また君に会うために

MADO

 

■注意事項■

・この話にはガールズラブ要素が含まれます。苦手な方はご注意ください。

・この話はフィクションです。実際の国家、法律、学校、および人物とは一切関係ありません。








 壁も階段も無機質な灰色の素材で作られた住居ビルの中に、硬質な足音が響く。

「ただいまー」

 華(はな)は黒い金属製の玄関ドアを開け中へ入った。

 奥から、樹(いつき)が長い黒髪を揺らしてぱたぱたと駆け寄ってくる。

「おかえり、今日は随分遅かったな。ちょっと心配だったからメッセージ送ろうか考えてたとこだよ」

「ああ、ごめんね。今日は古い資料の整理をしてたの。確認しながら進めてたから、すっかり遅くなっちゃって」

「そうか、何もないならよかった。夕飯食べた? まだならさっき作ったやつの残りがあるよ」

「ほんと? じゃあ食べる!」

「了解」

 樹がキッチンへ向かう姿を眺めつつ、華は洗面台で手を洗い、着替えのために寝室へ向かった。



「そうそう、資料の整理しながら考えてたんだけど……っと、その前にごちそうさま。おいしかった」

「あ、うん。どういたしまして」

 二人はシンプルな木製のテーブルに向かい合って座っていた。

 華はグラスの水を一口飲んでから、再び話しはじめる。

「昔のこと、ちゃんと話してなかったから、いい機会だし話しておこうと思ったの」

「昔のこと?」

 樹は少し不思議そうな顔をして尋ねる。

「うん。私と……あなたが、まだ学生だった頃のこと」

「えっ、学生? ……ちょっと待って、私、学生だったことあったっけ……」

 樹はこめかみに指を当てて考え込む。

 華は申し訳なさそうに苦笑した。

「混乱させてごめんね。それにも色々理由があるんだけど……それも、全部話すね」

 食べ終えたシチューの皿を横に寄せ、テーブルの上で手を組んだ華の様子を見て、樹も真剣さを感じ取り姿勢を正した。

「もう、七、八年くらい前になるかな」

 華は、どこか嬉しそうな顔をして微笑んだ。


 宇宙線を防ぐ人工雲に被われ、空は相変わらず薄曇りの様相だった。

 屋上にはちらほらと生徒の姿がある。

 一瞬強い風が吹き、樹は思わず長い髪を押さえた。

 制服のスカートと着古してくたくたになったペールピンクのパーカーが少し捲れ上がった。


 昇降口から一番離れた隅、鉄柵の間から足を下に放り出して座る。

 眼下には学科別の棟が、目線を上げれば灰色で無機質な住居ビル群が目に入る。

 売店の袋から携帯おしぼりを取り出して手を拭き、固形栄養食のパッケージを開けた。

「あれ、今日は早いね」

 ミルクティー色の癖のある髪を弄りながら、制服を着た華が樹の隣に同じような体勢で座る。

「ああ、今日は運がいいことに自習だったんだ。おかげで他の子と競争にならずに買えたよ」

「あはは、よかったじゃない。私は競争に負けていつもと同じやつしか買えなかったよ……でもまあ、お腹すいてればおいしく感じるんだけどね」

 華は売店の袋から湯気の立つ即席麺のカップを取り出した。

 携帯おしぼりで手を拭き、カップの蓋を開け割り箸で中の麺を摘まんで口に運ぶ。

 調味料や具材の香りが樹にも届いた。

「なあ、華」

「んー?」

 華は口をもぐもぐと動かしながら目線を向けた。

「それ、おいしい?」

 樹の問いに華はきょとんとした表情を見せた。

 しかし、すぐに何かを理解したように微笑むと、カップと箸を樹の方へ差し出した。

「食べてみる?」

 樹はそっと受け取り、麺を少し掬って食べた。

「うーん……」

「やっぱこれもいまいち?」

「……そうみたい」

「残念だね」

 華は返却されたカップからスープを飲んだ。

「やっぱ体質ってやつなのかなあ、樹のそれは。単なる好き嫌いっていう問題じゃないんだよきっと」

「そう、なのかな……いい加減諦めた方がいいのかな……」

 樹は、幼い頃から食べ物にあまり興味が持てなかった。

 人間は栄養を摂取しないと生きられない、という仕組みは理解していたが、食に関心が持てないので、とりあえず一定の栄養を摂れればいいと固形栄養食ばかり食べている。

 意外とおいしいものに巡り合えてないだけかも、という華の意見もあり、食べたことのないものには手を出してみるが、残念ながら樹の心を動かすようなものはなかった。――一部を除いて。

 即席麺を食べ終えた華はごみを袋にしまうと、ポケットから赤色の平たいシガレットケースを取り出した。

 中に入っていたショッキングピンクのスティックを一本咥える。

「ほい」

 華が箱を樹の方へ向けた。

 樹がスティックを一本取って咥えると、華はケースに入っていた小型の電子ライターで先端部に火をつけた。

 細く煙が立ち上っていく。

 華の密造している「キャンディスモーク」は、名前の通り甘みのある煙を楽しむためのアイテムだった。

 樹が「おいしい」と微笑むのを見て、華も嬉しそうに笑った。

「これ吸ってるときはいつも満足そうだよね」

「うん」

「私のお手製だから?」

「そうかもね」

 屋上に二人の笑い声が響いた。



 二人が通う学校は、始業が早いぶん終業も早い。

 そのため、帰宅の際はトラムのシートでゆっくりと休息を取れることが多かった。

 樹の肩に、華の頭が凭れかかっている。

 規則的な寝息がトラムの振動音に重なって樹の耳に届き、華の髪から漂うシャンプーの匂いが樹の鼻腔をくすぐる。

 学校での訓練を終えた安堵感と、華がそばにいる嬉しさが、樹に幸せを実感させていた。


 朝同じ部屋で起き、日中はそれぞれ別の専攻コースで訓練を受け、夕方同じ部屋に帰り、夜同じベッドで眠る。

 約二年前の春に出会ってから、二人の生活はほぼ変わっていなかった。

 利用料が安い分狭い部屋だったため、初めは仕方なく一つのベッドで一緒に寝ていたが、そのうちなんの苦にもならなくなり、やがて互いに安心感を覚えるようになっていた。

「ふわあ……」

 目を覚ました華が欠伸をする。

「華、今日は夕飯どうする?」

 樹は頭を華の方に傾けて尋ねた。

「あー、今日は宿題あるから作れなさそう。滅茶苦茶出されちゃって」

「わかった、じゃあ冷凍のやつでいいか。華のコースはしょっちゅう宿題出されて大変だね」

「ほんと、半分やってほしいくらい。一応頑張るけどね」

二人は小さく笑いあった。


 トラムを降り駅を出て、寮までの道を他愛もない話をしながら歩く。

 いつもと何ら変わりない、無機質な住居ビルの間の道。

 似たような建築物ばかり続くため、寮に入りたての頃は二人ともよく迷っていた。

「……でね、培養された肉の味はどんなもんなのか、って同じ班の子が言い出してさ」

「食べたの?」

「その子ともう一人は食べてた。私は食べなかったよ、気持ち悪いもん」

「はは、お腹壊したら大変だもんな」

「そう。よく平気だなって思ったよ」

 樹は楽しそうに笑っていたが、やがてなにかを考えるように目を伏せた。

「どうかした?」

 いつもと違う樹の様子に華は少し心配そうに尋ねた。

 樹は目を伏せたまま、どこか寂しそうに微笑んだ。

「こうやって、ほぼ毎日華と一緒に過ごしてて、凄く楽しいんだけど……もし、急に何かが起きて、それが壊れちゃったら、って思うと、怖くてさ。別に、なにかあったとかじゃないんだけど……変だね、ふふ」

 華は少し肌がざわつくのを感じた。

 胸の奥がちくりと痛み、思わずブラウスの胸元を握りしめる。

「や、やだなあ、急にそんなこと言わないでよ。なんだか私も怖くなってきちゃうじゃない」

「そうだよな、ごめん。早く夕飯買って帰ろう」

 樹の手を、伸びてきた華の手がゆっくりと、強く握る。

 樹もそれに応えるように、しっかりと握った。



 華は真剣な顔つきで、時折何かを呟きながらキーボードを素早く叩きノートパソコンに入力している。

 ろくに夕食もとらず三時間は同じ様子だったため、樹は声を掛ける代わりに茶の入ったグラスを華の机に置いた。

「っと……」

カタン、という音で、集中が切れたというより我に返ったという顔をして、華はゆっくりと伸びをした。

 樹は小さく笑った。

「ほんと、華は集中すると凄いな。さすがにそろそろ休憩してご飯食べた方がいいんじゃないか?」

「そうだね……ありがと」

 華はグラスの中身を一気に飲むと、目の回りを指でマッサージするように揉んだ。


「次の休みにさ、本屋付き合ってくれない? ついでに久々の外食しようよ」

 華は解凍されたミールプレートをスプーンでつつきながら樹に言った。

「いいよ。いつもの本屋?」

「うん。……ふふっ」

唐突に笑った華に対し、樹は不思議そうな顔をする。

「ああ、ごめんね。『いつもの』って言って通じあうくらいになったんだなって思って」

「言われてみれば、そうだな。そんなに一緒にいるんだ……」

「なんだか夫婦みたいだね」

「はは、夫婦、か……」

 樹は笑っていたが、夕方の時のように、やがて少し考え込むように目を伏せた。

 華は樹の「傷」に触れてしまったことに気づき、「ごめん」と詫びる。

 その声が聞こえているのかいないのか、遠くを見るような目で樹は呟いた。

「……私の両親ってどんな人達だったんだろうな」


 樹には両親と過ごした記憶がない。

 思い出せるのは孤児の養育施設の風景だけだった。

 学校へ通うようになり、登下校の送り迎えの様子や教室での会話から、なんとなく「お父さん」や「お母さん」という存在がいる子供と、自分のようにそうではない子供がいるという違いに気づき始めた。

 そしてその頃から、「何故自分には親がいないのか」と疑問を抱くようになった。


「ごめんね、余計な事言っちゃって……」

 華は申し訳なさそうにもう一度詫びた。

「いや、いいんだ。私こそ……もっと、強くならなくちゃいけないんだから」

 樹が華の頭を撫でると、華は不意に椅子から立ち樹のそばへ駆け寄った。

 服に顔を埋めるように抱きつく。

「私は……」

「ん?」

「私は、樹を寂しくさせないからね」

 樹の服に顔を埋めたまま、しかし力強く華は言った。

「有難う、華」

 樹は華の細い体を抱き締めた。



「うう、痛い……」

 休日の朝、固パンを食べながら樹は左のこめかみを押さえた。

「どうしたの? 頭痛?」

「うん……痛いというか、むず痒いというか、嫌な感じ……」

「えっ、大丈夫なの? 体温測った方がいいんじゃない?」

「そうだね……」

 樹はそばの棚にあったペン型の測定器を手に取り、額に先端部を当てた。

 小さな液晶画面に体温、脈拍、血圧の数値が表示される。

「体温は大丈夫みたいだね」

 樹は安堵の表情を浮かべたが、反対に華は心配そうな顔を崩さなかった。

「本当に大丈夫? 今日は行くのやめようか?」

「いや、熱はなかったんだから大丈夫だよ。それに、今日買いに行くのは華が勉強に使う大事な本ばかりだろ? ああ、なんなら私留守番……」

「樹をほったらかして行けるわけないでしょ。やっぱり今日はやめよう?」

「大丈夫だってば。心配性だな、華は」

「……わかった。じゃあ、せめて鎮痛剤は飲んでね」

「はいはい」

 

 身嗜みを整え、二人は部屋を出た。

 平日の帰宅時間には人気があまりない道も、休日とあってか家族連れやカップル、友人同士のグループらしき人々でやや混みあっていた。

 二人ははぐれないよう、固く手を繋いで駅へ向かった。

 トラムに揺られ、途中で乗り換えを挟んで目的の書店にようやく辿り着く。

 出発してからすでに一時間ほど経っていた。


 トラムの駅に直結した書店は、大半が研究者や将来その職に就くであろう者のための本で埋め尽くされていた。

 紙の書籍と電子書籍の流通量はほぼ半分ずつだが、例えかさばるとしても紙の書籍を手元に置いておきたいという人間はある程度存在し、華もそのうちの一人だった。

 華は携帯端末を操作し、「買いたい本」というファイル名のメモのデータを表示させる。

「十五分くらいで終わると思うけど、樹はどうする?」

「そうだなあ……じゃあ、『銃器』の棚の所を見てるよ」

「わかった。遅くならないようにするね」

 華は軽い足取りで目当ての本を探しに行った。

 それを見送り、樹は「銃器」と表示された案内板の下の棚へ行き、目についた本を手に取って少し捲ってみる。


 樹の専攻する「戦闘訓練コース」は、名前の通り国家の軍に所属し戦闘に対処する軍人を目指すコースだった。

 授業の中では一通りの武器の知識を教え込まれるが、細かい部分は省略されている場合も多いため、より知識を得ていくには個人で学ぶ必要がある。

 何故軍人を目指そうと思ったのか、樹には正直な所よくわかっていなかった。

 ただただ幼い頃から漠然と、「自分は将来軍人になる」と思っていた。

 それを打ち明けた時、華はそれまで見せたことのないような、なんとも言い難い不思議な表情で自分を見つめていた、と樹は記憶している。


 不意に、樹は朝感じたこめかみの痛みを再び感じた。

 本を棚に戻し左手で痛む部分に触れた瞬間、そこが酷く熱いことに気づき思わず手を引っ込める。

 頭痛は急激に強さを増し、樹は立っていられずしゃがみこんだ。

「う……、い、た……」

 目の前が点滅するようにちらつき、ノイズのような「ジー」という音が聞こえてくる。

「は……な……」

 助けて、と小さく掠れた声で呟き、樹はそのまま意識を失った。



 華は目当ての本を抱え、樹のいるであろう「銃器」の棚の所へ向かっていた。

 そこに人だかりができているのを奇妙に思いつつ近づくと、人々の間から若い女性書店員に抱きかかえられた樹の姿が見えた。

「樹……?」

 華は鼓動が速まるのを感じた。

 手にしていた本をそばのワゴンに置き、「すみません」と詫びながら人だかりの中へ入る。

「あのっ、その子と一緒に買い物に来てたんですが、何があったんですか?」

 華のただならぬ剣幕に書店員は少し驚いた顔をしたが、抱えていた樹にちらりと目をやってから言った。

「ああ、お連れの方がいたんですね。他のお客様から、女の子が倒れていると言われて駆けつけたんですけど、意識がないようなので救護隊に連絡を入れました。呼吸はしてるみたいですけど、荒いですね……」

 書店員の言う通り、樹は目を固く閉じ、荒い呼吸をしている。

 顔は紅潮し、発熱している時の様子に似ていた。

 華はバッグからハンカチを取り出し、樹の額に浮いた汗をそっと拭いた。

 その時、左のこめかみ部分が少し爛れたようになっていることに気づいたものの、とりあえず汗を拭うことに専念する。

「樹……ごめんね……」

 やがて救護隊が駆けつけ、樹は担架に乗せられた。

「お連れの方ですか?」

 隊員の一人が華に尋ねてきたので、頷いて樹と共に救護車に乗る。

 病院に向かう間、処置をされる樹の姿を、華は無力感を抱えながら見つめているしかなかった。


 病院に到着し、担架が下ろされ院内へと運ばれていく。

 華は集中治療室の入口横にあるソファで待つように言われ、大人しく座った。

 しかし、数分もしないうちに中から看護師が一人出てきた。

「院長室でお話があります。ご案内いたします」

「え、あ、はい……」

 華は困惑しつつも看護師に従い院長室へと向かった。



 分厚い白塗りの金属扉の奥は、院長室といっても他の診察室と大差ない様相をしていた。

「どうぞ、そちらへおかけ下さい」

 院長らしき、眼鏡をかけ白衣を着た中年の男が華に質素なキャスター付きの丸椅子を勧める。

 案内をした看護師は一礼をしてそそくさと部屋から出ていった。

 男は華の向かいの丸椅子に腰を下ろした。

「さて……あなたは、彼女とはどういうご関係で?」

「彼女……えっと、搬送された子のことですか?」

 唐突な質問だったため華は思わず確認する。

「ええ、そうです。どういうご関係で?」

 男は声色こそ穏やかだったが、目は笑っていなかった。

 華は警戒心が一気に高まるのを感じつつ、努めて静かに答えた。

「寮の、同じ部屋に住んでいる仲です」

「なるほど、そうですか」

 男はゆっくりと頷いた。

「ID・F57923、藤原華さん。あなたは「生物研究コース」を専攻し、大変優秀な成績を修めている」

 華は顔を顰めた。

「……よくご存じで」

 自分の知らない人間に、自分の情報が知られているというのはあまり気分の良いものではなかったが、この国では驚くほどのことでもない。

 目の前の男は、自分の情報を知った上で確認するために質問したのだということを華は理解した。

「あなたはルームメイトであるID・M73125、森川樹とは大変仲が良いようだ」

 華は溜め息をついた。

「……だったらなんだと言うんですか」

「彼女を助けたいかね?」

「……えっ?」

 男の質問に、華は思わず聞き返す。

「彼女を、助けたいかね?」

 男は感情の読めない目で華の目を射抜くように見つめている。

 ――これは、取引だ。

 華は緊張に唾を飲み込む。

 一体何を求められるのだろうか。先程専攻コースの話が出たが、それに関することだろうか。それとも……。

 不安がないと言えば嘘だが、華の答えは決まっていた。

「はい。あの子を、樹を助けたいです」

 男はしばらく黙って華を見つめていたが、やがて納得したように頷いた。

「わかりました。では、あなたには今日この場で、学生を辞めて頂きます」

「……もう少し具体的に説明して頂けると有難いのですが」

 華の言葉に対し、男は顎に手を当てて少し考えてから、立ち上がった。

「では、荷物を持ってついてきて下さい」

 男は部屋の奥にあった白いドアへ歩み寄り、ドアに付属した小さな機械のボタンを押した。機械の小さなスピーカー部分から奇妙な言葉が発せられ、それに対し男も奇妙な言葉で応答する。

 少しして、ドアのロックが外れる音がし、男はドアを開けて中へ入っていった。その後ろに、華が続く。

 天井から蛍光灯がぶらさがった窓のない灰色の通路をしばらく歩くと、先程の院長室で見たものと同じようなドアに辿り着いた。

 男は再び同じやりとりをして、ドアを開け中へ入る。

「今日からここがあなたの勤務先です」

 華は半ば唖然としながら男の言葉を聞いていた。

 一見、普段華が利用している学校の研究室とさほど変わりない部屋に思えたが、違っていたのは「人間とおぼしきものが直立状態で入った透明なポッドがいくつも置かれている」部分だった。

 室内には数人の研究者らしき白衣を着た人物がいたが、それぞれちらりと華を一瞥しただけで、すぐに自身の仕事へ意識を戻した。

「……人造人間、ですか……」

 華が呟くと、男は微かに笑った。

「察しが良くて助かりますね。あなたは、学校で小動物を造りだす作業をしたことがありますね? 基本的にはそれと同じです。他の研究員達と協力し、より生身の人間に近いものを作り上げていくことを、目標として下さい」

 華は一番近くにあるポッドに目をやった。

 やや小ぶりのポッドの中には、人間の赤子とほぼ同じようなものが入っていた。

「あの……」

「なにか?」

 華は最も気になっていたことを質問した。

「樹は……人造人間だったんですか?」

 男はあっさりと頷いた。

「ええ、彼女は『成長する人造体』として造られたもののうちの一体です。順調に成長していたので、このまま人間の中に溶け込めると思っていたのですがね、残念ながら数か所の欠陥があったようです。追跡チップの故障、味覚の発達の遅れ、性的指向の……」

「わかりました、もういいです。彼女は破棄されるんですか?」

「あなたが協力してくれなければ、その予定でした。ですが、あなたの協力が得られるならば、破棄は撤回しましょう。新しい個体を造っていくことがメインになりますが、合間に彼女の修復、あるいは造り直しをするのは構いませんよ」

「……彼女は、今どこにいるんですか?」

「奥の保管室に置いてありますが、彼女に会いたいならば、先に研究員としての契約をして頂きます」

 嫌な奴だ、と華は内心思ったものの、「わかりました」と頷いた。


 守秘義務に関する項目が多い契約書にサインをし、所属先等の生体情報を更新して、華は男に連れられ保管室へと入った。

 ステンレス製の解剖台に、衣服を脱がされた状態の樹が横たわっていた。

 故障したチップによる熱の影響か、顔の左半分は焼け爛れたような状態になり、他にも体のあちこちに、恐らく欠陥を調べるための解剖の痕跡と思われるものがあった。

「樹……」

 華は湧き上がってくる感情を抑えきれず、涙を流した。

 樹が感じていたであろう苦痛の想像、意識を失った時そばにいなかったことへの後悔、調査のためとはいえ無残な姿にされてしまったことへのいたたまれなさ――混ざり合ったものが華を責め苛んだ。

「細胞の腐食を防ぐため、これから保存液に入れます。手伝ってくれますね」

 男の言葉には有無を言わせない強さが含まれていた。

 華は頷くと、白衣のポケットからハンカチを取り出し涙を拭った。









 学校も、生活も、将来も、全部捨てる。

 どんなに辛いことがあっても、また樹に会えるならば、きっと乗り越えられる。

 樹、私が絶対に助けてあげるからね。












 気が付くと、樹は涙を流していた。

 向かいに座って話していた華の目にも涙が浮かんでいたが、華はまずそばにあったボックスティッシュを取ると樹の涙をそっと拭った。

「ごめんね、びっくりしたよね、こんな話して」

「うん……正直、びっくりした」

 樹は涙を滲ませながら苦笑し、ティッシュを取ると華の涙を拭った。

 しばし互いの涙を拭いあっているうち、二人はなんとなく可笑しくなって小さく笑った。

「でも、どうして急にその話をしようと思ったの?」

 樹がすっかり冷めたミルクティーを一口啜ってから尋ねると、華はなにかをごまかすように髪の先を義指で弄った。

「あー……えっとね……その……私達、一緒に暮らし始めてどのくらい?」

「えっ? えーと、一年……ああ、明日でちょうど一年だね」

 樹が嬉しそうに微笑むと、華はこくりと頷いた。

「そう、ちょうど一年。だから、まずはこの話をしておかなきゃいけないと思ったの。黙っていようかどうしようか、って凄く悩んだ。でも……やっぱり話した方がいいと思って。びっくりさせて本当にごめんね」

「本当にびっくりしたよ。だって、つまりはさ」

 樹は華の義指をそっと撫でた。

「華は、たくさんのものを、私の為に犠牲にしたってことだよね? 時間も、将来の可能性も、そして……指も、片足も、皮膚や内臓の一部も……」

 華は少々ばつが悪そうに苦笑した。

「……うん。だって、必要だったんだもん。実験台として要求されて差し出した部分もあるし、樹の修復に使った部分もあるし……でも、後悔はしてないよ」

 テーブルの下で、樹の足先が華の冷たい義足に触れる。

「ずるいよね、そういうの」

 樹の手が華の義指から頬へと動く。

「えっ?」

「だってそんなことされたら、華と一緒にいるしかないじゃない。逃げることなんてできないよ」

「やっぱり、そう思う?」

 華は頬に添えられた樹の手に優しく触れた。

「思う。怖い女だね、華は。でも……」

「でも?」

「そういうところも好き、って思っちゃってるから、どうしようもないや」

「あはは」

 


 翌日、普段よりも遅めに起きた二人は、身支度を整えてトラムに乗った。

 三十分程で到着した「国民管理センター」のドアをくぐり、手続き用の電子パネルの前に立つ。

「押すよ」

「うん」

「後悔しない?」

「しないってば」

「本当に?」

「当然だよ」

「本当の本当に?」

「しつこいなあ、もう」

 人差し指を伸ばした華の手に、ゆっくりと樹の手が重ねられる。

 二人の手が、パネル上の「生体情報更新・婚姻」の項目を選択した。

「……長かったな、ここまで」

 華が呟くと、樹は頷いた。

「本当だよ。私なんか、実質一度死んでるからな」

「そうだったね。よく生き返ってくれました」

「華のおかげです。本当に有難う」

「どういたしまして。……こちらこそ、本当に有難う」

「どういたしまして」

 呼び出し音が鳴り、二人は窓口へと向かった。




 終

 



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