第44話 帝の血
王宮を出た
「流石の存在感の薄さよ、天女中」
「う、うるさいさね! 私だって国民の前に出たら、たくさんの聴衆が集まるんだからっ……!」
「ふむ、左様ですか。聴衆……」
何やら策を思い付いた
「――ではるうあん殿、王族復権に向けての意気込みを、どうぞ」
閑散とする広場で、水影がルーアンに扇子の先を向ける。
「それ、マイクのつもり?」
「良いではないか、天女中。存分に自己主張すると良いぞ? るうあん王女ここにあり! と声高く聴衆に宣言するのだ」
「もう……ホントにこんなコトで上手くいくのかしら?」
朱鷺と水影が物陰に隠れた。
一人、また一人と、通行人が足を止めていく。ルーアンの歌声に導かれるように、聴衆が集まってきた。それはやがて群衆となって、歌声の主が、廃籍された元王女であると知れ渡る。その中に、見るからに常人とは異なる
歌い終えたルーアンが瞼を開けると、そこには何十人もの聴衆の姿があった。久し振りに国民の前に立ち、ルーアンは緊張から息を呑んだ。それでも王族復権の為、国民らの前で声高く宣言する。
「私はかつての第二王女、ルーアン・グレイスヒルです! 無実の罪により追放された、ミーナ王妃及びカーヤ王女の名誉回復の為にも、ここに悪の元凶であるハクレイ宰相との対決を宣言致します!」
ルーアンの意気込みに、聴衆らが熱狂的な叫び声を上げた。皆、ルーアンの王族復権に賛同している。国民からの後押しで、思わず泣きそうになっているルーアンに、上着を脱いだ安孫が弓を構えた。
「成程、天女中を支持するというは、真らしいのう」
男が振り翳した金属棒を片手で受け止めた朱鷺が、ぐいっとそれを引き寄せた。男が怒りと困惑の表情を浮かべる。
「何故お前らが王女様のお命を狙う!」
「真に射貫くつもりなどない。ただ、そなたらをおびき寄せたまでのこと」
「なにっ……!」
「我々を、えるば殿の所までお連れ下され。折り入って、王女とこの国の行く末について、反乱を企てる方々と話がしとうございます」
朱鷺の強気な言動に、弓を持つ安孫の手に力が入った。
聴衆に紛れて五人の反乱者がいた。彼らは人気のない森の奥に朱鷺らを連れて行くと、さっとルーアンの前で跪いた。森の奥には幾つもの粗末な小屋があり、そこから何十人もの屈強な男らが出てきた。
「エルヴァ……」
男ら反乱者の中核を成すエルヴァに、「ごめんなさい」とルーアンが頭を下げた。
「王女様っ……!」
男らがその言動に慌てるも、エルヴァにはその真意が分かっていた。
「仲間を救えなかったのは、俺らが非力だったからです」
「違うわ! 全部私の責任! 私に宰相に立ち向かう勇気がなかったせいよ!」
顔を上げたルーアンが、涙目で反論した。首を振ったエルヴァが、そっと笑みを浮かべた。
「王女様は何にも悪くありません。ミーナ様が罪に問われた時、裁判もなく、一方的に罰を言い渡された貴方様方をお救い出来なかったのは、俺達です。衛兵は、王族を守る者。貴方様方を守れなかった時点で、俺達衛兵は死んだも同然。ならば、この動く屍は、一体何の為にあるのか? それは、王宮に残された王女様を護り、王女様を再び王族へとお戻しする為。ただその忠義の為だけに、俺達は今ここにいるのです。それは死んでいった仲間も、それからここにいるすべての者達も、同じ気持ちでいるのです。俺達衛兵は、ルナフェスでミーナ様や王女様から施しを受けた者。今の俺があるのも、あの時、幼い王女様が命を与えて下さったお陰です」
「エルヴァ……ありがとう。皆も本当にありがとう。……でもね、望みは自分で叶えるものだって、この地球人達に教えてもらったの。私は貴方達に王女に戻してもらうんじゃない。自分で王女に戻ってみせる。ただ、ちょっとだけハードルが高いから、彼らに手伝ってもらうことにしたの。望みを叶える為には、時に援者も必要なのらしいわ。だからね、もう貴方達だけで戦うのはやめて? その代わり、貴方達も私が王女に戻る為の援者になってくれないかしら。私はまだここにいる。貴方達衛兵が守るべき王族も、あの王宮にはいるわ。貴方達は死んでなんかいない。ちゃんと生きているの。お願い。生きて私が……私達がこの国を覆すところを見ていて」
自分の言葉で反乱者の心を鎮めるルーアンに、エルヴァと目が合った朱鷺が微笑みを浮かべ、頷いた。エルヴァもまた、ルーアンの望みと朱鷺らの面持ちに、それが本気であると悟った。
「……主を御護り出来なかった時点で、臣下は死んだも同然。月が民の忠義は、我らから見ても、
水影の言葉に、安孫が俯く。
「……左様で」
それだけ発した安孫に、水影は表情なく主の下へと向かった。
王宮から持参した食材で、ルーアンが肉と野菜のスープを作る。包丁を持つその姿に、おろおろと心配する男らを他所に、ルーアンはメイドとして培ってきた技術を楽しそうに披露した。
エルヴァが、少し離れた木に寄り掛かる朱鷺の隣に立った。
「……いつかアンタが言っていたように、俺達をアンタの目的完遂の為の手駒にするつもりか?」
「おや、覚えておいでか」
「もし、王女様すらも手駒として考えているのならばっ――」
「天女中。その名の通り、俺は
朱鷺がしっかりと立ち、エルヴァと向き合った。
「案ずるな。俺はすべての天女を愛しておる。そして、天女中こそ我が最愛の天女であるのだ。ゆえに、たとえ月とちきう、すべての民を敵に回そうとも、
主の固い決意を、背後に控える安孫が、息を呑んで聞いていた。ルーアン特製のスープができ、水影が男らに配っていく。朱鷺は森の中で見つけた兎に野菜の切れ端を与えていて、腰を落とす主の背後に、安孫が立つ。
「この先、我らは
「さあな。これも賭けゆえ、先のことは分からぬ」
主の言葉に、安孫は目を伏せた。
「……朱鷺様は、月が世を覆される御覚悟にございますれば、我ら他所から来た者が介入したことで、先の世に万一のことでもあらば、
「それも、致し方ないことよのう」
ぐっと安孫が拳を固める。
「月が世を覆し、るうあん殿を王女に御戻しする手助けをすることで、あちらとこちらが世の安穏がのうなっても良いと、左様な御考えにございまするか?」
「……元より、安穏などなかろう?」
さっと安孫がドベルト銃を構えた。その銃口を絶対の主に向ける。朱鷺は背を向けたまま、兎に餌を与えている。
「……
主の言葉に、ぐっと銃口が揺らぐ。
「……このまま、平穏無事に御役目を終えるのでございます。宰相殿に歯向こうてはならぬのです……未来永劫、あちらとこちら、二つが世の安穏の為にも、我らが下手に動いてはなりませぬ」
「左様か。では安孫、そなたが申す安穏とは何ぞ?」
朱鷺が立ち上がり、安孫と向き合った。しっかりと見つめられ、目を反らした安孫の銃口が下を向く。
「罪なき者が罰を受け、親の恨みを子が被り、権力者の身代わりとされた者が命を落とし、てろにて無関係の民が傷を負い、己が正義に
ぎゅっと安孫が唇を噛み締めた。朱鷺に目を向け、再度銃口を向けた。断腸の思いで、言葉を紡いでいく。
「……こちらが世のことは、こちらが民に任せておけば良いこと。他所から来た兎が、口出しすることにはございませぬっ」
更なる餌を求め、黒や茶色の兎が朱鷺の足元を飛び跳ねる。そこに、二人を呼びに来たルーアンと水影が姿を現した。
「何してるのよ、アンタ達っ……!」
有り得ない状況に動揺するルーアンと、じっと二人を見据える水影。
「こちらが世で起きておることは、あちらが世でも同じぞ、安孫。あちらが世に於いても、常に我らに対し反乱は起きておろう。それを鎮圧し、腐敗した世を正さぬ我が世に安穏などない。それは武家であるそなたが一番分かっておろう?」
諸国で起きる反乱を鎮圧し、その首謀者らの首を晒すことで、更なる反乱の火種を消し去る。そうやって幾つもの戦で、幾つもの見せしめを行ってきた世が、安穏と言えるのか。
「……武家は、
『――帝を、葬れ』
あの言葉の裏にある父の本意が、耳の中で聞こえた気がした。安孫はぐっと目を瞑り、引き金を引く指に力を加える。
「
「
朱鷺が安孫の前に腰を落とした。そこからじっと見上げる。
「撃つが良い、安孫。俺は宰相との戦で退くつもりなど毛頭ない。我が道が誤っておると判断したのであらば、
朱鷺の言葉に、「反乱……?
「……目的の為ならば手段を択ばず、たとえ信じる者が涙を流したとしても、大義の為の犠牲ならば、それも厭わないのが、反乱というものなのでしょう? 今のアンタの大義は何なの? 腹黒を殺した先に、アンタが望む安穏があるの?」
「主上を、某が、殺す……?」
「宰相が治める世が安穏と思うならば、俺を撃て、安孫。宰相は、そなたが父と同じぞ」
唐突に、安孫の脳裏に三年前の記憶が蘇った――。
『――今代の主上は融通が効かぬのう。何とも目障りなことじゃ』
父、道久が公卿らと密談しているのを、安孫は偶然聞いてしまった。
『何でも、月が世との国交を再開させるとのこと。
『ふっ、左様か。ならば好都合よ。その視察団に我らが手の者を紛れ込ませれば、都合良うあちらが世にて御隠れあそばされるよう、仕向けられようぞ。邪魔者は、秘密裏にて葬る。我らにとって都合の良い帝は、幾らでも繕えるでなぁ?』
そうして父によって、帝と同じ年頃の安孫が取り立てられるよう、仕向けられた。密談を聞いていた安孫は、それが帝に随従する視察団の一人として、自らが都合の良い筋書を完成させる手の者になることを察していた。初めの頃は、己が道を突き進む帝にやきもきし、加えて、もう一人の側近が、三条家の水影であったことに若干の気まずさを覚え、思うように振る舞えないでいた。そうしてある時、西国で起きた反乱を鎮める為に出陣した安孫の目に、
『しゅ、主上! な、ななな、なにゆえにっ……』
『声を潜めよ、安孫。俺が
『もう既に混乱しておりまする、
『いやなに、一度戦場というものを、この目にて見ておきたかったでな』
『あ、あああ、危のうございますれば、主上に万一のことがあらば、某が腹を切るだけでは済みませぬっ!』
『案ずるな、安孫。俺は武芸十八般は習得済みよ!』
『なりませぬ! 戦のことは武家に御任せ下さいませ!』
『では、
戦場となった村で、女子供らが焼け落ちた家屋に打ちひしがれ、老人らが死体が転がる荒らされた田畑に絶望している。泥と血に塗れた死体の殆どが、朝廷に反旗を翻した反乱者だった。彼らは武家でも役人でもない、ごく普通の農民で、あまりの重税から、今回反乱を起こしたのであった。
『そなたら武家は、誰を相手に戦をする?』
『……我らは、ただ忠義に従うまでにございますれば、それに反する者と戦いまする……』
『ではその忠義の為に、我が民が傷ついても良いと申すのか?』
『それが国家安穏の為にございますれば、民の犠牲も、致し方ございませぬ』
『左様か。ならば……』
徐に、帝が腰に下げていた短刀の鞘を抜いた。
『何をなされます! 危のうございますればっ……!』
差し迫る主の危機に安孫が動くも、短刀が帝の左腕を斬りつけた。
『主上っ……!』
安孫はすぐさま自分の着物を切り裂き、それで止血した。『一体何を考えておいでか!』と鬼気迫る剣幕で問いただすも、すぐに帝であることを思い出し、その場で平伏した。
『も、申し訳ございませぬっ!
『安孫』
『は。春日安孫、自刃致しまする』
『
主の思わぬ言葉に、安孫は面喰った。パチパチと瞬きを繰り返し、
『……可笑しいか
ほろほろと言葉が口から紡がれていく。意図せぬところで涙が溢れ出した。ぼろぼろと泣き続ける安孫に、半ば呆れながら帝が笑った。
『血を流しただけで左様に泣くのであらば、そなたの前では死ねぬのう。のう安孫、俺はようやっと、己が思う安穏の世を造ることが出来る地位に就いた。されど、俺には味方が少ない。安孫、そなたは帝である俺に対しても、臆することなく物を言うた。左様な武骨者は、是が非でも味方として取り入れたい。安孫、俺と共に、安穏の世を造うてはくれぬか? 民が
目が覚めるような想いがした。この時強く、安孫は主に対して、絶対の忠義を誓った。
『これから先、何があろうとも、
あの時の気持ちが蘇り、銃がその場に滑り落ちていった。
「某は、主上が望まれる、安穏の世を……」
涙をこぼしながら、あの時の誓いを破ろうとしたことに、自責の念に駆られた。
「某は、主上に対し何たる所業をっ……
無言のままに、水影が安孫の頬を扇子で叩いていく。
「なっ……! みなか……い、
ようやく叩きが済み、水影が安孫を見上げて言った。
「
「は? 七度?」
「貴殿が、朱鷺様を主上と御呼びした回数にございます」
水影が朱鷺の前で深く頭を垂れた。
「私が代わりに仕置きを致しました」
「ふむ、ご苦労」
「……それゆえ、
「水影殿……」
朱鷺の前で、安孫が深々と平伏した。
「
「左様か。ならば最期まで共にあれ。そなたも水影も、我が臣下であり、
心に沁みる主の言葉の前に、安孫は太刀を差し出した。顔を上げ、涙で頬を濡らしながら言った。
「
「ああ。頼むぞ、安孫」
「は!」
再び頭を垂れ、涙する安孫。身を引いた水影に、ルーアンが訊ねた。
「あの時から、二世がこうなるって分かっていたの?」
「はて、
素知らぬ顔で水影が笑った。
「
どこか安堵した様子の水影に、「二世を信頼しているのね」とルーアンが笑った。
「左様な美談にはございませぬ。我らは共に、主が
「アンタも相当こじらせているわね」
「ほう、こじらせ……
「アンタ、結構月の文化に馴染んできたわね……」
巻物と筆を取り出した水影の瞳が、キラキラと輝いていた。
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