たいした嫌悪感も忌避感もないのだ。


 勝てるようであるならば粘り強く食らいつくが、噛んだところ思った以上にやわくなく、歯が欠けそうならば両手を上げて降伏することに、この乱世の梟雄はこだわりはなかった。


 事実上、馬超・韓遂連合軍と曹丕軍最後の決戦となった場所は、弘農郡のもっとも西にある華陰県である。


 この戦いは、馬超が望むような華々しいものにはならなかった。


 ――今度は曹丕の首を上げ、敵軍を殲滅してやる。

 異常なまでに意気軒高な馬超軍は先陣を切って曹丕軍の先鋒である徐晃にぶつかっていったが、ほどなくして不思議なほどに西方諸侯たちは次々に崩れ、あるいは馬超に向かって牙を剝いた。


 梁興と成宜を除く残りの六将、すなわち李湛、馬玩、程銀、侯選、楊秋、張横が反旗を翻して襲いかかって来たのだ。


 賈詡の主導による離間の策はみごとに馬超とそのほかの諸侯の絆を断ち切り、ここぞという状況で内応させることに成功していた。


「馬超を生け捕り鄴で晒してやるわ」

 張郃、張既、夏侯淵といった勇将が馬超を圧し包むように包囲の輪をゆっくり縮めてゆく。


 西方諸侯でも韓遂に次いで勢力の大きかった成宜はさすがに曹軍の猛将たちの激烈な攻撃に耐えていたが、ついには精妙な徐晃の指揮による総攻撃で陣を圧し潰され、乱軍の中で無数の矢を受けて戦死した。


 この時、もっとも後陣にいた韓遂は曹丕との約定を守り、そろそろと距離を取ると戦線を離脱していった。これを見た梁興以外の諸侯は餓狼と化して馬超に猛然と打ちかかる。さすがに馬超はそう簡単に崩れなかったが、あとは時間の問題である。


「さあ、まずは馬超だ。残りは諸卿らに任せる」

 曹丕がそう言うと徐晃、張郃、夏侯淵の三将は網を引き絞って雑魚を捕えるように、西方諸侯を残らず追撃にかかった。


 楊秋を除く、李湛、馬玩、程銀、侯選、張横らは曹丕軍の追撃に晒されて、もはや軍の秩序を保てずに、わずかな騎兵だけを伴って西方に落ち延びてゆく。夏侯淵は、曹丕の指示を受けるとさらに追撃を続けた。






 ――敗れた。まったくと言っていいほどに。


 馬超は、佐将の龐徳と従弟の馬岱、そして数えるほどの兵たちを連れて戦場をかろうじて脱出することに成功していた。


 馬超の白金の甲と純白の戦袍もいまや返り血と戦塵に塗れて黒く染まり、かつての雄姿は見る影もなかった。後方から追いかける曹軍の騎兵が矢を放って来る。


 馬岱が馬首を翻して駆け寄り、槍を振るってたちまちに五人ほど血祭りにあげると、彼らはそれ以上追うのを止めた。


 龐徳もすかさず反転して、怒号をほとばしらせながら戟を振るう。たかだか十数騎であるが馬超の子飼いの兵の強さは桁外れだった。数百の曹軍は追い散らされて霧散する。馬超は駒を止めたまま、曹軍の消えて行った荒野をジッと見やっていた。


 ――なんたることだ。

 馬超は歯噛みしながら拳を鞍に叩きつけた。握りしめた拳。手甲の間から鮮血が滲んでいる。それを見ていた龐徳が無表情のまま、駒を隣に寄せて来た。


「納得がいかない、というご様子ですな」

「あたりまえだ。俺たちがまともに戦えたのは最初の一戦だけだった。五万とは言わない。こちらに三万ほどの余力があれば、ほかの腰抜けどもの手を借りずとも、曹丕如きには負けなかった」


 自分で言っていて虚しい。それらも含めて戦なのだ。曹丕は、馬超がまったく問題にしていなかった西方諸侯連合に楔を打ち込み、戦いが始まる前にほぼ勝敗を決めていたのだ。わかっているだけに、自分の間抜けさが腹立たしかった。


「だが、それらを含めてが戦なのですよ」

「悔しい、俺は悔しいのだよ令明よ」


 令明とは龐徳の字である。無骨な龐徳は馬超の瞳を正面から見据えて静かな口調で言った。


「ならば、生きましょう」

「なに――?」


「我らは破れました。だが、荊州の劉備を見てください。彼ほど敗北の歴史を積み重ねた男はおりますまい。その劉備ですら、機を望んではただの一撃であの曹操をみごとなまでに屠ったのです。孟起どのは漢の名将馬援の血を引く裔孫。その武勇が劉備に劣ることはないでしょう。一度や二度敗れたとて、よいではありませんか。命さえあればいつでも負けはいつか取り返せます。ようは、先に曹丕の首を上げればよいのですよ」


 曹丕を殺る。龐徳の顔にはそう書いてあった。背後を振り返ると、馬岱をはじめとしたいまや数少なくなった西涼騎士の生き残りたちが瞳に闘志を燃やしながら、自分を見つめている。


「そうだな、劉備をひとつ見習ってみるか」

 肩の力が抜けた。馬超は白馬の首筋を撫でると蒼穹を走っている雲を見つめた。いつか、自分が戦い続ければ劉備に出会うことができるだろうか。その時は、曹操に勝った瞬間のことを聞きたい、と思った。


 馬超は曹操に会ったことがある。すべてにおいて、曹操は曹丕と比べることもできないほど優っている。


 この馬超が、曹操のせがれ程度に手こずっていてはなんとも情けない。父である馬騰も生きていればきっとそう言うだろう。なんとなくではあるが、劉備に侮られたくない。そんな気持ちが馬超の中で強くなっていた。


 会うことがあるのであれば、その時は対等でいたい。そのために、是が非でも生き抜いて曹丕の首をこの手にしなければ恰好がつかないではないか。


 ――劉備とはどんな男だろう。

 馬超は峩々たる山嶺の向こうにいるであろうかの英雄を思い、どこか愉快な気持ちになりつつある自分に驚きと喜びを感じていた。



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