第008回「決戦の長阪」
陳到が必死の後拒を行っている最中、劉備と諸葛亮は必死の逃走を続けていた。途中、趙雲が裏切ったという声が上がった。
諸葛亮は、前世の経験で趙雲が劉禅を救うために単騎で曹操軍に駆け込んだことを知っている。趙雲の名誉を守るために声を上げようとした時、逃げ続けていた劉備がわずかに馬の速度をゆるめて
「子龍は私を裏切らぬ」
と、あたりまえのように否定したので、皆の疑念は一瞬にして晴れた。まもなく、趙雲が劉禅を抱いたまま合流した。追撃の兵は、どうにか追いついた張飛がみごとに追い払ったらしい。それも一時的だ。
劉備は趙雲から劉禅を受け取ると、地面に放り出した。まだ、二歳になったばかりの幼児である。泣き喚く劉禅を無視すると劉備はあちこちを負傷した趙雲の肩を抱いた。
「済まぬ。子龍よ、お主が命懸けで守った阿斗をことさら無下に扱ったわけではない。ただ、妻子は衣服の如し。子や妻はいくらでも取り換えできるが、お主のような男は天下にふたりとおらぬ。そのお主を危険にさらしたかと思うと、親である私にも責任がある手前、阿斗ばかりを構うわけにもいかぬのだ。とにかく、子龍が無事でよかった。主としておぬしのことは誇りに思う」
趙雲はがくりとその場に両膝を突くと、男泣きに泣いた。諸葛亮は、前世ではこの場に立ち会わなかったので、本当の危機を知らずに過ごして来ていたのだ。思えば薄氷を踏む危険な路を渡っていた。この危機を乗り越えた先に、本当の自分の勇気と知恵が試されると思えば、その責任の重さに足が竦む思いであった。
一方、しんがりを買って出た張飛は、劉備軍の残兵五十騎あまりを引き連れると、盛んに追撃する曹操軍を翻弄していた。虎豹騎だけではなく、曹操軍の本隊も続々と合流し、おそらくは追手は数万に達しているだろう。襄陽に入る際には数千いた劉備軍も散り散りになり、どれだけが生き残っているかはわからない。張飛は蛇矛を振り回しながら駆けた。曹操軍本体の軽騎兵が迫っている。
「糞ッ。次から次へとキリがねえ。羽虫のように湧いてきやがって。こうなったらこの張飛さまが残らず叩き落としてやる」
丈八の蛇矛を馬上から全力で振るった。突いて、叩いて、駆けて、刺す。その繰り返しだ。騎馬による突撃を繰り返す。櫛の歯が欠けるように、五十騎いた兵が半分以下になった。すでに張飛は百人以上の敵兵を殺傷しているが、万余を超える追撃軍からしてみれば、巨大な砂漠に水を撒くようなものだ。
「おうりゃあ!」
蛇矛をすべらせながら真っすぐ突いた。高価そうな鎧をつけていた騎兵が顔面を朱に染めて馬から吹っ飛んだ。後方にいた騎兵が怯えている。張飛は雄叫びを上げながら、馬を駆けさせた。血が沸騰している。頭上で蛇矛を旋回させて、敵の馬群を突っ切った時には、十人近い部将が倒れていた。頭巾まで水を浴びたかのようにぐっしょりと汗で濡れていた。まだまだいける。戦えば戦うほど力が湧いてくるのだ。
張飛は股座で馬体を強く締め上げると、雄叫びを上げながら目の前の敵部隊に突っ込んでいった。
――いささか多すぎたか?
突っ込んでから思った。五百は超えている部隊だった。張飛自身がいくら無敵であっても従う兵はそうではないのだ。
「ええい、面倒くせえ。蹴散らしてから考えるか!」
蛇矛をしごきながら張飛が野卑な笑みを浮かべると、五百の敵部隊の後方が大きくゆれて、弾けた。方陣を組んだ百ほどの兵が曹操軍の後方に出現し、器用に割っているのだ。生じたほころびはもはや繕いようがなく、方陣が小気味よい動きで敵部隊を散らしてゆく。張飛は勢いのよい旗印を目にして前のめりになる。
「なんだあ、おめえまだ生きてたのか!」
くしゃ、と張飛の顔がほころんだ。百の兵を指揮していたのは陳到だった。これを見逃す張飛ではない。再び、猛獣のような雄叫びを上げると二十騎を率いて陣形の崩れた敵に突貫した。錐が薄絹を切り裂くように、五百の敵部隊が切り裂かれた。
張飛は兵を督戦しながら、蛇矛を突きつけ逃げ遅れた曹操軍の部隊を徹底的に叩いた。陳到の鎧は返り血で真っ赤に濡れていた。百の兵の顔ぶれをザッと眺めて、張飛はおやっという顔をする。見れば、陳到の虎の子の白毦兵ではないのだ。張飛が知っている部隊長が幾人かはいたが、残りは逃げ散った劉備軍の兵を組み込んだだけのものだった。
「白毦兵のほとんどは、虎豹騎の餌食になった」
うっ、と張飛は呻いた。白毦兵は劉備を守る親衛隊で、強さも練度も桁違いだ。
そのほとんどが、劉備を逃がすために曹操軍に呑まれたのだ。陳到の顔にはどんな感情も浮かんではいない。ただ、その佇まいから心は理解できた。虎の子の部隊を失った陳到の無念さはつき合いが長いだけに張飛にはよくわかった。
間を置かず、伝令が息せき切って来た。劉備が後方の長阪橋を渡り切ったのだ。張飛は陳到の隣に馬を並べると、肩に巨大な手のひらをそっと乗せた。
「先にゆけ、叔至。おまえの仕事は、兄者を守りきることだろ」
「益徳どの」
「ここは俺が誰ひとりとして通さねえ」
真っ黒な波濤のように曹操軍が雪崩れ込んで来た。張飛は、二十の部下に留まるよう言うと一騎で突っ込んでいった。喚き散らした。なにを自分で言っているかはわからない。声を上げた。上げるべきだと感じていた。ただ、この状況でやるべきことはわかっていた。蛇矛が煌めくごとに、敵兵が一気に四、五人命を落とした。
張飛は敵陣を引っ掻き回すと、一旦、後方に引き、数度それを繰り返すと長阪橋に向かった。かつて、程昱に「関羽と張飛は一万人の敵を相手にする力がある」と称賛された。張飛は、もはや劉備軍の兵が戻って来ないと見切りをつけると、長阪橋を背にして蛇矛を携え、大喝した。
「我こそは燕人張飛なり。かかってこい、曹操軍の腰抜けども。死を賭して戦おうぞ」
敵は並んだままジッと張飛を見つめていた。時間が凍りついている。動きがないことに張飛は苛立った。馬を進める。わずかに追撃隊に乱れが起こるのを見た。張飛は、巨大な瞳を輝かせ、自慢の虎髭を震わせると狂暴な雄叫びを上げて、曹操軍に突っ込んだ。怒りとは違うなにかが張飛の身体を支配していた。蛇矛。振り回した。瞬間的に、三人ほどの敵が軽々と吹っ飛んだ。両足で馬の腹を締め上げ荒れ狂った。
丈八の蛇矛がくるくると回転する。重みを感じない。蛇矛そのものが怒りを発しているのだと思った。瞬く間に、張飛の周囲には五十人近い敵兵が転がっていた。恐怖は伝播する。敵が退き始めた。ひとりが退くと連れ立って我先にと逃げ出した。
――俺はここにいるぞ。
津波が引くように、敵が一斉に距離を取る。張飛は我に返ると、最後にもう一度猛虎のように喉から叫びをほとばしらせると、長阪橋に戻った。部下たちに橋を焼かせると、濛々と立つ黒い煙を背にサッとその場を素早く退いた。
曹操は長阪橋での張飛の武勇を聞くとぶるぶると小刻みに身体を震わせた。大勢には影響しない。それでも、異常なまでの怪人であると認めざるを得ない武力である。かたわらに立つ張遼は曹操が急に黙り込んだことが気になったのか、駒を寄せて来た。
「丞相、どうなさいました」
「文遠よ。覚えているか? 儂が白馬で袁紹と戦った時に、顔良という将にてこずったことを」
「ええ、丞相。顔良は河北一の豪傑でしたから」
曹操は過去の記憶を思い返す。顔良は袁紹が自慢するだけあって、怪力無双の豪傑だった。顔良が白馬津に出陣するだけで曹操の兵は戦意を失い逃げ惑うこともしばしだった。
「儂は関羽に命じて顔良を討たせた。あやつめは瞬く間に顔良を刺し殺して首を取り、不利だった戦況を覆した。その時に、儂は言ったのだ。天下にはおぬしのような豪傑はふたりとはおらぬだろう、と。だが、関羽はこう言ったのだ。この世には私よりも強い者がおります、とな。その者の名は――」
「張飛、というわけですな」
「その通りだ。関羽はおのれの義弟である張飛のほうが強い、と。その時は慎み深い関羽の謙遜であろうと思ったが、いやなんとも。とにかく、数万の軍を前に気を吐き、たったひとりで追い返すとは、いにしえの項羽ですら成しえなかったことだ。張飛とやらはまさしく化け物よ。玄徳は関羽だけではなくあのような男まで手なずけているとは」
曹操は猛虎のような豪傑を幾人も持っている劉備に底知れない恐れを抱いていた。
これは最大の敵である袁紹と対峙したときと、また別の種類の恐怖だ。
当時、袁紹は河北四州を斬り従え、軍兵は精強で従える謀臣や豪傑はいまの劉備とは比べものにならない数がいたが、それでもなにかを持っている劉備のような奇妙な底知れなさはなかった。
――まあ、いい。いまの儂にできることをするだけだ。
「張飛のやつは橋を焼き払った。ということは、伏兵の心配はないということだ。文遠よ、新しい橋をかけさせたら追撃を続けるぞ」
曹操の言葉に拱手すると、張遼は部下に命じて工兵を呼び寄せ資材の調達に走らせた。
――だが、もう間に合わぬかもしれんな。
目指す江陵は目と鼻の先と言っていいが、曹操は持ち前の勘によって厄介ごとが持ち上がったと確信していた。曹操は、劉備が江陵を領有して江夏の劉琦と連携すると、少々面倒だなと思いながらも、同時に待ち受ける戦いに胸を焦がしている自分がいることに気づき苦笑した。
逃走を続ける劉備と諸葛亮たちの仲間に、極めて容貌魁偉な男が同行していた。この奇妙な男は、臨淮郡東城県の出身で魯粛字を子敬といい、江東の孫権に仕える稀代の豪傑である。魯粛は生まれて間もなく両親を亡くし、祖母と暮らした。家は富裕であったが家業に身を入れることなく、好んで財貨をばら撒いて困窮する人々を救い、賢人や豪傑と交わり、その名は日々高くなった。
魯粛の並外れた豪放さを端的に示す逸話にこんなものがある。孫権に仕えた名将である周瑜が若き日、居巣県の長になると、魯粛にあいさつに来て資金援助を頼んだ。魯粛の家には、ふたつの蔵に納めた膨大である三千斛の米があったが、周瑜から求めを受けると、それらの蔵のひとつをそっくり与えたのだ。気前の良さと豪放さから周瑜は魯粛を並々ならぬ人物だと知り、ふたりはそれが縁で深い友情を結ぶようになった。
魯粛は最初、袁術の命で東城県の県長の職務に当たっていた。だが、袁術のやることが支離滅裂で、共に大事を成す人間ではないと見限り居巣に移動した際に周瑜に身を寄せた。
その後、魯粛は友人であった劉曄に巣湖で一万人からの勢力を誇る鄭宝に仕えるように勧められたが、周瑜から
「昔、名将の馬援は光武帝への返事の中で当今の世では主君が臣下を選ぶのではなく、臣下もまた主君を選ぶのだと申しました。ただいまの我が主君(孫権)は賢者に親しみ、非凡な才能を持つ者を手元に置き重用しております。先の世の哲人の論として天運を受けて劉氏に代わる者は必ず東呉に興るであろうという説があります。いま、呉の地はそういった運数に当たっており、この地に立った人物は必ず帝王の業の基礎を固め、天の下す符命に応ずるに違いありません。私はいまや手がかりを得たので、あなたも劉子揚どのの言葉は意に介されますな」
と熱く語られ、ついには孫権に仕えることを決めたのだった。
魯粛は荊州の主であった劉表の弔問に赴いた途中で、曹操の追撃軍から逃れようとしている劉備たちと出くわしたのである。
諸葛亮は敗軍といっていい劉備に精一杯の親愛の情を見せているこの魯粛という人物を、少なからず危険視していた。
劉備は曹操に破れたとはいえ、いまだ、数千の兵と幾人かの名だたる大将を持ち、一万余騎を持つ江夏の劉琦とは一蓮托生の身である。また、南陽で曹操の発した数万の軍勢を二度も破った実績があり、荊州の民たちからの輿望も大きかった。
魯粛は孫権に本気で天下を獲らせようとしていた一筋縄ではいかない豪傑だ。それが証拠に、初めて孫権に会い、互いに語り意見を聞かれたときに
「いまの漢王室の再興は不可能であり、曹操もすぐさま除き去ることはできません。孫将軍にとって最良の計は江東の地を足場に鼎峙し、天下の破綻が生じるのを注意深く見守るということです。というのは、曹操は北方に課題が残っており必ずやそれらの処理に追われるでしょう。それらの隙に乗じて孫将軍は軍を進めて劉表を伐ち、長江流域をことごとく占領し、保持したうえで帝王を名乗られ天下全体の支配に歩を進められる――この方法がもっとも望ましいと思われます」
と、答えている。
つまりは、天下を北方と南方とで二分するという基礎概念があったのだ。
いずれにしても、諸葛亮の構想における漢王朝復興のためにはいずれ覇を競うであろう、大人物であった。
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