第73話 禁中に掬う闇

 一方地球、ヘイアンの禁中では、カーヤら月の交換視察団の追放論が吹き荒れていた。五人の貴公子らからの求婚を退けたことは勿論のこと、わざわざ月の宝(偽物)を献上したにも関わらず、それを踏みつけ、更には命まで奪おうとしたカーヤの言動が、貴公子らの不興を買ったのである。

 どれだけの美女であろうとも、月の民は不浄の輩——。そのような思想強く、禁中では、月の民を即刻追放すべしという主張と、真の帝が帰還するまでは、両者の交換視察は続行すべしという主張で分かれていた。

 追放論を強く推す公卿衆の一人、刑部ぎょうぶ卿——九条是枝くじょうこれえだは、麒麟きりんが鎮座する御簾みすの前で、平然とカーヤの陰口を叩く。

「——いくら絶世の美女であろうとも、あれだけ色が白く、金瞳であらば、妖同然。その微笑みも、薄気味悪う感ぜられるわ」

「正しく鬼女が如くじゃのう」

 他の追放論者である公卿衆らがせせら笑う。それを御簾の中でじっと聞く麒麟が、悲痛な面持ちで、首を横に振る。

「従者である二人の男共も野蛮じゃ。姫の命にて、皇子みこ様方の御命まで奪おうとしたと聞く。真、月が民は蛮族この上ないのう」

 五人の貴公子らは、あれから大袈裟に床に臥せ、カーヤ憎しの態度を貫いていて、評定ひょうじょうの席には姿を現していない。あわよくば、カーヤに責任を感じさせ、見舞ってほしいのだ。

(……ちがう。本当の蛮族は、相手の気持ちに寄り添えない、お前達の方だ)

 麒麟が、ぎゅっと拳を握り締めた。一呼吸置き、言い返そうと口を開いた瞬間——。

「……申したいことは、れだけか?」

 御簾の先から聞こえた声に、麒麟は目を丸くさせた。その声の主は、太政大臣・浄照じょうしょう。俗名——春日道久。

「何じゃ、もうしまいか? 陰口を叩くのであらば、かあや姫と恋仲であらせられる主上しゅじょうに面と向かい、奏上そうじょうせよ」

 せせら笑っていた公卿衆が、一気に沈黙する。皆ばつが悪そうに視線を外した。

「ふん、口程にもない。主上と言うても、そこにおわすのは、偽物の主上であろう? 何を恐れ慄くことがある? ほれ、かあや姫ら月が視察団への陰口、とくと奏上してみせよ」

 浄照の口調は強く、一見麒麟を貶めているようで、その実、追放論者への牽制であった。

「わ、われは真の主上が月より御帰りあそばされるまでは、かあや姫ら交換視察の方々は、国賓としてもてなすべきだと、存じまする。たとえそこにおわすのが偽物の主上であろうとも、今は、留守居の帝として、御簾に鎮座されておいでゆえ」

 穏健派の公卿が、畏れ多いように、御簾の麒麟に向け、平伏した。心では、眼光鋭い浄照怖さに、おずおずとした態度を取っているに過ぎない。その眼光が、ぎろりと追放論者に向けられた。

「……っ、わ、わしも、まあ、主上が月より戻られるまでは、のままでもよかろうと……」

 おろおろと追放論者らが麒麟に向け、平伏していく。

「何じゃ、帝に相対し、誰も奏上せぬか。つまらぬのう、麒麟」

 浄照が、ふっと笑った。嘲笑を浮かべる浄照に救われたと、麒麟は心の中で深く感謝した。評定の席がしんと静まり返る。浄照が、やれやれと首を振る。

「真、つまらぬのう……」

「——真につまらぬのは、太政大臣様にございましょう?」

 その時、一つの公達きんだちの声が上がった。一番奥の席から、扇で顔の下半分を隠した男が笑っている。

「……不動院のせがれか?」

 怪訝そうな浄照に問われ、不動院の倅と呼ばれた満仲みつなかが、「くくく」と笑った。

霊亀れいきさま……?」

 思わず麒麟も、その瑞獣ずいじゅう名を口にした。

「そなたのまなこに、わしはつまらぬそうに見えるか?」

「ええ、ええ、見えまする。視えまするぞ。……太政大臣様が、己が御嫡男に会えず、つまらぬそうにしておられる御姿が」

 浄照の眉間が動いた。それでも、ふっと笑って、満仲みつなかに言う。

「そなたは我が嫡男、安孫あそんと幼き頃よりの間柄じゃったのう。つまらぬのは、そなたも同じか?」

「くくく。左様にございまするな。わしも安孫のすけに会えず、つまらぬ……寂しゅうございまする」

 その場の空気を軽くしようと、満仲はお道化どけて言った。まったく……、と浄照も幼少の頃から知っている満仲の機転に、曇らせる心はない。

「——浄照様は、何時いつから穏健派になられたか?」

 不穏な声に、浄照が表情を消し、そちらに目を向ける。

「つい一年前までは、御嫡男殿に真の帝を葬るよう、画策されておいでだったように存じますが?」

 声の主——九条是枝が扇で口元を隠し、核心をつく。

「はて? わしも年ゆえ、昔のことは思い出せぬのう。……じゃが、九条よ。わしよりも、そなたら烏丸衆からすましゅうの思惑の方が、過激じゃろうて」

 浄照が、ぐっと是枝を睨みつける。是枝は素知らぬ顔で、「過激とは、些か言葉が過ぎまする」と口にする。そのような両者の腹の内を、満仲は扇の内側から愉快そうに見た。

「我らは目的は違えど、心の内は同じと思うておりましたが。……浄照様は、現帝を廃する御心内では?」

 俄かに公卿衆に動揺が走った。

「現帝を廃するっ……? 四年前、主上を帝に推したは、春日様であられたはずっ……」

「亡き三条様と共に、鷲尾わしお帝を隠岐おきへ流罪とされたは、摂政春日様ぞ?」

「それが何故なにゆえ、主上を廃するのか?」

 浄照の側近以外の公卿衆らの間で、矢継ぎ早に疑問が飛ぶ。朱鷺以外の帝を知らない麒麟は訳が分からず、訳が分かっている満仲は、ますます高揚気味に評定の席を楽しんでいる。

(やはり評定は、かくも紛糾せねば、面白ろうない)

「くくく」と満仲が笑った。

「……わしは、現帝が世が、長く続くとは、思うておらぬ。ゆえに、わしや倅が直々に手を下さずとも、主上が世は絶たれよう。されど、左様な理由を以ってして、鷲尾院にまつりごとを還すつもりは、毛頭ない」

 ゆっくりと重く圧し掛かるような口調で、浄照が言った。

「そなたら烏丸衆が鷲尾院を担ぎ上げ、二度にたび政に院をたてまつらんとする心内と同じにするでない。わしは、わしこそが、の国を一等照らす日輪となる、左様な心内しかあらぬでなぁ?」

 見下すように、浄照が是枝に向け、嘲笑を向ける。

「……成程。目的も違えば、心内も違うと。折角主上が長きに渡り、月が世にうつつを抜かしておいでと言うに……。今此の場にて、我らはたもとを分かちましたな。陰と陽が相容れぬように、いずれ、我らも相容れぬ立場となりましょうぞ」

 立ち上がった是枝が、同胞である烏丸衆の公卿衆らを引き連れ、評定の席を後にした。評定の席に登る三十数名の内、約半数近くが、烏丸衆の一員であった。

「……浄照様、烏丸衆とは一体……?」

 御簾の中から麒麟に問われ、浄照が嫌気がさしたような表情で、言う。

「烏丸衆……いにしえより、禁中に掬う闇よ」

「禁中の闇?」

「左様。死肉に群がる、正しく烏が如き、胡散臭い連中ぞ」

 浄照の説明に、麒麟は一抹の不安を覚えた。

「主上……」

「案ずるな、麒麟。わしが禁中を牛耳る内は、陰が陽を蝕むことはあらぬ。そなたは、主上が瑞獣としての務めに邁進せい」

 うんうんと浄照が頷く。

「……陰が陽を蝕む、のう」

 ふうむ、と満仲が扇の中で、そっと口角を上げた。


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