37、炎帝

 フレア高山最下層。

 9階層までがマグマが点在する灼熱地帯だったのに対して、そこは壁一面にクリスタルが敷き詰められた冷たい印象だった。実際1つ上の階層に比べて少し涼しい。玉座へと続く階段がキラキラと輝いている。頂上にある玉座には、堂々と不遜に座る人型の生物は頬杖をついて不敵に笑う。


 その人型は一目で魔物と分かる異形だ。身体に不釣り合いな太い両腕、手のひらは人の頭を容易に包み込めるほど大きい。肩幅が広く、胸筋も分厚い。燃える炎のような刺青タトゥーがその肌に所狭しと彫られている。さぞや腹筋も凄いだろうと想像出来るが、見た限り腹筋は存在しない。その代わりに青い業火が頭まで貫くように燃え盛り、下半身と上半身を繋いでいるようだ。脚部はからくり人形のような細い足で、上半身を支えられるのか不安になる。仮面のような作り物の顔が表情を作り、腹部から貫いた青い炎が頭を形成する。


「……あれが……このダンジョンの主ってことか?」

『こう言っては何ですが、外側だけ怖そうに見せた炎の精霊って感じがします。玉座に座るには不釣り合いというか……主って感じではないですね』

「……奇遇だな。俺も同じことを考えていたよ。ドラゴンを従えているとは思えない……と、そんなことよりもこの壁がオリハルコンだったりするのか?」


 レッドはペタペタと触ってみる。


『資料を見ては?』

「……それがさっき上で汗をかきすぎて資料がくっ付いちゃってさ……一応記憶しているけど、やっぱりそういうスキルがないと鑑定は難しいし。というか俺には無理だ。……この辺りを削って持ち帰ったらどうだろうか?」

『せっかく苦労してここまで来たのにもしこれじゃなかったら終わりですよ?』

「……じゃとりあえず資料が乾くまで待って、開けるようになってからにするか。確認さえ出来れば俺でも鑑定が可能だから」

『いっそのことあの方に聞いてみるのが早いのでは?』

「……えぇ……確実に戦いになるでしょ……ドラゴンを従えているならめちゃくちゃ強いだろうし、避けるべきだと俺は……」


 レッドがミルレースの提案を拒否したその時、「賢い選択だな!人間よ!」と部屋全体に声が響き渡った。レッドは肩を震わせた。声のした方向から察するに玉座に座る魔物だろう。


「今日はなんて日だ?人間がこの空間に存在するなど。起きてはならんことが今目の前にあるではないか」


 魔物は頬杖から頭を離し、玉座から身を乗り出すようにレッドを見ている。


「な……いつ頃から気付いていたんだ?」

「ふふふっ……この部屋に入った時には既に手の内よ。何をしているのか泳がせていたら、そこの壁を削るだと?人間はなんと愚かで卑しい生き物なのか。ここまで下りてきてやることが盗みとはな……」


 レッドはカチンときたのか、眉を吊り上げてキッと魔物を睨む。


「それがダンジョンに潜るということだ。何も無いならこんなところまでは来ない」

「開き直りとは里が知れる。だがそれも良いだろう。そのモノの生きてきた過程が見えてくるというものだ。……しかしお前のような奴がどうやってここまで下りられたのかは分からんな。まったく報せがこなかったことと、我が眼前に自ら出てこられないことを考えるに隠密行動だろうが……そこまで間抜けか?」


 チラリと上を見る魔物。部下の知覚能力に疑問を感じているようだ。


「ふっ……残念だったな。俺は昔の仲間に隠密行動の極意を教えてもらったのさ。見つかるわけがない」

「ほぅ?昔の、ということはもう死んだか?」

「死んでいない。あいつならピンピンしてるさ」

「……どうでもよい情報だ。貴様の存在と共に消し炭にしてくれよう」


 魔物は組んでいた足を解き、右足で2回床をコツンコツンと叩いた。その意味するところは分からなかったが、レッドは嫌な予感を感じて瞬時に横に移動した。


 ──ボシュッ


 すると先ほど立っていた場所から人を包み込むほどの火柱が上がった。


「ん?まさかこの攻撃を初見で見破るとは……貴様ただ者ではないな?何者だ?」

「人に物を聞く時はまず自分からというのが常識じゃないか?」


 レッドは魔物を前に剣を抜く。先ほどの臆病な態度は何処へやら、剣を正眼に構えて様子を伺っている。


「んふふ。人間の常識なんぞ知らんが、他者の領域に勝手に踏み込みながら常識を説くのは非常識ではないかな?」

「……レッド=カーマイン」

「ん?」

「俺の名前だよ!レッド=カーマインだ!」


 魔物が言ってることの方が正しいと感じたレッドは顔を赤らめながら名前を吠えた。


「そうかレッド=カーマイン。ならば我も名乗ろうか」


 魔物は玉座から立ち上がり、両腕を広げた。


「我は炎帝ノヴァ。この山の主である」


 その言葉にミルレースは訝しむ。


『炎帝?……皇魔貴族とは関係がなさそうですね』

「え?なんで分かるの?」

『あれは魔族ではなく精霊の一種です。肉体があるように見えますが、あれは全部作り物でしょう』

「そう言われればあいつの体の全部が不釣り合いというか……」


 レッドはノヴァの体を確認する。じっくり見れば見るほどに奇妙な体だ。


「何をぶつくさと言っている?殺される覚悟が出来たということか?」


 からくり人形のような硬い足がクリスタルの床を歩き甲高い音を鳴らす。鷹揚に広げた太い腕から湯気が出る。燃え盛る頭がより一層の火力で燃え上がった時、レッドは殺意をビンビンに感じた。


(……来る)


 そう思った瞬間、ノヴァの体が消えた。


 ──ギィンッ


「ぬっ!?」


 一瞬でレッドとの間合いを詰めて頭を潰しにかかったが、剣の峰で弾かれた。その勢いのまま走り抜けたノヴァはすぐさま反転し、レッドを視界に捉える。

 シュタタッと足を高速で動かしながらレッドの周りを半回転する。レッドは顔を動かしながら目を見張り、ノヴァからの攻撃に備えて視界から逃さないようにしている。


「バカな……!?我が速度を観測しているのか?!」

「何言ってんだ。その体と主張し過ぎの刺青。見失うわけがないだろ?見えないように動きたいなら、ジンに教えを請うと良い。俺もあいつに教わったからな」


 ニヤリとしたり顔で笑ってみせる。ノヴァはあまりの驚愕から動きを止めてしまう。


「ほ、他にもいるというのか?!我の動きを捉えられるものが……!!」

「ふっ……自分を買いかぶり過ぎだな。もう少し視野を広く持つべきだ。世界は広いんだぞ?」

「ぬうぅぅぅっ!」


 悔しさから地団駄を踏むノヴァ。レッドは久々の精神的勝利に酔いしれ、ふふんっと鼻を鳴らしてふんぞり返った。


「だから何だというのだ!いくら我が動きについて来られたとて、炎から逃れるすべはあるまい!!」


 サッと広げた手に炎を宿し、押し出すようにレッドの周りに火を点けた。囲むように燃え上がる炎はレッドを黒焦げにしようと襲いかかる。


「うわっ!熱っ!」

「丸焼きにしてドラゴンの餌にしてくれるわ!」

「なにぃ!?そうはさせないぞ!!」


 ここでドラゴンが出てきたら今までの苦労が水の泡だ。レッドは剣を握り締めて体をひねる。左足を軸に、思いっきり回転しながら剣を振り回した。


「旋刃!!」


 それは剣士セイバーの基本技の一つ。四方八方から攻撃されるような危険な状況で発揮する範囲攻撃。敵意ヘイトを一身に背負う剣士セイバーが、万が一1人で対処しなければならなくなった時の苦肉の技。”旋風刃”や”大旋風刃”など、回る速度と攻撃範囲の拡大が主な派生となる。

 レッドは丸焦げになる前に炎を消そうと考えた。剣を振り回したところで火が消えるわけもない。下手に空気をかき回せば火力が増す可能性すらあるのだが、それは常人の話。


 ──ボヒュッ


 凄まじい突風が吹き荒ぶ。その瞬間、ノヴァの炎はレッドの旋刃によってかき消えた。


「あり得ない!魔力による炎だぞ!?たかが風が吹き消し得るわけないだろう!!」

「……やはりな。何も知らないようだから教えといてやるが、俺の技には魔力が含まれている。魔力と魔力をぶつければ炎だろうが雷だろうが消えて当然なんだよ」

「嘘だ!貴様は魔力を使っていない!!使っていれば分かる!!」

「だとしたらお前の能力は大したことないな」

「なにをっ!!ならこいつはどうだ!!」


 ノヴァの燃え盛る頭の口がぐあっと大きく開き、小さな光球が口の中に出現する。


「火球か火炎放射か……」

『違いますよレッド!!あれは……!!』


 ノヴァが何をしようとしているのかミルレースは気づいた。しかし伝える前にノヴァの口からとっておきの攻撃が放たれる。


 バシュッ


 それは炎を限界まで熱し固めたレーザーと呼ぶべきものだった。何者をも貫くレーザーはレッドに走る。レッドはレーザーの軌道に合わせて切っ先を合わせた。


 キィンッ


「!?」


 レッドのロングソードは中程から焼き切られた。レッドは身を翻して技を避ける。


『……っ!?』


 魔力も何も無い市販の安物であるロングソードには荷が重すぎた。でもレッドの持つ剣ならなにか特別な力を持ち合わせているに違いないとミルレースは信じていたのだ。ハウザーの蹴りをものともしなかった市販の剣は、今その役目を終えた。


「ふははっ!防げるはずがなかろう!!武器を持たぬ貴様なんぞ次の攻撃で終いよ!!」


 ノヴァは意気揚々と勝利宣言をし始める。レッドは折れた剣をチラリと見た。


「まだだっ!!」


 未だ空中を彷徨っていた折れた切っ先を掴むと、ノヴァに向かって投げる。投擲された切っ先はブンブン回りながら真っ直ぐ飛んでくる。


「そうか、まだ足りないか。ならばいくらでも喰らわせてやろう!!」


 バシュッ


 ノヴァは飛んでくる刃先にレーザーをぶち当てる。レーザーの威力に押され、グズグズの鉄くずとなって吹き飛んだ。そのままレッドに向かうはずのレーザー。しかし既にそこにレッドは居ない。


「ぬっ!?」


 レッドは投げたと同時に地面を蹴って空中に居た。折れた切っ先を囮に一気に決着をつけるために空中から斬り下ろそうというのだ。折れた半分の剣で。


「バカが!!それを待っていたと何故気づかない!!」


 ノヴァが手を振るうとノヴァの周りに多くの小さな光球が出現した。


『レッド!!』


 ミルレースも気づいた。レッドが決死の覚悟で飛び込んできたところを狙ってレーザーを一斉射するつもりだったようだ。地面ならレッドも避けることが出来ただろう。空中では避けようがない。


「うっ!やばっ!」


 レッドも焦る。調子に乗って飛び上がったのが運の尽きだ。


「うおぉぉぉぉっ!!爪刃!!」


 ボッ


 苦し紛れに放った斬撃。ノヴァは飛んでくる斬撃に2つの光球からレーザーを放つ。普通なら爪刃程度、レーザーの威力の前に為すすべもなく消え去るのみだが、レッドの放った爪刃の威力は尋常ならざる驚異的なものだった。


 ヂィィィィイッ


 レーザーを真っ向から切り裂き、速度を落とすことなくノヴァに向かってくる。ノヴァの目が見開かれ、心の底からの驚愕と共に斬撃によって真っ二つに切り裂かれた。それによって周りに浮かんでいた光球も消える。


「バカ……な……我が野望が崩れ……」

「今だ!!烈刃!!」


 これを好機と捉えたレッドは駄目押しの烈刃を決める。空気を切り裂く音が甲高く鳴り響き、ノヴァの体を撫で斬りにした。


 ドンッ


 空気が揺れ、衝撃波が切った瞬間辺り一面に広がった。ノヴァの体は左右に引き裂かれ、速度を落とすことなく壁にぶつかり沈黙する。


「ふぅぅぅっ……」


 レッドは何とかなった現状に冷や汗を流しながら生唾を飲む。もし出し惜しみをしていたら真っ二つになっていたのは自分かもしれないと考えるだけで震えが止まらない。


『レッド!』

「……危なかった。今のは流石に死んだと思ったよ」

『私もそう思いましたけど何だかうまく倒せましたね』

「うん、とりあえずは何とかなったよ。万が一ドラゴンが出てきてたら終わってたな」

『またそんなこと言って……』

「ああ、そうだな。”もし”や”だったら”なんて考えるだけ無駄だもんな」


 レッドは折れた剣を鞘に入れる。折れていても技は出せるし魔物と接敵しても辛うじて戦えるようにしておかないと生きて帰れない。


「さて、それじゃオリハルコンをいただくと……」


 レッドが言いかけた時、玉座からまばゆい光が放たれた。あまりに眩しくて手で目を隠す。


『きゃっ!』

「な、何だぁ!?」


 ゆっくりと光が収束してようやく目を開けられるようになった時、そこに立っていた人型にドキッとした。

 枝のように別れた2本のツノ、濡れたようにしっとりとした長い赤い髪の毛、突き出た双丘によく絞られた腹筋。女性と分かる肢体に下着のように肌を伝う赤い鱗。一目で人間ではないと分かるものの、女性を意識させる体には不覚にも反応してしまう。体に纏う高価そうな薄衣と身体中にジャラジャラと飾り付けた貴金属が高貴な存在であると見せつけてくる。


「……」


 眠そうな半目でレッドをじっと見つめる。ここからでは視線の動きまでは分からないが、何となく全身を舐め回すように見られているのが感覚で伝わってきた。


『誰ですか?あれ』

「……分かんないな。一瞬ノヴァが復活したのかと思ったけど、そうじゃないっぽいな。雰囲気が全然違う」


 ツノ女は金色の目をキラリと光らせた。


「……其方が炎帝を倒したのか?」


 見た目からは想像も出来ないほど幼い声で聞いてくる。そのギャップに驚かされたが、レッドは小さく頷きながら「そうだ」と一言呟いた。


「余の名は火竜王ウルレイシア。炎帝によって封印されていた山の主である」

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