#9 スワンプマン

 白い皿にチョコペンで描かれた英語のハッピーバースデー、円形のチョコレートケーキ。

 数字の三を象ったポップなロウソクが、その中で若干浮いていた。

えにしはチョコ好きだよな』

「うん。兄貴は甘い物そんな食わないか、そういえば」

 性格や好みが似通った双子も正反対の双子も居るけど、俺たちの食の好みに関しては完全に違うと言っていい。

 俺は甘いものが好きで、ブラックコーヒーを飲めなくて、カレーは甘口にチーズをトッピングするタイプ。

 兄貴は偏食で、甘いものは受け付けなくて、いつも同じメーカーの同じものを食べている。


「作業通話だと、あまねとえにしって声じゃ聞き分けられへんやん? でも、今何食べとるんか聞くと、結構分かったりするで」

『あ、それでよく、表でも裏でも何食っとんのって聞いてくんのか』

「せやで」

 ナイフを持ったらんが丁寧にケーキを切り分けている間、どうやらレモンは沈黙に耐えられなかったらしい。

「俺たちの好き嫌いなんて覚えてんの?」

「んー、多少、あまねが甘い物苦手ってくらいは。せやけど、分かりやすい判別方法があんで」

「あ、オレ分かった。答えなかったらあまねで、答えたらえにし

「なんや、幽禍かすかも知っとった?」

「ううん、推測。神波かんぱネラの好きな食べ物がえにしのそれだから、あまねは言えないよって答えることの方が多くなるよね」

『昔カレーの中辛で半泣きになったエピソードが残ってるのに、激辛のカップ麺を啜ってるってバレたらおかしいだろ』

「俺それ気にしたこと無かった、こっわ」

 神波かんぱネラのプロフィールを確認してみれば確かに、言われた通りの有様だった。


 今までに配信で発言したんだろう好きなケーキの種類が羅列されているし、中辛のカレーに卵とチーズを慌てて追加したエピソードも書かれている。

 カレーのエピソードは昔と言われるだけあって、デビュー直後、三年以上前だ。

 俺の発言だとすると、時系列が合わない。

「中辛で半泣きになったのって……いや、そっか、俺か」

 俺は昔から、あまねの中に居た。

 腫瘍という別個体として生存していた、兄貴自身が彼方者あっちものとして、魔術への適性を後天的に得ていた。

 それだけの条件が揃っていたら、双子の兄に吸収されそびれた弟が兄の中で意識を持っていたって、別にそうおかしなことではない。


 美甘周みかもあまねの中に存在していた人格は二つ。

 そのうち片方が主人格であり、今美甘周みかもあまねとして生きている、人前で話せない兄貴。

 もう片方が俺だ。

 兄貴の意識が寝ている時にだけ配信していた俺は、それだと配信頻度が低すぎるから、人前で話せないあまねも配信出来ないかなんて紗鳥さとりに話してみたりして。

 あまねが自分で声を出さなくても話せるように、宅配の人とのちょっとしたやり取りなんかで使えるように。

 便利なツールとしてあまねの声を造ろうとしていた紗鳥さとりと、ひとりでは配信を定期的にこなせない俺の思惑が合致した瞬間だった。

 美甘周みかもあまねには体力がない。

 それは俺が俺個人の体を得る前からずっと変わらず、つまり、美甘周みかもあまねがひとりで配信をこなせていたはずもない。

 一時期、兄貴にとって配信が重たすぎる負荷になっていたのは、その時だけ俺が配信へ関わっていなかったから。

 

 あるところに男が居た。

 男はふたつの人格をひとつの体に持っていた。

 ひとつめの人格は極度の人見知りで、親友以外の前で上手く話すことが出来ない。

 ふたつめの人格はたまにしか出てこないけれど、なんでもとりあえずやってみるタイプのいわゆる蛮勇。

 男は頭痛を訴えて倒れ、病院へ搬送された。

 男からは腫瘍が取り出され、腫瘍には別の体が与えられた。

 腫瘍が取り出された後の男が、ふたつめの人格になることは無くなった。

 体を与えられた腫瘍は、ふたつめの人格と同一人物だと言えるだろうか?


「俺、中身も本当は見た目くらいの歳だったりしない? なんか、昔も配信してた気がしたんだけど」

 兄貴の体を使っていた期間について、自分のこととして覚えてないだけで。

『お。エピソード記憶は早いと三歳からって言うもんな。まさにそれくらいで思い出し始めたんかな』

「思い出したかって言われると微妙だけど、自分が色々忘れてるって考えた方が自然っていうか。初めて会うはずのらんに久しぶりとか言われたし」

らん?』

「わざとじゃない、わざとじゃないからぁ!」

「でもらんは元々、同一人物派でしょ? えにしが僕のこと忘れてるんだってこの前も管巻いてたし、この中だと一番思い出して欲しかったくらいじゃないの」

「それはもちろん、だって僕自身が記憶ほとんどぶっ飛ばしてんだから。忘れてるから別の人だってなったら僕はどうなるのさ」

 らんはそう言いながら、切り分けたチョコレートケーキに勢いよく数字の二を象ったロウソクを立てた。

 チョコレートケーキの上で、二十三歳になったロウソクが俺のことを見ている。

 ロウソクに炙られて、体が溶けていくような気がした。

 

 兄貴が彼方者あっちものになったのは、兄貴が三歳の時。

 死因の熱中症を踏まえると、同じ体内に居た俺だけ生きていた可能性は低い。

 当時の俺と兄貴を別個体だとして、同じタイミングで何かしらの魔術を俺も発動出来ていたと考えた場合、胎児から誕生に至ったタイミングがそこだとして。

 兄貴が今二十六歳、つまり俺は今二十三歳。

 兄貴が眠ると俺は目覚める。

 今とほぼ逆、誰もが寝静まったような時間に目覚め、朝には眠っていたんだとすれば。

 俺に家族との交流は発生し得ないし、学校へ行った記憶も無い。

 それでも勉強は出来る、兄貴の宿題をやったり、本を読んだりとか。

 電子ピアノにヘッドホンを着けて、リストのラ・カンパネラを弾いたこともあった。

 そうだ、だから、神波かんぱネラとかちょうどいいかなって。


 あまねがスマホを買った時と、あまねの部屋に個人用のパソコンが導入された時の計二回、世界が一気に広くなった。

 ネットの相手が初めて会う美甘周みかもあまねは、大抵の場合俺だった。

 らんもレモンも、そう。

 だって、本当に初期の頃、雨音あまねカモとして配信してたのは俺だったから。

 紗鳥さとりだけは、兄貴と同居するようになってから、偶然彼が深夜に起きて来た時に初めての邂逅を果たした。

 何しろ兄貴が起きてる時の記憶なんて、基本的には寝起きでベッドに転がってる時くらいの解像度しか無いから、俺はスマホやパソコンに残っているやり取りや履歴から引っ越しや同居相手を突き止めたくらいで。


 大学生の頃から、兄貴は順当に夜更かしとか、なんならオールみたいな無茶もするようになって。

 出られる時間が減って、そのことに怖くなった俺は、自分を残しておきたくて、紗鳥さとり雨音あまねカモを描いて貰ったんだ。

 性格は違うし、兄貴の声を紗鳥さとり以外ほぼ誰も知らないから、別に声で身バレする危険性も極端に低かった。

 ほぼ、世界のどこにも、関係者以外の誰とも話してない存在みたいなもんだし。

 その名前でしばらく続けてるうちにスカウトされて、仕事としてやることになると時間の指定とかもあるからって、紗鳥さとりに相談したんだ。

 それで、兄貴の会話用アプリが配信にも対応するようになって、名前が変わって、演者が二人に増えた。


 神波かんぱネラは、まあこれはVTuberにありがちなことだけど、初期からデフォルト衣装が変わっている。

 初期衣装はパジャマで、今のデフォルト衣装は使い勝手の良い私服だ。

 でも、変わった理由は使い勝手の良さだけじゃなくて、パジャマは俺だけを示していたから。

 兄貴が寝ている時にだけ活動していたから、俺にとって服って、パジャマだけだった。


「ねぇ、えにしそれ大丈夫そ?」

 ふ、と視界が明瞭になった。

 いや、それ以前に自分の視界がどうなっていたか、認識してもいなかった。

 今の自分をなるべく客観的に現すのなら、椅子を濡らしている大きな泥だまりだ。

 病室で看護師に悲鳴を上げられた時と同じ、つまり例え妖人およずれびと彼方者あっちものでもそうは想定されていない形。

 護符を握りしめているらん、慌てているのか何度も目の前のコップを掴んでは元の位置に戻しているレモンの二人と、チョコレートケーキを食べ続けている残りの二人が随分と対照的だった。

「この状態だと話せへんのかも」

『まず大丈夫、病院でそうなってるの見たことあるから、そのうち戻って来る』

「そのうちて……」

 服の中に全身が入るように細心の注意を払いながら、襟に首を通した。

 後は兄貴の容姿を真似るだけだけど、どう考えても食事中に見たい光景にはならない。

 この後は、臓器を形作るところから。


「あ、いけそうっぽいよ」

 紗鳥さとりが、使っていたひざ掛けを俺に向かって投げた。

 そのひざ掛けに隠れるようにして、少しずつ全身を象っていく。

 イラストの奥にVTuberの演者という生身の人間が存在するのと同じように、鉱石で出来たガワの奥に俺という思考は存在している。

 イラストが大怪我を負っていても、生身の人間の体は指先を切ってさえいない。

 一時的に体がこうやって崩れたところで俺の体調に影響は無く、ただガワとマイクの調子が悪い配信者と似たような状況に陥るだけだ。

 上手く世界へアクセス出来ない状態、それ以上でもそれ以下でも無い。

 少女を演じ続けたVTuberの話し方がプライベートでも若干幼くなったなんてエピソードを聞いた覚えはあるから、俺も見た目をずっと泥沼にでもし続けていたら、流石に思考回路にも影響はあるんだろうけど。

 体の時間を止めることで千年近く生きそうな、少なくとも二百歳までは若い見た目のまま生きてる奴が居る中で、この鉱石の体は一体何年生きるんだろうか。


 あるところに男が居た。

 男は散歩中、沼の中で雷に打たれて死んでしまう。

 その時、沼に落ちた雷は、泥を男と同じ形質の物体に変化させた。

 この雷によって生まれた方の男のことをスワンプマンと言う。

 スワンプマンは死ぬ直前の男と同じ成分で、もちろん見た目も同じである。

 スワンプマンは、死んだ男の姿で、死んだ男の家に帰り、死んだ男としての人生を続けていく。

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