#3 大人の中に居る

「おはようございます」

 会議室にありそうな横長の机の前に、パイプ椅子は三つ。

 机の上に置かれたコンビニの袋には、ポテチやのど飴がぱんぱんに詰め込まれている。

 重々しい機材と、ポップな色のお菓子がやけに対照的だった。

 プライベートでカラオケに行くことが一度も無いまま、こうやってスタジオに飲食物を持ち込んで行われるカラオケに来てしまった。

 名義上はカラオケ配信だけど、設備と今の心境的には収録の方が近い。

 カラオケってなんかもうちょっとこう、気軽で楽し気なものなんじゃないのか。


 少なくとも、スタッフの腕章をつけた大人たちがマイクやカメラのテストはしないはずだ。

 大勢の大人が動いている、なんてあまりにもガキみたいな感想を抱いてしまうのは、意思決定や打ち合わせの場に俺が居ないからだろう。

 俺の知らないところで、俺が何をするか、俺をどう見せるかまで話が進んでいる。

 グッズなんて特に顕著で、発売されてから初めて存在を知ることだって珍しくない。

 オフコラボだからと呼ばれて行ってみたらオフコラボ相手とのコラボグッズの説明文を渡されたことだってあった。

 

 用意されている神波かんぱネラの服装はいつも俺が使っている方、つまり天使の姿だ。

 背中辺りに浮遊している鉱石の破片は羽のような形で、我ながらどこまでも俺らしい。

 切った爪が元に戻ってしまったり、転んだ時に欠片が右腕の周りを浮遊したりと、鉱石が意識的に人型を保とうとしているかのような挙動を見せることがある。

 きっと、俺が高所から落ちたりなんかして背中や腰を地面に打ち付けたら、ちょうど天使の羽みたいな破片を纏うことになるんだろう。

 

 他の演者の姿も用意はされているものの、まだ誰もトラッキング用の定位置にはついていない。

 演者もスタッフも似たような年に見える男ばかりで、誰が誰なのかを間違えないか不安になってくる。

 流石に紗鳥さとりのことは間違えないけれど、この場の演者はあと二人居る訳で。

 打ち合わせをしたことがある演者については、正直目を閉じて声を聴いた方が誰なのか当てられそうだ。

 ガワと違って髪色が会うたびに少し違うことも珍しくないし、服だってガワみたいに同じものを着てはくれない。

 もう普段の見た目と芸名を印刷した名札でもぶら下げてくれと思うのは、俺がモニター越し以外の交流に慣れていなさすぎるからなんだろうか。


 同じ部屋の中で、大勢の生き物が蠢いていることへの恐怖。

 スタジオという名の防音室に立っているだけで感じるこの居心地の悪さは、手のひらに小動物を乗せている緊張感なんかと恐らく似ていた。

 大声で叫びたい、近くにある何かを壊してしまいそうで怖い。

 人間の、臭いと音がうるさい。

 早くひとりになりたい、あまねが羨ましい。

 兄貴がここに参加出来ない、したくないのではなく出来ない理由を身を持って感じている。

 どこで何をすればいいのかも分からないまま、ただ笑顔らしきものを取り繕い立ち竦んでいた。

 混乱も嫌悪も緊張も何もかも、俺の声や顔にはほとんど現れてくれない。


「ネラ、おはようさん」

「ん、お疲れ」

 突然話しかけられたことへの驚きだって、やっぱり声色に乗ることは無かった。

 二人の演者のうち、癖のある関西弁がさざなみレモンで、今回の主催。

 同期の設定が学生バイト二人と店員の彼だから、一応は名義上のリーダーでもある。

 彼自身の希望でバカキャラを演じている努力家だ。

 ゲームの時に小学校で習うような漢字が読めない、歴史上の物凄く有名な人物のことも知らない。

 彼に対して義務教育の敗北だと評されるそれらのエピソードは、たったひとつの真実で印象を一変させる。

 さざなみレモンは、この国の出身じゃない、それだけ。


 イントネーションに癖のあるエセ関西弁という本人のプロフィールだって、発音を誤魔化す意図が無いと言ったらきっと嘘になるんだろう。

 エセというか、ハイブリッドというか。

 むしろ、それだけで誤魔化せているってとんでもないことだと思う。

 努力家で、よく周りを見てるやつ。

 おおかた、突っ立っている俺を主催として見かねて声を掛けたとかそんなところだろう。


らんはまだ来とらんから、座る場所とか菓子とか好きに選んでええよ。……あ、ダジャレやないよ」

「俺は別にどこでも。むしろ後ろの方がいいかな。神波かんぱネラのトラッキングはたまに外れるくらいでちょうどいいよ」

「せやった」

 衣装が違えば印象も変わるし、スタジオと自宅で環境が違うからなんて理由で誤魔化しが効く。

 それでも、トラッキングはむしろ不調なくらいがちょうど良かった。

 神波かんぱネラの口は、他の面子のガワと違って音声認識で口を開閉しているから。

 実際の口の動きをトラッキングしたら、兄貴が神波かんぱネラをやっている時に常時腹話術になってしまう。


「……ん」

「どしたん?」

「誰か来たな」

 慌てた足音が、真っ直ぐに近づいて来ている。

 兄貴が今日履いていたブーツだったらもっと固い音がするから、足音の主として推測される人物は実質一択だ。

馬酔木濫あせびらん、現着しましたおはようございまぁす!」

 予想通り、演者のうち最後のひとり、馬酔木濫あせびらんということになる。

 彼は一通りスタッフへの挨拶を済ませると、俺たち、というか多分主催であるレモンの方へ向かって来た。


らん、おはようさん」

「もしかして、同期揃うの久しぶりな感じ?」

「もしかしなくても、そうやね」

 馬酔木濫あせびらんは、配信頻度がこの中だとダントツで少ないレアキャラだ。

 俺にとっては今回の演者で唯一、初対面の相手。

 VTuberとしては、今日の面子の中だとさざなみレモンと馬酔木濫あせびらんが同期で、幽禍かすかだけが後輩。

 つまり俺は配信中、オフでは初対面の相手に、数年の付き合いがある気の置けない同期として振る舞わなければならない。

 むしろ気を抜けないんだが。

 

「はじめまして。神波かんぱネラの、弟の方です。今日はよろしく」

「こちらこそ! ネラくんにはいつもお世話になってます」

「う、うん、俺もネラくんなんだよね」

 配信上での兄貴の気安い話し方と、俺にとっては初対面の歳上であるという事実が頭の中で混ざって、話し方もぐちゃぐちゃになってしまった。

 まあ何歳かは知らないけど、数年前から活動してる時点で絶対に三歳以下ではない。

「あ、それもそっか。二人居るしなあと思って。なんて呼ばれたい?」

「なんでもいい。どうせ滅多に揃わないから、多分ネラでも支障無いよ」

「配信中はもちろんそう呼ぶけどさ。配信外の話! 今とか、一緒に遊ぶ時とかあるじゃん」

 プライベートで俺と遊ぶ気なのか、と聞き返すのは辞めた。


 コラボが決まった経緯は、俺以外の全員が夜中にオンライン麻雀をしている時に、やる流れになったから。

 この俺以外ってのは、兄貴を含む演者四人のことだ。

 配信以外で演者同士が遊ぶことを裏遊びだなんだと言うらしいけれど、例えば演者同士で会食をした費用は交際費として経費に出来る訳で。

 こうやって、打ち合わせの前段階としての側面を果たすこれらを遊びと言われるのはなんだか釈然としない。

 VTuberの演者なんて人付き合いで成り立っているようなものじゃないか、配信の大部分は素人に毛の生えたような人間同士が話しているだけだ。

 綿密に練り上げられた脚本や、仰々しい音楽と共に実際よりも過剰に表現される喜怒哀楽よりも、その自然体を好ましく思う俺みたいなやつが顧客な訳で。


「……兄貴のことは、裏でなんて呼んでる?」

「あまね」

「同じく、アマネやなぁ」

 一緒に遊ぶ面子の中に紗鳥さとりが居る時点で、そうだろうとは思った。

 由来が本名のあまねか、神波かんぱネラの前世であるVtuber雨音あまねカモの雨音あまねかはさておき。

 裏では前世の名前呼びが定着していることだって、そんなに珍しいことではない。


「じゃあ俺は、えにしでいいよ」

「了解。えにしは、声出し終わった?」

「まだ」

「あまねくん、収録前に別のスタジオで声出しするから、タイミング合ったら一緒に歌いたいって言ってたよ」

「……もしかして、そのためにさっきから幽禍かすかがなんか機材の調整してんの?」

 今まで話に入って来なかった幽禍かすかは、流石に名指しされたからか、顔と声を上げた。

「まあね。アプリ使うだけだからそんなに大変じゃないよ、もう準備出来たし。曲一覧の三曲目がいいって」

「はいはい、了解」

 また、何も知らないところで全部決まっている。


 歌を配信上で数曲歌う、それだけの行為に携わっている人の数のあまりの多さに眩暈がしそうだった。

 そもそも、正直配信という行為自体への緊張感が未だに拭えない。

 台本のほとんど無い中で、ぶっつけ本番、失言をしたら終わり。

 高級食器の置かれた棚の間を歩いているような気分になってしまう。

 食器を地面に叩きつけて割ったらどうなってしまうんだろう。

 

『お疲れ』

 タブレットの音声を、さらにアプリで拾っているらしい。

 いつもよりさらに圧縮された兄貴の声は、知らない人みたいだった。

「さっきぶり」

『やっぱり緊張してんね。配信久々だし、そうかなって思った』

「え、そうなん?」

神波かんぱネラ、元々比重が動画勢寄りだもんね。歌からのリスナーさんが一番多いから」

幽禍かすかはネラのマネージャーなん?」

「そうかも」

「そうかもやないんよ」

 一緒にスタジオまで来て、機材の調整をし、リスナー層を把握している。

 確かに、随分とマネージャーじみていた。

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