【編集中】逆境和音怪奇録

小述トオリ

一章

#1 造花の世界

 芸能界という煌びやかな世界は、そのほとんどを密かに造花が占めている。

 今所属している事務所の、キャッチフレーズみたいな何かだ。

 綺麗な通称が造花、実態としてはアンデッド、正式名称は彼方者あっちもの

 七歳になる前に死亡した人間へ、ごく稀に与えられる第二の生だ。

 俺が第二の生を得てから、今日で三年目。

 新しい名前には、未だ慣れていない。


 タブレットのリマインダーが、今日の予定を見せてくる。

 VTuberとしての誕生日と俺自身の誕生日は掠りもしていないから、表向きはありふれた普通の日だ。

 今夜はスタジオでのカラオケコラボで、午後二時までに集合。

 十五分前には到着しておきたい、なんて逆算すると、家を出るまで一時間も無いくらい。

 お昼は冷凍の明太子パスタで済ませたし、今からパソコンを立ち上げて作業する気にはならない、中途半端な時間を持て余していた。

「他の人は、こういう時間にコメント返してんのかな」

 アカウントを兄貴が使っているから、それも出来そうにない。

 ファンアートを眺めることは出来るけれど、反応する訳にもいかない。

「ひま……」

 VTuberの演者に加わってから一年、ひとりごとの数は顕著に増えた。


 VTuber雨音あまねカモの演者は二人居る。

 一卵性双生児の兄、美甘周みかもあまね

 弟の俺、美甘縁みかもえにし

 二人で芸能活動しているけれど、表向きの演者はひとりだ。

 一年前まではほとんど兄貴ひとりで活動していて、そりゃあまあ忙しかったらしい。


「新衣装公開が去年の今日か」

 一年前、雨音あまねカモにとってはなんでもないはずの日。

 俺は雨音あまねカモとして、天使の姿をした新衣装を公開した。

 表向きには衣装のひとつに過ぎないそれが、美甘縁みかもえにしにとっての初配信。

 今、俺が使っているのは、その天使衣装だけだ。

 衣装を替えたのは、俺と兄貴の違いに勘づかれた時、ロールプレイの一環として誤魔化すため。

 例え同一人物だって、デビューから数か月と三年目くらいの配信を聞き比べると、声が全然違うなんて珍しくもない話だ。

 それが別個体なら猶更。

 兄貴と同じ防音室に入って、マイクとインターフェースをお揃いにしたって、俺自身が兄貴と大きく違ったらどうにもならない。

 

 それでも、少なくとも俺の認識している限りでは、中身が違うとは気づかれていなさそうだった。

 アプリの操作が覚束なくて、配信が始まってすぐに新衣装の姿で登場してしまった。

 ミスをした動揺込みでいつもより声が高くても、まあ今日は新衣装のお披露目だからテンションが高いねの範疇らしい。

 衣装を見せている間、装飾に関する気に入っているポイントの説明をして、配信の直後に歌のカバー動画を投稿して終わり。

 ボーカルとして二回表示された雨音あまねカモのクレジットは、もちろん意図的に入れたものだった。

 だって、あの歌を歌った雨音あまねカモは二人居たから。


 いつもの雨音あまねカモの芸風とはかけ離れた、どこかあどけなさと危うさを感じる歌声。

 公開したばかりの新衣装と同じ服を着ている、歌動画内の雨音あまねカモ。

 知らない声だと言われつつ、別人だろうとは言われない。

 一卵性双生児の声帯だからこそつけた、際どいラインなのかもしれない。

 まあ、あの曲のハモりは兄貴が録ったけど。


「はは、また俺だけ化け物だ」

 天使の新衣装姿は苗字を一文字変えた天音あまねカモの愛称で呼ばれ、別世界線の雨音あまねカモとして扱われているらしい。

 対話をしているファンアートが、新衣装公開から一年経った今も定期的に公開されている。

 天音あまねカモ、つまり俺は、人と大きく価値観の違う化け物として描かれることの方が多かった。

 そこに関しては、視聴者の目を侮るもんでもないな、なんて。

 俺の魂が入った時の天音あまねカモは、兄貴が入った時のそれよりもどこか、幼い人外じみて見えるらしい。

 俺は三年前まで、兄貴の体に寄生していた腫瘍だったから、まあ化け物だと感じられるのはむしろ自然なのかもしれない。


 この世界に天使は居ないが、魔術は実在する。

 世界人口の九割以上の人間は魔術に対する適性の欠片もなくて、例え護符を握っても杖を振っても何も起こらないし、魔術の存在も知らない。

 魔術適性を持ったごく一部の存在は、ひっそりと社会に溶け込み隠れ住んでいる。

 だって数が少ないし、高度に科学が発展したこの社会において魔術は人数を補う程の利を持たない。

 例えば護符を使えば火を起こせるけど、コンロの方が楽だ。


 生まれた時から魔術適性を持つ人々は、魔術を使えない人間のことを人間ひとまと呼び、自分たちのことを妖人およずれびとと呼んでいるらしい。

 人間ひとまとして生まれ、魔術適性を持つ。

 つまり、どちらにも当てはまらないのが、俺みたいな彼方者あっちものだ。


 妖人およずれびとの遺伝子を持つ人間ひとまは、幼少期に死亡をトリガーとして魔術を暴発させ、蘇ることがある。

 大前提が魔術の暴発だから、まず蘇ったタイミングで目立つし、魔術を使えるようになったことでも目立つ。

 蘇るために暴発させた魔術によっては、鱗や角が生えたり、血液以外から栄養を摂取出来なくなったりする。

 妖人およずれびとは魔術の存在を隠したいから、俺みたいな彼方者あっちもののことも隠してくれるし、助けてくれる。

 

 昔を生きた、隠れそこねた彼方者あっちものが、吸血鬼や鬼なんかの伝承の元だ。

 公には、人間が復活することなんて無いし、魔術なんて存在しないことになっているらしい。

 そんな常識を兄貴の記憶経由でぼんやりと認識こそしているけど、人生三年のうち半分以上を彼方者あっちものしかいない小児病棟で過ごしておいて今さら日陰者の意識が芽生えるかと言われると、まあ、VTuberとして家に籠るのが正解なのかもしれない。

 

 美甘周みかもあまねの体から、腫瘍として胎児が摘出されたのは三年前、兄貴は当時二十三歳。

 俺はバニシングツイン、つまり双子の兄に吸収された弟だった。

 俺という存在は兄貴の中で二十三年生きていたとも言えるけれど、胎児は七歳児よりも幼いとも言える。

 そして、腫瘍の摘出は魔術的には死亡判定だったらしい。

 摘出の直後、腫瘍が急激に膨らみ、二十代男性の見た目に変化して目を開いた時のオペ室の様子はそれはまあ大騒ぎだった。

 寝起きが知らない場所で全裸だった俺もそれなりに動揺はしてたけど、彼方者あっちものが近くで発生した連絡を受けて駆けつけてくれた妖人およずれびとの動揺も相当なもんだった。

 その妖人およずれびとがそもそも兄貴の見舞客で、VTuber雨音あまねカモの同期、馬酔木濫あせびらんの演者だったから余計にだろう。

 俺と兄貴の容姿は瓜二つだから、らんからすれば子どもが居ると思った先で知り合いの全裸を目撃する羽目になった訳で。

 いくら彼方者あっちものの発生に伴って目撃者の記憶を誤魔化す専門職が存在してるって言ったって、男性の手術中に体内からリスポーンするパターンは誰も想定してない。

 

 復活直後か出生直後か、まあどちらかにあたるだろうタイミングの俺はしばらく呼吸の仕方に苦戦していて、騒ぎの内容なんてロクに聞いちゃいなかったけど。

 意思疎通も自力歩行も出来ず、まさに新生児同然だった。

 兄貴のものだろう記憶の断片はあった。

 ただ、体の使い方が分からなかった。

 彼方者あっちものの復活後のリハビリを担当する専門の病棟があって、俺はしばらくそこに入院してたけど、何もかもが小さくて心底不便だった。

 復活直後の彼方者あっちものの時点で実質限定的な小児科、七歳以下のはずなのに、俺は生後一秒の時点で兄貴と同じ二十代の容姿だったから。


 こんなケースは異例中の異例、少なくとも俺の知ることが出来た限りでは前例なし。

 だって確率が低すぎる。

 ただでさえ色んなものをかいくぐって存在している彼方者あっちものなのに、制度も何もかもが対応していないらしく、俺が今持っているのは役に立たない三歳児の戸籍と身分証だ。

 まあ、俺が自分の体に馴染み、歩けるようになるまで一年半かかっているから、実際に生活の中で困り始めたのは一年前、VTuberをやり始めた頃からだけど。


 実際に新生児が歩けるようになるのは、およそ一歳半くらいらしいから、出生年相当で考えれば歩けるようになるまでかかった時間は妥当だ。

 二十六歳相当の能力と三歳児相当の能力が入り混じっているらしく、正直なところ自分でも何が出来て何が出来ないのか分からないことも多い。

 知識経験の偏りもすさまじいから、常識外れなのかどうかも判断がつかないし、何が分からないのか分からない、みたいな状態だ。

 出来ないの内訳にも、能力で出来ないことと、三歳児の身分証が枷になっていることの二種類があるし。


 例えば、三歳である俺は個人事業主として契約を結ぶことが出来ない。

 俺というイレギュラーの塊が代役を許されているのは、兄貴が裁量権の大きい個人事業主で、事務所のトップが妖人およずれびとだから。

 堂々と中身を隠せるVTuberという立場自体、彼方者あっちものにとっては色々と都合が良い。

 妖人およずれびとの遺伝子と芸能分野の適性を持つ遺伝子が近しいなんて説もある。

 歌手、芸人、イラストレーター、まあとにかくそういう分野に妖人およずれびと彼方者あっちものは多いらしい。

 今日のオフコラボの面子だって、演者で人間ひとまなのはひとりだけだし、そいつも親の経営している小児病院が彼方者あっちものを受け入れている、いわゆる魔術側だ。

 だからこそ、俺が参加出来るとも言える。

 

 通話アプリの通知音に、ふと思考と顔を上げた。

 要確認事項と書かれたチャットに目を滑らせて、グッズの事後報告なんかの未読をひとつずつ消しながら新しい連絡事項へと進んでいく。

 活動時間が真逆だから、連絡の九割はチャットだ。

 兄貴が昼過ぎに起きて朝の五時くらいに寝る生活、俺が朝の五時までに起きて二十二時頃に寝る生活。

 兄貴が眠ると俺は目覚める。

 

 二人一役のためにチャットを始めたのは一年前だけど、俺が周だった頃のやり取りはずっとスマホのメモ帳を交換日記にしていた。

 スマホを持てないような年齢の時は、たしか自由帳を後ろから使っていた。

 二人でひとつであることが、あまりにも体に馴染む。

 基本的なスケジュールをこれに統一して、あらゆる連絡用のアカウントを共有することで、雨音あまねカモは生き急いでいるひとりに見えている。


『収録終わってないからスタジオに居る。打ち上げで合流予定』

「あ、今日兄貴来るのか」

 兄貴と直接会った回数は、まだ両手両足で数えられるくらいだと思う。

 会う度に、自分がもう美甘周みかもあまねの中には居ないのだと奇妙な感覚に襲われる。

 了解と端的に返して、スマホを持ったままの右手を額に当てた。


 俺の右腕は罅割れ、白い結晶が覗いている。

 何故か右腕以外の表皮は青白い程度の肌に見えるけど、怪我をした時に半透明の白い破片が散らばる体だ。

 外に出る時は長袖を着るし、長袖の下にアームカバーだって着けてるけど、誰かの前で怪我をしたらもう相手の記憶を弄るしかない。

「どうして飯を食えるんだろうな、この体で」

 食事も睡眠も、俺が認識している限りでは成人男性のそれの範疇に入るらしい。

 腫瘍には無かったはずの約百七十センチ六十キログラムを、俺はどんな魔術で創り出したんだか。

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