二章

#10 魔術、動物

 寝静まった街を歩くのはいつぶりだろうか。

 俺は、この星空が落ちてきそうな世界のことをよく知っていた。

 何年も暗い時間を生きて来たから、昼間の喧騒や人混みですぐに疲れてしまうのかもしれない。


 夜の闇に溶けた黒猫が、一匹。

 人型と比較して体積が小さいからか、地面を蹴る四本の脚は軽やかだった。

 三歳児どころか、未成年なら間違いなく補導されるような時間帯に出歩いても美甘周みかもあまねが一度も捕まらなかったのは、その姿が野良猫でしかなかったから。 


 魔術で移動する時に再構成されるような肉体なんて、彼方者あっちもの妖人およずれびとにとっては魂の器に過ぎない。

 俺の場合は特にそれが顕著らしい。

 うっかりで体が溶けるのも、こうやって黒猫の姿でうろつけるのも、多分似たような理由が根っこにあるんだろう。

 三歳の誕生日にどろどろに溶けた己を知覚するまでは、なんで鉱石みたいな体で栄養を摂れるんだなんて考えてたけど。

 スライム状の肉体に比べれば、腕の一部が鉱石であることなんて誤差だ。


 魔術は便利だけど、決して万能ではない。

 魔術で料理をした時と、生身で料理をした時の成果物は個々の技術に応じて同程度だ。

 移動すれば疲れるし、術者が知らないことは出来ないし、実用的な魔術は昔から研究されて護符や呪文として各地で共有されているけれど、それ以外は全然。

 全身がこうやって変わるのなんて狼男みたいなパターンくらいのはずで、いくら肉体が魂の器に過ぎないにしたって、その器の形が変形することなんてそうあるもんでもない。

 ならなんで俺はこんなんなのかって、まあつまり俺の肉体は人型じゃなくて、液体あたりなんだろう。

 ほら、猫は液体とか言うし。


「お前、数年ぶりじゃないか、生きてたのか」

 年老いた白猫が、俺に駆け寄ってきてにゃぁんと鳴いた。

 音として聞こえているのは猫の鳴き声なのに、頭の中で解釈されるのは意味を持つ言語だ。

「まあ色々あったけど、元気だよ」

「どれだけ言っても猫前で食わないから、どっかで野垂れ死んだのかと」

「俺はグルメなんだよ」

 美甘周みかもあまねの体には三食分の食事が入ってるから、猫として活動していた時間帯に何かを食べる必要はなかったってだけ。

 ただでさえ野良猫は食べ物に困ってるんだから、俺がその食べ物を減らさない方がいい。

「今日は急いでるから、また今度」

「それでそんなにチャキチャキ歩いてんのか。じゃ、また」

 自分が猫語を話せるとは覚えてなかった。

 人型の時でも意味は理解出来るのか、この耳だから分かるのか、どっちかは知らんけど。

 

 待ち合わせ場所であるコンビニ近くのコインパーキングまで、あと歩いて三分くらい。

 塀の上を歩いたりなんかして、本当の意味での最短距離で、だけど。

 宿まで車で行くから乗せて行こうかと俺に提案したのも、道の空いている時間帯に移動したいからとこんな深夜を希望したのもらんで、多分どちらも何割かは優しい嘘だ。

 元々は現地集合だけど、俺がひとりで電車やバスを乗り継いで辿り着けるかと言われると色々と怪しい。

 記憶の断片を掴んだ途端、人の形を取れなくなったような俺が、またいつそうなってしまうのかなんて分からないから。


 視線の先に見えたのは、蛍光ピンクと水色のツートン。

 ガワの髪色でも目立つ部類に入りそうなそれが、今日のらんのスタイルらしい。

「お疲れ様ぁ」

 彼は慣れた手つきで車のスライドドアを開け、俺を車内へ招き入れた。

 三、二、一。

 ドアが閉まったことを確認してから、猫の体を人型に伸ばして欠伸をひとつ。

 やっぱり人型は体が重い。

「悪いね、迎えに来て貰っちゃって」

「いいよぉ。僕もガソリン代半額で済んでラッキー」

 らんはそう言いながら、車をゆっくりと発進させた。


「誰かが動物から戻るとこ、初めて見た」

「あ、そうなん? 珍しいんだっけ」

「激レアだよ。体質的に出来ない人の方が多いから……。僕が変えれるのなんて、髪の色くらい」

「あ、その派手な髪って魔術で変えてんの?」

 言われてみれば、移動で全身を再構成することに比べれば髪色の変更なんて誤差だ。

 多分俺も、やろうと思えば出来るんだろう。

 やったことは無いし、ぶっつけ本番でやろうとも思わないけど。

 さっきまで俺が黒猫だったのは、今着ているジャケットの色が黒だから。

 人間に毛皮が存在しない代わりに服を着ているからか、動物に変化した時の毛皮はある程度服に依存する。

「そうそう。目立つ色にしておくと、何かあった時に黒に戻すだけで結構誤魔化せるからね。強盗の時の車と一緒」

「例えが物騒すぎるだろ」

「昔は魔女狩りとかあったからねぇ。白髪の若い男は物の怪だって噂が別の村に到着する頃には、僕の髪の色は真っ黒になってるわけ」

「頭いいな、それ」

「でしょ。髪色の変更は最近だと、一年生でやるんだったかな」

「俺、一年生以下かぁ」


 彼方者あっちもの妖人およずれびとは七歳から通信教育を受け、魔術の制御を学ぶ。

 戸籍上、三歳になったばかりの俺に入学資格は無く、つまり教育を受けてないから、制御能力も不十分だ。

 病院を出た時に、最低限のチェックがあった程度。

「あー、まあ、そういうのもあって、公的には一貫して三歳児の扱いではあるよねぇ。義務教育も終えてない子が魔術で何かやらかしちゃっても、そりゃ責任問えないしぃ……」

 七つまでは神の子、人間として社会に所属していない子。

 権利も義務もないから、魔術でやらかした場合のペナルティも存在しない。

 

「飛び級か何かで、せめて学び始めれんのかね。身体能力は成人なんだから、危ないだろうに」

 魔術で行使出来る内容が実際にそれを魔術なしで行った場合とほぼ比例する以上、成人男性と同じ容姿と身体能力の俺が使える魔術の規模は成人済みの彼方者あっちものと同等のものになる。

「法の穴だよねぇ。出生後三年だと、本来人に危害を与えるような魔術って使えなくてぇ……」

「本来、ね。らんから見て、俺の魔術レベルってどう?」

「鉱石で殺傷能力のあるものを作れるのと、戸籍上の出生日より前の生活が完全に忍者だから、やろうと思えばやれるよねぇ」

「やれるね。思わないけど」

 武器を自前で生成出来て、夜間の行動に慣れている。

 体の変形も容易で、気軽に猫へ変化出来る。

 それだけを抜き出すと、あまりにも犯罪者向きだ。


「……思わないけど、仮に今この場で俺が何かやらかしたら、お前も責任取らされる?」

「も、どころか、えにしはスルーで僕だけ監督責任を問われるまである」

「スルーなん」

「やっぱ年齢ってデカいよ。たぶん、この場でえにしが僕を殺したとしても何の罪にもならない」

 例えば三歳児の手元に偶然拳銃があったとして、何かの拍子に二歳児がそれを発砲して死傷者が出たとする。

 この三歳児を何の罪に問えるのかって話だ。

「性善説に頼りすぎだろ、本人にそれ言うなよ」

「だってえにしは僕のこと殺さないでしょ」

「そりゃ殺さないけど」

 殺さないけど、殺すかどうかだけのラインで考えてるなら逆に他人への期待値が低すぎるような気もする。

「それに、見た目も脳も三歳児ならそりゃ無罪だろうけど、俺は見た目これよ?」

「スライム状でもあるからねぇ……。まぁ、盛大な議論にはなると思うよ」

「はは、そりゃそう」

 生まれて三年、この特殊な個体をどうしたものかと何度腕を組まれたことか。


「僕、見た目がずっと変わらないから、色んなバイトを転々としてるんだけどさ」

「あー、うん」

 見た目のほとんど変わらない道が流れていく。

 点々と光る街灯に照らされている範囲しか見えていないから、昼間に見たらきっと目まぐるしく色の変わる光景なんだろうけど。

「スーパーでバイトしてた時の記憶をひとつ残してて。ある親子なんだけど、子どもに窃盗癖があると思ってたらさぁ、親が命令してやらせてたんだよ。なんでか分かる?」

「ん~……店員の監視が緩いとか? いや、今の話題で出して来るってことは、バレた時のリスクの差か」

「せいかーい。例えば小学生だと、刑事責任を問えない」

「うーわ。魔術も使えるのに、よく派手な事件起きてないね。それとも隠してるだけ?」

「どっちもかなぁ。ゼロじゃないから、記憶操作とかの魔術処理が早いのもあるし、ほとんどの子どもは魔術全然使えないから、多くもない。あまねとか、炎系の魔術が苦手だから、光を灯すだけの魔術に何年も苦戦してたらしいし」

「そうだっけ」

 欠伸を噛み殺すようにして、口を閉じた。

 言われてみれば、そうだったかもしれない。

 夜の部屋は基本的に暗かったし、たまにこっそり灯りをつける日こそあれ、魔術で光を浮かべていたような記憶はない。

 

えにし、寝てていいよ。道中の動画は録る予定ないし、足元の手提げ鞄の中にネックピローとアイマスクとブランケット入れてある」

 らんと待ち合わせた時間、つまり宿に向けて出発する時間は、なんと夜の十二時。

 いつもなら寝ている時間だ。

「あ、俺がそのうち寝る前提でプラン組んでんだ」

 言われた通りに鞄を開けば、言われた通りの柔らかな寝具類と雑誌が一冊。

「紙の雑誌、久々に見た」

 旅行先の温泉街が特集されている、ガイドブックだ。

 背表紙はガタガタで、ホッチキスの上からマスキングテープをつけたような跡があった。

「これ、手作り?」

「うん。どうしても電子書籍に慣れなくて。電子書籍を印刷して、そうやって製本してから読んでる」

「昔の人間だもんな」

「それ言うなよぉ」

「ごめんて」

 完全な温泉街、観光で細々と食っている村らしい。

 湯治を目的とした来客も多いことから、車椅子対応などのバリアフリー導入が早かった地域。

 温泉街の中に複数の神社があり、地蔵も多く、狐神など様々な土地神の言い伝えを持つ。

「土地神って、これ、魔術使えるタイプの野生動物が多い地域なんじゃないの」

「そうだよ? 撮影外でもやれる仕事は山ほどあんだから。特定外来生物だったらどの道運ぶ前に絞めないといけないから、生け捕りを気にする必要もないし、いい金になるよ」

「そんなハンターみたいなこと、合法なん」

「もちろん! 高校生の実地授業でもあるやつ」

 俺まだ高校生じゃないけどね、と返すのは、一旦やめておくことにした。

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逆境和音怪奇録 小述トオリ @9nove_street

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