転生諸葛亮戦記
三島千廣
第1章「荊州平定戦」
第001回「諸葛亮の再出蘆」
蜀の建興十二年(二三四年)の八月。
丞相の諸葛亮は重き病により臥したまま、静かに終わりを迎えていた。
――もはや、我は目覚むるまいよ。
後事はすでに託した。
好敵手であった魏の司馬仲達は自分が没すれば欣喜雀躍して大軍をもってして蜀の陣営を襲い来るであろう。戦というものは退却することがもっともむつかしい。
殿軍には、大陸一の勇将である魏延に任せるつもりであったが、おのれがいなくなった後では、あの傲岸不遜な男がおとなしく言うことを聞くとは思えなかった。策は講じてあるが、確かめられないのが残念であった。
となれば、あとは残った者たちに託すしかないのが実情だった。司馬の費偉、中監軍の姜維、長史の楊儀、この三人が協力して蜀軍十万を無事に漢中まで引き揚げられるかによって、蜀の命数は変わっていくだろう。
――身体が熱い。燃えるようだ。
諸葛亮は目を閉じたまま、隆中を出てからの二十数年を思った。やり残したことは多々あった。主である先帝劉備玄徳のことを、いまわの際で思い出す。無念さはあるが、もはやどうしようもなかった。
あと、十年、いや五年さえこの身に寿命があればと思う。司馬懿に対して、決定的な勝利を得る自信がようやく生まれかけていたのに。意識がすう、と遠くなっていく。諸葛亮は緑深い隆中の濃いにおいを嗅いだ気がした。手にした羽扇が指先から離れ、落ちる。
その夜、赤い尾を引く箒星が東北より西南に流れ、蜀の本営に三度落ちた。落ちた内、二度は鋭く跳ね返って小さく、酷くはかないものとなって消えたが、三度目はついに戻らなかった。
近臣たちが見守る中――。
蜀の丞相はにわかに薨じた。
諸葛亮、字は孔明。
享年五十四歳。
ものがたりは、ここから再び、始まる。
草堂は秋の気配に満ちていた。諸葛亮は
「どういうことだ」
自分は確かに五丈原の本営で最期の時を静かに迎えていたはずだ。だが、いまの己の記憶が混濁していないのであるならば、この場所は先主に仕えるまで暮らしていた荊州の隆中である。
――なぜだ。
ぎ、と音を立てて牀に腰かけた。それから、諸葛亮は不思議なことに気づいた。全身に、気が満ちているのだ。腕を伸ばし力を込める。まるで自分の身体ではないかのように、強い力が戻っていた。
死の床に伏していた、あの身体を包むけだるさも、熱もなく生まれ変わったような活力が満ちている。文机にある羽扇を手に取ると諸葛亮は立ち上がった。身体が軽い。羽毛のように軽かった。諸葛亮は部屋から鏡を探し出して己の顔を映し、思わずゾッとした。
――これがいまの私なのか。
魔物を見たかのように諸葛亮はのけ反ると、わずかに数歩下がり机に背をぶつけた。
鏡に映っていたのは、間違いなく、若く二十代であったかつての自分であった。
「どうかされましたか」
声にギョッとする。扉の前に立っていたのは弟の諸葛均である。均は、まだ幼さの残る顔でいぶかしげに諸葛亮を眺めている。
混乱が頂点に達した。人は、いまわの際に生涯を振り返るというが、これがそれなのだろうか。氷のように冷たい汗が背筋を伝い腰に落ちた。窓から吹きつけて来る寒気は間違いなく冬のものだろう。半ば、諸葛亮は確信しながら弟に向き直ると問うた。
「均よ。おかしなことを聞くが笑い飛ばさずに教えてもらいたい。今年の暦はいつであっただろうか」
「はあ。今年は建安十二年でございますが」
「そう、か」
――間違いない。私が陛下に仕えた年だ。
漢の建安十二年は西暦で言うと二〇七年で、かの有名な赤壁の戦いの前年である。
そのまま諸葛亮はジッと立ち尽くした。機嫌をなにか損ねたのだろうかと、均がわずかに表情を変えながらこちらを穿っている。その様子もわかるが、諸葛亮は自分の意識や魂が部屋そのものを俯瞰しているかのような錯覚に陥りながら、目まぐるしく脳裏に浮かぶ考えを打ち消し、あるいは類推しながら高速回転させていた。
「悪かった。少し、考えたいことがあるのだ。一両日は、私の部屋に誰も近づかせないようにしてくれ」
「そうですか。ですが、兄上。言いにくいことなのですが、山を誰かが登ってきたようなのです」
「山を」
――覚えている。
諸葛亮はあえてなにごとでもないかのように、再び牀に座ると羽扇を手に取り、静かに瞑目した。陛下だ。いや、いまの彼は辺土の塵ひとつ持たない流浪の将である劉備玄徳というのが正しかろう。均は諸葛亮が牀から立たないことを、わずかに気にしながら密かに家人をやって、この山奥にやって来た奇妙な客を調べにやらせた。
「兄上。どうやら来訪者は新野の劉将軍らしい」
「そうか」
それだけ言うのが諸葛亮は精一杯だ。奇妙なことだが、自分はかつて若き日に劉備が三度、わざわざ自らやって来た運命の日に立ち戻っているようだった。考える時間が欲しかった。今日がその三回目の来訪であるならば、よくよく考えなければならない。
辺土も持たぬ、若いとはいえない劉備に臣従してもう一度戦うことに異論があるわけではない。ないが、夢の中の自分が行ったことを踏まえて、もっと上手く立ち回ることができれば、あるいは――。
諸葛亮は、深く、己の意識に沈み込んだ。
この間にも諸葛亮の脳はめまぐるしく回転していた。
――よし、会おう。
諸葛亮は均に人払いさせると、室内に劉備を招き入れた。劉備は二度も訪問を断られたことに対していかなる感情も表していなかった。諸葛亮は久方ぶりに会えた主君に対して懐かしさよりも、はるかに申し訳なさを感じていた。
目の前にいる劉備は延熹四年(一六一)の生まれなので、今年で四十六歳になる。
特徴として腕が長く、耳が大きい。諸葛亮にとっては、その容姿は奇異に映らず、むしろ目にするだけで落ち着くものだった。劉備の持つ気は独特だ。その場にいるだけで全身から発せられる確かな存在感は大きかった。諸葛亮は、自分が没したときから見れば若く見える劉備を仰ぎつつ、なんともいえない感慨に浸った。
――白帝城で誓った命は結局果たせなかったのだ。
劉備が章武元年(二二一)の秋に呉討伐の兵を秭帰に繰り出し、その翌年に陸遜と戦って夷陵で敗れ永安で没する際に後主を託された誓いを守ることはできなかった。
いつまで向かい合っていたのだろうか。日ごろ、言葉の少ない劉備が真っすぐに諸葛亮を見ながら口を開いた。
「漢室はいまや傾き崩れ、姦臣は主上(漢の献帝)を都から無理やりに許都へ押し込め、天下をほしいままにしている。我は、元来智慧少なく武も拙いが、それでも大義を示さんと智嚢を絞って賊と戦い続けた。だが、いまや、正道に利はなく、ときを浪費するままだ。さらに言えば、この歳まで一片の領土も、確固たる兵も持たずに今日に至ってしまった。だが、我は未だ志を棄てておらぬ。漢室のため最後の瞬間まで姦臣と戦い、この天地から憂いを除こうと尽力しているが先行きはおぼつかない。できるならば、君の胸の内にある大計をこの私に教えて欲しい」
姦臣とはすなわち曹操のことだ。諸葛亮は、劉備のまるで変わらない志を再確認すると、かつて語ってみせた
「天下三分の計」
を、いま一度噛んで含めるように言った。
「董卓の蜂起以来、天下にはあまたの群雄、豪傑が割拠しました。いま、漢室をほしいままにしている曹操も、かつてはわずかな軍勢しか持たず河北を制していた袁紹と比べれば、その差は歴然としていました。
けれども、最終的に曹操が袁紹に打ち勝って滅ぼすことができたのは、天のときを掴んだことも重要ですが、結局のところ人のなす計略がそれを実現可能にしたのです。曹操は、天子を擁立して多大なる軍勢を抱えて諸侯に命令を発しており、これが荊州に南下した場合、現実的に将軍が立ち向かえる相手ではございません。
ならば、もはや漢室を復興することなど不可能なのか。いや、方法はなきにしもあらず。孫権は江東を支配すること三代で、民は懐き、勇将賢人をあまたに抱えており地盤はゆるぎありません。これと争わずに、将軍は劉表の持つ荊州を自然な形で譲りうけ、兵の調練を行い強力な軍団を作り上げ、兵器糧秣を蓄えたのちに西に目を向けるのです。そう、場所は益州」
諸葛亮はここで一旦言葉を切ると劉備を見た。劉備は居住まいを正して、黒々とした眼をこちらに向けていた。黒曜石のような輝きを帯びた劉備の瞳には青年のような力強さが確かにあった。
「この地は堅固な要塞の地であり、国土は広く豊かな平野が千里にも広がる天の蔵と言われております。益州を治める劉璋は将軍と帝と同族にもかかわらず、この漢室の危機に一兵すら出さず、己の身を守ることに汲々としている暗愚な主です。我が身の保身のため、長らく引き籠っていた罪はそれだけで万死に値する。劉将軍は、天下に劉璋の非を堂々と鳴らして益州に攻め込み、明君を求める益州の士を残らずに味方につけて、この地を得るのです。
さらにはその北にある張魯が盤踞する漢中を奪い、前線基地として力を蓄え、西方の諸蛮族を手懐け、南の異民族を慰撫し、外には孫権と盟を結び、内は政治を修められ、天下に変事があればひとりの上将に荊州の軍を率いらせて北上させ、将軍自ら益州の兵を率いて秦川に出撃すれば、長安と洛陽の二京はたちどころに落ち、民は食料を持ち将軍の兵を歓迎するでしょう。
そののちに、潤沢な司州の兵と金穀を用いて強力な軍団で東征を行えば、賊徒は間違いなく滅び、再び天地は大義を取り戻すことでしょう」
劉備が満面を朱に染めながら音を立てて椅子から立ち上がったのを諸葛亮はやんわりと制した。
天下の変事とは、この計を思いついた際に曹操による献帝の殺害を想定していたが、前世では実際はそこまでいかなかった。
前世における天下の変事とは――。
献帝が帝位を引きずり降ろされた建安二十五年(二二〇)がそれにあたるであろう。
実際、漢王朝が事実上滅亡したときも、天下は動揺したが、諸葛亮が望んでいた大きな動乱は生まれなかった。となれば、あとは時間との勝負でしかない。劉備と諸葛亮の命があるうちに、大勢を決することができなければすべては終わってしまう。
荊州と益州を得るのにも時間と早さが肝要だ。果敢に決断し、早ければ早いほど善いのだ。劉備と諸葛亮にはそれほど時間は残されていなかった。年の変わり目はすぐすこだ。来年になれば、劉備は四十七、諸葛亮は二十七だ。
身を慎ましくして過ごせば自分はあと三十年は戦えそうだが、劉備に残された時間は甚だ少ない。十年の内に、長安を落として三輔を手中に納めねば天下平定は難しいだろう。
「ああ、善き大計かな。諸葛亮よ」
劉備は立ち上がると言った。
諸葛亮は目の前の劉備の身体が突如として幾倍にも膨れ上がり、まるで泰山がそびえ立ったかのようだ。諸葛亮はその場に拝跪していた。
「将軍。この諸葛亮、今日よりあなたさまに仕えます。必ずや中原の曹賊を撃ち滅ぼし漢朝を取り戻してみせましょう。それが、いかなる路であろうとも、臣はさけることなく進みます。たとえ、肝脳地に塗れようとも」
劉備こそ百年にひとり生まれるかどうかという英雄であったが、惜しむらくはあまりにも敵が巨大すぎた。
――曹操孟徳。
彼さえ同じ世、同じときに生まれなければ、劉備の覇業はあるいは成功したかもしれない。
諸葛亮の脳裏には、いずれまみえることとなる宿敵司馬懿仲達の存在もあった。ある意味、曹操以上の強敵である。諸葛亮は、いまや、夢ではなく現実を生きた五十四年間における生涯の経験すべてを用いて、不可能に挑戦することに、心を躍らせていた。
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