逆境和音怪奇録

#2 そっくりで違う

　スタジオへの移動手段は会社が手配した車とタクシーの二択で、今日は後者だった。

　アプリで予約した車に乗り込んで、支払いも目的地の指定もアプリ経由。

　特に口を開くことも無く、固いシートにもたれかかった。

　平日の昼間にタクシーを呼んで移動していること、行き先がスタジオであること。

　VTuberという、特徴的な声を活かした仕事をしているということ。

　口数が少なくなる理由なんて、彼方者（あっちもの）であるという最大の理由を除いたってもう十分だ。

　タクシーの運転手相手とはいえ、身バレに繋がる情報は少ない方がいい。

　周（あまね）は暑さで溶けるなんて言って滅多に外出しようとしない、筋金入りの出不精だから、顔を合わせるのは久しぶりだ。

　前、俺がオフコラボに飛び入り参加したら、俺が名乗るより早く

「あ！　もしかして、例の弟くんなん？」

　なんて言われたくらい。

　周（あまね）がオフコラボに飛び入り参加する可能性より、飛び入り参加してきたのなら周（あまね）ではない可能性の方が高いと考えられるくらい、あれは周（あまね）らしくないことだったらしい。

　俺だって、相当に出不精で人見知りで内向的な方に入るとは思うけど。

　首元を柔らかいマフラーで絞められているような息苦しさで、タクシーの窓を開けたくて仕方ない。

　空気の薄さとは無関係の、精神的なものだと自覚している。

　自力で移動出来た方が便利だろうとは思いつつ、三歳児の戸籍だけ貰って保留されている状態で運転免許なんか取れる訳も無い。

　イヤホンを着けて、今日のコラボのセットリストを流した。

　自分が歌う予定の曲と予備曲はもちろん、他の演者が歌う予定の曲まで全部入れたセットリストだ。

　今日のコラボメンバーは全員男性だから、曲の音域だって似たようなもの。

　つまり、覚えさえすれば誰の代わりだって出来るってことだ。

　断続的な耳鳴りが歌詞を遮っていた。

　ドラムの振動がやけに鼓膜を揺さぶってくる。

　寒さを感じるような気温でも無いのに何だか肌寒くて、冷たくなった指先を思わずさすった。

　体に力が入らなくて、このまま目を閉じて横になってしまいたい。

　聴いている歌の、息継ぎの音が聞こえる度に息苦しさが強くなっていく。

　そういえば、この曲、ソロじゃないな。

　各自がソロで歌う予定の曲を順番に聴いているはずなのに、明らかに二人用の曲が混ざっていた。

　青春の塊みたいな曲を歌うならひとりよりも二人、まあ分からなくも無いが。

　二人用の曲をカラオケでひとりって、結構難しくないか。

　俺たちみたいに実際に二人頭数がある訳でもあるまいし。

　曲名が同じかもしくは似た曲で、俺が間違えているだけなのかもしれない。

　確認を取ろうにも、その曲を提出した演者とは今日がオフだと初対面で、いきなり連絡をする勇気は出なかった。

「こちらでよろしいですか？」

「はい、ありがとうございます」

「いえいえ。腕、大丈夫ですか？　扉を今開けますので」

「ああ……ダメですね。気にしないで頂いて」

　なんて親切で気の利く運転手だろう。

　俺が車内で立てた音からか、スマホをずっと左手で操作していたからかは分からないけれど、俺の右腕に何かあることには気づいたらしい。

　カップ麺のかやくを開けるのと同じ手つきで、インスタント護符の封を開けた。

　あらゆる魔術の中で恐らく最も体系化され、発達し、誰もが一番最初に使えるようになる、認識を僅かに改変する呪文。

　例えば鉱石の腕を生身の腕に見せかけることは出来ないが、義手に見せることなら出来る。

　もしくは、乗客の存在自体はもちろん覚えているが、その乗客については印象に残っていない。

　それくらいの、ほんのひと押し。

　それでも、どっと体に倦怠感が押し寄せてくる。

　だからタクシーに乗りたくないし、外出が億劫になるんだ。

　※　　※　　※

　スタジオに入ってすぐ、奥のコワーキングスペースに座った俺と同じ顔が、俺に向かって小さく手を振る。

　なんとなく感じている肌寒さの原因は、冷房が効きすぎているのか、それとも俺自身の体調か、恐らく後者。

　彼方者（あっちもの）が体調を崩しやすいなんて、力士の体格が良いくらい当たり前の話だ。

　社会は彼方者（あっちもの）向けに構築されていないから。

　そもそも彼方者（あっちもの）という概念自体、患者数が少なく治療法の確立していない疾病と大差ない。

　輸血パックを支給されている彼方者（あっちもの）とか、満月の夜に外出すると狼に変貌してしまう彼方者（あっちもの）みたいに、伝承の元ネタになる程度には比較的数が多いタイプなら、対処法の目星がついているって程度。

　俺みたいに、鉱石で体が構成されているらしい、とりあえず人型にはなれてる、なんで食べ物を消化出来てるのかも分からんけど、みたいに意味不明なパターンだってある。

「兄貴、おはよう」

『おはよう』

　兄貴はタブレットから俺の居る方向へ視線を向けて、

　そして、兄貴の声はいつも通りタブレットから出力された。

　アプリに録音した声で作った、クオリティの高い合成音声だ。

　どのくらいクオリティが高いかって、兄貴が配信する時の神波（かんぱ）ネラは、全部合成音声で話しているくらい。

　兄貴は、タクシーに乗るだけでぐったりと疲れてしまう俺よりもさらに重たい人見知りだ。

　少なくとも俺は、兄貴の肉声を一度も聞いたことがない。

　人前だと肉声で話せないから、合成音声アプリに会話を委託している。

　委託とは言っても、話す内容は全部その場で打っているから、兄貴の言葉に違いはないんだけど。

　口で話すよりタイピングの方が速いのは、俺も兄貴も同じだ。

　兄貴曰く、ここまで振り切ると彼方者（あっちもの）や妖人（およずれびと）からは人魚系の彼方者（あっちもの）だと勝手に勘違いされるから、吃りながら無理をして話すよりも楽らしい。

　ヒレを足に替えている時の人魚は言葉を失うと社会的に認知されているのは、著名な彼方者（あっちもの）の影響だと思うけど。

　声の低さの割に俺たちは相当中性的な容姿だから、人魚の彼方者（あっちもの）像とも近いんだろう。

　ギリギリ肩につく長さの髪、淡い青緑色のシャツ、白いカーディガン、茶色のワイドパンツ。

　服装について一切打ち合わせていないにも関わらず、仮に待ち合わせをする相手に服装を口頭で伝えようとした場合には同じ表現になってしまう程度のお揃いではあった。

　スタジオだから室温に合わせて脱ぎ着出来る服がいいとか、今日の気温とか、選択肢がある程度絞られるにしたってこんなに被るか。

『被らないように、もっといかつい服で来りゃあ良かったな』

「いかついって、全身黒で、膝の破れてる服とか？」

『今度はいかつい服で被るだけか』

「系統くらいは打ち合わせてずらさないとまた被るよ」

　 VTuberという職業柄、生身でどうはっちゃけても仕事に支障が無いからなのか、冗談みたいな服装の演者は決して珍しくない。

　初対面の演者の頭に生えている猫耳がアクセサリーなのか、それとも自前なのかさえ分からないことだってある。

　それを考えれば、俺たちの見た目は地味な方だろう。

　同じような服を着た同じ顔が並んでいるという点を加味したとしても。

『それか、俺が考えると被るんだから、紗鳥（さとり）に選んでもらえばよかったな』

　周（あまね）は大学に上がった時、家賃を安く済ませるために友人と同居を始めて、今でもその同居を続けている。

　そのルームシェア相手である本名伴紗鳥（ばんさとり）が今日のコラボ相手のひとり、幽禍（かすか）であり、式（しき）ヨルノという有名なイラストレーターだ。

　俺たちは二人で神波（かんぱ）ネラの名義ひとつを活動させるだけでも精一杯なのに、どうして複数名義の活動を両立できるのか。

　体力の差、能力の差、才能の差。

　人間の個体値ってのは、結構ブレがあるらしい。

「今日も幽禍（かすか）と来たの？」

『うん。紗鳥（さとり）が、ひとりで飯食いに行くの嫌だって言うから』

「あ、それが先なんだ」

　確かに、一緒に住んでいるんだから、片方だけが外食するよりも、一緒に食べて帰った方が楽なのかもしれない。

『紗鳥（さとり）、あれで気にしいだから』

「それは、なんとなく俺も感じる。誰のことも傷つけないように頑張って、自滅しそうなタイプ」

『それな。この前なんてカスリさあ……ちょっと待ってね、紗鳥（さとり）と幽禍（かすか）でとんでもない混ざり方した』

「現場なのに本名で呼ぶから」

『紗鳥（さとり）、俺が配信外で芸名呼びすると拗ねるから、つい』

　少なくとも今日は、俺がコラボする相手としての名義を選ぶのなら幽禍（かすか）だ。

　ただ、兄貴たち以外にも、配信外で本名を呼び合うケースを見聞きしたことが無い訳では無い。

　毎日何時間も演じ続ける中で、自分が誰なのか分からなくなってしまわないように。

　演じているキャラクターそのものに喰われてしまわないように。

　スタジオから、幽禍（かすか）の歌声が漏れていた。

　これから配信する VTuberは四人、本来の演者は五人、神波（かんぱ）ネラの担当は俺だけ。

　人前だと歌どころではなくなる兄貴は、オフコラボが終わるまでにひとりで出来る収録物なんかを片付けるつもりらしい。

　俺だって緊張はするけれど、兄貴みたいに声が出なくなりはしない。

　俺という似た存在が出現したことで、兄貴の人見知りが育ちの影響を大きく受けていると可視化されたことを残酷だと思ってしまう。

　人と話す時に怒られないか、殴られないかと無意識に怯え、俺がうっかり腕を上げると目を閉じる兄貴よりも、俺の方がのびのびと話せているという事実とか。

　俺自身に俺が兄貴の腫瘍として生きていた頃の記憶はほとんど無いけれど、無くて幸運だったと思わされてしまう。

　兄貴の人生に彼が居なかったら、どうなっていたやら。

　まあ、想像することさえ出来ないんだけれど。

　神波（かんぱ）ネラと幽禍（かすか）のアイコンが対になっているようなデザインなのも、彼らの名前が同じか行なのも、恐らく意図的なものだ。

　それも、幽禍（かすか）の方が後追い。

　神波（かんぱ）ネラを含む同期は、幽霊向けカフェの店員及びバイトという設定でデビューしている。

　幽禍（かすか）の設定は名前の通り幽霊で、成仏していない理由は死ぬ直前に買ったケーキを食べ損ねたから。

　逆にこれで意識していなかったらびっくりだ。

　彼のガワはいつも、小柄な少年だ。

　イラストレーターとしてのガワと同様、羽が生えていたり幽霊だったり、浮遊する前提で彼自身がキャラデザしている。

　歩くトラッキングが出来なくても、車椅子に座っている時の高さをガワの身長に設定した上で浮遊すれば、3Dになった時の支障が減るから。

　逆に、兄貴を含む誰かが幽霊のガワの予定を認識していたとすれば、カフェの設定自体が予め仕組まれたものなのかもしれない。

「幽禍（かすか）、相変わらず結構特徴的な発声してるよな、ベタベタしてる」

『ははっ、こういうのは色気があるって言うんだよ』

「へえ」

　兄貴に引っ付いているという印象も込みの、ベタベタという表現である自覚はあった。

　俺には連絡もしてこないのに、なんて、俺は兄貴と幽禍のどっちに対してどんな感情を抱いているんだろう。

「俺はもうスタジオ入るわ」

『じゃあ、また後で』

「はいよ」

　右の拳と右の拳がぶつかって、ドアをノックした時と似た音が響いた。

　同じような服を着て、同じような見た目だけど、俺の右腕だけが石みたいな固さをしているから。