【二】

 森の中には道があった。

 数こそ多くなさそうだが、人が通ったりするようだ。

 背の高い杉が生い茂り、足元は淡い色の草花や茸に彩られている。


 繭ちゃんは小柄だが足は早い。

 こまめに途中で立ち止まり私の方を確認してくれるのだが、私は追い付くのに苦労した。

「繭ちゃんは元気だねえ……」

「私は普通よ。むしろ貴方こそいつもより遅い方だわ」

「そ、そうなの……ちょっと休憩してもいいかな?」

「……わかった」

 繭ちゃんはその場にちょこんと座った。

 私はへたりこむように膝をつき、荒い呼吸が整うのを待つ。

「事態は思った以上に深刻なのね」

「えっ?」

 繭ちゃんがぽつりと呟いたので私が聞き返すと、彼女は「後で話すわ」と切り上げてしまった。

 その後再び少し歩くと、朱塗りが褪せてしまった鳥居と、半分苔に覆われた年季の入った石段が見えた。

「ここを登れば私達の住処よ」

 軽やかに登りつつこちらを確認してくれる繭ちゃんとは対照的に、ぼろ雑巾のような私はふらつきながらようやく開けた場所に辿り着いた。


 ◇


 雑草が不規則に固まって生えている。

 辺りが手入れされなくなってからさほど年月は経っていないらしかったが、なんとなく寂寥としたものを感じさせた。

 奥へ目をやると、半ば崩れかけた木造の社がひっそりと鎮座していた。

 壁や引き戸には穴が空き、天井も三分の一ほどが無くなっている。

 遠目には分かりにくかったが、恐らく床のあちこちにも穴が開いてるだろうと予想できた。


 私は立ち眩みのような感覚に陥り、思わずその場に膝をついた。

 すぐに繭ちゃんが駆け寄ってくる。

「大丈夫!? ごめんなさい、色々無理させ過ぎちゃったかもしれないわね……」

「ん、大丈夫……ちょっとびっくりしただけだから」

 びっくりした、というのは嘘ではなかった。

 この場所についての記憶はやはり思い出せなかったものの、どこか「衝撃」に近い感覚が私を打ちのめした。

 それは例えば廃墟を見てどことなく切なさを感じるようなものとは別の、もっと大きく強い感覚だった。


 私は一度深呼吸をして、そっと立ち上がってみる。

 問題はなさそうだった。

 心配そうに見上げてくる繭ちゃんに対し私は微笑んだ。

「ごめんね、心配かけて。もう大丈夫」

「そう? ならいいけど……」

「今、記憶は戻ってこなかったんだけど、……」

 私は今しがた感じたことを繭ちゃんに説明した。

 彼女は少し驚いたように目を見開いた。

「記憶が戻らないのは気になるけど、それでもここに来て感情が動いたということね」

「そうなるかな」

「ちょうどいいわ、最近この神社に起きたことについて話しておこうと思ってたの。社の中に入りましょ」

 繭ちゃんに連れられ社へ向かう。

 正直なところ、近づけば近づくほど崩壊の酷さに悲しみを感じてしまった。

 軽そうな彼女はともかく、私が中に入って大丈夫なのだろうか、と不安になりつつ石段を登り、ところどころ穴の空いた床板にそっと足を踏み出してみる。

 みしみしと音を立てたものの、床板は私の体重を受け止めた。

「穴のそばに行かなければ大丈夫だと思う。……たぶん」

「わかった、気を付ける」

 穴の開いた部分から少し離れた壁際に腰を下ろす。


 繭ちゃんは私の横に座ると、一つ溜め息をついてから話しはじめた。

「率直に言うわ。貴方……×××××は、この×××島、××の森にある、ここ×××神社に祀られた、神なの」

 私はぽかん、と口を開けた。

 ――まさか、自分が神などとは考えもしなかった。

 突然の話に私が固まっていると、繭ちゃんは悲しそうな顔をした。

「やっぱり、覚えてないのね……」

「うん……なんか、ごめんね」

「謝らないで、貴方が悪い訳じゃないから。むしろ貴方は、とても立派な神だったわ」

「そ、そうなの?」

「その話も今からするわね」

 繭ちゃんは遠くを見るような顔で、再び話しはじめた。


 ◇


 この小さな島に人が住むようになったのは、およそ百年前。

 島周辺の海域は魚介類が豊富に獲れるため、漁師やその家族達が本土から移住してきた。

 十年が経った頃、台風による高波で多数の島民が犠牲となり、島のあちこちも土砂崩れ等の被害を受けた。

 生き残った島民達は今後の安全を願い、少ない金銭をかき集めて神社を造った。

「この小さな島の神として、貴方はこの神社をねぐらとし、島に時折襲いかかる風の神や海の神達の小競合い……の、とばっちり等から島に住む人間達を守ってあげていたの。でもね」

 言葉を切り、繭ちゃんは私をじっと見つめる。

「もともと小さな神だし、この先信仰がどれほど持つのかもわからない。万が一の事を考えて、『保険』となる存在が必要だと考えたのね。そこで×××××の髪一房と片手一杯分の涙、指五本分の剥がした爪から造られたのが、私。繭よ」

 繭ちゃんはどこか誇らしげに澄ました顔をした。


「それからしばらくは、いわゆる自然災害から島民を護る、という形が続いてたんだけど……去年の夏、小競合いがちょっと大きくなっちゃったせいで、大型の台風が発生してしまったの。いつものように×××××は島を護っていた。でも、あまりに台風の勢力が大きすぎたから、持っていた力の大半を使い果たしてしまって、島民や私は無事だったけどこの神社と貴方自身は大きく影響を受けてしまった。かつて島民が用意してくれた目印……御神体とも呼ばれるわね、あれが紛失したから、貴方はこの神社の場所を忘れて、戻ることが出来なくなったんだと思う」


 一気に話した後、繭ちゃんはふう、と大きく息を吐いた。

 彼女がこれだけの話をしてくれたにもかかわらず、私には過去を思い出すことが出来なかった。

 まるで物語を聴いているような、自分とはかけ離れたことのように思えてしまった。

 しかし、この感覚について繭ちゃんに話せば、彼女はますます悲しむだろう。

「あの、繭ちゃん」

 私はそっと切り出した。

「なに? 思い出した?」

「あ、いや、その……ちょっと、頭を整理するのに時間がかかりそうなんだ。だから……申し訳ないんだけど、少しだけ一人になってもいい?」

 繭ちゃんは心配そうに私を見つめた。

「大丈夫、遠くへ行ったりしないから。それに、繭ちゃん疲れてるでしょ? ゆっくり休んでて」

 実際のところ、私を見つけ神社に戻ったことで安心したのか、先程から繭ちゃんには疲労の色が滲んでいた。

 私は浜辺で彼女と会った時のように、ゆっくりと小さな頭を撫でた。

「……わかったわ。本当に、遠くへは行かないでね。約束よ」

「勿論」

 繭ちゃんは大きな欠伸をして、丸く蹲り目を閉じた。


 私は静かに神社を出た。

 先程この場所に着いた時、海辺に繋がる崖を見つけていた。

 恐らく私が目覚めた砂浜の反対側にあたるだろう。

 崖、と言っても傾斜はさほど急ではなく、足元に気を付ければ転げ落ちる心配もなさそうだったので、私はゆっくりと歩みを進めた。

   

 ◇


 陽が落ちかけ、辺りは薄暗くなりつつある。

 私は砂浜に腰を下ろし、膝を抱えた。


 少しだけ、思い出したことがある。

 かつては、海辺に行けば海の神の声が聞こえていた。

 今この場所にいても、私には波の音しか聞こえない。

 目覚めた時も同様だった。

 森の神、風の神……神社に辿り着くまでの道中も、耳に入っていたのは物音と、そして繭ちゃんと自分の声。

 自身に関すること――例えば名前、神社についてなど――も、未だに思い出せない。

 私にはもう、神としての力が殆ど残っていないのだと実感した。

 浜辺から神社へ向かうときの疲労感も、それを裏付けていたと思える。

 正直なところ、この具合なら持って一晩くらいではないだろうか。


 いつかは来るだろうと思っていた決断の時が、きっと今なのだろう。

 私は、ゆっくりと息を吐いた。


 繭ちゃんに全てを託そう。

 彼女は、可愛い私の遣い。

 私の体を部品にして生み出した、半ば私の子供といってもいい存在だ。

 彼女なら、上手くやってくれる。

 愛嬌のある見た目にしたので、人間達にも受け入れられやすいだろう。


 そうと決まれば、後は私の力を受け継がせる為の道具を作らなくては。

 私は三本ほど髪の毛を抜き、そばにあった岩で指先を傷つけて血を少し滲ませると、細い毛の束に血が馴染むように端から端まで何度も摘まんで引いた。

 毛の束は少しずつ変化していき、やがて紅色の丈夫な紐になった。

 次に、私は左手で右の瞼を持ち上げ、眼球の淵に指を差し込んだ。

 力を入れると、眼球が眼窩から外れた。

 尖った岩の先で視神経を切れば、眼球はころり、と私の手に収まった。

 先程傷つけた指の血は止まっていたので再び、今度はやや深めに傷をつけ、滲んできた血を眼球に擦り込むように両手で転がしながらじっくりと撫でた。

 眼球は少しずつ固く小さくなっていき、やがて親指の先くらいの金色の鈴になった。

 私は先に作った紅色の紐を鈴の端の輪に通し、一度きつく結ぶ。

 繭ちゃんに渡す首飾りが完成した。


 案の定、体に力が入らず意識が朦朧としてくる。

 しかし、これを彼女にちゃんと渡さなくてはならない。

 私はふらつき、這うようにして崖を登った。


 ◇


 神社に着くと、繭ちゃんはぐっすりと眠っていた。彼女が目を覚まさないように動くのはふらつく自分にとって大変だったものの、余程深く眠っているらしく気づかれることはなかった。

 夜が明けるまでもう少し。

 私は繭ちゃんの寝顔を焼き付けるため、静かに隣に横たわった。

















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