第017回「希望の使徒」

 瞬く間に荊州を併呑した劉備の威名は四海に鳴り響いた。その劉備の名を慕って帰順する者が荊州には数多くおり、諸葛亮は前世の記憶と知識を総動員して才ある者の登用に勤しんだ。


 ――荊州は人材の宝庫だ。

 だが、諸葛亮が積極的に動く前に、世界は胎動していた。栄誉と働きの場を求め、世に出ようとする彼らの動きのほうが素早かったのだ。まず、廬江郡にて隠然たる勢力を持っていた雷緒は配下の数万人を率いて劉備に帰順した。


「幸先が善い」

 劉備は無邪気に喜ぶと雷緒を軍営に加えた。それから、西から来るであろう備えのために、江陵に赴任させ、いまだ従属を明確に決めない豪族たちを斬り従えさせた。雷緒の引き連れた配下は、流民が多かったがいまの劉備には人が必要であった。


 雷緒の配下数万人の中から特に壮健な男子一万人を選んで諸葛亮は軍に加えた。この雷緒のような者は、それ以降に軍中に加わった人材からすれば、歴史的意義はそれほどでもない。荊州を制圧した諸葛亮がまずもっとも重要視して取り立てたのは、鳳雛という呼び名で知られる、龐統という天才であった。


 ――龐士元はこの先絶対に必要な人間だ。

 龐統は字を士元といい襄陽郡出身の傑物だ。彼の容貌は諸葛亮に比べれば劣っている。全体的にもっさりとしていた、と史書に書かれるようにひと目でわかる優美さや、傑物に備わるであろう魁夷さはなかったのであろう。


 だが、外見などは些細なことだ。内に秘めたその才は金剛石以上の輝きを持つ叡智の塊であると諸葛亮は知っている。


 龐統は二十歳のころ、人物鑑定で知られる潁川の司馬徽に会い、極めて高い評価を得て「龐統は南洲士人の中でも第一人者になるであろう」と讃えられた。このことがあってから龐統の名は世に知れ渡ってゆく。のちに、龐統は郡に指名されて巧曹になる。


 また、龐統は生来人物鑑定を好み、彼が称揚する場合はその人物が持つ能力以上に評価することが多かった。当時の人々は不思議に思い尋ねたところ


「現在、天下は大いに乱れ、正道は衰え善人は少なく悪人は多い。こんな時代に道徳を盛んにしようとしても、おおげさに褒めねば名誉は充分希求されず、その場合は善事を行う者は少ないだろう。いま、十人を抜擢してやって半数の五人が失敗しても半分は手に入れたことになり世の教化を高め、志あるものが努力できるからそれでよいではないか」と言った。


 つまりは数撃ちゃ当たる鉄砲作戦で龐統は龐統並に世界を変革させてよりよい方向に導こうと考えていたのだった。


 諸葛亮は友人である龐統の居場所を探り当てると、懇々とおのれの目指す大義と劉備の懐の深さを説き、ついには召し出すことに成功した。龐統の弟である龐林も当然のことながら劉備の幕下に加わった。


 さて、その龐統である。劉備は龐統と深く語り合うと、やはり相性がよくその秘めたる有能さを見抜き、諸葛亮並に抜擢して軍事中郎将に任命した。劉備が龐統に向ける親愛の情は傍から見ても過度なものに映ったのだろう。夜を徹して語り合うこともしばしで、むしろ関羽や張飛といった以前からの家臣が諸葛亮の機嫌を窺うようなほどの惚れこみ具合であった。


 ――だが、これでいい。主が士元を信任しなければ話は進まないのだ。

 益州攻略に龐統は劉備の参謀として不可欠な存在であった。


 前世でも、不幸に若くして戦場にてこの世を去ったが、今回は龐統に強く言い含めて絶対に命を落とさぬ位置を堅守するよう言い含めねばならない。


 諸葛亮が志半ばで命を落としたのは過度の業務が積み重なり、それらが健全な肉体と精神の荒廃を早めていたことは間違いなかった。


 ――かように分析できても、やはり仕事を任せることができる人材がなければ私は自分を止められないかもしれない。


 諸葛亮は典型的なワーカホリックであった。漢朝の復興を思えば、いてもたってもいられず細かな仕事に口先を挟まねばならない、いわゆる完璧主義者だ。かつて、好敵手であった司馬懿に命数をあっさり読まれるくらい、どうでもいいことがらまで口出しをし過ぎて、精力を浪費していたといまではわかる。


「劉主よ。我らには能吏が必要なのです」

 朝敵を討伐する大将も無論のこと必要であるが、経済力に劣る劉備軍の力を根本的に涵養するためには経済にすぐれた傑人を集めなければならない。


 諸葛亮は積極的に荊州に編みを張り巡らせ、政治に有能な蔣琬、伊籍、楊儀、陳震、趙累、習禎、頼恭、殷観、宗預、鞏志などを搔き集めて劉備を喜ばせた。


「孔明、そなたは良才を知るところ天下一ではないのか。私でも、ここまで荊州に能力のある人間がいるとは知らなかったぞ」

「すべて、主の御心のままに」


 人を褒めない劉備にここまで手放しで褒められると、さすがに面映ゆいを通り越して罪悪感すら覚える。なにせ、諸葛亮は前世で活躍した既知である有能な人間を再雇用しているようなものだ。すでに、彼らの才能が素晴らしいと知っているので諸葛亮は不安なく劉備に勧められたし、劉備も当然の如く彼らを雇用した。


 特に、諸葛亮が再び巡り合えたことを喜んだのは蔣琬その人である。

 蔣琬は字を公琰といい零陵郡湘郷県出身である。


 彼は、二十歳の時には外弟の劉敏と共にその名を知られた。のちに益州刺史、大将軍・録尚書事に昇り詰め、安陽亭候に報じられた。蔣琬を諸葛亮はことのほか信任し、内密に劉禅に上表して後事を託したほどである。その能力の高さが窺えるだろう。


 蔣琬は忠義公正を旨とした共に王業を支える人物であることに間違いなく、他の勢力に取られずに済んだことは天下にとって幸運だと諸葛亮は安堵の息を漏らした。

 そして、武官としては馮習、鄧方、張南、傅彤などを登用した。文武の両方が諸葛亮の目指す天下統一には必要であった。






 ――自分以上に政治にあかるい人間を集めれば、負担は減り、その分、我は長命を得ることで敵を討伐する重要な時間を得ることができる。


 荊州の南方四郡をこうまでもたやすく斬り従えることができたのは、劉備軍に深い親愛の情を持つ、ある能吏の力があった。諸葛亮は、人をやって目的の能吏を見つけ出すとすぐさま劉備に引き合わせて好意的な反応に胸を撫で下ろした。


 その男は廖立といい字を公淵といった。この武陵郡臨沅県の出身の官吏は、前世で諸葛亮が孫権に士人のうち誰が政治に役立つかと問われた時、迷いなく


「龐統と廖立は楚の良才であり、後世に伝わる我が巧業を補佐し興隆すべき者たちです」


 と答えたほどの逸材だった。


 ――だが、廖立を使うには心しなければならぬ部分がある。

 諸葛亮は廖立の才を認めていた。だが、廖立は自尊心が強く、現に前世では李厳の下の官職に移されたことで公然と諸将を批判してやまない部分があった。


 とにもかくにも人を使うにも才能がいる。廖立の悪いところを矯め、よい部分を伸ばせば充分荊州の統治には役に立つはずだ。


 ――今度こそは使いこなしてみせる。

 有為な人材を求める諸葛亮のもとに、荊州の諸郡を回っていた密偵がある人物の情報を届けた。


「なに、劉子初が見つかった?」

 この人物こそ諸葛亮が時期を早めて幕下に加えたいと思っていた劉巴であった。

 劉巴は字を子初といい零陵郡蒸陽県出身の名士である。劉備が諸葛亮と共に当陽で曹操を破ってすぐに、劉巴は密命を受けて荊州の南方四郡を説きに回っていたのだ。


 曹操は劉備軍の苛烈な攻撃を受けたのち、すぐに敗走の途中で南部に当たるであろう武陵、桂陽、零陵、長沙の手当てを考えるに至った。


 ――誰ぞをやって説き伏せねばこれら四郡はすぐに落ちるであろう。

 曹操はまず陣中にいた桓階を派遣する予定であったが、桓階は劉巴に自分は及ばないと言ってその任を辞退したのであった。


 劉巴は敗軍の悲しさもありこの過酷な命令を最初は断ったが、曹操が

「劉備が手を打ってきたら、儂が六軍を率いてそちのあとに続くであろう」


 といわれて不本意であるが、焼け落ちた陣を単騎で出発した。その後は苦難の連続である。なにせ、援軍を約束していた曹操自身が劉備に討ち取られたという報まで聞こえる始末である。さすがの劉巴も、曹操の死を信じることはなかったが、二十万の曹操軍が立ち直れないほどの打撃を受けたことは理解できた。


 劉巴は硬骨の人である。曹操の命を一度受けたのならば全力を尽くして奉ずる。劉巴は抜群の胆力を持ち、各地の有力者を説いた。群の県令たちも一度は劉巴に説得されて劉備に対抗する気配を見せたが、曹操の死が確かであると知れると、すべては覆った。


「なんたることだ」

 劉巴は魂魄を抜かれた思いでその場に凍りついた。劉巴が荊州の南部諸郡を説きに回っていたのは、曹操が生きていることが前提条件だった。


 これは劉巴ひとりを咎めるわけにはいかない。その時点で、圧倒的強者だった曹操が敗北するとは誰も思わなかったし、負け続けて許都では問題にもならなかった劉備が起死回生の大逆転を果たすとは誰もが想像すらしようのないことだったのだ。


 曹操の死が伝わると、次第に諸県の有力者たちは劉巴を疎んじるようになっていった。これはくしくも劉備が南順を行い、荊州のほぼすべてを併呑する時期と重なっていたからだ。


 ――しかし、あの劉備が曹公を打ち破る豊かな才徳があったのだろうか。

 零陵出身である劉巴のもとにも次第に情報が集まり、曹操を打ち倒して驚天動地の大転回を行った謀士が南陽出身の諸葛亮孔明であるとわかると、すべてが胸に落ちた。


 このころに諸葛亮は孫乾や伊籍に命じて州内の英雄・賢人を探させていたので、劉巴は自らに捜索の手が忍び寄る気配を濃厚に感じ取っていた。


「それならば――」

 と、劉巴は先んじて書簡を諸葛亮に送った。


「私は曹公の命により危難に会い、苦汁を舐めましたが、信義に心を寄せる民衆や自分から申し出て味方になってくれる人たちに出会い助けられました。しかし、時の流れは凄まじく、すべてが我が身の策謀どおりにもっていけるものではありません。もしも、我が道が極まり、命運が尽きたならば、まさにこの命を滄海に託して、二度と再び荊州の地を目にすることはないでしょう」


 ――まずい、劉巴が荊州を出てしまう。

 諸葛亮は急いで人を遣わし、劉巴に返信を送り


「劉公は雄才世を覆い、荊州の土地はすべて帰服し、その徳義に首を垂れぬ者はおりません。あなたは賢く、天と人の去就はすでにわかっているはずです。我が主から遠ざかり、足下はいったいどこへゆくおつもりなのですか」


 このように言って引き留めようとしたが、劉巴は被りを振って

「曹公の命令を受けてきたのですから、成功しなくとも帰るのが当然です。それが道理というもので、足下はなにをいっておられるのですか」


 と答えた。諸葛亮は馬良に命じて直接引き留めようとしたが、その前に劉巴は交阯に入ってしまい歯噛みすることになる。


「嗚呼、我は大魚を逸したか」

 諸葛亮は羽扇を持った右手をだらりと下げると、深く嘆息した。劉巴とはそれほどまでの貴重な人材であったのだ。


 だが、ほどなくして劉巴は囚われの身となって諸葛亮の前に引き出されることとなる。


 交阯太守の士燮が日の出の勢いである劉備に帰順したからだ。

 劉巴は捕吏に捕らわれた。ここに至っては劉巴も劉備の力が以前よりもはるかに強大さを増していることを認めずにはいられず、首を垂れて逃げ回ったことを陳謝した。劉備は、それらをまるで咎めずに劉巴を手に入れたことをことのほか喜んだ。






 さらに、劉備のもとには様々な人材が集う。

「劉主よ、わたしは長沙の劉氏の甥で封と申します。是非とも陣営にお加えください」


 人並外れた体格と涼やかな眼をした青年は諸葛亮もよく覚えていた。羅候であった寇氏の子であるこの青年は数百を超える一族を率いて劉備のもとに参陣した。


「孔明よ。私はあの封という青年が気に入った。養子に迎えたい」

 諸葛亮が劉備が封に自分と同じ劉という氏を授けて、我が子にしたいという選択を止めることはできなかった。


 のちに劉封と呼ばれるこの青年の末路が昏いものであると諸葛亮は知っていた。だが、現実、劉備のたったひとりの後継者である劉禅はいまだ幼児であり、現時点で必ず成年に達するとは誰もわからないのだ。


 前世では、劉封の不手際は取り返しのつかないものであり、また、諸葛亮は劉備亡き後に、この優秀過ぎる劉封の豪勇が蜀漢の後継者である劉禅を脅かすとわかっており、処刑を進言したことがあるので気まずさは並々ならぬものであった。


 ――将としては有能であったかもしれないが、後々を思えば災いの種になりかねない男だ。


 劉備は、すでに劉封をそばに置くと上機嫌であれこれと言葉を交わしている。諸葛亮はそのさまを見ると、いますぐどうこうしてしまう力が萎えてしまった。


 それらを踏まえて統御することが、おのれの劉封に対する罪ほろぼしなのかもしれないな。


 ――自分さえしっかりして、劉封を後主の藩屏に鍛えていくしか手はないだろう。

 もはや並んで仲よく談笑するふたりは親子にしか見えない。諸葛亮は、歴史の皮肉さに自嘲しながら、快活そうな劉封の姿をそっと離れて観るにとどまった。


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