第40話 反撃の狼煙

 ルナフェスの夜は特別な間柄の者同士、王宮内でも贈り物をし合っている。去年のルナフェス以降、隔たりがあったスザリノとセライも、特別な意味を込めて、指輪を渡し合った。

 ルクナンは、安孫あそんに手作りの人形を手渡した。自分を模ったそれに、照れくさくも、安孫は微笑んだ。安孫もまた、肌身離さず持っていた春日八幡神の御守を、頬を赤く染めるルクナンに手渡した。

 時同じくして、ルーアンは、朱鷺の指示通りに着替えを済ませた。

「準備は良いか、天女中」

「ええ、いいわよ」

 策に身を委ねるルーアンが、しっかりと朱鷺と水影みなかげの前で頷いた。

 その日の夜は、ルナフェスを祝して、王宮内で晩餐会が行われることになっていた。メイド長、シリアの指示が飛ぶ中、着々と準備が整っていく。その中で姿が見えないルーアンに、シリアの眉が潜まった。

 晩餐会に呼ばれた朱鷺ら三人も、ヘイアン装束に着替え、定刻通りに席に着いた。王妃以下二人の王女や、他家の王族らも続々と姿を現した。そこには、居心地の悪そうな、オルフェーン王家のドミノ王とザルガス王太子の姿もある。彼らは皆一様に、赤い衣装に身を包んでいた。

 宰相であるハクレイも席に着き、晩餐会を取り仕切るセライが、開会を宣言した。

「――ではこれより、ルナフェスを祝しまして、王妃主催による晩餐会を開会致します」

 食事の席で朱鷺らが優雅に月の王族と会話を楽しむ中、突然スザリノが酒の入った杯を床に落とした。しんと静まり返る会場で、協力者であるスザリノが、言葉を発する。

「あら、手元が狂ってしまったわ? 誰か、床を綺麗にして下さる?」

「はい、ただいま」

 そう言って、赤いシルクドレスに身を包むルーアンが、会場内に入ってきた。騒然とする場内で、ハクレイがその意味をいち早く察知した。朱鷺にハクレイの碧色の瞳が向く。

「ルーアン殿下はメイド落ちしたのではなかったのか!」

「いや、それよりも何故、転落王女が赤いドレスなど着ておるのですか!」

「ルナフェスにおいて、赤い衣装は王族の証。あれでは、ルーアン殿下が王族に復権されたと思われてもおかしくないぞ!」

 ドミノ王やザルガス王太子、他の王族の声に、ひっそりと朱鷺が笑う。

「ルーアン……!」

 立ち上がった王妃の前で、ルーアンが跪いた。

「ご無礼をお許し下さい、王妃陛下」

「なりません、ルーアン! 貴方はメイドとなった身、これ以上王族の名にしがみ付いてはならぬのです!」

 王妃の鬼気迫る言葉に、ルーアンはぐっと堪えるも、その顔を上げて、しっかりと口を開いた。

「私は前第一王妃の娘です。いかなる謀略に屈しようとも、この体に流れる王族の血は、変えることなど出来ません!」

 ルーアンの主張に、ルクナンが、ぎゅっとドレスを握り締めた。そこにメイド長であるシリアがルーアンに背を向け、王妃の前で跪いた。

「申し訳ございません、王妃陛下。ルーアンは私の監視の下、きちんとその身分について再度言い聞かせますので、どうかお心お鎮まり下さいませ」

「シリア、貴方が何を言おうとも、私は王女なの。貴方だって本当は、前第一王妃が……お母様が無実の罪で追放されたと分かっているはずよ。貴方は昔から王族にも人一倍厳しい人だった。お母様の二面性も、ただ一人、貴方だけは諫めていた。私ね、ずっと知らないフリをしていたけど、お母様がエトリア王妃やスザリノ、ルクナンに辛く当たっているのを、本当は知っていたの……」

 ルーアンが俯くルクナンに目を向けた。

「本当にごめんなさい。私もカーヤ姉様も、優しくて穏やかなお母様しか信じたくなかった。だから陰で貴方達が苦しんでいるのを、ずっと知らないフリをしてきてしまった」

 二人の王女に向かって頭を下げたルーアンに、スザリノが優しく頷く。ルクナンは顔を反らすも、「貴方様のお気持ちは、この安孫、良う分かりまする」と、隣に座る安孫に涙を拭われた。   

 やりきれない気持ちは未だあるも、「ソンソンに免じて、これまでのことは許してあげますわ!」と強がりながら、ルクナンは王女らしく寛容な心を示した。

 ルクナンとのわだかまりも取れ、ルーアンはハクレイに目を向けた。ぐっと力強く睨む。ふっと笑ったハクレイが、ルーアンの下へと向かってきた。

「宰相、私もカーヤ姉様も、貴方の思惑通りにはならないわ?」

「そうですか」

 にっこりと笑うハクレイが、ルーアンの後ろに立つ朱鷺に目を向けた。

「面白いことを考えるのですね、地球人は。しかし、思惑通りにならないのは、そちらの方ですよ?」

「おや、それは如何いかなる意味にございましょう?」

「たとえルナフェスで赤い衣装に身を包もうとも、ルーアン殿下は既に王族から廃籍されたお方。ルーアン殿下も王族の一人であるとアピールするのが目的なのでしょうが、第一王女はスザリノ殿下、第二王女はルクナン殿下。エトリア王妃の流れを汲むお方こそが、グレイスヒル王家の正統血族。これはもう、揺ぎない決定事項ですから」

 ハクレイの表情には笑みが浮かぶも、じっと朱鷺を見つめている。

「月が世の宰相殿は、その柔和なお顔立ちからは想像出来ぬ程、いささか強気な御仁ごじんにございますなぁ? ……宰相、我が世に於ける摂政に値する官職にございますれば、さきの世に於いて摂政を務めた男に、宰相殿のその強気は良う似ておりまする。のう、安孫」

 朱鷺に振られ、「……左様で」と、安孫は重く圧し掛かる言葉を吐いた。

「そうですか。ではその方もまた、私と同じく、情け容赦ないのでしょうね?」

 そう言うと、ハクレイが懐から束になった物をその場にばら撒いた。空中に舞うそれらに、セライがはっと目を見開く。

「見ては駄目だ、スザリノ! 春日さん、ルクナン殿下の目と耳を塞いで下さい!」

 慌ただしくセライがスザリノの目を隠し、安孫に指示を飛ばした。

「ぎょ、御意……! ご無礼を!」

 安孫もまたルクナンの目を腕で隠し、両耳を手で塞いだ。床に散らばった物に視線が行き、そこに映る光景に、言葉を失った。

「これは……」

 ルーアンがその場に崩れ落ちた。涙が溢れる。

「ええ。反乱者に寝返った衛兵五十人の、処刑後の写真ですよ? 折角異文化交流でいらしている地球の方々に、我が月における処罰も、学んで頂こうと思いましてね」

 その写真は、幾つもの銃弾を浴びせられた衛兵らの遺体を写した物で、その惨殺された遺体から、安孫は目を反らせずにいた。

「ソンソン? どうしたの? 宰相は何をばらまいたんですの?」

 ルクナンの問い掛けに、安孫は、ぐっと目を瞑った。どう現状を説明すれば良いか分からない。そこに水影が安孫の手を離し、ルクナンの耳元で囁いた。

「なに、ただの男女の戯れを写したもの。幼い王女殿下には、些か刺激がお強うございますれば」

「ル、ルーナだって、もう立派なレディですわ!」

 そう叫んで安孫の手から逃れたルクナンの前に、散らばった写真はなかった。すべて水影が回収した後で、それを掌で握り潰している。隣に立つ朱鷺が、じっとハクレイを見つめる。

為政者いせいしゃなる者、時に非道でなければなりますまいな」

「ええ。これも平和な国造りの為ですよ?」

「ほう、国造り。私も国造りには興味がございましてなぁ、腐敗した世を作り直さんと、都造みやこのつくりこかばねを名乗うておるのです」

 睨み合う両者の間で、ルーアンが泣き崩れた。

「……どうして、彼らが何をしたと言うの……?」

「衛兵でありながら、反乱者に寝返り、王族の窮地に駆け付けなかった罪は、相当重いのです。国家反逆罪として、処刑されて然るべき所業。同じ罪であろうとも、王族というだけで命がある現状に、有り難いと思って頂ければ幸いなのですがね、ルーアン元王女?」

 冷酷なまでのハクレイの仕打ちに、王妃も他の王族も口を噤むだけだった。大人しくしているようにと釘を刺された地球人のみ、笑みを浮かべたまま立っているハクレイに、反撃の狼煙を上げる。

「……顔を上げよ、天女中」

 その声に、打ちひしがれていたルーアンが、ゆっくりと朱鷺を見上げた。堂々とハクレイと対峙するその姿に、一筋の希望を見出す。真顔になったハクレイが、顎に手を寄せ、じっと朱鷺を見つめた。その仕草に、セライが「父の目を見てはなりません!」と、朱鷺に風雲急ふううんきゅうを告げるも、「もう遅いよ、セライ君」と、ハクレイがひっそりと笑った。

「そうか。君の望みは、渇愛なんだね。表では多くの女性を侍らせたいと渇望していても、本当の望みは、誰かに愛されたいという執着、渇愛なんだ。もしかして、今まで誰にも愛されたことがなかった人生なのかな? そうか、だったらこの僕が、両方の望みを叶えてあげるよ。君が欲しくて堪らない愛を、君が望むだけ揃えてあげる。だからね、もうこれ以上、僕の神経を逆撫ですることは止してくれないかな……?」

 表情を消すことで、更に強く憤怒を示すハクレイに、ふっと朱鷺が笑った。

「もしやせらい殿、れが宰相殿の、常人にはない力なのですかな? 成程、対峙した者の真の望みが分かると、左様な力ですか。もちっとばかし壮大な秘術を期待しておったのですが、何やら拍子抜けしましたぞ。真を読み解く力など、然程さほどの事でもありますまい。それをあちらが世では、洞察力と呼び、我が鳳凰ほうおう以上に、その力に長けた者はおらぬのですよ」

 朱鷺の隣で、真の眼を持つと称された水影が、じっとハクレイを見つめる。こけにされたハクレイであったが、その顔に笑みが戻った。

「本当に面白いね、地球人は」

「我らちきうの民から見ても、月の民は面白うございますよ。……されど、貴殿はつまらぬことを仰られる。他人の望みを叶えて、私が望むだけの女人を揃えて、……望みは他人に叶えてものにはございませぬ。自力で叶えるものにございますれば、貴殿のお心遣いは無用にございます。ああ、されど、時として、援者は必要にございますがな。のう、天女中?」

 そう振られたルーアンの中で、朱鷺の言葉が蘇った。

『――そなたは我らに味方になって欲しいか? 他所から来た兎であろうとも、国を覆す知恵と勇猛さは兼ね備えておるつもりぞ?』

「天女中、そなたから見て、今の俺は、信頼に値する男か?」

 ルーアンは涙を拭って、「うん」と頷いた。朱鷺がルーアンの手を取り、自分の胸に引き寄せた。突然の行動にルーアンの鼓動が増す。そこから、眩い照明を背に受け、ニッと笑う男を見上げた。

『――我ら交換視察団が国を動かしていく様を良う見ておるが良い。俺が信頼に値する男であると確信した折、再度そなたの望みを訊ねよう』

「では天女中、再度そなたに訊ねよう。そなたの望みは何ぞ?」

「わたしの、望みは……」

 しっかりと前を向いて、堂々たる口調で言った。

「王女に戻ること。そして、これ以上この国で、宰相の好きにはさせないことよ」

「流石は王女たる天女よ。実に単純明快。良かろう。さあさお集りの王族から女中の皆様方、この都造みやこのつくりこ朱鷺、援者が一人として、るうあん王女殿下と共に、この国を覆してご覧にいれよう……!」

 そう高らかに宣言して、朱鷺は袖から出した通告令を、安孫の懐から顔を出していた白兎に向けた。ガシガシガシとカジっていくも、ペッと吐き出す。

「さあ、他所から来た兎が国を覆していく様を、とくとご覧あれ」

 自身に満ち溢れた朱鷺に、ハクレイが笑う。

「面白いね。やれるものならやってみれば良いさ」

 そう言って、兎に目を落としたままの安孫に、そっと的を絞った。

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