第94話 ハクレイ裁判第一回公判:宰相誕生
「——国王……」
キーレ国王の墓前で、ハクレイが立ち尽くす。その背後に、ぐっと涙を堪える白衣姿のドベルトがいた。
「……雨」
「あめ?」
ハクレイが呟いた言葉を、ドベルトが聞き返す。
「うん。文献で読んだんだ。地球には、空から雨という水が降るんだって。天候や季節がない月では、雨が降ることはないけれど、……今ここで雨が降ってきたら、よかったのにっ……」
嗚咽を殺せず、ハクレイが泣き続ける。つられるように、ドベルトも泣いた。ゴーグルをつけても、その中が涙で溢れていく。
「くそっ……! なんでキーレ国王が殺されなきゃいけねーんだよ! しかも俺が改良した銃でっ……! ぜってー
「ぼくもそうおもうよ……」
ぎりっとハクレイが奥歯を噛み締めた。
「絶対に犯人を見つけ出して殺してやる! 僕が月暈院の宰相となって、腐った議員連中を
「その時は、俺の開発した新型ドベルト銃で、全身ハチの巣にしてやるっ!」
「そうだよ。キーレ国王の無念を、僕達で晴らそう」
固く誓い合った二人が、いつの日か恩師の敵討ちをするべく、それぞれの道を一層突き進んだ。
ドベルトは自らの名を冠した新型銃の改良を重ね、量産化を図った。その軍事力を欲した月暈院の議員らの食いつきにほくそ笑みながら、更なる強化のために、王宮内に科学実験棟の設立を懇願した。そして、議員らはいつか自分達がその銃によって殺されるとは露にも思わず、科学実験棟の新設を許可し、ドベルト自身、そこでの研究の日々を重ねたのである。
一方ハクレイは、月暈院の議員選挙に立候補すべく、資金調達に勤しんだ。元々スラム街出身のハクレイに、選挙費用の工面など出来るはずもなく、出来ることと言えば、自らの体を売ることだけだった。
『——お前は顔だけは綺麗だからな。フン、男にでも女にでも体を売って生きていけ』
父の言葉を思い出し、「あの時の言葉が、今更になって役立つとは……」と自嘲した。青年期を迎え、細身の体であっても、綺麗な顔を売りにして、自分の体を客に捧げる。元々体温が低く、色白の肌であったことから、ハクレイを買った客たちは、愉悦を浮かべ、その体に鬱血の後を残していった。客の中には、男娼の噂を聞き付けた、名を伏せた月暈院の議員らも数名いた。皆面白おかしくハクレイを犯し、その体に消えない傷跡を残していったのである。どんなに酷い目に遭わされても、ハクレイは、じっと耐えた。じっと耐えて、自らの野心のために、ただひたすら金を搔き集めたのである。その頃から、ハクレイの中で、他者が心の底から望んでいる真を見抜く力が開花し始めた。その能力を高めることがキーレ国王の望みでもあったことから、ハクレイ自身、願ってもいないことだった。そうしてハクレイが十六歳となった年に、スラム街の仲間を中心に票を搔き集めた選挙によって、月暈院の議員に初当選したのである。
王宮で再会したハクレイとドベルト。二人は昔馴染みであることを周囲には伏せつつも、亡き恩師——キーレ国王の無念を晴らすべく、着々と力をつけていった。そうしてキーレ国王崩御後、二年が経った後、娘のミーナ王女と結婚した、ドベルハイデン王家のバルサム王太子が、新国王に即位した。その頃には、ドベルト銃の性能は格段に上がっていて、その専買権を得たハクレイによって、ほとんどの銃は買い占められていた。ハクレイは、その政治手腕もさることながら、戦力においても右に出る者はなく、名実ともに月暈院のトップに登り詰めていた。専制君主制に戻すという立場にあるハクレイに、かつてそれを反対した議員らは、すっかり鳴りを潜めていた。未だ、政治の中枢は月暈院であったが、キーレ国王の悲願であった専制君主制に戻すために、ハクレイはバルサム国王に、宰相の新設を願い出た。
「——月暈院の議員らを取り纏め、国王自らの政治を助ける者として、宰相を置くことは、亡きキーレ前国王の願いでもありました。今の月暈院に、国王に政権をお還しすることを阻む者はおりません。国王が望まれる政治を、私自らが宰相となり、お助け致します」
心のままに、ハクレイは言った。ようやくキーレ前国王の悲願が達成される。そう信じてやまなかった。対して、玉座に鎮座するバルサム国王は、「政治……」とだけ呟き、顔をそむけた。
「……俺は政治に、興味はない」
「……はい? 今なんと……」
「だから、俺は政治になど興味がないと言ったのだ! 政治ならば、お前達月暈院の議員らが好きにすれば良かろうっ……! 俺は、国王になど、なりたくはなかったのだっ……」
国王に即位してから一年が経ったバルサムを、ハクレイは、じっと見つめた。その真に、キーレ前国王のような熱い想いはない。その心に
「……そうですか。それが、国王の、真ですか……」
向き合うハクレイが、バルサム国王から視線を外した。その目は、国王への失望に変わっていた。
「であれば、国王が望まれるがまま、月暈院制によって、宰相である私が政治を行います。宜しいですね、バルサム国王」
ハクレイの中で、バルサム国王に投影していた、キーレ前国王の希望が打ち砕かれた瞬間だった。
「ああ。それで構わない。お前の好きにしろ、ハクレイ」
「……かしこまりました」
その後、ハクレイは月暈院に宰相設置の是非を問う法案を提出した。月暈院制のまま、為政者のトップに君臨する宰相制を反対する者はおらず、満場一致で可決されたのである。そうして初代宰相としてハクレイが指名され、国王による信認の下、自ら政治を行う立場に君臨した。宰相となり、ハクレイは、キーレ前国王から託された希望の証——白色のガウンにようやく腕を通した。そのガウンに誓い、宰相である自分に誇りを持つことで、どうにか崩れ落ちそうになる心を保った。
「——宰相就任、おめでとさん」
同じころ、科学実験棟の主任研究員となっていたドベルトに祝福され、「ありがとう」とハクレイが礼を言う。
「まあ、専制君主制に戻すという理想は、叶わなかったけどね……」
二人で酒を酌み交わす席で、ハクレイが、そっと俯く。
「ま、お前さんが政治をするのなら、キーレ国王も喜んでるだろ。ほら、祝いの席でそんなシラケたツラすんなよな! 折角の酒がまずくなるだろっ」
明るく振る舞うドベルトに、「うん……そうだね」とハクレイも笑う。
「ところで、実家には帰ったのか? 今のお前さんなら、1マン紙幣を百倍どころの話じゃねーだろ?
「家族はみんな、死んだよ」
「……は? いつ? お前そんなこと一言もっ……」
ハクレイの持っているグラスが、震えている。
「ハクレイ……?」
「月暈院の議員に当選した日に、実家に帰ったんだ。そしたら、父さんも弟も妹も、死んでた……」
約束通り、1マン紙幣を百倍に変えて、実家に帰った。
「な……んで?」
「知らない。父さんは昔から僕のことが憎かったのか、僕のことは全部否定してきたからね。唯一、顔は綺麗だって褒められたけど、それも今となっては、嫌味以外の何物でもなかったし。たぶん、僕が成功したことが、許せなかったんじゃないかな。何も、弟妹まで道ずれにすることなんて、なかっただろうに」
「ハクレイ……」
「だからもう、僕に帰る実家はないし、家族もいない。一人で我が道を突き進み、一人で死んでいく。そんな運命なんだよ、きっと」
「ばかやろー! お前には俺がいるだろ! この天才科学者ドベルト博士がよ!」
昔と変わらない気質のドベルトに、ハクレイの顔が綻ぶ。
「そうだった。僕には君が……最高の相棒がいるんだった。忘れてたよ」
「忘れんな、ばか」
「それで? その天才科学者ドベルト博士は、今どんな研究をしているんだい?」
何気ないハクレイの質問に、今度はドベルトが目を伏せる。
「ドベルト? どうしたの?」
「いや……。実は今な、ミーナ王妃に、地球へ降り立つ術を開発するよう、命じられているんだよ」
「は? 地球に? 何故ミーナ王妃が地球に降り立つ術を?」
「しらねーよ。俺が聞きたいわ。……けど、バルサム国王とは、未だ通じ合っていないご様子だしな。ミーナ王妃も、昔から俺らと一緒に図書館で勉強してただろ? かつて親交があった地球に興味があってもおかしくはねーし、俺も、地球には興味があるからな。だから、その地球に降り立つ術を開発すべく、日夜研究に勤しんでるってワケ。お分かりいただけましたでしょうか、宰相サマ」
胸に手を寄せ、しおらしくドベルトが説明した。
「ふーん。宰相の命令で、その研究をストップさせることも出来るけど?」
「ばかやろ! そんなことされたら、俺の首が飛ぶわ! ミーナ王妃は激しい気性の持ち主。ま、俺の場合、そんな王妃に惚れちまったのが、運の尽きだな」
「まったく、国王夫婦揃って問題アリなんだから。宰相としては、悩みの種が尽きないよ」
羽織る白色のガウンを見つめ、ハクレイは大きく溜息を吐いた。
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