第004回「荊州の危機」
――なんたることだ。
臧覇は、趙子龍によって突かれた右肩から来る激しい痛みに耐えながら、後ろ手に縛られ劉備軍の陣地を兵士に挟まれながら連行されていた。
絶対に負けないであろう戦いであったはずだ。劉備は四年前、曹操軍の名将である夏侯惇を破ったとはいえ、かつて戦歴でここまで知略溢れる兵略により敵を破ったことはなかった。
臧覇の記憶に依れば、気候と地形を完全に熟知し、自兵を敵の本隊に送り込み同士討ちを起こさせたのちに挟撃するという天衣無縫の策は、主である曹操こそが使いそうな手であった。
――これほど込み入った策を成功させるとは。我は玄徳を見誤っていた。
それが証拠に、二万を超える夏侯尚の軍はもはや散り散りになっている。いまごろは、河北ではほぼ無敵とされた曹操軍の名も地に落ちているだろう。劉備軍の掌握する領土では多数の豪族が反旗を翻して、新野城に貢物を携え臣従しているのは間違いない。そして、いまや、この身も風前の灯である。
――考えればよく使った首だ。いまさら惜しゅうとも思わんわ。
とある天幕の前で止められると、兵士に中へと入るように指示される。
「おう。いよいよ、この首ともおさらばか」
だが、案に相違して臧覇はいましめを解かれると、丁重に天幕に招き入れられた。それから中にいた医者によって傷の手当てを受けると、再び外に連れ出され、おそらくは劉備がいるであろう場所へと案内された。そこには、酒宴の席が用意されており、中央には劉備、その傍らには羽扇を手にした諸葛亮の姿があった。
「これは久方ぶりだな、臧将軍。戦時では敵同士であっても、平時における君は北国で名高い勇者だ。ここは戦陣でたいしたもてなしもできかねるが、まずは喉を潤されてはいかがかな」
「劉将軍――」
てっきりすぐにでも首を刎ねられると思い込んでいた臧覇は驚きのあまり、その場で立ち尽くした。目の前の劉備には、主である曹操に負けぬくらいの強力な威が備わっていたからだった。臧覇は劉備と向かい合うと、卓の上に置かれた肴に舌鼓を打ち、酒で喉を潤しながら雑談を行った。
奇妙なことであるが、臧覇は劉備と面識があった。かつて、曹操は兗州にいる際、
曹操は劉備に依頼して臧覇に裏切りの二将の首を送るように話をさせた。だが、臧覇は劉備に向かって
「私が独り立ちして生きていられるのは世間の信頼を裏切らないようにしているからです。私は曹公から恩を受けてはいますので命令に背く勇気はございませんが、王者になられる曹公には同義を述べてもよいかと思われます。劉将軍はどうか彼らのために弁明をお願いします」
と口添えするように頼った。
もとより、劉備は侠の漢である。頼られて見殺しにするのは彼としてもできかねたのだ。劉備は臧覇の言葉をそのまま曹操に語った。曹操は臧覇の判断を正しいと認めると徐翕と毛暉を郡守に取り立てる度量を見せた。
と、かような過去があったため、公では戦わねばならぬふたりであったが、私では侠気を貫いた互いを認め合える部分があり、仲は至極良好であった。
「臧将軍。まだ飲み足りないのでは? 荊州の酒をさらに運ばせましょうぞ」
「いえ、劉将軍。このあたりでもう結構。最後にあなたと語り合えて、もはや思い残すことはありませぬ。これ以上きこしめして不覚を取れば武人の恥でございます」
「そうか。ならば、臧将軍。州境まで遅らせますゆえ、ご安心を」
「私の首を取らぬと?」
「もはや戦の決着はつきました。臧将軍、許都に戻ったら曹公にこうお伝えください。玄徳はいついかなるときでも曹公のお相手を仕ります、と」
諸葛亮が劉備に臣従した年の末に、襄陽で大きな宴が開かれた。劉備は数人の重臣と宴に招かれ、その中には無論、諸葛亮の姿もあった。諸葛亮は、この宴で久方ぶりに荊州の主である劉表と、その長子である劉琦と次子である劉琮を目にした。
劉琦は性、篤実であるが、人を魅了する明るさがなく、劉琮は劉琦に比べれば賢明さがわずかに見えたが、荊州一州を保つ器量はない。英傑曹操の南征を前にすれば、濁流の中の木の葉と変わらず、劉表が没すれば荊州はたちまちに瓦解するだろう。
劉表の継嗣は両者とも凡夫でしかなかった。また、劉表も後漢末期における優れた文化人ではあったが、乱世を泳ぎ切る頭脳も度胸も決断力もない人間だった。諸葛亮は襄陽の宴に随行する重臣のひとりとして選ばれた際、密かに主である劉備に語った。
「劉表の正室から生まれた長子である琦君は継室から生まれた末子の琮君にいつ荊州牧の座を奪われるか怯えながら暮らしております。襄陽の宴の際に、必ず主は劉景升どのから今後における荊州の経営に関して意見を聞かれますが、そのときはどのように答えるおつもりでしょうか」
「それは、景升どののお考えひとつであろう。私は、荊州の後継者問題に
――やはりこのお方はそうだ。
前世でも劉備は劉琦を盛り立てて後継者問題に介入し、荊州を奪おうとする気配は微塵も見せなかった。劉琦が二度も曹操軍の攻撃を寡兵によって退け、荊州の衆望を集めている劉備を頼るのは彼が長子であるにもかかわらず、嫡嗣の認定を受けていない不安からのものである。
「主よ。あなたは自分が曹操と比べてどれほどのものであるかと思われますか」
「私は曹操の知略や勇にとてもではないがかなわない」
諸葛亮に問われると劉備は恬淡と答えた。
「曹操は司州、豫洲、冀州、兗州、徐州、青州、幽州、幷州の八州を有しており、その人員、物資は莫大なものであり、動員できる兵力は二十万を超えるでしょう。それに比べて、主は一州も持ちえず、頼りになる大将は関羽や張飛を初めとした数人。幕僚も私を含めてわずかであり、とてもではないが、当代の士大夫が綺羅星の如く集まった曹操に智も勇もかないません。
漢の高祖は韓信や張良、陳平といった武将や知者が多数仕えておりましたが、一方、主にはそれほどの大将や賢臣はおりませぬ。さらに言えば、曹操はおそらく項羽などよりもはるかに戦上手で手ごわい相手です。どうして、主が生半可なやり方でこの大敵を討ち果たせましょうか。臣は若年ながら、生まれ故郷の徐州を戦火で焼かれ、この世は清くあるだけでは生きられないということを知っております。曹操の盤石過ぎる体制を撃ち砕くには、少なくとも荊州の力を集めて主の股肱の臣と協力したとしても、勝利は針の穴を通すほどに狭く難しきことなのです。
劉表は漢室の一門とはいえ、もはや病が篤く、その子等は凡俗であり、どちらにせよ荊州から乱を遠ざけることは不可能。ここは、我らを頼ろうとする琦君を保護して、やがては来るであろう曹操の南征に備えなければ大事は成し遂げられないのです」
「だが、それでは私はいずれ後世の人から誹りを受けることになるのではないか」
「心が
ひくん、と劉備の身体が激しく引き攣るのを諸葛亮は見た。諸葛亮の言葉に強い興味を抱いている証拠にほかならない。劉備は自分で言うほど天下の義士でもなければ、清浄な人間ではない。誰もが持つ欲望を持っているが、それは彼の持つ奇妙な器で覆い隠され、余人に見えなくしているのだ。劉備ほど負け続け、それでいて逃げることを恥としない部将はいなかった。
劉備の中には世間一般でいう矮小な勝敗を尊ぶという志はほとんどない。実際、諸葛亮が知る限り、劉備は敗戦を叱責しない代わりにそれほど人をあまり褒めない。彼の中には可能だから任せて、完了すれば当然だろうというものがあるのだ。これまで時流の流れに逆らわず流されて来た男の生き方をそっくり変えるというのは、難しいものであるが、ここでそれをやらねば、諸葛亮は生まれ変わった意味がないのだ。
「天の与うるを取らざれば返って其の咎めを受くといいます。いま、荊州は主の手のひらに置かれているのです。無論、それは同時に漢朝の命運も含めて。すべては、この私に任せていただければ、あとは天が決めてくださるでしょう」
翌年の春、劉備主従は再び襄陽で行われる劉表主催の宴に招かれた。その席で、劉琦は劉備に向かって酒を注ぎにきた。劉備の名は、いま、目前に迫る危機である南進を企む曹操や、後継者の座を狙うことを隠そうともしない弟である劉琮にとっても実に厄介で大きすぎるものであった。
劉琦は敢えて自分が劉備と親しいのだぞと強調することで、少しでも牽制を行いたかったのだ。ここで劉備はあらかじめ諸葛亮に言われていたように、劉琦と親しげに雑談を行うのはさけた。ここで荊州の諸将にあからさまになにかあると思われてもいいことはないのだ。
無論、宴席のあと、諸葛亮は個人的に劉琦を訪ねてその憂いを取り払うべく計を授けた。劉琦の悩みというのは荊州の後継者問題で、劉表が昨今寵愛する継室の子である弟の劉琮に跡目を渡したいと気持ちが流れていることに危機感を覚えていたからだった。諸葛亮の計略を聞いた劉琦は「このご恩は終生忘れぬ」と言うと、後日、自ら父である劉表に願い出て江夏郡に自分が駐留することを願い出たのだ。
と、いうのも諸葛亮は江夏郡を守っていた荊州の将である黄祖が孫権の軍に破れて敗死したことで、父である劉表が煩悶していたことを知っていたからだった。劉表としては、特に落ち度のない長子である劉琦を襄陽から遠ざけることで、継室の希望を叶えることができ、なおかつ東の防備も他人に渡さずに済むというこの一石二鳥の策を否というはずがない。
「よろしい。汝に江夏をさずける。速やかに向かえ」
劉表は安堵の息を漏らしながら、近年にない難事を治めた気になっていたが、事実は違った。
襄陽を去った劉琦は江夏に去った。劉表は寵愛する継室とその子である劉琮のことしか考えていないが、これを心ある荊州の人士が見ればどのように映るだろうか。
所詮は劉表もこの乱世で生き延びる才のない男であった。
今回の諸葛亮の動きは前世とは違い素早かった。諸葛亮の学問の師は、荊州の名士である司馬徽であり嫁は黄承彦の娘である。つまりは、名士層に顔が利くのである。さらに、荊州のありとあらゆる人脈を使って、今回の劉琦に心ある士大夫たちが力を貸すように徹底的に根回しを行った。
もはや老齢で病がちな劉表は諸葛亮の情報操作を警戒する感性も力もなかった。
日に日に自分を含め、劉琮や継室の実家である蔡氏が荊州名士たちから距離を置かれていることにまったく気づいていなかった。これにより、荊州の東半分は劉琦派、西半分は劉琮派と真っ二つに分かれることとなった。
このとき、新野の諸葛亮は徐庶にある作戦を託して、江陵に向かわせた。諸葛亮は曹操と四つに組んで渡り合う気概がある。そのためには、荊州における物資の集積地である江陵を曹操が南征の軍を発する前に必ず手に入れておきたかった。江陵は、劉琮の陰で動く蔡氏の力が及んではいるが、つけ入る隙があった。
――いや、彼ら自身が作ってくれたというべきか。
諸葛亮はそれらを踏まえて、密偵を使い城内の名士層に咎なく左遷させられたと映る劉琦の憐れであるが孝道を貫きたいとする印象を満遍なく刷り込ませた。前世と同じであるならば、必ず一矢報いることなく降伏する劉琮の不甲斐なさと卑劣さを際立たせる効果を狙った。
政治に清らかさを望むことは理想であるが、現実はその思い描く美しさからは酷くかけ離れていると諸葛亮は知っていた。錬磨した充分な兵力と装備によって正々堂々と敵軍を破り、ことを成せればこれほど素晴らしいことはない。
だが、いま現在の劉備が持つ兵力は五千余であり、領地は劉表より借り受けた新野の小城ひとつのみ。これによって、河北と中原のほとんどを制覇した曹操と表立って渡り合うのは自殺行為に等しい。
諸葛亮が、ただひとつこの世界で誰よりも優っているとすれば、それは、前回生きた歴史のほぼすべてを知っているということだけだ。これは、誰に語ることもできないし、もしかしたらただの妄想なのかもしれない。さらにいえば、蜀の丞相であったころ、諸葛亮自身あちこあちで重要な情報は集めていたがすべてを漏れなく集められたわけでもなく、核の部分はおのれの目で見て、耳で聴いたことがほとんどだ。しかし、それだけであっても、諸葛亮は情報の有利さにおいてはこの大陸で誰よりも優っている。どんな、英雄よりも。
――その、ただひとつに賭けるしかない。
まもなく曹操という巨獣が荊州を喰い荒らす。諸葛亮はその恐怖と記憶を誰とも共有できぬまま、あの時は臨めなかった状況を作り出すために心血を注いでいる。
時間が惜しかった。新野城で自ら雇った密偵に細かな指示を与えながら、それでも諸葛亮の気は急いた。だが、悔やんでいる時間も、ほとんど残されてはいない。
――今回ですべてを決する。
運命の時はそこまで迫っていた。
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