第96話 セライの承認印
一回目の公判が終わり、特別傍聴席からルクナンが退席する。その後ろ姿を遠くから見つめる
「……
「水影殿……。貴殿には、何もかもが筒抜けのようにございまするな。されど、るくなん王女は既に、決意を固められておいでにございますれば、
「貴殿は、未だに我らが、
「水影殿? 何を左様に立腹されておいでか?」
きょとんとする安孫に、水影の苛立つ顔が向けられた。勢いよく安孫の襟元を掴み、ぐいっと自分の方に引き寄せた。
「水影殿? なにをっ……」
「良うお聞きあれ、安孫殿。我らちきうの民が、月が世をひっくり返したは、事実にございましょう? 我らは決して無力にあらず。
いつになく水影の声に熱が入る。ぐっと安孫が態勢を戻し、水影の手を払いのけた。
「……貴殿は昔から、我こそが一等正しいと、左様に思われておる」
安孫もいつになく、喧嘩腰で言葉を発する。水影も目が据わり、じっと安孫を見上げる。
「左様。
「某は、貴殿のそういうところが、昔から嫌いであった」
ぐっと奥歯を噛み締め、安孫が言う。
「ほう? 言うておくが、
「結構。すべて我が本意にございますれば、
強い口調で安孫が言った。二人の只ならぬ様子を朱鷺も見ていたが、今回ばかりは仲裁には入らず、ルーアンと共に退席していく。
「え? 放って置いてもいいの?」
「なに、案ずることはない。あれは水影なりの気遣いゆえな。ああして安孫を挑発し、あれの気持ちを再確認させようとしておるのだ。安孫も心内を爆発させることで、自らの想いにも気づこう」
朱鷺の見解に、ルーアンが感心する。
「なんだかんだ言って、変人は二世のことを、一番理解しているのね。それにアンタも」
「当然よ。我らが絆を舐めてもろうては困る。それよりも、今寄り添うべきは……」
特別傍聴席から被告人・ハクレイを見下ろす。その息子が今日、法廷に姿を現すことはなかった。
「
「こうして裁判でハクレイの過去の罪が暴かれていく中では、セライも心苦しいものがあるんでしょう? 誰だって、親の裁判なんて、見たくはないもの」
「
「次の裁判では、もっとえぐい内容になってくると思うわ。宰相戦真っただ中の今、こうしてハクレイの裁判が始まったのも、セライを窮地に追いやるための、シュレムの画策。本当に、どこまでも腐った奴だわ。ハクレイなんかよりも、ずっと性根が腐っている」
「左様な
朱鷺が思いを寄せるセライは、自室のベッドの上で、項垂れながら父、ハクレイのガウンを握り締めていた。公判中、ずっと、ずっと、白色のガウンを握り締め、ただ一人、父を想っていた。
『——セライ君! セライ君! セライ君!』
幼い頃からずっと、ハクレイはセライを溺愛してやまなかった。
『かわいーよ、セライ君! 君は僕の天使だよ~』
『てんし? せーくん、てんし!』
『ぎゃあ! 息子が可愛すぎてツライ! 仕事したくないっ!』
三歳のセライに悶絶するハクレイが、パシャパシャと写真を撮っていく。その溺愛は年頃になってからも変わらず続き、十五歳で官吏登用試験に合格した時も、審議中の法案をストップさせてまで、我先に祝いにやってきた。
『おめでとう、セライ君! これからは一緒に働けるね』
『うるせ……いや、うるさいですよ、父さん。貴方は宰相なのだから、一官吏である俺……じゃなくて、無暗にわたくしに話しかけないでください、ハクレイ宰相』
セライが王族特務課の前に配属されていた、宰相の秘書室では、常に執務席の上に大量の書類を積み重ねたハクレイが、物憂げに言った。
『あのね、セライ君。僕思うんだけどさ、宰相一人に承認印と信認印を押させるのは、どうかと思うんだ。書類に印鑑を押すって、それ即ち、押印した僕に全ての責任が圧し掛かってくるということだからね。この責任の重さを、もう一人くらい享受しても良いと思うんだけど、君はどう思う?』
『そうですね。
『息子が冷たくてツライ……。僕が仕事しなくても、この国は何の不都合もなく回ると思わない?』
『
セライが懐に隠し持つドベルト銃に手を伸ばし、脅しにかかる。
『ちぇー。あんなに可愛かった息子に彼女が出来た途端、父親は必要ない存在になっちゃったよー。そうだなー、仕事を手伝ってくれたら、君が希望する王族特務課への転属を、宰相令により実現させてあげるよー?』
『それを早く言え。ほら、さっさと終わらせますよ』
セライが執務席の隣に腰かけ、仕事モードに入った。
『えへへ。一緒に仕事が出来て楽しいね、セライ君』
純粋に笑うハクレイに、うっとセライが絆されそうになるも、『ハイハイ、そうですね』と険阻な表情を浮かべる。
一枚一枚の書類を精査し、承認印と信認印を慎重に押していくハクレイの仕事の遅さに、とうとうセライの怒りが爆発した。
『遅いっ……! その印鑑貸せ! 俺が押していくからっ……!』
『え? でも、この印鑑には責任が――』
『うるせー! 責任なら、俺も一緒に被ってやるから! お前はとっとと決済しても良い書類をこっちに回せ!』
一秒でも早く仕事を終わらせたい――。確かにそれが本音であったが、それだけではない理由を持って、セライが承認印を押していく。
『ふふ。君が王族特務課に配属されたら、その承認印は君に引き継ぐね。そうなれば、この書類の山の半分は、君の所に行くからね』
『あーハイハイ』
『そうなったら、毎日残業だね。そうしたら、スザリノ王女ともデート出来なくなるね、セライ君』
どこか嬉しそうなハクレイに、『そうなったら、お前をぶっ殺す』と冷たく言い放つ。
後日、セライが課長職で王族特務課へと転属になった。秘書課から運んできた段ボールの中に、しれっと承認印が紛れていた。
『……あんのくそ反吐やろうっ……』
承認印は王族特務課、セライ課長へ――そのような通告令が出され、配属初日から、セライの机上には、承認印を必要とする書類の山が積まれた――。
父との過去を思い出し、セライが立ち上がる。第一回公判が終わったであろう刻限に、セライは再び、自分の仕事に戻った。その手には、ハクレイから引き継いだ承認印が、力強く握られていた。
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