第010回「孫呉の思惑」

 孫権は字を仲謀といい、この時の年齢は二十七歳で諸葛亮とほぼ同年齢であった。兄の孫策が、江南や江東を平定したのち元呉郡太守許貢の食客の手にかかり暗殺されると、若くしてその後継者となった。


 かつて、兄の孫策が存命のころに漢の使者である劉琬が孫兄弟の人となりを見たのちに語ったのが


「私が見たところ、孫氏の兄弟はそれぞれ優れた才能と見識を備えているが寿命をまっとうすることは難しいだろう。ただ、中弟の孫権だけは、人よりすぐれた容貌を持ち、骨柄も非凡で年齢からいって長命を得ることができ、高貴な位に升る兆しが見える」という評価だった。


 孫権は顎が張って口が大きく、瞳にはきらきらした強い輝きがあったというから、生まれつき容貌は立派で、豪族の集合体である呉という国にとっては、わかりやすく頼もしい主君であったのだろう。


 通常、領地を父から子ではなく、兄から弟に受け継がせるというのは珍しい。実際、孫策が死去してすぐのころが、呉がおさえていたのは会稽、呉郡、丹楊、豫章、蘆陵だけで奥地の険阻な地域は服従していなかった。


 さらにいえば、江東や江南にいる豪傑、英雄、賢者は情勢の安危を観察している段階であった。彼らは身を寄せる主君を物色している最中だったので、主君と臣下の関係は固まっておらず、いつ反乱が起きて誰が名乗りを上げようが止めようがない状況であった。


 ただ、孫策の股肱であった張昭や周瑜は孫権が大事を成すことができる男であると見込んで神輿に担ぎ上げただけ、人を見抜く力があったといえよう。


 議場で話題に上ったのは、やはり北方と中原を制した曹操の総兵力の凄まじさにあった。曹操は号して八十万と公称しているが、冷静に考えればハッタリ以外のなにものでもないのだ。


 だが、精度の低い情報しか集まらずそれを精査する能力もない古代の人間たちは、頭からそれを信じ込み、ただ畏れて降伏しか手はないと決め切っていた。


 勢い、場の話題は降伏派である文官代表の張昭と、主戦論派の魯粛以下鼻息が荒い武官たちふたつに割れた。


 話し合いは完全に割れて、途中で孫権が中座した。諸葛亮はそのあとを魯粛が追うのを見ながら、ゆったりと自分の出番を待った。


 ――孫権は降伏する気など微塵もないだろうが、降伏派に全員がなびけば我を張ることはできないだろう。


 呉は、あくまで孫権という神輿を担いだ豪族の寄り集まりであり、一手に権力を掌握している曹操とはまるで国家の成り立ちが違うのだ。やがて、孫権は座に戻ると諸葛亮を指して


「劉豫洲どののご使者である、貴君の存念を聞かせていただきたい」

 と、よく通る声で言った。







 二十七歳の孫権は焦れていた。彼の中ではすでに、気持ちは固まっている。兄孫策が築いた江東、江南の繁栄をむざむざ曹操に渡すつもりは毛頭なかった。ただ、議場での趨勢を眺めると、主戦論派の魯粛以下武官が気勢を吐いているが、勝利への根拠は乏しく、ほとんどの文官や官吏は降伏論に傾いていた。敵である曹操の主体がわからない、という部分が孫権にはもどかしかった。


 荊州には武略に富んだ名将はおらず、ただひとり昨年討伐した江夏の黄祖だけが多少手こずった程度で、河北の強大な袁紹を討って、広大な領地を獲得した曹操の手並みはほとんど計ることができないのだ。


 諸葛亮は孫権に呼ばれると静かに立ち上がった。綸巾を被って羽扇を手にした諸葛亮は、その八尺(約190センチ強)を超える堂々とした体躯で呉の群臣を端から端まで眺め渡すと口元に微笑を浮かべた。その威は生まれついてのものなのか、とても二十代とは思われぬ一国の宰相を思わせる重厚さがあり、孫権は、知らず、喉元を震わせていた。


「まず、最初に言っておくことがあります。我が主、劉将軍は貴卿ら呉との同盟を望んではおりますが、曹操との戦いは我らだけに任せていただきたいのです」


「お待ちいただけるかご使者どの。それでは、呉に人なしとおっしゃられているも同然ではないでしょうか」


 諸葛亮の言葉に憤然と立ちがあった巨漢の武人は、幅広の肩を怒らせ巨眼から異様な輝き放っていた。身の丈七尺七寸(190センチ弱)。みごとな髭を生やしたこの男こそ、孫権の兄である孫策に仕えて以来江南及び江東平定に確たる武勲をあらわした太史慈、字を子義という快男児である。


 諸葛亮は羽扇で口元を隠すと小さく笑った。それを嘲りと取ったのか太史慈は、いまにも襲いかからんばかりにずいと前に出る。これを見ていた魯粛が慌てて止めにかかった。


「これ、子義どの。劉豫洲のご使者に対して無礼であろう。孔明どのもいたずらに煽るのはやめてくだされ」


「これは子敬どの。私も言葉が足りませんでしたな。ならば、こちらもかけひきをやめて、腹蔵なくお話ししましょう。劉豫洲は若年のころから曹操と戦い続け、いまだ天の時を得ずに勝利を得ることはかないませんでしたが、今回はかつてとは違います。故劉景升どのの遺児である琦君を奉じて戦う。その貴い気迫が荊州の庶民にまで伝わったからこそ、曹操の虐殺をさけるために、あのように何十万という数であとを追い、劉豫洲と共に南まで逃れてきたのです。


 また、劉豫洲の備わった気迫が天に通じ、我らは幸運にも荊州の要害の地である江陵を手に入れることができました。士卒は四万を超え、勇者豪傑は各地から集まり戦を指揮する大将の数はこと欠きません。そこで私は、孫将軍と呉の方々に提案します。我ら荊州兵が曹操の大軍を釘付けにしている間に、貴君らは呉から兵を興して九江を攻め立ててもらえば、曹操は危機を感じ自ずと兵を退くでしょう。


 かつて、孫将軍の祖先である斉の孫臏は、魏に攻められた趙を救おうとしました。その際に、救援の軍を率いた田忌将軍が直接趙に向かおうとしたとき、このように言って諫めました。もつれた糸をほどく場合には、むやみに引っ張って巻くものではない。敵の待ち構えて充満する場所はさけて、空虚を衝けば形勢は互角となり、敵は自然と退却する、と。


 このたび魏は趙を攻めるために都を空にしているので、田将軍が空になった大梁(魏)を目指せば、魏は趙との争いをやめて自国を守るために戻るでしょうと説いたのです。


 つまり、私ども荊州軍が曹操の大軍を引きつけている間に、呉軍がガラ空きの徐州を襲えば自ずと江陵の包囲も解け、同時に敵の力の衰弱も狙えるのです。なにとぞ、孫将軍率いる呉軍には徐州を攻めとっていただきたい。これならば、みなさま方の力も発揮でき、また我らも荊州を苦難から守ることができ、一挙両得かと思われます。賢明なる方々にはよろしくご判断願いたい」


「う、うむ」

 諸葛亮の提案は呉にとって有利なものであった。それでも太史慈はどこか不服そうである。諸葛亮は羽扇を動かしながら太史慈に語りかける。


「そうかたくなにならないでください。そもそもあなたは劉豫洲に借りがあるのではないのですか」


 太史慈が表情を強張らせて動きを止める。諸葛亮の話を聞いた呉の群臣たちが、小さくざわめき出した。


「かつてあなたの母の面倒を見ていた恩人である孔北海(孔融)を黄巾の管亥が包囲した時、平原国の相であった我が主の劉豫洲に救援を求めましたね。我が主はあなたの思いを汲み取り精兵三千を授けてその危機を救ったと聞きます。我が主はあなたでなくとも孔北海を救援したでしょうが、心ある人間ならばなにか思うところがあるのではないですか」

「ぐ、だが、それは私ごとである……」


「私の提案は孫将軍のためにも、呉のみなさまのためにもなるものです。あえて反対すれば地下の孔北海もどう思うでしょうか」

 諸葛亮がそれだけ言うと、太史慈は黙り込んで石のように動かなくなった。


「確かに劉豫洲の提案はすぐれている」

「まともに曹操とぶつからずに徐州を得ることができれば」

「劉豫洲があの大軍を引き受けてくれるのならば」


 諸葛亮の言葉に降伏派の論調の色合いが一気に変わった。劉備が曹操と真正面からぶつかってくれるのならば、孫呉としては願ったり叶ったりなのであろう。孫権は諸葛亮の言葉を嚙み下すように、頭の中で咀嚼しながら碧眼を真っ直ぐ向けてきた。


「曹操軍の実体はどうなのであろうか?」

 諸葛亮は立ち上がると、孫権に向かって発言した。


「いまや、河北と中原を制した曹操の威は四海に轟いております。曹操が催した軍は少なく見積もって十五万が実数、それに荊州の降伏した兵が五万ほどと考えれば、二十万以下ということはないでしょう。


 さらに、各地に備えの兵も置いてあることを考えれば、その力は我らと隔絶しております。孫将軍におきましては、曹操と一戦交えるおつもりがなければ、兜を脱ぎ、領地を差し出して臣下の礼を取ることがよろしかろうと思います」


 孫権はあからさまに顔を赤くすると、碧眼を怒りでたぎらせ怒鳴った。

「これはおかしなこと言う。ならば、なぜ、我よりも寡兵である劉豫洲は曹操に降伏せぬのだ」


「かつて漢の高祖が楚の項羽を破って大陸のほとんどを平定した時も、斉の田横は壮士にすぎませんでしたが、義を守って屈辱を受けませんでした。ましては、劉豫洲は漢室の一門で帝王の血が流れる英雄でございます。ことが成就しなかったとしてもそれは天命なのです。どうして、曹操如きに屈して命をながらえましょうや」


 諸葛亮は劉備は孫権と違って最初から曹操に降伏する気など毛頭ないのだと、群臣の前で煽ってみせたのだ。


 孫権は、まだ二十代後半で若く、また血の気は多いが十九歳で家督を継ぎ、おのれの律し方は知っていた。諸葛亮は、怒りを収めた孫権が魯粛となにごとかを話しているのを聞きながら、ことは成ったとほくそ笑んでいた。孫権も最初から曹操に降伏しようとは露とも考えていなかった。そして、それはひとりの男が議場に到着するのを待って発表されると歴史が決めていた。


「周将軍が鄱陽からお戻りになりました」

 孫権から呼び戻されたこの男こそ、周瑜字を公瑾といい孫策の親友であり呉における稀代の名将である。周瑜も最初から曹操に降伏するつもりはなく、孫権と群臣に曹操に勝る自水軍の利を説こうとしていたのであろうが、諸葛亮の提案を聞くと、初めてその端正な容貌を歪めた。


「ご使者どの。敢えてお聞きしますが、劉将軍は単独であの曹操と立ち向かうことができると、本気でお思いか」

「いえ、立ち向かうわけではありません。この地で撃破するのです」


 呉の群臣は、周瑜も含めて、その瞬間に諸葛亮の身体が巌のように大きく膨れ上がったような錯覚を感じていた。


 ――単独で曹操に勝つ。その意思がなければ天下統一など夢幻だ。

 極めて明晰な頭脳を持つ周瑜は諸葛亮の言葉と自軍の利を瞬時に計算し終え、快活に笑った。


「その覇気や頼もしい。孫将軍。私どもは、劉豫洲の意を汲んで襄陽の曹操は彼らに任せ、いますぐ軍を編成し徐州に攻め込むべきだと考えます」


 周瑜の真っ直ぐな声に、議場は爆ぜた。群臣から湧き起こる曹操撃滅の声は広場を揺らし、諸葛亮と孫乾は熱い血と体温を持って立ち上がる人々の波にたちまちのうちに呑み込まれる。


「私に精兵五万をさずけてください。これより、軍を編成してただちに合肥を攻め取り、曹操が逃げ戻る前に九江を呑み込んでまいります」


 孫権は周瑜の言葉に感動すると立ち上がって剣を抜き、机を真っ二つに断ち割って、この意思決定を覆させぬために威嚇を行った。


 散会したのち宿舎に戻る途中で諸葛亮は孫乾に言った。


「周瑜は空き家になった徐州を攻めるかもしれぬが、柴桑に布陣した水軍は減らさぬだろうな」

「なぜですか、孔明どの。議場では我らのみで曹操軍と戦うことに決まったはずでしょう」


「周瑜は我が軍が曹操に負けると決めてかかっているのです」

「そんな……」


「我が荊州軍は四万を超える。それが江陵に立て籠もれば、必ず長期戦になるでしょう。ただ、我が主である劉豫洲はあまりにも曹操に負け続けた過去があるので、戦術眼に長けた周瑜には我らの勝利を想像できないのです。


 どちらにせよ、二匹が嚙み合えば両者とも大きく傷つき、力は衰えて死に体になる。そこを、待機していた呉が叩けば労せずして荊州を得ることができる。そうでなくとも、保護の目的で呉の軍勢が進駐すれば弱った我らの荊州における発言権は皆無となるでしょう。恐ろしい男ですよ、あの周瑜は。


 さあ、公祐どの。魯子敬どのと細かい打ち合わせを行ったあとは江陵で大仕事が待っています。周瑜の思惑通りに行かせぬようこの同盟をよりよい結果に導きましょう。戦いは、これから始まるのですから」



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