第110話 帝と四人の瑞獣
正式に
「——大事ないか、
父の最期に立ち会えなかった水影に、朱鷺の案ずる瞳が向けられる。
「何となしにございまする」
気丈に振る舞う水影だったが、その瞳の奥には、悲しみが浮かんでいた。
己が世となり、朱鷺は民の暮らしを何よりも重視した。都の視察で、橋が必要な場所を見つけると、即座に道久に命じた。
「ここに橋を掛けよ。三日でな」
「は? 三日?」
また、都の浮浪児らを集め、庇護する施設の建設にあたっては、
「ここに養護院を建てよ。明日までにな」
「は? 明日?」
あまりの無理難題に、道久は、ぐっと苛立ちを押さえ、自室にて国の財政書類を見ながら、項垂れる。人件費、建設費、材料費、建設許可費……
「あーもう、ちゃんと財務諸表見て~。民の血税を何だと思うとるん? ほんまかなわんわ~」
晴政を失った今、道久は無茶を通そうとする帝のストレスに耐え兼ね、太政大臣とは思えぬ言葉遣いで、どうにか正気を保った。
その後、朱鷺は、愛した女人らが悉く処刑された過去を引きずり、鷲尾院存命時においては、女人を愛することにトラウマを抱いた。元々女好きでもあったことから、この国で酒池肉林に興ずることが出来ないと悟った朱鷺は、羽衣伝説が描かれた巻物の天女を欲するがあまり、かつて親交があったとされる月に昇ることを望んだ。それにも莫大な費用が掛かることを道久は説明したが、聞き入れない朱鷺に苛立ち、思わず側近の公卿らに愚痴をこぼした。
「——今代の主上は融通が利かぬのう。何とも目障りなことじゃ」
それを安孫が影から聞いていたとは露にも思わず、朱鷺による月との交換視察の話が進められていった。
水影から
「——水影、そなたを優れた知恵にて主を導く“鳳凰”とする」
「御意。身命を賭して、鳳凰が務めに邁進致しまする」
「安孫、そなたは、主を守護する“九尾の狐”ぞ。されど、徳なき主には牙をむくともされておる。俺に徳なきと判断した折は、容赦なくその牙をむけ」
「ぎょ、ぎょい……! されど、主上に徳なきとは思えませぬが」
「なに。俺も一人の人間。いつ心が蝕まれるとも分からぬでな。頼むぞ、水影、安孫!」
「御意」
二人が主に向かい、平伏した。その後、都にて
宮中を、帝と四人の瑞獣が騒がしく歩いていく。朱鷺を筆頭に水影が続き、その後ろを安孫と麒麟、満仲が横並びに続く。
「——主上! 瑞獣が中で、わたくしめが一等可愛らしゅうございましょ!」
一際騒々しい満仲が、朱鷺に同意を求める。
「そうさなぁ。我が瑞獣は、賢明で、勇猛で、聡明で、愛らしいのう」
その言葉が瑞獣になった順番であると確信した満仲が、水影、安孫、麒麟と指さし、
「となると、わしが一等愛らしい、そういうことじゃな! ははははは!」
自信家の満仲が、満足いく回答に上機嫌となった。
「貴殿のどこが愛らしいのか? 聡明と愛らしいは、どう考えても、麒麟がことにございましょう?」
「なっ、三条のは黙っておれ! 主上がわしを評価せぬはずがなかろう! のう、安孫のすけ!」
「うむむ。まんちゅうが愛らしい……?」
「
「うーん……霊亀様はどちらかと言うと、いやらしい、ですかね?」
「ぶふっ」
水影と安孫が抑えきれず、吹いた。
「ななっ! 麒麟までわしを馬鹿にするか! わーん、しゅじょー、こやつらがわしをいじめまする~!」
「ははは、満仲。そなたはちと黙れ」
「わーん! 主上までー!」
騒々しい五人組に、道久が顔を出す。どうにか財政をやりくりする道久が、やれやれと吐息を漏らす。
「主上が正しいかは分からぬが、息子らが付き
亡き盟友、晴政を想う道久が、笑い声の絶えない若者らに、安穏たる未来を託した。
「——とまぁ、これが俺の昔語りぞ」
薄暗い過去すべてを話した朱鷺に、ルーアンの怒りのパンチが飛ぶ。
「
「いやはやごもっとも!」
左頬を殴られた朱鷺が、過去の朔良式部との恋愛話を掘り返したことを悔いた。薄暗い過去に、朱鷺が目を伏せる。項垂れる朱鷺を抱き締めたルーアンが、「……ちょっと妬いちゃったじゃないのよ」と、気恥ずかしそうに本音を告げた。
「
顔を上げた朱鷺の目に、優しく笑うルーアンが映る。
「つらい過去を教えてくれてありがとう。アンタと出逢えて、私は幸せよ」
その言葉に、朱鷺は
「過去の哀しみがあるからこそ、今が愛おしいのよ。何を恐れることがあろうか。当たり前の日常を、取り戻さねばな」
じっと先を見据える朱鷺。愛おしい者らがずっと幸せであるために、朱鷺は自分が帝であることを、再認識した。
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