第99話 烏の因果

 陰陽寮の奥の扉の前で、満仲みつなかは開錠の呪文を唱えた。

「——我が名において、開錠せよ、急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう

 カチッと開錠し、満仲は扉を開け、塀の中で縄に繋がれている“人あらざる者”らに、ぐっと拳を握る。そのまま、縄を解く呪文を唱えた。塀を開けるも、すっかり生気を失った“人あらざる者”らが、外に出てくることはなかった。

「何をしておる! はよう外に出よ! 早うっ……!」

 鬼気迫る口調で促すも、誰一人出てこない。

斯様かような場所におっては、いずれ殺されてしまうぞ! 早う逃げるのじゃ……!」

 痺れを切らせた満仲は、式神を召喚し、どうにか“人あらざる者”——浮浪児のわらべらを外に連れ出した。都の北、烏森からすもりへと連れて行き、そこでようやく、童らが呪術に掛けられていることに気づいた。

「成程。生きる糧すらも奪うとは、我が陰陽寮の闇は、相当根深い」

 童らの呪術を解き、パチンとその目に生気が戻った童らの前で、満仲は言った。

何処いずこへとも逃げよ。逃げて、生き延びよ」

「おれらいったい……?」

「良いか、二度と悪い大人になど付いていくでないぞ。飯を食わせてやるなどと言われても、無視するのじゃ。次は鬼に喰われても知らぬでな」

「う、うん。ありがと、にいちゃん」

 訳が分からずとも、童らは森の奥へと逃げていった。

「はあ。疲れたのう。何故なにゆえわしが斯様かような面倒を見なければならぬのじゃ。れもれも……うん、三条ののせいじゃな。彼奴きゃつが諸悪の根源じゃ。彼奴が悪い」

 愚痴をこぼすも、満仲は助かった命があることに、満足した。見事な望月の夜、上機嫌に屋敷へと戻る満仲の前に、一人の公達が現われた。

「誰じゃ? 斯様な夜更けに」

 満仲が見上げる先に、見知らぬ公達がからすの面を被り、月を背に立っている。

「我は刑部ぎょうぶ。今宵貴殿が助けた命は、すべて烏に捧げられた。よって、貴殿が行いに、何の意味もありませぬぞ」

「なっ……」

 見ると、その後ろには、手押し車を引く、烏面をつけた男らの列があり、そこに先程助けた童らの遺体が積まれていた。

「貴様、なにをっ……」

「いずれ“視えざる者”らによって、亡き者とされる童らの命を、今宵烏がために捧げたまでのこと。命潰える日が、遅いか早いかだけのことよ」

「ふざけるでないっ! 斯様な横暴など許されるはずがっ――」

「其の横暴とやらは、今宵貴殿が“人あらざる者”らを解き放たなければ、なかったこと。貴殿が童らを助け、烏森などという、我らの庭にさえ、この者らを逃がさなければ、斯様な悲劇は、起こらなかったのでは?」

「ぐっ……」

 公達の言うことに、満仲は返す言葉がなかった。その横を、刑部が去っていく。

「すべて、貴殿が行いのせいですぞ、不動院満仲殿。貴殿が独りよがりのせいで、童らの命は、烏に捧げられた。まあ、その甲斐あって、次が帝の世は、わしと決まりましたがな」

「鷲……? 次が帝は、時宮ときのみやでは……?」

「ふん。時宮の世など、起こり得ませぬぞ。すべては、烏のお導き。烏が、鷲の世を望んでおられる」

 男らが童らの遺体を運ぶ頭上では、何十羽もの烏がたかりだした。都中の烏が集まり始める異様な状況に、満仲は天地陰陽の構えを見せるも、何者かによって後頭部を殴られ、そのまま意識を失った。そうして刑部の正体も掴めぬまま、今日まで過ごしてきた――。


 満仲が過去を振り返り、あの時の刑部という公達の正体を確信した。

「……烏、刑部、鷲の世。すべて備えておるは、九条くじょう是枝これえだ彼奴きゃつこそが、諸悪の根源」

 九条刑部卿是枝。烏丸衆の筆頭にして、忠実な鷲尾院の臣下。“怪僧”との軍議に出席する九条是枝に、満仲は忌々しく視線をやる。

「いずれ必ず、我が手にて彼奴をっ……」

 満仲自身、相当の覚悟を持って、今この場にいた。鷲尾兵により、今日も『美麗狩り』が行われている。捕まった美男美女らを前に、あの時と同じく、満仲はその命を開放しようとした。

『——すべて貴殿が行いのせいですぞ』

 刑部の声が聞こえ、ぐっと思いとどまる。

「不動院殿、院が御呼びにございます」

 烏丸衆の一人に呼ばれ、「……今、参る」と満仲は告げた。鷲尾院との軍議の中で、『美麗狩り』により処刑されていく人々の絶叫が、満仲の耳に届いた。ぐっと耐える満仲の様子に、鷲尾院は、薄っすらと笑った。

 

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