第012回「曹軍迎撃作戦」

 夏の間、曹操との戦闘は苛烈さを極めた。中国の猛暑である。おまけに南の熱気は濃厚で強烈だ。曹操は絶え間なく膨大な兵馬を江陵に向かって流し込むが、前陣の張飛は耐えに耐え、彼我に目立った損傷を与えなかった。


 水戦を行わなくてもよい、というのは曹操軍にとっては都合がよかったが、呉の参戦がない劉備軍もそれに関しては特に恩恵もなかった。


 江陵は荊州における軍需物資の集積地で、兵糧も武器も潤沢であったが、戦闘が長引けば消耗はさけられない。孫呉との同盟で直接戦闘の支援こそなかったが、夏口に駐屯する三万の孫権軍からの補給は劉備軍にとって「干天に慈雨」そのものだった。


「まさしく孫権さまさまだのう。呉からの補給で我らは兵糧も武具も足らぬということはないわ」


 江陵城内で劉備は籠城にもかかわらず、曹操の猛攻をすでに五十日以上耐え続けたことで、小さな自信をつけていた。


「しかし、たかだか補給であのように大量の軍船を用意する必要はないのではないか。孔明、そなたはどう思う」


「主よ。あれはたんなる補給のためではありませぬ。おそらく呉は、曹操の隙ではなく我らの傷を狙っているのです」


 劉備はわずかに眉を顰めると歩みを止めて諸葛亮に向き直った。

「孫権は荊州を諦めぬと?」


「主である孫権はともかく軍を預かる周瑜は端から我らが曹操を斃せるとは思っていません。江陵が落ちるのは時間の問題だと。そのために、三万もの水軍を夏口に留めているのです。どちらにせよ、主の奮戦により我が軍はすでに曹操にまつろわぬ荊州の者たちが集まることで総兵力は五万に達しようかというほどです。我らと曹操軍が咬み合えば、傷ついた一方を打ち破るのは難しくない、と。よって、我らは孫権を敵にせず頼りにせずと、その方針を貫かなければ、ある日脇腹を咬み破られることもありえなくはないのです」


「孫権とは真正面から立ち向かず、さりとて表立って険も見せず、ほどほどに協力し合わねばならぬか。難しきことよ」

「我が主よ。続けて耳に痛きことを申さねばなりませぬが、その周瑜の船団が夏口に到着したとのことです」

「気が進まぬが礼を失するわけにはいかぬな」


 補給の礼もある。劉備は周瑜の船団が夏口の沖合に停泊したと知ると、すぐさま慰労の使者を送った。

 

 だが、周瑜は劉備に対する軽侮の情を隠そうともしないのか、これを意図的に無視して、むしろそちらが足を運べと無礼極まりない返事を寄こした。


 ――これが周瑜の悪いところだ。なまじ、智慧が回り過ぎるだけあって、他者に対する気遣いがない。


 諸葛亮は当然ながら前世の経験から周瑜もその主である孫権のことも知っている。孫権は年齢を経るにつれて、その人格や政治的達見は磨かれたが、根本的なものは終生変わらなかった。


 ――そして私が知る限り、周瑜に残された時間は少ない。

 周瑜字は公瑾という。この呉が生んだ傑出した水軍提督は廬江郡舒県の出身で、従祖父の周景とその息子周忠は、ともに漢朝の三公である大尉に任ぜられ、父の周異も洛陽の県令を務めた。


 いわゆる名家で主である孫権の家柄よりもはるかに格上であった。周瑜は江東に覇を唱えた孫権の兄である孫策と同年であり重要な数々の戦いに参加した古参の将のひとりであった。


 だが、その周瑜も三年後に三十六歳の若さで急逝する定めにある。当時でも、周瑜の死の原因はわからなかった。諸葛亮が考えるに、前世において周瑜は曹操を打ち破るためだけに天が遣わしたとしか思えない活躍とその突然すぎる時代からの退場は鮮やかで人々の記憶に深く刻まれたのは間違いない。


 諸葛亮も、かつてはおのれの身体が誰よりも頑健であると信じ、疑わなかった。

 しかし、日々の政務や軍事が密かに身体を蝕み、ついには志半ばで没しなければならなかったのは、やはり、少ない経済的領土と魏や呉に比べて貧弱な将士の厚みにあったのだろうと思う。


 天下平定までの時間は限られている。そのためには曹操を自らの手で打ち破らなければならない。


 劉備は孫権と周瑜のふたりに対して相性が悪い。だが、劉備は自らが忌み嫌われていることを知りながらも、自ら戦場である江陵を離れて周瑜の艦船に赴き礼を尽くしたのは酸いも甘いも舐め尽くした四十八歳という年齢がなせる業であった。


 実のある会談ではなかったが、劉備は周瑜を観た。いまはそれだけでよい。諸葛亮からすれば、孫権も周瑜も油断のならな男であると、劉備が認識してくれれば充分なのだ。


 周瑜は水戦において、大陸に敵なしと自負しているし、それは真実だろう。ならば、負けない方法はひとつだけだ。


 水の上で戦わない――これに尽きる。

 曹操もわかっていて、それを貫徹できなかった。


 ともあれ、いま、諸葛亮が撃破すべきは洋上の周瑜ではなく、陸上の曹操である。曹操は、劉備軍が夏口にいる呉軍から補給を受けていると察知すると、それを撃滅するために部隊を編成し出した。


 これを見過ごす諸葛亮ではない。探知のために送り込んでいる斥候がそれらを突き止めたが、曹操は徐晃と張遼という後の魏帝国におけるふたりの驍将をこの奇襲部隊に振り分けたのだ。


 補給物資を揚陸中の部隊はこの曹操が差し向けた精鋭一万の騎兵に破られるかと思われたが、敢然と立ち向かったのが呉でも指折りの猛将である呂蒙だった。


 呂蒙は強固な陣地を構築しており、徐晃と張遼の火の出るような攻撃を防ぎ切った。確かに徐晃と張遼の騎兵は素早く剽悍だ。


 しかし、曹操軍の二将は本営から離れて、劉備の支配地を突っ切る形で横断し、呉の軍船を攻撃しなければならないという弱みがあった。


 劉備から見れば一万は大軍だ。しかも、現在は十数万という大軍を正面に受けており、たとえ重要な補給だとはいえ、下手に手を出せば壊滅する可能性がある。おまけに練度では劣る混成軍が主であった。はずであった。曹操もそう読んでいた。


 ――見誤ったな、曹操。

 曹操は劉備の統括する荊州軍が戦端を開いた当初からは、比べものにならないほど恐るべき速度で成長していることに気づいていなかった。


「かかれ」

 諸葛亮は、五千を自ら率いると呂蒙軍を叩いている曹操の奇襲部隊に襲いかかった。荊州の土地は、前世の経験から諸葛亮は、小さな瘤のような丘から、水たまりに過ぎない池まで知悉していた。これは、前世のこの時期の若さでは絶対に知りえなかった情報の蓄積であった。


 諸葛亮の指揮する軍は、呂蒙の陣と揉み合って疲弊した曹操軍の後背に牙を立てた形となった。諸葛亮の兵術。そこにはわずかな躊躇や無駄な淀みのない強力な意思が宿っていた。諸葛亮の軍は兵卒に主将の魂魄が乗り移ったような、研ぎ澄まされた鋭気が横溢していた。


 ――なんだ、この押しの強さは。

 張遼は果敢に攻め込んで来る劉備軍の剽悍さに驚き、やがてそれは恐怖と化した。激突が始まってから、ほとんど時が経たずに前衛が崩れ去ったのだ。見れば、徐晃の陣も崩れつつある。張遼は馬を駆けさせながら必死で自軍を激励するが、崩壊しかけた陣形は容易に戻すことは困難である。


 ――これほどの突破力は関羽であるか?

 張遼がそう思うのも不思議なことではなかった。劉備軍で曹操に名の知られた武将と言えば、関羽か張飛、それに先だっての長阪で超人的な強さを見せつけた趙雲ぐらいがせいぜいだ。張遼は曹操軍で最強騎兵を自負するおのれをこうまでたやすく押し切る男は関羽くらいしか思いつかなかった。


 だが、張遼が押し寄せる旗印を目にし、それがほとんど聞いたことのない諸葛亮という男であると知った時、惑乱が頭脳を支配した。


「馬鹿な。押し返せ。それでもこの張遼の兵卒か」

 しかし、いくら裂帛の気合をほとばしらせても、押し寄せる敵兵の鋭さはまるで鈍らなかった。                                             自軍が研ぎ澄まされた刃で左右からこそげ落とされているようだ。みるみるうちに、張遼の旗は生気を失い、翳った。


 負ける。それも思ってもみなかった形での敗北だ。張遼の気合が萎えるより前に、徐晃が退却を始めた。呂蒙の追撃を恐れたのだろう。判断は素晴らしく早かった。


 諸葛亮はこの時、自軍の本営を前のめりに出していたので、敵軍勢が潮のように引いていくことを素早く察知できた。本営を前衛近くにすることは危険が伴うが、いまの諸葛亮には知ったことではない。


 すかさず騎兵をトドメとばかりに発した。これらは張遼たちが率いていた騎兵よりもはるかに劣る練度と強さであったが、この終始優勢であった諸葛亮の指揮が荊州軍に実力以上の勇気と力を与えた。


 張遼と徐晃の軍勢は圧倒的不利な状況からの脱出により、凄まじい速度でその身を痩せ細らせた。鋭い刀で身を削ぐように、弱い部分から軍は崩壊していく。特に騎兵に随伴する歩兵はほとんどが落伍したのか、戦場には曹操軍の夥しい死体が積み重なった。


 逃げに入った兵ほど討ちやすいものはない。射手が弓を鳴らして矢を放ち、追い打ちが敵軍を損壊させた。


 ――夜戦は危険が大きすぎる。

 諸葛亮は天を仰ぎ、太陽が落ちかけるのを確認すると軍を留め、計らずとも共闘する形となった呂蒙に自らの帰城を伝達すると江陵に進路を取った。


「勝った」

 馬上で諸葛亮は細めた息を吐き出すとともに呟いた。自分が戦上手であると思ったことは一度もない。   

                                           むしろ、千変万化する戦場で輝きを発するのは曹操のように、持って生まれた才能を持つ選ばれた者だけの特権だと思っていた。


 江陵城近くまで戻ると、諸葛亮は戦場に放った探知の兵が戻るのを待った。無論、敵軍の被害をできるだけ正確に見分して報告するためである。


 諸葛亮は戻った偵察兵が持ち帰った戦果を確認して、驚きを羽扇で隠すこととなる。


 敵の損害は四千を優に超えていた。ほとんどが歩兵であったが、それでも大勝したことには変わりなかった。自軍の損害は極めて軽微であった。その実、百をわずかに超える程度だ。


 諸葛亮がこのことを城内で劉備に報告すると、諸将は沸きに沸いた。懐疑的な目は残らず消え、関羽などは率先して諸葛亮に敬意を払うようになり、これが勝利の意味か、とつくづく実感させるのだった。


 局地的な戦いに勝利したといえども、江陵を巡っての根本的な流れは変わっていなかった。

 いまや、膨張した五万の兵を持つ劉備といえども敵は四倍近い二十万を超す大軍だ。


 曹操は、前衛の陣を崩すことが容易ではないと至ると持久戦の構えを取るが、それこそが諸葛亮がもっとも望む形であった。


 睨み合いが続いて数十日、季節は盛夏を過ぎ秋の気配が漂いつつあった。すでに戦端を開いてから、夏から秋に変わりかけている。この時期、曹操の大軍には疫病が流行り、また北国中心の士卒は長対陣により、疲労が蓄積していた。


 歴史から、曹操軍が南征時に猖獗を極めた疫痢は、南国の貝類による食あたりがもとであると言われているが、実情は定かではない。ただし、曹操軍が酷暑の夏を戦い続け、城内で日をさけ、適度に休める荊州軍と違って、季節の変化による打撃は徐々に兵卒の身体を蝕んでいたことに違いはなかった。


 諸葛亮は張飛に命じて、数度、向かい来る曹操の兵に陣から歩兵を出して迎撃させたが、戦の当初からは考えられないほど鋭気が鈍っており、わずかな揉み合いでかなりの屍を残して退却したことに、ある確信を持っていた。


 ――ついにこの時がきた。

 諸葛亮はあれだけ強固に守らせていた前衛における要という八陣を敢えて張飛に捨てさせる策に出た。張飛は、この夏の江陵における戦いで戦の駆け引きというものを錬磨し、勇だけではなく実践的な智も備えるすぐれた武将に成長していた。


「なあに、軍師どのの策ならば間違いはありますまい。せいぜい、向こうさんがよろこぶようにおおげさに負けてやりますわい」


 張飛はそう言うと、各陣に通達して適度に戦闘を行わせると、作為的な臭気を嗅ぎ取られぬように留意して、陣を献上した。


 これには長期間の動きがなかった曹操軍を喰いつかせることに成功した。曹操の諸将は先を争って、八つの陣を落とすと、その意気は天も衝かぬばかりに上がり、江陵城からも、焼き落とされる紅蓮の炎が闇夜を焦がすかのように立ち昇っていた。


 この作戦は本質的に厳しいものだった。被害を最小限に留めたかったのだが、結果的には三千近い死者を出している。計略の一部とはいえ、諸葛亮は兵たちの死に心を痛めた。


 劉備が城壁から陣から立ち昇る火を眺めている背があった。劉備は諸葛亮に気づくとなにか問いたげな表情になるが、困ったように視線を逸らした。


「本当に大丈夫なのか、と顔に書いてありますよ」

「なんでもお見通しなのだな、おまえは」

「問題ありません」


 城壁で戦況をつぶさに観ていた劉備の憂い顔を撫でるように、諸葛亮は力強い言葉をかけた。


「しかし、孔明よ。おまえのことを疑うわけではないのだが。あの火を見てしまうとな。これで、本当によかったのか、私の中の臆病が首をもたげてしまう」

「よいのですよ。そもそも、あの陣は落としてもらうために、わざわざ作ったようなものですから」


 劉備が驚きを顔に張りつかせて勢いよく振り返った。

「だが」

「怪しいでしょう」


 諸葛亮の顔を劉備がまじまじと見た。

「主がそのようにお考えなのでしたら、当然、曹操もそのように疑うでしょう。どうしてこの時期に、あれほど頑強であった陣が次から次へと落ちてしまったのか、と」

「曹操ならば、当然だろうな」


「そのために、本城では少々粘ってもらわねばなりません。明日から、曹操の城攻めが始まります。ここが正念場です。今夜は、よくお休みください」


 丹精込めて築城した陣が落とされても、諸葛亮としては痛くも痒くもなかった。これは曹操という大魚を釣るためには、必要不可欠な餌なのだ。そもそもが籠城戦とは援軍が来るとわかっている時に行うもので、最初から逃げ根性で勝てる戦というものは古来よりありえない。


 ――決着は野戦で行われる。

 すでに城攻めに取りかかろうとする曹操からは、江陵城に閉じこもる劉備は図体だけは大きいがいつでも仕留められる鈍重な獲物にしか見えていないだろう。


「さあ来い、曹操。落ちぬ城をどのように落として見せるかさぞかし頭を捻っているだろう。それが不可能だと数日中に教えてやろう」







 翌朝から、予想通り江陵城の激しい攻防戦が始まった。だが、劉備と諸葛亮の主従は作戦目的が一致しており、それが城内に異常なまでの活気をもたらしていた。曹操は用兵において天才的な閃きがあったが、そこには常に知者だけが持つ疑いの霧がうず巻いていた。


 考えすぎる、という部分がある、それに比べて劉備の兵術はあくまで傭兵部隊の隊長クラスのものであり、使う数がまるで違っていた。だが、諸葛亮は違う。前世では一国の軍権をほぼ単独で掌握しており、十万を超える兵力を進退させた北伐の経験は今世の劉備に勝っていた。


 雲霞のように曹操の軍が攻め寄せて来る。しかし、諸葛亮はただひとり冷静を保ち、羽扇を弄びながら眼下を睥睨していた。

 ――策の総仕上げだ。曹操孟徳。おまえはすでに、我が術中にある。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る