第025回「潼関の戦い」

 後継者争いの片がついた曹丕に襲いかかる新たな悩みの種は西からであった。


 西涼にいる馬超の存在だ。

 きっかけは曹丕の西方出兵にあった。曹丕は、漢中に跋扈する張魯を討つために洛陽で兵を徴募して、次なる戦いに備えていた。


 しかし、関中に支配権を置く地方軍閥たちは自分たちが討伐されるのではないかと疑心暗鬼に陥り、ついには首領に馬超と韓遂を戴き決起したのだ。


「なんという愚かなやつらだ」

 南方の孫権、そして後継者争いを制した曹丕にさらなる危機が訪れた。曹操のもとで恭順を誓い、主力軍の解体がほぼ終わっていた馬騰は鄴で一族と共に起居していた。


 曹丕は、このたびの反乱が馬超と韓遂が主に行われていたと知ってはいたが、ケジメは示さなければならなかった。


 このことにより、鄴で暮らしていた馬超の父である馬騰は責任を負わされ一族もろとも処刑されたが、これが火に油を注ぐこととなった。


 馬超と韓遂は、楊秋、李堪、成宜、侯選、程銀、張横、梁興、馬玩らの軍閥と勢力を糾合して十万の兵を集めると、意気揚々と鍾繇の守る洛陽に近づいた。


 西涼の兵は猛者ぞろいである。馬超と韓遂は潼関のすぐそばに陣を築いた。


 ――我ひとりで到底抗しえぬ。

 そう判断した鍾繇は鄴にいる曹丕へと判断を仰いだ。この時、馬超を半ば煽りたてて挙兵した韓遂こそ、容易ならざる影の黒幕と言っていい。この男の危険性を長らく荒廃した古都洛陽の復興に心血を注いでいた鍾繇はよく知っていた。


 鍾繇は字を元常といい、潁川郡長社県の生まれである。叔父の鍾瑜に深く愛され、学資を提供されると洛陽で学問を収めた。


 長じて孝廉に推挙され、尚書郎・陽陵県の令に任命されたが、病のため職を辞した。のちに役所に招聘されて廷尉正・黄門侍郎となった。


 漢の献帝が長安にいる時期、李傕・郭汜らに政治を壟断されている折に、曹操が使者を送った。疑り深い李傕と郭汜は曹操の使者を最初拒絶しようとした。


 しかし鍾繇は曹操をかばって李傕と郭汜に進言を行い、曹操の意に叶うよう口添えを行った。このことや、荀彧が称賛することを踏まえて、鍾繇は曹操に仕えるようになる。


 鍾繇は曹操に命じられて侍中のまま司隷校尉を兼務した。


 曹操は鍾繇に関中諸郡の総指揮をとらせて、当時争っていた馬騰と韓遂に利害損得を悟らせて和解させ、その子らを質として取り参内させることにも成功した。


 鍾繇は匈奴の単于が反乱を起こし、袁尚の任命した河東太守郭援が救援に来て勢いを増した際にも、冷静沈着であった。鍾繇は慌てず張既や馬超と戮力してこれをおおいに破り郭援の首を斬った。


 また、鍾繇は董卓の焼き討ちによって荒廃した洛陽を懸命に復興させ、流民を移住させて徐々にかつての繁栄を取り戻そうとしてきた努力と自負がある。


 韓遂と馬超が反乱を起こして、関中のほとんどもこれに呼応し、漢王朝の古都といえる長安も西方軍閥たちの手中にある。


 ――さすがにこれは見過ごせぬ。

 曹丕は鄴の兵馬五万騎を呼び寄せると、軍事参謀に程昱や賈詡、将校に夏侯淵、張郃、徐晃、張既、許褚などを召して、韓遂と馬超の連合軍を迎撃するために潼関へ向かった。







 大地はどこまでも果てしく広く、そして黄色い。馬超は巨躯の駒を走らせ続けながら、前方に突如として現れた黒雲のような軍団を見やった。


「兄者。隊を離れすぎです」

 後方から青鹿毛に乗った馬岱が勢いよくやって来て、やや神経質な声を上げた。白金の甲を纏った青年武将は整った容貌を前方から迫る軍団に向けたままみじろぎもしない。


 今年で三十三になるこの西涼の雄は字を孟起といい扶風郡茂陵県の出身である。史書に記されているように光武帝に仕えた前漢の名将馬援の裔孫であり、中山靖王劉勝の末裔を自称する劉備よりもはるかに経歴は確かである。


「見ろ、岱よ。あれが曹丕の軍勢だ」

 馬超が長矛で指し示す方向には潼関の狭隘な地形から打って出た曹丕の率いる騎兵と歩兵が土煙を上げて迫っていた。


 潼関は狭い。

 よって、守るにたやすく攻めるのには難しい。そのために、西方諸侯連合軍は鍾繇の籠る三万の兵と睨み合いを続けていたのだが、到着した曹丕はほとんど間を置かずに打って出たのだ。


「兄者。曹丕のやつは、よほど戦に自信があるのでしょうか」

「それは当たってみなければわからぬ」


 遅かれ早かれ、曹丕軍との激突はさけられなかっただろう。馬超も韓遂も、漢中の張魯を攻めると見せかけて、曹丕がいつ襲って来るかわからない状態に痺れを切らしていた。対決はさけられぬ。


 ――敵が曹操でなければ、儂もそれほど畏れぬわ。


 荊州での戦いの結果は遠き関中にも伝わっており、劉備がほぼ無敵と思われた曹操を討ったという事実は蒙古族の血が流れる西涼の民たちを熱狂させた。


 実際、馬超は若き日に曹操に乞われて袁紹の残党ともいうべき郭援と高幹の討伐を手伝ったことがあるが、その際に曹操軍の威容は見知っていた。現実、中原を制してみごとに河北を切り従えた曹操が南征に成功すると十中八九誰もが思っていた。


 ――だが、その圧倒的逆境を劉備という男は覆したのだ。


「とにかくだ。やってみればわかる」

 白金の甲を纏った馬超は白い歯を輝かせると、ひとりごち、馬首を巡らせると自軍に戻り陣の編成を行った。


「さあ、やるか」

 馬超は二万余騎を繰り出すと、前方の曹丕軍に真正面からぶつかっていった。曹軍は荊州の戦いののち、兵数が激減している。


 馬超は冷静に彼我の戦力を計っていた。西方諸侯連合の軍勢は十万。対して、潼関で鍾繇が籠らせていた三万と曹丕が率いて来た五万を合わせると、八万をやや超える程度であろう。


 この時、曹操ならば決して潼関を出なかったはずである。だが、状況が違うのだ。曹丕は若年にして、ようやく後継者争いを収めたばかりであり、諸将はその才を窺っている。


 二十そこそこの曹丕に父である天才曹操のような華々しい戦績はなく、是非とも自らが軍を率いて、この降りかかった難を自ら取り除かなければ、のちのちの禍根になりかねないという思いが強くあった。


 曹丕は、徐晃、張既、郭淮、孫礼などを前面に押し出して来る。


 馬超はまず、佐将である龐徳に伝令を送って、敵勢の露払いをさせた。


 龐徳は字を令明といい南安郡狟道県出身である。馬超の父である馬騰に従い、各地を転戦した、反乱を起こした羌族や氐族を攻撃してたびたび戦功を立て、曹操が袁譚を討伐する際には、馬超に従い先鋒として進軍して郭援や高幹を攻撃して、徹底的に打ち破り自ら郭援の首を斬った。


 龐徳の武勇は衆に秀でており、戦闘のたびに常に陣を陥れ敵を撃退し、馬騰軍では第一の猛将であった。馬騰が朝廷に召されて衛尉となるととどまって馬超に仕えたため、鄴における一族虐殺から逃れることができ命を拾った。もともとが、馬騰に引き立てられ忠誠心は強い。そのため、今回の戦いでは曹丕の首を馬超以上に欲している男のひとりといえた。

 ――必ず曹丕の首を上げてやる。


 長大な矛を携えた龐徳は白馬に跨ると、猛虎のような雄叫びを上げながら自ら先頭を切って曹丕軍に襲いかかった。


 龐徳は旗下の部将に向かって指示を出す。ほぼ同時に、雨のような量の矢が曹軍の陣営に降り注いだ。


 西涼の騎士たちは、馬を操ること呼吸の如くであり、騎馬戦になれば圧倒的な強さを誇った。曹丕軍の先鋒である徐晃は盾を連ねて、空を覆い尽くすほどの矢を防ぎながら、盛んに騎兵を繰り出して応戦する。


「矢が途切れた瞬間を逃すな」

 徐晃は喉元から戦場に響き渡る声で兵を叱咤激励する。曹軍と西涼の騎馬。かち合った瞬間、徐晃は厚みの違いに絶句した。


 龐徳が長矛を馬上で風車のように操り、右に左に動かすと刺し貫かれた徐晃の騎兵が瞬く間に五人落馬した。龐徳の矛術は精妙である。魔人の如く、戦場を駆け抜けながら畳みかけるように騎兵を寄せた。龐徳の指揮のもと鍛え抜かれた騎兵が徐晃の兵を圧倒した。


「あの将が徐晃よ。射落とせ」

 龐徳が長矛を指し示した場所にいる地点に向かって矢の雨が降る。数百、数千の矢がたちまちに連なって徐晃軍の先鋒を虐殺した。盾を上手く乗り越えて、次々に歩兵が射殺されるのを見て、さすがの徐晃も恐怖した。


 ――このままではまずい。陣を支えきれぬ。

 徐晃は瞬く間に十里ほど軍を後退させざるをえなかった。その龐徳を支えるように馬岱が騎兵を引き連れ中央の曹丕本陣へと斬り込んでゆく。


 矛を自在に操る西涼の兵は極めて練度の高い徐晃の精鋭を退けると、それを助けようと前に出た張郃の軍に襲いかかった。


 もと袁紹の配下である張郃は曹軍の中でも五指に入る戦上手であるが、馬超軍の突進力を受けきる力はなかった。張郃の歩兵。たたらを踏んで、なんとかその場に踏み止まっているのが限界である。腰砕けにならないのが精一杯の様子であった。


「なにをしている。敵勢は我らより僅かであるぞ。とっとと蹴散らさないか」


 曹丕は常に曹操の遠征に従い軍旅の中で成長した。

 弓も馬も水準以上の腕を持っている。

 戦いの勘所も悪くないが、不思議とツキに恵まれなかった。


 いうなれば結果の出せないタイプの男である。偉大な父の亡きいま軍においてプレゼンスを示せなければ、曹丕の能力を見限って弟たちを担ぎ出す者がいないとも限らない。


 ――馬超の小僧、思った以上にやるではないか。

 後方に大軍を擁して控えていた韓遂は戦況を見守りながら喜悦の表情を見せた。同盟を組んでいるものの、韓遂は馬超の父である馬騰と幾度も干戈を交えており心より信頼し合っているという関係ではない。


 こたびの出兵は、英雄である曹操亡きあとを継いだ曹丕が関中を窺うために自衛せざるを得なかったためである。韓遂は老練な将だ。漢の霊帝時代から幾度も乱をおこし三輔を攻め、その生涯には常に戦陣に塗れており軍歴や経験の深さは、この戦場にいるどの将よりも比類がない。


「馬超ばかりに愉しませておくのは、ちともったいない。我らも遊ぶとするか」


 韓遂はみごとな黒鹿毛の上で両腕を組んだまま、チラリとすぐそばの側近に告げた。


「梁興、成宜は正面から馬超を助けよ。李湛と馬玩は左翼から、侯選と張横は右翼、程銀と楊秋は後方に回り曹丕の退路を断て。我は、本陣を前に進めて圧をかける」


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