繭ちゃんと私

MADO

【一】

 ■注意事項■

・この話はフィクションです。実際の国家、法律、および人物とは一切関係ありません。








 冷たい、もしくは温かい。

 懐かしいような、不思議な匂いがする。


 私は、ゆっくりと目を開けた。

 広がっていたのは灰色の曇り空だった。

 耳に当たる水の音と独特の磯の匂いで、自分が海面に浮かんでいたことを知る。

 沈まないようそっと頭を上げて辺りの様子をうかがうと、砂浜からそう離れてはいないと知り、足の方へ力を入れてみる。

 少しの抵抗を感じた後、足は水底の砂に触れた。思っていたより深くなさそうだった。

 私は体に力を入れ、立ち上がった。

 水面は胸の辺りにある。

 改めて、ゆっくりと辺りを見回した。


 やや黄色がかった砂浜がある。

 その背後には鬱蒼とした森が鎮座していた。

 曇りのせいか、暗くどこか不気味ささえ感じさせる。


 そこから右回りに視線を動かすと森の奥に二、三戸の住居らしきものが見え、更に右を向けば小ぢんまりとした岸壁があり年季の入った小型の漁船が一隻停まっていた。

 ここは僅かながらも、人間の生活に関わる場所なのだと理解した。



 私は砂浜の方へ海中を漕いで進んだ。

 最初は沈んでいた足に、少しずつ固い地面を感じるようになり、やがて水から上半身、下半身と上がる。

 濡れた足に大量の砂粒が貼りつくのを実感しつつ、一歩、また一歩と進む。

 完全に水から上がった状態で、私は体を海の方へ向け改めて辺りを一巡した。


 この島は一部が欠けた輪のような形をしている。

 水平線の向こうには何も見えない。

 ただただ、海と空が広がっていた。


「×××××!!」

 唐突に聞こえた音に驚き、私は振り向く。

 すると、鬱蒼とした森の方から何かが自分の方へ駆けてくるのが見えた。

 近づくにつれ、だんだんとその姿がはっきりしてくる。


 真っ白。

 頭のてっぺんから爪先まで真っ白な、女の子。


「×××××、ここにいたのね!」

 彼女は何かを叫びながら、私のそばにやってきた。

 私は彼女についての情報を記憶から引き出すことができずにいたが、彼女はどうやら私を知っているらしかった。

「何処に行ったのかと思ってた……良かった、見つかって。本当に良かった……」

 彼女は自分の体が濡れるのも構わず、飛びつくように私に寄り添った。

 その体はとても柔らかく、繊細な造りを感じさせた。

「あの、えっと……」

「なに?」

 私を見上げる金色の大きな瞳。

 まるで琥珀のような美しさに思わず見とれそうになるも、今すべきなのは別のことだと気を取り直す。

「その……申し訳ないんだけど、私は貴方のことが……わからないの。たぶん、貴方の話だと知り合いだったんだろうけど、何も思い出せなくて……」

 真っ白な彼女は無言で再び私を見上げた。

 余程驚いているらしく、眼は満月のように丸くなっている。

「嘘、でしょ……×××××、私を忘れてしまったの?」

「そうみたい……あの、貴方が先程から口にしているのって、もしかして私の名前?」

「そうよ! ×××××って、貴方の名前以外にどんな意味があるっていうの!?」

 動揺したのか、彼女の語気が強くなる。

 私の体からすっと離れると、俯いて小さな手で目元を拭いはじめた。

 泣いている。


 彼女には申し訳なかったが、彼女が口にする私の名前らしきものは、奇妙なことに〝認識できない〟でいた。

 その部分だけ自分の知らない言語のような、或いは音がぼやけているような、不可思議なものに聞こえてしまっていた。

「嘘よ、信じたくない……×××××が、私のことを……覚えていないなんて……」

 しくしくと泣く彼女に対しいたたまれない気持ちになった私は、そっと彼女の頭に触れ、撫でてみる。

 触れた瞬間は少し体を強張らせたものの、彼女は特に抵抗しなかった。

 やがて彼女が泣き止んだのを見て、私はそっと手を退かし尋ねた。

「貴方の名前、なんていうの?」

「……繭(まゆ)」

 真っ白な彼女に相応しい名前だと思った。

「じゃあ、繭ちゃん」

 金色の瞳がまた驚いたように私を見つめる。

 あまり動揺させるのは申し訳ないと思い「……って、呼んでもいいかな?」と付け足した。

 彼女は一瞬悲しそうな顔をしたが、小さく溜め息をついて「それでいいわ」と頷いた。

 私は繭ちゃんに質問してみる。

「繭ちゃんって、何処に住んでるの?」

 繭ちゃんはまた悲しそうな顔をした。

 心が痛む。この質問は失敗だっただろうか。

「本当に忘れてしまったのね……いいわ、帰りましょう。私達の住む所に」

「私と繭ちゃんは同じ村とか集落に住んでたの?」

「違うわよ、一緒に住んでたの。そこの××森の奥の×××神社にね」

 どうやら二人で神社に住んでいたらしい。


 〝神社〟というものは理解できるのに、何故か自分達が住んでいたらしい神社に関する記憶は出てこない。

 それがやはり奇妙だった。


「さ、行きましょう」

 繭ちゃんに先導され、私は歩きだした。








  


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る