第100話 麒麟の願い

 定期交信にて、麒麟きりんから筑紫島つくしのしまの悲劇を聞かされた朱鷺ときらは、鷲尾わしお院の挙兵に絶句した。

何故なにゆえ今更鷲尾院がっ……」

 安孫もヘイアンの惨状に、居ても立っても居られない。

「……して、都が様子は?」

 じっと目が据わる朱鷺に、「都は未だ平穏にございますが、いつ鷲尾院らの兵が攻め込んでくるか分からぬ状況です」と、モニター越しに麒麟が伝える。

「鷲尾院は、隠岐おきへと流罪となられていたはず。日夜監視されておる状況で、何故挙兵などという暴挙に出られたか……」

 考察の構えを見せる朱鷺に、「誰かが院を、救出奉られたのでございましょう」と水影が冷静に言う。

「恐らくは、烏丸衆からすましゅう一派のはかりごとかと」

「烏丸衆……。禁中に掬う闇は、以前、それがしが父、春日道久と、水影殿が御父上、三条晴政様が、その勢力を抑え込んだはず。それが何故、挙兵など……」

「道久は何をしておる?」

 朱鷺に訊ねられ、「評定の席にて、太政大臣様が烏丸衆一派への牽制を行われましたが、決別……。相容れぬ状況となっております」と麒麟が答えた。

「そうか……。『美麗狩り』とは、叔父上は未だ美醜の念に囚われておいでか。ところで麒麟、満仲は如何どうした? 諸国全般の妖退治より帰還したのであろう? 姿が見えぬが」

霊亀れいき様は……都には、おられぬようにございます」

「なにっ? ……まあ、の者のこと。考え有ってのことか」

「やはり、霊亀様は、烏丸衆に……」

「まんちゅうが寝返るなど、有り得ませぬっ……!」

 机に拳をぶつけた安孫が、その潔白を訴える。

「落ち着きあれ、安孫殿。我らは主上が瑞獣ずいじゅう。各々に役目が有るのは分かっておいでにございましょう? 誰も満仲殿が裏切り者であるとは思っておりませぬ。満仲殿が性分を一等分かられておいでの貴殿が、左様に取り乱されて、如何いかがする?」

 水影に諭され、「……面目めんぼく有りませぬ」と安孫が冷静さを取り戻す。

「ふむ。れは何時いつまでも月にて視察などと言うておる場合にあらぬな。はくれい殿が朝裁ちょうさいの行方と、新国王が戴冠を見届けたのち、我らヘイアンへと帰るぞ。良いな、水影、安孫」

「御意」

 水影だけの返答に、「安孫?」と朱鷺が、項垂れる巨漢に目を向ける。

「何時までも、るくなん王女に執着するでない、安孫。そなたも男であるならば、好いた女人の幸せを願わぬか」

「……御意」

 小さく返答した安孫に、朱鷺も鼻息を漏らす。

「水影、そなたはせらい殿が下へと向かい、何時でもちきうへと帰れるように支度を整えてくださるよう、申し伝えよ」

「御意」

 立ち上がった水影が、中央管理棟へと向かった。

「安孫、そなたははよう身支度を整えておけ。部屋にてうておる兎と別れるのも、しのびなかろう。そなたは、何時までも引きずるでな」

「……御意」

 安孫もまた、自室へと向かった。

 モニター越しに二人きりとなった麒麟に、朱鷺が訊ねる。

「……俺に話があるのであろう? 麒麟」

 うっと面喰った麒麟が、「……さすが主上。見事な洞察力で……」と、視線をそらし、主を称える。

「して、我が影、麒麟は如何いかがした?」

 穏やかな表情で、朱鷺が訊ねる。モニター越しにも伝わってくる、優しさの裏にある強要に、「あー……」と、三条家から発信する麒麟が言葉を濁す。

 縁側には、カーヤの姿がある。その腹には、新たな命が芽生えていた。

(同意あってのことだけど、かあや姫をはらませたとは、言えねー……)

 麒麟が両手で顔を覆い、秘密を打ち明けるべきか、迷いに迷う。

「麒麟? 如何いかがした?」

「あ、の、ですね、主上、実は……」

「——月の交換視察団の方々が、其方そちらが世に帰りたいと、左様に仰せにございまする、主上」

 そこに、突如として実泰さねやすが割り込んだ。

「おお! 三条実泰か。久しいのう!」

「お久しゅうございまする。我が弟は、主上の助けとなっておりますでしょうや?」

「案ずるな、十二分の働きぞ。それよりも、かあや王女らも、月が世に帰りたいとな?」

「実泰様……?」

 突然の実泰の介入に、麒麟がぽかんと口を開く。

「左様にございまする。長らく故郷を離れれば、誰もが哀愁の意を抱きましょう」

 実泰の言葉に、庭でゆうと洗濯をしていたフォルダンが、「はあ? 別に月に帰りたいなんて――」

「黙ってなさい、フォル。実泰殿は、麒麟殿に助け舟を出しているのですよ」と、レイベスが口を閉じるよう、指示する。

「されど、麒麟はかあや姫を月に返したくないと、駄々をこねておるのです。共に月に昇りたいと、左様な想いを主上に願い出たくおるようで……」

 やれやれと、実泰が麒麟を見て、言う。

「そうか。左様な願いがあってのことか、麒麟」

 実泰の気遣いに、ぐっと麒麟が唇を噛み締めた。

「……鷲尾院の『美麗狩り』の脅威から、絶世の美男美女であらせられる、かあや姫やれいべす、ふぉるだん殿らをお守りするためにも、方々かたがたを、月へと帰すべきと存じます」

 麒麟が思いを胸に、考えを示す。

「そうだのう。して、我が影、麒麟は、共に月に昇りたいと?」

 朱鷺の問いに、麒麟は、ぎゅっと唇を噛み締めた。

「そなたは我が瑞獣ずいじゅうが一人、麒麟ぞ。だが、そなたの人生だ。如何どう生きるかは、そなたに委ねる」

「……はい」

 麒麟が恭しく平伏する。そこでモニターの映像が途切れた。立ち上がった実泰に、麒麟はそのままの姿勢で、「……御礼申し上げます、実泰様」と告げる。

「なに。可愛い弟は一人だけにあらぬでな。されど、主上はお優しい御方よのう」

「はい」

「まあ、かあや姫との件を報告するは、もう暫し先でもよかろう。主上ならば、祝福されるであろうが。……そなたの人生じゃ。主上が仰られた通り、自由に生きるが良い」

 心のままに生きるのが幸せだろう、縁側に座る愛する人を前に、麒麟は覚悟を決める時が訪れたと、固く自分の中で自問した。

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