第002回「葉県の戦い」

 隆中を出て新野に移ってからは諸葛亮は劉備と膝を交えて、天下国家の形勢を尽きることなく話すことに終始した。劉備は元来口数の少ない男である。ほとんどは諸葛亮が話すことを黙然と聞いていることが多かったが、蜀漢の丞相を勤め上げた男の話には、机上の学問や想像上の空辣さは微塵もなく、ただ実体験の重みだけがあった。

 

 劉備は言葉が多い人間を信用しない部分があったが、諸葛亮の言葉には政治家として一国家を経営してきた無視できない年月と経験の裏打ちがあったので、ただ圧倒されていた。


 ――この男は本当に年齢通りの男なのだろうか。

 劉備と諸葛亮は歳が二十も離れている。だが、劉備は諸葛亮と話す際に、あきらかに自分よりも年上の人間が持つ重厚さを感じ、真の賢者とはこういうものなのかとつくづく実感することが多かった。


 劉備も少壮から多年に政治に携わって来たので、少しは自信があったのだが、それらの固定観念はすべて諸葛亮に打ち壊された。


 事実、諸葛亮は蜀にではなく魏に仕えたとしても、司馬懿に負けず劣らず成功したであろうと各国の士大夫に評価されている男である。おのずとときを忘れて語らう時間は増えた。


 ――これが面白くないのが、長年に劉備に仕えて来た男たちだ。

 その筆頭が関羽と張飛である。蜀書の関羽伝によれば、劉備は関羽と張飛のふたりと同じ牀に休み、兄弟のような恩愛を与えたとある。つまりは、普通の従者とは違う一種濃厚な情が通っていた。


 事実、この義兄弟であるふたりとの絆が強すぎたせいで、劉備は才のあるほかの家臣を取り逃していた。諸葛亮が劉備と絆を深めていく間に、関羽と張飛のふたりは重臣筆頭であるにもかかわらず、あからさまな不機嫌さを隠そうとしなかったので劉備はこう言って諭した。


「私に孔明が必要なのはちょうど魚に水が必要なものだ。諸君らは二度と文句を言わないでほしい」


 主君である劉備にそう言われれば関羽も張飛も表立って文句は言えなくなったが、苛烈な気性であるふたりがはいそうですかと言うはずもない。


「なにが水だよ」


 張飛などは妬心を隠そうともせず、城内で諸葛亮を見ると悪態をこれみよがしについてみせる。張飛は元来おおらかな男であったが、同時に子供のような無邪気さと酷薄さを併せ持っていた。


 単純に劉備がほかの人間をかわいがるのが許せないのだ。自分が一番の子分であり弟分でありたいという気持ちが強すぎた。関羽は表立って反抗心を露にしないが、それでも諸葛亮とは必要以上に交わろうとせず冷淡であった。


 ――若いな。

 諸葛亮はこのふたりに対して怒りや困惑よりもまず先に、懐かしさを覚えた。

 男の妬心は女性よりもはるかに陰に籠って鬱陶しく醜いものだ。これも、関羽と張飛が劉備から受けた恩愛が強すぎるせいでもあり、その最期を知っている諸葛亮からすればいじらしく思えていた。よって、諸葛亮は敢えてふたりと表立って反目せず、なにも言わなかった。


 ――ふたりを黙らせるのには実力をもってするしかない。

 この年に、劉備にとって世継ぎとなる子が妾であった甘夫人から生まれた。のちの蜀漢帝国の後主たる劉禅である。


 後主の諱は禅、字を公嗣という。後世では蜀漢帝国を滅ぼした暗愚な主であると誤解されがちであったが、章武三年(二二三)に十七才で即位してから、その後四十一年間も国を保持したのは並の人間では不可能な事績であった。これを他国と比較してみるとよくわかる。


 呉の孫権は晩年、完全に老害化して、遼東情勢の介入による失敗、呂壱事件による重臣たちとの溝、二宮の変による豪族同士の内訌など失政の連続コンボを決めている。


 曹操の孫で魏の二代皇帝もである曹叡も晩年は洛陽宮の大修理や昭陽殿・太極殿の建造、及び総章観の増築を無尽蔵に行い、大金を消費した。


 さらには愛玩品や装飾品に執着し、飽きればそれらをけじめなく家臣に下賜して金蔵を空っぽにするなど常軌を逸した行為に没頭した。そして、恒常的兵力確保のために兵士同士の結婚を奨励した。これがまた畜生過ぎるのだ。


 最後の部分はなにが悪かったわかりにくいので噛み砕く。曹叡の行ったこの兵士の結婚奨励政策は官民(兵士以外の家)に嫁いだ娘を無理強情に召し上げて、再び他の兵士に嫁がせた点にあった。この政策には塵芥以下の随則があり


「召し上げる際には奴隷をかわりに差し出してもOK」

「召し上げた娘の中で美人は後宮に入れる」


 などの糞条文があったため、魏国内では人身売買が隆盛を極めることとなる。これに対しては曹叡の太子舎人である張茂字を彦林という者が以下のように諫めている。


「私が証書を拝見しましたところ、この政策は兵士の娘で兵士に嫁いだ以外の者をすべて奪い去り、これを再度戦士にめあわせるとのことですが、この点を論じさせてください。官吏は君子の内で兵士は小人でありますのに、官吏から妻を奪い去って兵士に与えるのは、兄の妻を奪って弟に与えることと違いなく、恩愛が偏っています。


 また、詔書では年齢・容貌がその妻と同じくらいの奴隷を身代わりにすることで免除になっていますが、このため富裕層は家産を傾け、貧乏人は借金をして奴隷を買い取って妻を身請けしています。県の長官は、兵士にめあわす名目にしておりますが、実際は美女を後宮に入れ、醜女を選んで兵士に与えているのが実情です。妻を手に入れた者もよろこばず、妻を奪われた者は憂鬱な気分になっています。


 いま、なお、強力な敵(蜀・呉)が国境地帯に存在し、魏王朝の転覆を計っています。陛下は、堯舜の行った節約を放棄し、漢の武帝の奢侈の真似ごとをしており、臣として賛成いたしかねます。ご無礼をかえりみず言上いたした次第でございましたが、よろしくご判断をお願いします」


 以上のことを上書したのだが曹叡は

「張茂は儂と同郷なのをあてにしてこんなふざけたことをいうのだ」

 と、ガン無視した。ひど過ぎる。


 曹叡だけ長々とディスったが、政治的失策が後半に集中したのに間違いはない。

 曹叡の魏帝国は諸葛亮が生存時には危機感を持って対応しただけあり善政といってもよかったが、後半は総じて道を誤っている。


 劉禅も諸葛亮が生きている間は目立った失策はなかったが、後半は宦官の黄皓を寵愛し蜀の朝政をほしいままにさせて、蜀滅亡時の景耀六年(二六三)における魏の大攻勢直前には巫女の神託を信じ迎撃準備を行わせないように仕向けたほど愚劣さが際立っている。


 基本的には善人なのだろうが、劉禅は周りの影響をもろに受けるタイプであり、蔣琬や費偉が生存していたころには、それほど目立った失政は見受けられない。良くも悪くも乱世を生きるには実父である先主と違ってアクと主体性がなさ過ぎたのだろう。


 ともあれ、この年に劉備の年齢では幾人もいなければおかしくない子が初めて誕生し、新野は祝いの声に満ちあふれた。


 だが、諸葛亮が劉備に仕えて間もなく変事が出来した。

 年末にかけて南陽郡の葉県に曹操軍が出現したのだ。


 ――これは記憶にはない。どういうことだ。

 諸葛亮は激しく困惑した。


 曹操の侵攻は諸葛亮の記憶に依れば翌年から始まるはずだ。

 事実、新野に向かって来るであろう曹操軍の規模は総勢二万余と本腰を入れた遠征ではなかったが、三千に満たない規模である劉備軍からすれば大敵である。


 曹操軍は夏侯尚を主将、佐将として李通、臧覇を伴っての出陣である。

 夏侯尚は字を伯仁といい夏侯淵の従子である。曹操が冀州を征伐したときは軍司馬となって騎兵を率い従軍した経験があり、赤壁合戦時の諸葛亮とほぼ同年齢の二十代後半であった。


 李通は字を文達といい江夏郡出身で男気を持って知られ、黄巾の頭領である呉覇を生け捕りにして、その部下多数を降伏させた経歴の持ち主だ。


 建安年間の初期に軍勢をあげて許昌の曹操の元に赴き振威中郎将に任命され、張繡討伐に参戦した際には先陣となって敵軍を打ち破った勇将である。


 臧覇は字を宣高といい、父の臧戒が非道な太守に連れ攫われた際に、わずか十八歳で食客数十名を引き連れ、太守の護送隊百余名に斬り込み奪い返した剛の者である。はじめは陶謙に仕え、次に兵を集め呂布を助けた。


 曹操が呂布を討伐すると野に隠れたが、懸賞金をかけられ捕らえられた。だが、曹操は臧覇に会うとひと目で気に入り、許され仕えることになった猛者だ。


 この三将が万余の兵を率いて来たと知れば劉備軍には動揺が走るのは当然である。新野の小城ではこれだけの敵軍を受けて防戦する備えはない。


 自然、決着は野戦で決めるしかない。劉表も慌てて甥の張允に一万余の兵を率いさせて新野に送り込んだが、状況からして劣勢は免れなかった。


 劉備は諸将を新野城の一室に集めると中央に座し、諸葛亮を傍らに据えた。この場にいるのは、劉備旗揚げの以来の宿将がズラリと並んでいる。

 関羽、張飛、趙雲、陳到、劉琰、簡雍、麋竺、麋芳、孫乾、徐庶などだ。

 諸葛亮はかつての同輩たちが居並ぶのを見て、わずかに目元を細めるとその場に立ち上がった。


「敵は二万とはいえ曹賊に仕える有象無象の徒。諸君らが主のために魂魄を賭して戦えば勝利は間違いなし。宜しく奮励努力を期待する」


 諸葛亮は大枠の戦術をその場で語ると、自ら白馬に乗って戦場に赴いた。

 ――敵将は、夏侯尚、李通、臧覇の三将か。


 劉備は数年前に博望で夏侯惇、于禁と李典を野戦で軽々と破った。劉備は人々をアッと言わせる玄妙な戦術で敵を打ち破ったことはないが、およそ小部隊を率いての戦いは名人級といえよう。大陸では五指に数えるほどの達人である。劉備が真に恐れるのは曹操ひとりであり、ほかにどれほど名の通った将がいたとしても、この男は怖じることはなかった。


 夏侯尚は、まず臧覇に五千を与えて劉備軍に迫らせた。これに対して諸葛亮は出撃をいまかいまかと待ち構えている張飛に向かって臧覇を迎撃するように命じた。


 劉備軍の先鋒は張飛隊の五百余。

 張飛は一丈八尺の蛇矛の柄をしごきながら奔馬を駆って流星のように先頭に躍り出た。


「この俺が劉豫洲の義弟燕人張飛だ。死にたいやつからかかってこい!」

 張飛が頭上で丈八の蛇矛だぼうを旋回させると大気が割れて異様な風切り音が響いた。たちまちに曹軍歩兵の首が幾つも空に舞った。


 溜めに溜められたエネルギーが一挙に爆発するように、張飛は丈八の蛇矛を小枝のように軽々と振り回しながら前方の敵兵を紙きれのように吹き飛ばした。張飛が駆け抜けると、敵兵の首が、七つ八つ旋毛風に遭ったように戦場を舞った。


 古代の戦闘は指揮官の武勇に頼るところが多い。張飛が手兵を引き連れて陣を暴れ回ると臧覇の先鋒隊は切り裂かれて、あっという間に四分五裂した。


 張飛が獅子吼して青鹿毛の肥馬を乗り回す。蛇矛の切っ先は陽光を照り返して狂暴な輝きを放ちながら右に左に雑兵を蹴散らかした。風を喰らって距離を取った歩兵のひとりが、張飛の豪勇を目の当たりにして呆気に取られている臧覇に助けを求めた。


「臧将軍。あれが劉備の懐刀、張飛です」

「ふざけおって」


 これを黙って見ている臧覇ではない。怒髪天を衝く勢いで馬を駆け出させた。臧覇は逃げようとする兵卒に叱咤激励を飛ばす。その臧覇の前に張飛が立ち塞がった。張飛は巨大な瞳を野獣のようにぎらつかせながら臧覇を睨んだ。


「おぬしが敵の大将か。我こそは張飛益徳だ。ここで会ったが運の尽き。潔く、その薄汚れた素っ首を置いてゆけ」

「なにを! 我が領土を侵す鼠賊めが。この臧覇が血祭りにあげてくれん」


 臧覇が馬腹を蹴りつけ怒り心頭、凄まじい勢いで迫る。張飛は蛇矛を構えながら悠然と見守っていた。臧覇が戟を振り回してかかって来る。


「ぬるいわ!」

 張飛が自慢の虎髭を細かく震わせながら、怒号と共に蛇矛を叩きつけた。互いの武器が激突した。が、臧覇の戟は、ただの一撃も耐えられずに半ばからへし折れ、先端がはるか彼方に吹っ飛んだ。


 臧覇も男伊達で売った将であるが、張飛の怪物染みた強さを突きつけられ、驚愕した。一瞬で、自分ではとてもかなわないと悟ったのだ。臧覇は素早く馬首を翻すと、自陣に向かってまっしぐらに逃げ帰ってゆく。


「許せぬぞ、匹夫が」

 張飛の前に臧覇の属将である李翔がぼうを携えて打ちかかった。だが、張飛が蛇矛を正面から叩きつけると、李翔は顔面を肉餅のように潰されて馬上から転げ落ちた。断末魔を上げる暇もない。張飛の前では瞬きする暇もないほど、あっさりと殺されたのだ。曹操軍の兵士たちの表情の絶望の色が濃く浮かんだ。


「待ちやがれ!」

 こうなると張飛の勢いは止まらない。敵の数が十倍だろうが百倍だろうが知ったことではなかった。縦横無尽に荒れ狂い、敵の備えはまるで薄紙のようにあちこちでほころび始める。


 これを離れた丘で眺めていた劉備が見逃すはずもない。若き日より傭兵隊長として小人数の兵を率いて大陸各地を転戦した経験と勘が告げていた。


「ころやよし。いざ、進め」

 劉備は手兵千騎を臧覇隊のもっとも強くほころんだ切れ目に突貫させた。横合いから痛撃を受けた臧覇隊は次々に小部隊の指揮官を討たれて、一個のまとまりというものを欠いた。


 ――さすが、我が主。

 諸葛亮はこれを本営で知るや否や、間髪入れず予備隊千騎を投入した。槍の穂先を揃えて歩兵が臧覇隊を貫いてゆく。完全に陣形が崩れた臧覇隊に劉備が自ら馬を駆って追撃を駆けた。追われるままに潰走した臧覇隊の過ぎ去ったあとには八百余を超える死傷者と千余を超える降伏者があった。


 ――緒戦は上々。

 対する劉備軍の死者は三十そこそこだ。手負いも五十を超えていない。寡兵にしては完全過ぎる勝利であった。


 この戦いを実際に見ていた諸将たちの諸葛亮を見る目も変わらざるを得なかった。諸葛亮は、自ら騎乗して実戦に矢が届く範囲で戦場を見守っていた。自ら剣を取りはしなかったものの歴戦の将軍も目を見張る老練な戦闘指揮を行ったのだ。これを評価できないほど劉備軍の将たちは度量が狭くなかった。


「ふん、軍師どのも中々にやるじゃねぇか」

 臧覇隊の雑兵を追い回していた張飛も蛇矛を担ぎながら、あきらかに諸葛亮に向ける視線を変えていた。


 本隊である夏侯尚の部隊に戻った臧覇と他の部将はこちらの出方を見ようというのかかなりの距離を取った。


 そして勝利は軍を強くする。劉備軍は平野のあちこちで凱歌を上げ、兵士たちひとりひとりの目に自信がみなぎっていた。戦場での勝利は四年前に夏侯惇の軍を博望で破って以来なのだ。


 ――これでいい。勝つことで勇気が湧き、自信が根付く。

 諸葛亮は兵士たちのひとりひとりに声をかけた。数が少ない、このときだからできる最善の方法だ。


 劉備が護衛を伴って白馬で駆け寄って来た。馬の足取りも軽やかな音を立てている。血色がいい。諸葛亮は、やはり劉備は戦場で生きてきた男なのだとつくづく思った。


「孔明、そなたの言うとおり動いたことで勝てた。礼を言う」

「主よ。私はなにもしておりません。夏侯尚の先遣隊を破ったのは主の威徳と張将軍の武勇、それに我が軍が本来から持っていた積み重ねと強さによるものです」


 関羽以下の諸将から放たれる空気が依然と違って、あきらかに信頼の伴ったものに変化している。諸葛亮は羽扇で静かに口元を覆うと、天を見上げた。


 ――さて、次はどう出ようか。

 諸葛亮は、軍をまとめて夏侯尚の攻撃をにわかに受けない位置まで下がらせると、まず戦場を見分した。さすがに、曹操軍の装備は充実している。軍装も統一されており、資金が少なく、鎧もそれぞれ質がちぐはぐな劉備軍とは見た目からして違う。諸葛亮は、倒れている骸から、兵たちの体型に対する差異を見つけると、すぐさま降伏した兵を呼んだ。聞き取りを行うと、諸葛亮は満足したように小さく顎を引いた。


「なるほど。すると、夏侯尚の軍の半ばは降伏した河北の兵で構成されているのだな」

「そうでございます」


 質問に応じた降伏者が戻ってゆく。不意に、背後へと影が差した。

「戦況はいかがかな」


 聞き覚えのある声に振り返る。そこにはゆったりとした足取りで近づいて来る徐庶の姿があった。


「元直、君か」

 潁川出身の徐庶、字は元直というこの男は諸葛亮の賢友である。徐庶は荊州に遊学していた折に劉備の盛名を聞き、諸葛亮よりも先に仕えていたが、前世では曹操軍の南征中に劉備から離れ故郷に戻った。そして魏に仕えることになる。戦時では致し方のないことであるが、今回諸葛亮が蜀を建国して是が非でも中原を制覇するにはなくてはならぬ才を持った男だった。徐庶の動向に細心の注意を払わねばと、ひとり思う。


「どうやって勝つ」

 徐庶はそこらに散歩に行く、というような感じでごく自然に聞く。夏侯尚の軍は二万で劉備軍は三千。七倍近い兵力差であるが、徐庶の中では勝利は当然のことらしく、また、諸葛亮にも勝つことを前提でその勝ち方を聞いているのだ。


「夏侯尚の軍のほとんどは河北で降伏した袁紹の兵だ。屍を調べると北国の兵はやはり南方に比べて体格のよい者が多いのでそれがよくわかった。そして、精鋭は少ない」


「つまりは――」

「兵に強弱があり、それが甚だしい。まとまりがないのだよ。集団になると、それらが極端に出る。臧覇の兵は五千ほどだったが、半分以下の我が軍と揉み合って簡単に崩れた。練度が際立って低いとは言わないが、脅威ではないな。やはり曹操軍の中核は青洲兵と兗州兵。まとまりのなさが足を引っ張っているのだろう」


 併呑されたばかりの河北の兵は曹操に恨みを持っている者も多い。これらを曹操が子飼いと同列に扱うかといえば、そうではない。


 軍に濃淡があるのだ。

 それが弱みになる。


 ――兵を多ければ多いほどいいわけではない。

 丞相を務めて、十万余の兵を率いた諸葛亮は経験でそれらを知覚することができた。


「と、なると敵兵の装備を。それもなるたけ使えそうなものを集める必要があるな」


 徐庶が諸葛亮の意を得たりとばかりに言った。

 ――やはり元直の血の巡りは素晴らしい。

 諸葛亮は天を仰ぐと羽扇で指した。


「それに加えて、この空」

「うん?」


 ――天候が我らに勝利を与えてくれる。


 空は澄み切った青であったが、諸葛亮はこの年の気候を完全に熟知していた。つまりは、何月何日にどのように雨が降るか、晴れるか、曇るか、雪が降るかがわかるということだ。合戦における気候は戦況を左右する。諸葛亮の膨大な知識は、この世界で自由自在に天候を言い当てるという大きなアドバンテージを持っていた。


「孔明。君は天気読みが得意だったな。やはり降るのか」

「間違いない。夜半から、ほどほどに降るだろう」

「用意周到な君だ。準備は抜かりないだろうな」

「ああ、元直。主に伝えてあらかじめ用意しておいた装備を皆に配るよう頼んでくれ。明日は、夏侯尚の首を見るぞ」


 諸葛亮は徐庶の顔を真正面から見据えると口元に微笑を湛えた。

 


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